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| 時代が変わり、世代が変わると、洒落も通じなくなる。というテーマではないが(笑い)、今日のコメントにも説明が必要となる。 李麗仙という1975年に日本に帰化した在日の女優さんがいて、元夫はアングラ劇団情況劇場主宰者としても有名な唐十郎、実子に大鶴義丹。つぎに、バカチョンのバカも差別語なら、チョンは朝鮮を表す差別語である。という2点を説明した上で、これから1つエピソードを紹介する。 ある日のNHK「スタジオ・パーク」に李麗仙さんがゲスト出演した。インタビュー途中、こともあろうに李さん自身が「バカチョンカメラ」と発言した。当然、司会者は番組最後に、「ただいまの放送で大変不適切な表現が……」と平身低頭謝ったが、横に鎮座する差別語発言の張本人は終始「なんのこっちゃ」という顔。これこそ差別語規制のバカらしさだ。 俺の車いすを自転車で追い越しざま、「この身障者めーっ」と罵ったバカもいるぞ。 |
| ●飛鳥田差別事件 (1977年)7月15日付の朝日新聞を除く朝刊各紙は、一斉にあるひとつの記事を、ほとんど同様のニュアンスで伝えた。政治評論家の藤原弘達氏が、飛鳥田横浜市長を差して「差別発言」をしたというのだ。 「飛鳥田市長に“差別”発言――TVで藤原弘達氏―身障者らの抗議殺到」(毎日)、「身障者傷つける発言―横浜市、テレビ朝日に抗議」(読売)、「“毒舌”弘達氏が失言―飛鳥田市長を中傷―横浜市、TV局に抗議」(サンケイ)、「藤原弘達氏が暴言(モーニングショー)―飛鳥田市長はビッコ―身障者ら抗議の電話(市側も申入れ)」(東京タイムス)、「テレビ朝日に抗議相次ぐ―身障者けなす発言(藤原弘達氏)」(神奈川)と、多少の違いはあるにせよ、ほぼ同一の見出しで報じていた。 すでにお気づきだろうが、朝日が報じなかったのは、問題の番組がテレビ朝日のモーニングショーだったことによる。 毎日新聞の記事によると、「飛鳥田のビッコ」と発言したと書き、その後、局には「身障者などから抗議の電話が殺到」し、「横浜市役所にはサリドマイド児をもつ母親から『子供には日ごろ、体が不自由でも努力すれば市長にだってなれるんだ、と飛鳥田さんを手本にしてきたのに。ぜひ、テレビ局に抗議して』という涙ながらの訴えなどが続いた」とあるので、さては弘達氏、得意の毒舌で「飛鳥田はビッコのクセに横浜市長に」などと言ったのかと最初は思った。 しかし真相は次のようだ。 テレビ朝日は14日の「溝口モーニングショー」(午前8:30〜9:30)で、司会の溝口泰男に社会党の委員長人事に触れて「だれが委員長になるでしょうね」と聞かせた。その質問を受けた藤原氏は、「飛鳥田はビッコだし、それに横浜市長をやめてまでは出んでしょう。田(田英夫・社会党国際局長)も頭がいいから〈出ん〉(註:名前の田=デンにかけた駄洒落かどうかは、今となっては不明=笑い)な」と述べ、この中の「ビッコ」の言葉がその後のひんしゅくをかったのである。 「飛鳥田はビッコだし」の言葉の中には、「ビッコだから大変だろう」という同情の気持こそあれ、差別的な意味はひとつもない。藤原氏とは友人の間がらだとも言うことだから、ウッカリ簡単に使ってしまった「ビッコ」だろう。 にもかかわらず横浜市は「差別発言」と決めつけて攻撃し、マスユミも一斉に集中砲火を浴びせた。 横浜市としては、サリドマイド児の母親以下、夕方までの間にかかったという10件ばかりの抗議電話を気にする余り、「選挙」の時のためを意識したのだろう。 だがマスコミはどうだ。差別かどうかの検討もせず、7月20日付の読売は、「弱者の心傷つける暴言」として、「『ビッコ』などとはひどい。こうした差別的発言をする人がまだまだいるとは、とても悲しいこと」と嘆く47歳の読者の投書を掲げている。 このような些細なことを取りざたするマスコミとは一体何なのだろうか。そうすることが自身の言論の自由をも制限する結果となることを、これらの記事を執筆した記者諸君はまさか知らなかったわけでもあるまい。 