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障問創刊一周年記念特集
愛に叛逆を!!

 小雨の停留所で40分待たされたbb
 付きそいを付けているはずの車イスを見ながら、最初のバスは扉を閉めて去って行き、次のバスは止まろうともせず通り過ぎて行った。やっと乗った3台目のバスは行先が違うと言われて降ろされた。乗車拒否は徹底していた。
 川崎で一体何があったのか。「青い芝の会」とはどのような団体なのか。私はどうしても本当のことが知りたかったのだ。


「ここいらで実力行動をやろうということになった」bb車イスの横田弘さんは言語障害の不自由な口でそう話し、歯のない顔をクシャクシャにして、時々同じ障害の奥さんの淑子さんと顔を見合せる。
「年? 1933年5月生れ。あとはそっちで計算してくれ」そう言って又ニコッと笑う。奥さんは1つ下だと言う。
 新聞の切り抜きを見せたら、不自由な手で一点を指差し、
「僕が写っているヨ」その場所を教えてくれた。
「これは僕のとなりのCP(脳性マヒ)の女性が首を絞められている所だ」
「首!」私はギョッとして、なおもその辺りを凝視した。写真が暗く、小さく、私には分らなかったが、
「これは私服が仲間の首を絞めている所なんだ」
 彼はハッキリとそう言った。

通 達

「ただいま!」話の途中で入口に元気な声が響いた。ランドセルをしょって、すくすくと成長したひとり息子が帰って来た。入って来るなり「お母さん」と甘えかける覚(さとる)君は小学校4年生だ。
「お客さんが来てるんだから大きな声は出すなよ」
 父親に言われてか、子供はさっそくマンガの「ドカベン」を広げてクスクスと笑い出した。
 人は「バスジャック」とか「ろう城事件」と言う。あえて「バス事件」と言うなら、平和そうな家庭の温和そうな横田さんを、あの「実力行動」に走らせたのは何だったのか。

 昨年12月1日、川崎市内を走る東急バスと市営バスは、「今走っているバスには車イスを固定する安全装置がなくて危険」「車イスが出入口や非常口をふさぐ」「降車口からは乗せられない」などと、会社で独自に判断して作る規則をタテに車イスをバスからしめ出した。
 介護人を付けて、一般の座席に移り、車イスをたためば良いと言うのであるが、車イスは体の一部、それを切り離したらかえって危険。特に脳性マヒ者の場合、安全ベルトのある車イスからそうでない普通の座席に移ったら、ちょっとの揺れでもころがり落ちてしまう。また、車イスのブレーキをしっかりかけれぱ、かなりの急停車でない限りすべり出すことはない。しかしバス会社側は納得しようとせず、両者の意見は大きく対立した。

「バスに乗ってなぜ悪い」

 通達が出る前は一般のお客が車イスを抱え上げるのを手伝ってくれたり、時には運転手が出て来て手伝ってくれることもあった。だが通達が出てからは運転手の態度が硬直した。「規則」を破ってまで手伝う一般のお客も少くなった。
 「青い芝の会」とバス会社側の対立が頂点に達したのは12月12日国鉄南武線武蔵溝の口駅前で、車イス2人とその介護人5人が降車口から乗車しようとして断られたのが発端で、この日の東急バスとのにらみ合いは深夜まで続き、バス会社は運行を断念、エンジンの止まった車内で障害者側と支援の一般市民が「ろう城」の一夜を明かすという事件が起こった。
 国鉄武蔵小杉駅は青い芝の会の全国事務局のある所の最寄駅で、岩川停留所は事務所の前に当る。その路線では何回もトラブルが起り、大きな事件になったこの溝の口駅前でも、それまでに4、5回のトラブルがあった。
 脳性マヒ者の多くはその障害の重さゆえに職業につけない。たまたまついても細かい作業をすることは困難で、給料にも大変な格差がつく。あくせく働いても生きがいを感じるだけの賃金は得られず、結婚を考えることも不可能だ。生活保護を受ける彼らにとって、月々10万円足らずで生活を支える彼らにとって、身近な交通機関を奪われた痛手は大きい。

たらい回し

 「事件」以後、青い芝の会は、東急バス、川崎と横浜の市交通局、陸運事務所に話合いを持ちかけた。しかし一様に答えは同じで、「お気の毒だ。心情的に理解はする。しかし上で指示しているのでどうしようもない」bbである。
 今年に入って2月15日、東京陸運局、運輸省との話合いでは要望書を提出した。

一、誰でもどこでも乗っているバスに車イス障害者だけ乗せないのは差別であり、人権問題だ
一、車イスは体の一部であり、厚生省から支給されている補装具である

など何項目かによるものであった。
 だが当局は「実際には現場でやっている、ワンマンについては内規(会社ごとの規則)で判断しているから」ということでけりがつかない。車イスが危険物かどうかは会社ごとに判断するというものだ。2週間後の次の交渉では現場である東急、川崎・横浜市営バスの三者を交えて行うということでその場はひきさがった。
 ところが約束の2週間後は現場の都合がつかないとの理由で1週間延びて3月8日になり、その当日会員たちが行っても出席すべき現場の人は一人もいないという始末だった。次の確約をとろうにもそれには応えず、怒った会員たちはその場に坐り込み、陸運局内の職員にビラまきの行動に出た。
「障害者差別は許さないぞ!」
「局長出て来い!」
「バスに乗せろ!」と、会員たちのシュプレヒコールが館内に響いた。

