月ニ踊ル、人形師

月ニ踊ル、人形師

 ストーリー、作:<技の一号>そーし

原案:<力の二号>人形


 ショーウィンドウ越しに見える小さな綱渡りの少女を、シュティールは奇妙な感慨と共に眺めた。
「リリー・ザ・タイトロープ」と名札の張られたそれは、恐ろしく精巧にできていた。
 一本綱の端に絶妙なバランスで立っている。どうやらゼンマイ仕掛けで動くらしい。だがシュティールの眼を奪ったのは、その機構ではなく、少女の顔だった。
「……リリー、か……」
 ……名前まで同じだ。関係の有無はどうでもいい。この人形を、欲しいと思った。
 値札を見れば、手の出ない額ではない。しばらくは苦しい生活を送ることになりそうだったが、それくらいの覚悟はすぐにできた。
 シュティールは『セラフィック』とかかれた看板を見上げ、微かに肯いた。
 薄暗い店内へと続く扉を、ゆっくりと開け、一歩を踏み入れる。
 奥のカウンターでは、ボサボサ頭の薄汚れた中年男が、つまらなそうに新聞を読んでいた。
 物語は、ここから始まる。


「いらっしゃい……」
 そう声をかけておいてから、客の姿を見定めたロウハ=フレッグマイヤー人形師は、それとわからない程度のため息をついた。
 客は少年だった。まだ十六、七に見える。
 店には、子供が買えるような安物は置いていない。なにせ全てが彼の手作りだ。素材を厳選し、手間をかけ、精根を込めた逸品揃いである。安いものでも平均月収の半分……高いものとなると、平均年収の額をも越える。
 人形とはいえ、子供の玩具とはわけが違うのだ。
 ただの冷やかし客だろうと察し、ロウハは新聞の記事に視線を戻した。
 見出しは大きい。
『フラウティア革命議会議員、ノービス=レイパスタン氏、殺害さる』
 再びため息一つ。今度のは、自然と大きくなった。
 犯人は、旧フラウティア皇国の残党らしい。おそらくは……昔の知り合いだった。
(まだ続くのか……)
 ロウハは舌打ちまじりに新聞をたたんだ。
 目の前に、いつのまにか客の少年が立っていた。
「あの……」
「はい?」
 営業用スマイルで応対しつつ、ロウハは客の少年を観察した。近くで見れば、なかなかの美少年である。くわえて、そこらの子供とは眼つきが違う。服装こそ質素だが……こんな店に来るぐらいだ。あるいは、どこかの貴族の御曹司かもしれない。
「あの、ショーウィンドウに飾ってある綱渡りの人形なんですが……」
「はいはい」
作品名『リリー・ザ・タイトロープ』。
 平均月収の二ヶ月分、と素早く思いだした。材料費はそれほどでもないが、技術と手間のかかっている人形だ。
「売っていただけますか?」
「……あ、はい。そりゃ、もちろん……」
 ……一ケタ値段間違えてんじゃないか?
 いぶかりながら、ロウハは腰を上げた。奥の部屋に梱包済みの物がある。
 一抱えもあるそれをもち出しつつ、
「えぇと、5,000ルクスになりますが……」
 少年は事もなげに、財布から五枚の大札をとりだし、カウンターにならべた。子供の買い方ではない。
 ロウハは内心で首をすくめたが、表情は変えなかった。
「はい、そいじゃ、こちらが商品です。中身をご確認ください」
 少年は、ちらっと箱の中身を一瞥しただけで、ロウハに視線を戻した。
「もしよければ、この人形の、モデルについてうかがいたいんですが……」
「モデル……?」
 ロウハは首を傾げた。今まで、こんな事を聞いてきた客は四人ほどしかいない。それも他の人形に関してばかりだ。『リリー・ザ・タイトロープ』は、綱渡りをする少女をかたどったカラクリ人形である。特に珍しいモチーフの作品でもないから、わざわざモデルを気にする人間はいない。
「こいつは、俺の人形造りの師匠から教えてもらったんですよ。どこかの芸人サンをモデルにしたとかいってましたが、詳しいことは……」
 少年は肯くと、「どうも」と頭を下げ、箱を軽々と抱えて店を出ていった。
 その背を見送りながら、ロウハは眼を細めた。
 少年の歩き方は、一般人のそれではない。れっきとした「剣士」のもの……それも、故国フラウティアに古くから伝わる、コルトフ式剣術の歩法だった。
 ロウハは少年の姿が見えなくなるや、机の下からノートを取り出し、スケッチをはじめた。
 テーマは、今の少年の似顔絵である。

