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この地上は誰のもの!!
―月刊障害者問題1976.5発行・創刊号トップ記事―


 クルマが地上をわがもの顔に走り、人間がしんどい思いをして歩道橋を歩いて渡る。
 歩道橋が生まれた当時は車が優先か人間が優先かでかなり議論がもめたようである。ところがその歩道橋にエスカレーターがついたというニュースが、さきごろテレビや新聞で報ぜられた。

錦糸町駅前の歩道橋に「エスカレーター」が

 エスカレーターつきの歩道橋のあるのは錦糸町駅前、京葉道路と四つ目通りが交差した四つ角にでんと腰をすえている。
 上りあって下りなしというのが定評のようだが、それどころか、その上りのエスカレーターも四つの角のうちのたった一つしかない。その「唯一」のエスカレーターのあるところは、四つの角のもっとも錦糸町駅寄り、ちょうどはとバス乗り場の前にある。
 「お乗りの際はベルトにおつかまり下さい。黄色い線の内側にお乗り下さい。」
 女性のアナウンスで、それが7秒か8秒おきくらいに延々とくり返される。
 乗り場の横の高い所にはテレビ・カメラがついていて、それがエスカレーターの利用者の様子を監視している。
 「日本ではじめて、ここしかないんです。」
 そこの派出所のおまわりさんが、得意満面にそう言った。
 「じゃ、派出所で利用者の様子を監視しているんですか?」と聞くとそうではなかった。
 そのカメラにうつったものは、千代田区大手町にある建設省関東地方建設局東京国土工事々務所というところのテレビで監視され、危険な場合放送で注意を与えるくらいのことはできるらしい。

 
建設省関東地方建設局東京国土工事々務所交通対策課 飯田剛士さんの話 第一に歩行者サービスということで作った。特に身障者(重度身障者にまで行き届かないが)や老人、子供などの弱者が歩道橋を使いやすいように。それと第二に、エスカレーターというと屋内にあるもので、屋外においた場合の事例がない。そこで機器の耐久性や利用状況なども調べたい、そういう考えもあった。それによってこれからのエスカレーター設置のための基礎資料にしたい。利用者の反応は非常にいい。あちこちにつけてくれという要望があるが、1年くらいデータをとり、結果をみて対応していきたいと考えている。ただ問題なのは、「機械と人間」の対応の不慣れからくる利用者のモラル、特に子供のイタズラである。エスカレーターを反対側に下りてみたりとか、そういうことがあるので非常にあぶない。監視テレビで追って放送で注意しているので今のところ事故はないが、ぜひ保護者の注意がほしい。

 4千300万円の金をかけて完成し、4月3日から動いていると言う。「弱者」のためというが、神経痛の老人は横目で通り過ぎるし、車イスは不可能、松葉ヅエや目の不自由な人は絶対危険。となると一体どのような「弱者」のためなのか。
 そこで昨年9月から11月までの4か月間ヨーロッパに滞在し、当地の福祉の状況を視察して来た重度障害者の意見も聞いてみた。

 
日本脳性マヒ者協会東京青い芝の会副会長・秋山和明さんの話 意見をどうのと言われても言う以前にバカバカしい。朝日新聞やNHKではいかにも便利であるように言っていたが、老人・身障者にとってあんなものは99%ダメである。歩行者優先という考えに立てばたとえスロープにしても反対。スエーデンには歩道橋など私の見たかぎりではどこにもない。イギリスにしたところであるのは高速道路くらいのもの。日本に見られるようなところではついてない。それに何といっても、歩行者に心を配るドライバーのモラルが日本と根本的にちがっている。

車イスでも安全に 昭島に盛上げ式の歩道

 この車イスでもうば車でも安全に渡ることのできる盛上げ式歩道は、「マウントアップ式横断歩道」と呼ばれるもの。車道を盛上ることにより、(1)車が走りづらくなって徐行が期待できる。(2)従来の歩道の段差が解消できる。(3)遠方から確認できるなどの利点がある。写真に見られるスロープの両側の突起物は、ドライバーが夜間でも確認でき、さらに急停車のさいはブレーキの役目もするストップアイ。
 このマウントアップ式横断歩道は、交通弱者救済をめざす警視庁、昭島署と昭島市が昭和49年から進めている「昭島マイタウン化交通規制」の施策のひとつとして計画していたものだ。
 心身障害者施設である昭島荘のほか、老人ホーム、病院、小学校、幼稚園など9施設が集まり、障害者や子どもらが毎日1000人以上も利用している市内中神町1260番地先、富士見丘小北交差点内に完成。3月10日に渡りぞめ式が行なわれ、「弱者」の交通安全にひと役かっている。

創刊号・編集後記より


きわめてあたり前であることがあたり前でなく、あたり前になってはいけないことがあたり前なこととして存在する。それが今の社会であり、今の日本である。
「強者」は「弱者」のことなどサッパリ忘れ、時として非常にバカバカしいものを、それも貴重な国費を労費して作り上げ、さも大したことをしたかのような顔をする。
 機械が人間より優先される社会などあたり前であってはいけないのに、車は地上をすずしい顔でかけめぐり、人は長い階段を汗水たらして昇り降りする。
 そうしてまた、「外へ出たい」と願う障害者のあたり前の要求が拒絶されるのである。
 
人間は「メシ」を忘れたことがない。
 たとえ腹が減っていなくとも、朝会社に行く時とか、夕方会社から帰って来る時に魚を焼くにおいがしたら、「ああ、どこかでメシの仕度をしている」とわかる。
「地域化する障害者運動」は喜ばしい傾向である。障害者の強く生きる姿が、晩メシのおかずのにおいのように街中に充満してほしい。

カットは八王子の今岡秀蔵氏に書いてもらうことにした。
 ロッキードの形をした「障害者新聞」が、果して三木さんに手を上げさせるだけの威力があるかどうかはともかく、社会の矛盾をつぎつぎに突いていく内容にしたい。

「カレン裁判」の記事は重苦しい内容のものだった。「月刊障害者問題」はいかなる「生」も尊重し、その尊厳をたたえ、保障する方向を目ざしたい。

車イスの記者は、4月、取材のため綿糸町へ、大森へ、世田谷へ、昭島へととんだ。
 駅員の手を借り、時々は文句を言われながら、それでも見なければならない、聞かなければならないことのために。カメラをぶら下げ、テープレコーダをかかえ、マイクをポケットの辺りにはさんでいる時、さすがにそんな時は邪険に断わらない。
 ただ昭島へ行った時は思った。駅員の少ない所なのによくしてくれた。都会となぜこうもちがうのかと思った。郊外の街には緑と共に人の真心も残っていたようだ。

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