全国常任委

 それから2日後に横浜市交通局と青い芝の会の話合いがもたれたが、交通局側は暫定条件として車イスをナワで縛って固定せよと要求して来た。更に介護人を2人以上付けろ、ラッシュをさけろ、1台のバスには1台の車イスに限定しろと条件を付けて来た。介護人はいつでもいるものではない、ラッシュをさけると約束したら実質的には使えないのも同じと、すべてを拒否した。大型タクシーや専用バスを作るからそれまで待てという条件もすべて拒否した。重度脳性マヒ者たちは5ヶ月間もの間、バスの乗車を拒否されて来たのだ。もうこれ以上は待てない。
 3月の全国常任委員会で今回の行動が決定され、文部省における54年度養護学校義務化阻止交渉に続く行動として実行された。それは全国から集まった力を最大限に結集した捨て身の行動だった。

4月12日の行動

 4月12日午後1時ごろ、国鉄川騎駅東口ターミナル(35路線)に停車中のバスに、車イスに乗った障害者60人が介護人に抱えられて乗り込んだ。この中には車イスを借りて乗り込んだ歩行可能なCP者も何人かいた。車イスが乗り込んだ後、介護人は一斉に降りた。バス会社側は付添い人のいないことを理由にバスをストップし、一般乗客は障害者を取り残して次々に降りた。こうして46台のバスがストップした。
「介護人が一斉に降りたのはひとり乗りを実行する手段のため」と、介護に当った一人は話す。
 一部でバスのガラスが割られたり、消火液をぶちまけたり、バスのエンジンをかけたりということがあった
(右は1977年4月13日付朝日新聞)
「僕は6時間か7時間もの間たった一人でバスに残っていた。みんなもそうだった。周りから支援もなく情報も入らず、覚悟してやったこととはいえ精神的にはかなり参った。若い連中の中にはそういうことに走る人間も当然出てくるだろう」と横田さんは語る。
 市民が実力行使で降ろしにかかり、障害者と口論する場面もあった。車イスの女性が不自由な口でしゃべろうとするのを、「うるさい! お前なんかしゃべっても分らないんだから黙っていろ!」と怒鳴り、すごいけんまくでにらみすえた男がいた。
 会長の横塚晃一さん(41歳)を取材した時、彼は「バス会社の職制と警官が私服で市民を先導したのだ」と言い切った。
「運転手が『危険で動けない』と言う、すると『そうだそうだ、こんな危険なものはない』と復唱するような相ヅチを打つ。ひと目でサクラだナと直感する場面がいくつもある」
 バスの外で討論がある。市民の中から「障害者の声も聞け」という人が出て来ると、数人でとり囲んで発言を封じる。中にはふくろだたきに会った人もおり、介護の仲間が助けに行く一幕もあったと言う。

“愛に別れを、叛逆を”

 bbわれらは愛と正義を否定する。
 横田さんが作った会の綱領の中の一文である。「愛」とは偽善ではなかったか。「正義」とは絶対多数の論理ではなかったか。「それを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉である」と言う。
 日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会bb今年創立20周年を迎え、会員は3500人から4000人いると言う。
 そして……

 5月7日、事件のあった川崎駅前で「目撃者捜し」を行った。
 話を聞いた50人の内、事件を「見た」人が20人位、全く知らなかった人が20人位で、残りは新聞などで「知っている」程度。
 意見は画一化しており、「気持は分るがやり方がどうも」という人がほとんど。その時子供が病気だったという主婦は「同情の余地がない」と答え、「介護人が降りたのが無責任だ」とする人は全く戦術の意味を理解してない。20代女性の一人は「前には気の毒だと思って乗せてあげたが、あれを見たら絶対乗せてあげない」と怒り、中年男性の一人は「不具者は税金で食わしてやっている。まじめに働いて税金を払っている我々に迷惑をかけるのはけしからん」と言ってのけた。

そして……

 横塚氏の取材の帰り、盲人の友の付添いでバス乗車を試みた。車イスのままではダメだと言うので友人が僕を抱え、車イスをたたむまで待ってくれと言った。しかしバスは前の客を積むと扉を閉めて去って行った。次のバスは乗る客も降りる客もいないと見えて、そのまま止まろうともせずに通り過ぎた。やっと乗った3台目のバスには駅まで行かないと言われて降ろされた。雨の中で40分待たされ、「結果は気にしない、我々に失う物は何もないのだから」と言った横田さんの言葉を思い出した。
 市民の良識とは何だと思った。新聞は事件で15万人の足が影響を受けたと報じたが、国労のストでは一日に150万人の足が奪われている。4月12日の事件は、虐げられた者たちの怒りの、ほんの小さな爆発にしか過ぎない。

(月刊障害者問題1977.5.15/第13号より)
写真 
岩田守雄

資料:交通労組と障害者との会議録

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