 

 会計士事務所の仕事が終わると、シュティール=フロウは足早に下宿へ戻った。時刻は夕暮れを過ぎ、月の刻になろうとしている。
 坂の脇道から、迷路のように曲がりくねった細い路地裏を通り抜けた。
 石畳の終わりにある古ぼけたアパートの三階が、今の彼の住処である。
 住み着いてまだ一ヶ月目、ようやく生活に慣れてきたところだ。部屋は狭く、風呂もついていないが、放浪の三ヶ月を思えば、寝床があるだけでありがたかった。
 ついでに今は、仕事もある。メノウという会計士の事務所で、下働きの事務員をしている。
 きしむ扉を開けて、部屋に入ったシュティールは、ランプ油を節約するためにカーテンを開けた。
 刺すように明るい月光が、室内にそそぐ。
 数日前に買い求めた『リリー・ザ・タイトロープ』の横顔が、月光に映えた。
 月に照らされた室内には、他に家具らしい家具もない。ただ旅の間、持ち歩いていた布袋と、一振りの長剣があるばかりだった。
 窓辺に座ったシュティールは、しばらく人形の横顔を見つめていたが、やがて眼下の街並みに視線を転じた。
 街の明りが、星空と同化していた。
 ここニルウサーガの街は、商都トロウにほど近い古都である。歴史と古い街並み以外に、誇るものも思い浮かばない小さな街だった。
 夜景を眺めているうちに、いつしかシュティールは、遠く離れた故郷を思い出していた。
 さして恋しくもない。むしろ、全てが嫌で逃げてきたのだから、離れていられることに安堵すら感じた。
 フラウティアは、ここニルウサーガから遠く北西に離れた、山間の小さな国である。七年前に、革命のために皇家が滅亡し、今は革命議会が実権を握っていた。
 シュティールの祖母は、その革命議会の、初代にして現役の議員だった。
 母親をはやくに亡くし、革命戦争で父を亡くしたシュティールは、その祖母の元で戦後の七年を過ごした。
 本来ならば、シュティールは祖母の跡継ぎとして、今ごろは国営学校に入れられているはずだったが……祖母のいう『政治的知略』に反発を抱いていたシュティールは、監視の眼が途切れた隙に出奔した。それが四ヶ月前のことである。
 風が冷えてきた。
 髪を撫でる冷たい風は心地良かったが、シュティールは窓を閉め、月光の光を浴びながら木の床に転がった。
 明日も早くから仕事がある。
 旅の間から使っていた毛布にくるまり、人形の横顔を見つめながら、シュティールは夢の中に落ちていった。
『リリー・ザ・タイトロープ』の横顔は、一晩中、彼の寝顔を見つめていた。

 

 人形師、ロウハ=フレッグマイヤーは、当年とって34歳を迎える。人形師としての腕は、このあたりでも評判が良い。しかし、その素性を知る人間は、まったくといっていいほどいなかった。
 ことに過去の話となると、出自、前歴から、師匠の名前すら、一切が謎に包まれている。
 しかし、そのことを奇異に思う人間は少ない。
 なんとなれば、ロウハ=フレッグマイヤーという人形師は、おそろしく凡庸な外見の、いかにもありふれた男だった。なんとなく人生を流されて生きてきたような、そんな顔つきなのだ。そんなつまらない男の過去に、興味を持つ人間は少ない。
 だからこの街で彼に一目をおく人間は、彼と過去の時間を共にしてきた、ごく少数の仲間達だけである。
 その仲間の一人、リスターナ=コルトレーンは、メノウ会計士事務所の扉を見つめ、たった今、そこへ入っていった少年の足取りを思い出していた。
 少年の足取りは、ロウハの言う、コルトフ式剣術の歩法と似てはいる。しかし、間違いなくそれだという確証は持てなかった。
 かの剣術の歩法は、常に親指の付け根に重心を移し、一歩を大きくとるのが特徴である。歩法のしっかりした者になると、ほとんど上体を揺らさずに素早く歩く。少年はその域に達してはいるが……偶然かもしれない。
「確かめてみるか……放っておくか……」
 リスターナは丸縁の眼鏡をかけ直し、肩にかけていたジャケットを身にまとった。
「めんどいな。ほっとこ」
 おもしろくもなさそうに呟き、リスターナは事務所に背を向けた。相手はただの子供だ。ロウハは、彼が本国から来たスパイの可能性を疑っているようだったが……
(あのオヤジは心配症すぎんだよなぁ。もちっと楽観的に生きらんないもんかね)
 飄々たる足取りで、彼はシュティールへの疑念を振り払った。あの少年の顔は、スパイのそれとは程遠い。ロウハには、適当にいっておけばいいだろう。
 歩み去るリスターナの背を、事務所の向かいの三階から見送る人影があった。
「おい、あの男!」
「あぁ……シュナイダー=タルタロスによく似ている」
「似ているなんてもんじゃない。そのまんまだ」
 やせぎす長身の男が鋭い目を光らせ、声を微かに荒げた。それを受けて、髪を短く切り揃えた娘が低く呟く。
「待て。あれから七年経っているんだ。あまりに手配書と似過ぎている。逆に疑わしい」
「しかし……」
「まず確かめるべきだ。奴がいるということは……あのフロイド卿もいるかもしれない」
「……10万ルクスの賞金首、『千人殺しの人形使い』か」
 微かに青ざめつつ、二人は肯きあった。
「若君の説得は、そいつを確認してからにしよう」
 階段を駆け下りた二人は、リスターナ=コルトレーンの後ろを静かにつけはじめた。その動きは、隠密のそれである。

