Newホンタ開設一周年記念 大公開__深刻劇『国定忠治意外伝』
『国定忠治意外伝』TOP!!全台本記念エッセー「茜の空の座頭市」30年の記

ほんのちっぽけな“反逆”の文化
『深刻劇・忠治意外伝』始末より


 練習期間1か月。回数にして10回少々。
 怪しげな劇団に入って3か月の地方巡業を経験したという、まだ十代の女性。また、東北放送のアナウンサーをしていたというベテランもいるが、ほとんどがズブの素人。
 それなのに半数までが稽古の出席率も悪く、開演前日までセリフの入り切らない者もいた。「果してこの芝居はどうなるのだろう」という不安が、主催者にも演出者にもあった。
 それが当日、楽屋裏の役者たち(?)、しかも五体満足な脇役たちはそれぞれの舞台衣裳で将棋を指し、マンガを読んでいたのである。
「これが本番2時間前の態度か」と、俳優座から見学に訪れた若い役者の卵たちを呆れさせた。演出の飯田一男さんでさえ仰天させた猛者ぞろいだ。図太いというか無神経というか。
 障害者の方は大変だった。
 盲人がチャンバラを演じる、ということを最初は簡単に考えていたし、手取り足取り教えれば容易に身につくだろう、くらいに考えていた。しかし、それは大きな誤りだった。
 なぜならば彼らはチャンバラの動きを見てないし、刀がどのように斬れるかということも知らないからである。耳の聞えない者に言葉が話せないのと同じ理屈だ。
 刀の素振りは実に無様なものとなった。
 刃で斬るという動作でなく、平でたたくという形になった。その上、刀を振ると酔っ払いがシラを切ったようによろける。これはどうしたものかとすっかり悩んでしまった。
 座頭市を演じたのは、外ならぬ「障問」(ミニコミ月刊障害者問題)スタッフの佐賀善司君(23歳、教育大付属盲学校在学)である。
 だが彼は、人一倍働くカンの良さで見事乗り切った。常に盲導犬に恵まれているわけでも、手を引いてくれる介添え人がいるわけでもない“一匹狼=アウトロー”の強さを如何なくリアルに発揮してくれた。
 なにせ国電のホームから2度落ちているし、単身車イスの友を介助するくらいの力持ちでもある。大八車を引き、乗り手に「右だ」「左」だと指し図させる辺りは日常を地で行った。
 その彼が「座頭市」を語ると――

挑戦

「佐賀君、目の見えない人間でも芝居やれるかね? もっとも、訊くまでもないけどな」
 こんな電話を編集長の本間さんからもらったのは8月半ば。これが、彼の筆による『深刻劇・忠治意外伝』に座頭市役で僕が出演するきっかけだった。本間さん自身、中風で半身不髄になった晩年の国定忠治を演じるという。
「名優が、いくら障害者を演じたところで、それはやはり『マネ』でしかない。どこかに不自然さが残る。芝居や映画に障害者を登場させるなら、本物の障害者を使えばいいのに」
 日ごろそう考えていた僕は、何のためらいもなくこの話に乗ることにした。
 座頭市といえば、当然仕込みの刀を逆手(さかて)に持っての居合い斬りの場面もあるだろう。子供のころチャンバラ遊びをしたこともなければ、まして映画の剣戟を見たこともない僕には、この辺が苦心のしどころになりそうだが、まあ何とかできないことはないだろう、と。
 案の定、太刀回りではかなりしぼられた。用意してもらった小道具の仕込みを常に手もとに置いて居合い抜きの練習したが、太刀回り以前の、仕込みを抜いてからサヤに収めるまでの動作がなかなか決まらないのだ。本間さんの半分あきらめたような声を聞きながら、こっちは焦るばかりであった。
 人から聞いた勝新・座頭市のスマートな居合いを思い浮かべ、「メクラにチャンバラはできない」と半分段げやりになっていると、「勝新の演技は、あれは目明きが演じるメクラです。座頭市はあなたが元祖なんだから、あなたの思う通りにやって下さい」と、演出の飯田さんにアドバイスされ、開眼した。
「そうだ。大体メクラ・カクワがそんなにカッコいいはずがない。そして、いわゆるそのカッコ悪さがオレたちの個性なんだ」――そんな所を見てもらいたくて始めた芝居じゃないか。どうして勝新の座頭市〈もどき〉にとらわれていたんだろう。
 かくして幕は開いた。打合せのまずさで起きたトラブルはアドリブで克服し、幕は閉まった。
 本番終えての結論は、やはり「メクラには自分が勝つチャンバラは、まずできないだろう」ということ。太刀回りは動きがこまかく計算され、みんな打合せどおりに斬られてくれた(もっとも、みんながケガをしないためには、あれが最大の演出だったかも知れないが)。
 それにしても中途半端なスーパーマン座頭市よりも、深手を負いながらも、なお仕込みを闇雲に振り回しながら、誰彼の見さかいなく多勢の中へ斬り込んで行く、悲壮感あふれる「メクラの市」を演じたかった。
「見えないのによくやりましたね」――見えないヤツが見えない人間の役を演じるのに、よくやったもないもんだ。
「『笑ってください』とは言われたけど、可笑しくても笑っていいものかどうか分からなかった」――おやおや、こっちはちょっとした言葉づかいに目クジラ立てたり、テメェの生きざまを笑われてすぐ糾弾騒ぎを起こすようなどこかの障害者団体とは違うよ。可笑しい時に笑えない人間なんてチャンチャラ可笑しくて。
 でも、嬉しかったなあー。「見てくれだけがまかり通る世の中なんぞ、あっしの仕込みで逆手斬りにしてやりまさァ!」――のセリフの後の拍手。この人たちにだけは分ってもらえたようです。