そんな現代の風潮に対し、当の藤原弘達氏は、 「表現の自由に対する干渉だ。それじゃ右の足と左の足の寸法がちがうという風に表現するのか。肉体的差別というのは肉体的におぎなえばいい。精神や人格を差別することが本当に問題となるべき差別であって、状況に対する表現に揚げ足をとるというようなことは、かえって精神のゆがみを証明することになる。言語の制限を作った戦後社会とは何だったかという問題になる」 と、その後の心境を語っている。 涙ながらに訴えたというサリドマイド児の母親は、何という軟弱な思想の持ち主であろうと考える。そのような弱い母親が心中事件を起こすのだ。また読売新聞に投書を寄せた読者などは、自分で自分の女房をさえ見つけることもできぬ男だろう。「ビッコ」という言葉尻に心証を害するくらいなら、この世には障害者にとって死ぬほどの屈辱は山ほどある。 「差別語狩り」という現代の「魔女狩り」は何も今に始まったことではない。そしてそれは時として真実の歴史をも歪曲する。 ●座頭市の涙 ――市は、仇と罵る娘の激しい言葉を黙って聞いていたが、 「メクラなもんで、かかって来られたら斬るしかねえんで……」 一言淋しくそう言うと、肩を落としてまたあらたな旅路に向かった。孤独な後ろ姿が落日の赤い夕陽を反射し、見えぬ目から一すじ光るものが……。 かなり古い話になるが、ひところフジテレビでナイターが中止になると、雨ガサ番組で映画の、「座頭市」をシリーズで放映していたものだ。 ある放送時―― たった一人の市に、多勢のヤクザがまわりをとり囲もうとした。そしてちょうどその時、親分格の上田吉二郎(註:「ヨッ!」と、大向こうから声が掛かるほどの名脇役=悪役)が、何か一言叫んだ。 「やい! ××××」 この時だ。急に音声が中断され、水槽の中の金魚のように口だけパクパクと動いた。 「ハハ……一度くらいは、まあガマンしましょう」 不敵に応える市。 「何を言やがる。やい、××××、いい加減に観念しやがれ」と、またもパクパク(おや? テレビの故障かナ?) 「二度言いましたネ。ハハ……でも、三度目は容赦しませんヨ」 「この野郎、ど、ど、ど、ど、ど×××、おい、みんな、このど×××やっちまえ!」 わああーっ、と何人ものやくざの白刃が市に向かっておろされ、仕込み一閃、もの凄い大太刀回りとなる…… 幸いにしてわが家のテレビは壊れてはいなかった。盲人に対する「差別語」だけがきれいにカットされていたのだ。 かつて座頭市はアウトローであり、学生運動華やかなりしころの新左翼のあこがれのヒーローでもあった。とはいえ決してスーパーマンではなく、寝そべり、必死としがみついて丸木橋を渡り、川の浅瀬に渡された踏み石にさえ足を滑らせ、ずぶ濡れになるドロ臭いヒーローだった。襲いかかる火の粉を払えばきっと血の雨が降り、人を助けても決して報われる正義ではなかった。 無法な悪と共に差別も存在した。仕込みヅエを曳いて歩く市の姿に子供ははやしたて、心ない女郎は聞えぬところで馬鹿にした。座頭市だと知らない内は、ヤクザはいいように罵った。仕込みの一閃は差別と悪に対する斬り込みだったが、一時悪が滅びても差別だけは残り、エンドマークの陰に市の孤独な影だけが残った(註:写真は『座頭市血煙り街道』=1967年大映、三隅研次監督作品より、出典:芳賀書店「チャンバラ映画史」)。 一輪、たった一輪、市を人間として見る花が必ず咲いていた。そしてそれが、時代を超越した希望の光だった。 何回か座頭市はテレビ化されたが、ドラマのための悪は残ったが、どういうわけか差別だけが消えてしまった。子供は「あんまさん」と親しく寄って来て、女郎はみんな同情的になった。そして市はスーパー・ヒーローになった。俺の座頭市はどこかへ行ってしまったのだ。 それからしばらく経って、俺は民放連機関誌「放送レポート」バックナンバーの差別語特集で、次の記事を目にすることになった。 ――74年4月9日の関西テレビの雨ガサ番組で座頭市を放映したところ、浪人が座頭市を『どめくら!』と数回罵るシーンがあり、神戸盲人協会青年部の人から『座頭市のようなものは身障者にとってたまらない。“どめくら”は問題だ。考えてほしい』と申入れがあった。