 

 人形店『セラフィック』の扉をくぐったリスターナの視界に、ロウハの姿はなかった。
 代わりに美貌の店員が、人をとろかすような笑みを浮かべている。
「ようリティ。ロウハは?」
「お出かけですって。帰りは夕方になるそうよ」
「ちっ……人にスパイまがいのことさせといて、ドコ行ってやがんだか……」
「ね、どうだった? 例の子! 似顔絵通りの美少年?」
 リティ=セラフは、カウンタから身を乗り出し、華やいだ声をあげた。
「あぁ、よく似てた。さすがだな、ロウハは。一目見ただけで、あそこまで描けるんだから」
「ふぅん……私も見にいこかな」
「やめとけ、しょーもない」
 あしらっておいて、リスターナはペンをとった。カウンタからメモ用紙をやぶりとり、手早く要件を書き付ける。
「置き手紙残しとく。ロウハが帰ってきたら渡しといてくれ」
「なに? キミも出かけんの?」
「今夜は女と約束があってな」
「おさかんね〜。今度はいくつぐらいの子ひっかけたのよ?」
「年齢不詳。運命の女神さま」
「……何だ、いつものギャンブルか」
 リティは鼻で笑って、畳まれたメモを受け取った。
「女神さまに身ぐるみ剥がされてらっしゃいな」
「俺の裸は見飽きたらしいぜ。最近勝ちまくってんだ」
 軽口を叩いておいて店を出たリスターナは、ふっ、と立ち止まり、反射的に視線を左右に走らせた。
 三人の通行人と、石畳の道に寝転ぶ猫。
 変わった所はない。だが、どこかから誰かに見られていると直感した。
 焦がれる女の視線なら嬉しいが……それほど、心地のいい視線でもない。
 三秒とたたないうちに、リスターナを見つめる視線の感触は消えた。逃げたのかもしれないが……距離をおいただけの可能性もある。
「……借金はもう返したけどなぁ……」
 首を捻りつつ、リスターナは歩き始めた。今夜のギャンブルはあきらめることにした。
(俺を尾けるたぁ……ナメた真似してくれるじゃねぇか)
 銀縁眼鏡の奥の眼差しが、細く光った。尾行されているようなら……それなりの、『対処』をする必要がある。

 