露出

 
浅草公会堂で上演された『忠治意外伝』には、メクラ・カクワ・ツンボ・ドモリ・腰抜け・チビ、などが連発する。これらは、通常テレビなどでは「差別語」として使うことのできない禁句である。
 そのためか否か、この芝居公演を聞きつけて取材に来たマスコミは、いずれもこの点に注目し、セリフに取材の焦点を合わせた。
 ラジオのディレクターは「差別語をどんどん使う場面を録音したい」と意気込み、渡された台本をむさぼり読んだ。日ごろは口にできない言葉を、当事者らの口を借りて言わせようと張り切る姿が滑稽でさえあった。
 実は脚本を書いた俺でさえ、本番時になって出演者に次のように念を押したほどだ。
「セリフのどれを忘れてもいいが、メクラ・カクワという差別語だけは忘れないように」
 これに対し、
「前の職場では、何を間違えても差別語だけは口が裂けても使わないようにと注意されたものだが、今度の芝居ではまったく逆のことを要求されるのか」
 そうあきれて笑った人は、芝居の狂言回しである弁士役・久保田哲さん。彼は現在参議院議員八代英太さんの秘書だが、以前は東北放送のアナウンサーを2年つとめた経験がある。
 テレビも言葉の点に注目したが、カメラを回す際にどの局もが注目し、スポットライトを当てた場面がある。
 忠治が中風の発作で倒れる。医者が駆けつけ、診察する。中風であると診断する。妾は寝たきり病人の面倒は見れないと迷惑がる。そこで医者が診立てを述べる。
「だってほれ、この病人は半身はおろか、左の肩から手先までと胸から下がまったくイカンのじゃ。ことに下半身のマヒは何のせいか著しきものが見られる。ごらんなさい。患ったばかりでこんなに細そぉなっとる」
 忠治役の俺のマヒした細い足をつまみ上げ、しごいて露出させる場面である。
 稽古中、演出の飯田一男さんから、「余りにも可哀想な場面だよ、やめようよ」という意見があったが、俺は敢えて台本通りに進行させてもらった。
 本番の時、その場面が来て、中日ニュース社のカメラの回る音が俺の耳にまで伝わり、「してやったり」と快哉した。あの芝居には、あの場面が大切だったのだ。あれをなくしたら、あの芝居をやった意味もなくなる。
 マヒした足を出し、痩せた胸をさらし、萎えた体を見せつける。そこから何が始まるかは知らないが、そこを通り過ぎない限り次の門には行きつけない気がする。
 その俺は、5年前まではシャツのそでをまくることもできない恥ずかしがり屋であった。10年くらい前には、銭湯で裸になるのも顔から火が出るほど恥ずかしく、養護学校時代には痩せた体を隠すため、夏でも学生服で通したほどだ。
「忠治」は、その俺が書いた台本――といって威張ることはない。精神的露出症ではあっても、まだ夏の海には行けないハンチク露出男でしかない。(本間)


月刊障問1978.11.15〜1979.1.15発行
第31・32・33号より再構成

撮影 芥川 仁

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