●「獄門島」事件 テレビを見ている途中で、思いもかけぬ場面に出会うことがある。時々音声が中断されて、登場人物の口だけがパクパク動いたり、時には話の進行の過程で前後のつじつまが合わなくなることさえある。そして原作のドラマ自体が、原作を大きく書きかえたものさえある。 原作を書きかえるのは、何も差別語事件に始まったことではないのだ。人気タレントをドラマの中で死なせるには余りにも酷だとの視聴者の反響を気にし、死なせる時期を遅らしたり、最後まで殺さなかったりという例もある。 海外ドラマ『逃亡者』(註:足かけ4年続いた。全120話)の場合、リチャード・キンブル博士は本当は真犯人を見つけることができず、死刑になってしまう筋になっていたそうだ。それが余りにも残酷だからと、ラストは真犯人を見つけて晴れて社会復帰という結末になったという風なことを何かで読んだ記憶がある。 横溝正史ブームを反映して、映画では市川崑が石坂浩二を使って「金田一耕助」シリーズ三部作を、松竹はこのほど『八つ墓村』を大々的に掲げた。テレビ朝日単発ドラマのいくつかの作品はともかく、TBSで古谷一行が演じたシリーズはそのブームを狙ったものだ。 『獄門島』は芭蕉と其角の俳句が3つの殺人事件の見立ての基となり、それが重要な絵解きのヒントとなる。物語の重要な進行役をつとめる了然和尚が、最初の惨劇の際、「キちがいじゃがしかたがない」とつぶやく。これを金田一が「気ちがいじゃがしかたがない」と聞きちがえ、最後まで物語の舞台となる鬼頭家座敷牢の狂人の影に振り回される。和尚の言う「キちがい」は「季(俳句で読まれている季語=季節の)ちがい」だったのだ。 原作はともかく、これが映像になると、映画の中でも「気ちがい」という言葉はほとんど出て来ない。「キちがい」の一言がその後の推理の展開を面白くしているのに、テレビではこれが「キのちがいじゃがしかたがない」のセリフに変わっていた。 TBSを系列とする毎日放送が「気ちがい」をタブー視する背景は4年前にさかのぼる。精神病院内での患者殺傷事件と東京浅草での精神異常者通り魔事件を、昭和48年2月20日の毎日新聞が「狂人に刃もの」という大見出しで報じたのである。 この記事に対し、「ことわざの偏見を利用して読者に精神病者は恐ろしいという観念をうえつけようとしている」と、大阪大学精神医療研究会・大阪府精神障害者家族連合会(大家連)・京都大学精神医療研究会など8団体が「毎日新聞社差別事件糾弾共闘会議」という組織を作って行動を起こし、新聞社玄関前の抗議デモには機動隊が出動する騒ぎにまでなった。 大家連は同年5月からテレビ・ラジオの終日モニターを実施、新聞雑誌にも目を通して“差別語狩り”を行ない、抗議は昼となく夜となく続けられ、新聞報道の「狂乱物価」までが問題とされるようになった。この結果、抗議を受けた朝日新聞、NHK、毎日放送、TBSなどは謝罪文を提出し、特に集中攻撃された毎日放送では大家連の松田次男専務理事を呼んで講義を開き、社内パンフを配布、同8月以降スタジオやテレビの控室に「きちがいは禁句」の掲示を出した。 松田氏の話の内容は精神障害者への迫害の歴史に始まり、今現在退院した精神障害者が犯罪を起すと患者を野放しした結果と非難され、誤った偏見を植えつけられるが、何らかの社会的心理的誘因によるショックが加えられているから再発するのであるとしている。 その意味で、「きちがい」という言葉は回復過渡期にある患者に大きな衝撃を与え、治療への道が遮断される恐れがあるので、今後使わないで欲しいというものである。 放送各社は強力な「自主規制」を行ない、番組出演者に対しては「キチガイを“音声”として用いぬ事への協力」を求め、既に製作されたものについては音声及び映像の削除を行ない、「力ーキチ」、「昔キチ」は「カーマニア」、「音マニア」に言いかえることにした。『獄門島』の中の「キチガイ」が「キのちがい」に変わった裏にはこういう事情があったのだ。
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