 店をリティに任せて出たロウハは、ふらふらと秋の道を歩いていた。
 ロウハは覇気もなく、いかにもヒマそうに歩く。
 しかしその実、眼の奥深くには、一点の濃い輝きが篭もっていた。
 行きつけの飲み屋の前を通りすぎ、夕暮れ間近の裏路地へと踏み込む。
 寂れた狭い路地に、中の下に位する平民達の家と並んで、一件の奇妙な家があった。
 扉は潜り戸になっており、その上には『Fortune』と書かれたプレートがかかっている。
 よくよくみれば占小屋らしいが、大通りから離れたこの路地裏では、客が来るようには見えない。
 ロウハはあたりを少し気にしてから、すばやく潜り戸の中に入り込んだ。その光景を見ていたのは、塀の上に寝そべっていた猫だけである。
 小屋の中には、お決まりの水晶球を前にした一人の美女。
「面倒なことに、なったかもしれませんね」
 ロウハの姿を見るなり、挨拶もなしに美貌の占い師はそういった。
 魔法士、マナ=ローズリーフのその言葉に、ロウハは深く肯いた。
 面倒なこととは、数日前、皇国の残党で構成された地下組織が、革命議会の議員を暗殺した件である。
 ロウハは今朝の新聞で、その犯人が逮捕直後に処刑されたことを知った。
 ……七年前。
 フラウティア皇国が民衆蜂起の革命軍によって制圧されたのち、どうにか追手から逃れた皇国派の旧臣達には、二つの道があった。
 国を捨て、名を変え、新たな人生を生きるか。
 革命軍にあくまで抗し、皇国の復興を願うか。
 ロウハやマナ達は前者の道を選び、故国から遠く離れた、このニルウサーガの街に移住してきた。
 だが本国とその近郊では、後者の道を選んだ旧臣達が革命軍との深刻すぎるイタチごっこを続けている。
「いつまで続ければ気がすむのかしら……」
「そういうな。気持ちは俺も同じなんだ」
 マナは水晶球から視線をあげた。
「ロウハ様はいまさら、進む道を間違えたとお考えですか?」
「そうはいってない。こっちで正解だろうさ。ただ……」
 マナは寂しげに微笑んだ。
「革命軍は許せない……ですか」
 ロウハは肩をすくめた。無言の肯定はこれで何度目だろう、と、ふと思った。この七年間、こんな会話ばかりを続けているような気がした。
「表の札は、準備中にしておいていただけましたか?」
「あぁ」
「では、おかけください」
 マナはアイスティーのグラスを二つ、テーブルに並べ、正面の席をロウハに勧めた。
「ハリル……ヤな奴だったが、死んじまうとやるせない気分になる」
 腰掛けざまに、そう呟いた。議員暗殺の犯人として処刑されたのは男のことである。昔の同僚だった。
 マナはグラスを傾けつつ、指先でカードをめくった。
 カードは『月と華』、静寂と安寧、そして清浄なる知性を象徴する。
「……だ、そうですわ」
「とんでもないな」
 占いなんてそんなものか……。
 苦笑して、ロウハは床においた鞄から、一枚の似顔絵を取り出した。
「今日は、別にハリルの話をしにきたわけじゃないんだ。何日か前、うちにこんな客が来てな……」
 似顔絵を受け取ったマナは、端正な眉を微かにしかめた。
「シグルト=フロウ様……?」
 ロウハは瞠目し、机を叩いた。
「それだ!」
 はじめてあの少年を見た時から、どうも誰かに似ているように思っていた。似顔絵を描いたのも、剣術の歩法はもとより、それが気になってのことである。
 ロウハはすぐに椅子から立ち上がり、あたりをうろつきはじめは。興奮した時の癖である。
「……そうか。シグルトだ。気づかなかったよ。やっぱり、お前に見せにきて正解だったな」
「……命の恩人は、忘れられません」
「……そうか。そうだったな」
 ロウハの部下だった近衛騎士、シグルト=フロウは、革命戦争の折りにマナの身をかばって戦死している。そのことを思い出しながら、ロウハは頭をガリガリとひっかいた。
「なるほど、そういえばよく似ている。ってコトは息子か親戚か……」
「こちらの子供が何か?」
「さっきいったろう? うちの店に来たんだ。どういうつもりかわからないが、5000ルクスもする人形を買っていった」
「なら、別人でしょう」
 マナは落ち着き払って、アイスティーをすすった。
「シグルト様は一兵卒の身。そのお子様であれば、大した資産もないはずです。それにその年齢では、自分で稼ぐにしても……」
「確かめてみよう」
 再び席についたロウハは、底光りする眼差しでマナを見つめた。
 マナの頬が微かに染まったが、ロウハはそれに気づかない。
「なんだか気になって仕方がなくてな。今夜、久々に『ピエロ』を出したい。手伝ってくれるか?」
「……それは、もちろん構いませんが……」
 ピエロときいて、マナの目が不安な光を帯びた。
「確かめ方を、考えなおされた方が……」
「相手はかなりの使い手に見える。もしこっちに敵意を持っているようなら、取り押さえなきゃならない」
 マナはアイスティーの残りをぐっと飲み干した。
「わかりました。ロウハ様におまかせいたします」

(続く)