サナザナダルマ 19号 |
51Ldarma19 |
スワミは真の信者と見せかけの信者についての区別を明確にするため、ある話をなさいました。見せかけの信者は師のいるときの振る舞いと師のいないときの態度が一致しません。 あるとき死期の迫った師がすべての弟子を呼びよせました。一同が集まったとき、遠くに住むひとりの弟子だけがまだ到着していませんでした。その弟子は途中で河を越えねばならなかったのです。水嵩の増した河にはいるのは危険だとする村人の反対もものともせず、かれは師の命があるあいだに一目会いたいという一念から、師からあたえられたマンドラを唱えつつ歩きつづけました。 するとどうでしょう。不思議なことに、かれが河を渡るあいだ水嵩は引き、水はかれの膝までしかありませんでした。たれもがそれを見てふかくこころを打たれました。アシュラムについたかれからその話を聞いた他の弟子たちは水嵩の増した河をやすやすと渡るための特殊のマントラを師がかれにさずけたにちがいないと考えました。そして、えこひいきにたいして師をなじったのです。 師は言いました。どの弟子にたいしても同一のマントラを授けたこと、マントラに差異のないこと、相違はマントラを唱える弟子のこころにあること、唱える者のこころ次第で唱えるマントラの霊験に相違があることを教えました。 無事に河を渡った弟子は、かれみずからの師にたいする信念によって守護されました。弟子にあたえるマントラに相違はないと師は言いました。 |
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Sanathana Sarathi June 1991 |