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●「しょせん見せ物」
以下は、開演当日(1978.10.16)芝居を見た人からの感想集である。
山田 太一さん(シナリオ・ライター)
あの芝居というのは、(カッコ悪さを)見せちゃおうというものだと思う。忠治の方にはその覚悟というのが見られたが、座頭市の方はカッコ良すぎる。キレイすぎる。勝新太郎の「座頭市」と変わりない。目の不自由な人がわざわざやることではなかった。もっと破れかぶれのところがあって胸をつかれるのだ。
ただ、全体には初めてでよくあれだけのことをやったものだと感心した。
茂木 英治さん(テレビ朝日報道部記者)
大変なことだと思う。それにたくましい。
座頭市役の人は本番前に、「作られた盲人は実際にできることをやたらオーバーにやったり、できないはずのことをサラリとやったり、僕らの盲人とは違う」と言っていたが、斬り合いの時、急に市の刀が飛んだ。その時にそれを見た、斬られる側の人がそっと刀を差し出すというのではなく、一瞬の内に自分で拾って斬り込んだ。ああいうことが身障者はこんなものなんだということを訴えている。あれでいいんだと思う。
ラスト・シーン、忠治と市が斬り込む場面は感動的だった。台本が良かった。2人のアドリブも生きている。スーパーマーケットの安売りの話には生活感がある。目の見えない人の立場を笑いで表現していたが、これなどは質の高い笑いで後々〈じん〉と残るセリフだ。
稽古の時はどうなるかと思ったが、当日は決まっていた。みんな本番向きの役者だ。
芥川 仁さん(フリー・カメラマン)
内容についてうんぬんするより、本間さんを取巻く仲間たちが芝居というひとつの方向に向い、それを作る過程で積み上げていったエネルギーの結晶の片りんを見たようだ。
化粧落しの時、「写真を撮っていいか」と訊いたら、本間さんは「しょせん身障者は見せ物なのだから」と言った。どうらんを塗り、萎えた足をさらし、なぜ人前に立ったのか。座頭市と忠治の組合せにつられて行った僕には分らなかったが、なぜ見せ物にならなければならないかは、あの芝居の中から充分知ることができた。
穴見 恵子さん(学生)
とかく身障者というと特別な目で見なければいけないくらいに思い、福祉なんかには興味を持たなかった。
面と向って「メクラ」「ツンボ」と言うのは思いやりのないことだが、余りにも「差別語」「差別語」と言って削って行くのには抵抗を感じていた。ところが当の身障者がそれを使い、喜劇で笑い飛ばしてくれたので安心した。ああいう芝居が(身障者と健常者の)垣根を取り去るきっかけになれば。
座頭市が言った「見てくれ社会」「見せかけの福祉」などは初めて耳にした言葉。本当にその通りだと思う。
柴田 隆二さん(会社員)
本間さんが自分の足を見せたとき、皆んなが声を上げたのがいつまでも耳に残っています。私は、なぜ本間さんが観客に自分の足を見せたのか、また、なぜそこまでしてしまったのか、勇気とか、そんな浅い気持ではなかったと思います。自分が身障者だったり、もしくはその父親であったりしたら、わたしは自殺するか、身障の息子を殺してしまうと思います。
自分が今、生きているのは健全者であり、人並の頭を持ち、人並の生活を持っているからであると思います。もし、その一つでもなくなったら、自分はどうなるか……。わたしはそんな弱い人間なのです。
それが大学時代、全国を歩いてきました。北海道の夕張炭坑に1か月もいて、彼ら労働者の生活、生き方を見てきました。今、働いている炭坑が閉山になれば次の山へ行く、そのように北海道を転々と生きてきた人々を見てきました。なぜ強じんな生命力を持てないのか、自分の肉体で学ぼうとしました。どこまでもどこまでも本当の人間としてまっとうに生きるにはどうしたらよいのかを考えてきました。
演劇を見に行ったのは、そういう自分のギリギリの線の中で見ようとしたのです。私も強く生きたいと思います。
佐藤 千鶴さん(O・L)
(「身障者がカッコ悪さをさらけ出す芝居」をするという前宣伝からして)最初は涙が出て見られないのではとの潜入感があり、胸をつかれるのではと遠慮した友人もいた。それが最後まで笑い通してしまった。
イヤミたらしい理屈を言うでなく、サラッと流して笑わせるうまさ。1か月くらいの練習でよくあれだけやれたと思う。場面場面がユニークで心に残るものだった。チーム・ワークが良く、全体がまとまっていた。いいものを見せてくれてありがとう。
●心が溶け合えば…
座頭市を演じた佐賀君と同じ盲人で、教育大付属盲学校を出た彼の後輩、三浦佳子さん(20歳、現在和光大学在学中)も、4人の盲学校生徒と一緒にこの芝居に出ている。
ませた子供たちがアンマを買収して情事の現場に盗聴器を仕掛け、こっそりと楽しんでる所ヘ目明きのバカ息子が邪魔をしに来るが、「目明きは想像力に乏しいから」とからかい、追い払うという筋になっている。
女番長的役割を演じた三浦さんに出演の弁を聞いた。
――大好きな芝居ができるということで、軽い気で引き受けた今度の話ですが、終わってみると練習を含めて非常に充実した1週間でした。
あちこちから集まったいろいろな人たちが、1時間半という短かい時間のためにひとつに溶け合う。その中には、障害者や福祉などまったく関係のない人もいた。そんな人が『メクラ』『カクワ』という『差別語』を力一杯叫んだ。
舞台を下がれば何処にでもいる優しいオジサンだ。そんな人たちを見てきて、差別とは何だろうと、あらためて考えさせられた。障害者問題は、うわべだけの言葉の問題ではない。
えらそうな顔をして障害者問題を語る健常者は飽きるほど沢山いる。しかし、私たちが求めるのは『見てくれだけがまかり通る世の中』を否定し、同じ仲間として人として生きていく、そんな人間性である。
もういい加減、ちゃらちゃらと心や体を飾り立てるのはやめよう。
(月刊障問1978.11.15〜1978.12.15発行
第32・33号より再構成) |
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