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カレンがともす灯
(創刊三周年記念特集)
本稿はテレビドラマ採録に本紙障問主張を絡めたオリジナルドラマエッセーである

 朝焼けの色も、それを映す心によっては不安な感情をかきたてるし、美しいものも見る人によっては邪悪にしか映らないものだ。
 カレン・アン・クインランは、1975年4月15日の夜明けを見ずして長い長い眠りについた。

 小さな町の闇を突いて、レイクランド救急隊の救急車がサイレンの音もかまびすしく現場に到着した。
 21歳の女性患者は青ざめ、脈もなかった。その状態は15分から30分間は続いた。酸素吸入を始めると生気を取り戻したが、この時すでに脳は支障を,きたしていた。
 ニュートン記念病院に収容されてから後も、30分間は呼吸困難な状態が続いた。
 集中強化治療室の看護婦が電話を取り、クインラン家に急報がもたらされたのは午前2時だった。
 両親がかけつけると、病院ではカレンの友人たちが待っていた。
「いつもの店でお酒を飲んだだけなんですよ」
「あたしの誕生日に来てくれて」
「その後僕の家へ行ったんですが、カレンはすぐ寝ちゃったんです」
「気がついたら息をしてなくて」
 医師も患者が昏睡状態にあること以外答える言葉がなかった。こうして不安な表情の家族らが見守る中で、カレンの長い眠りの第一歩が始まったのだった。


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医学の限界

「最近転んだとか、頭を打ったようなことはありませんでしたか」
「ない」
 医者の質問に、父親のジョセフ・クインランは即座に答えた。
「何か薬物は? たとえばゼンソクの薬とかやせる薬とか……」
「そう言えば食事の制限を……」
 今度は母親のジュリア・クインランが答えた。
「実はトランキライザー(精神安定剤)を持っていたんですけど、もっと強いのを飲んでいませんでしたか?」
 両親は首を振った。
「原因が分らず、手のつけようがないんです。気管開こうの許可がいります。人工呼吸器につなぐため、ノドを切って気管に空気穴を開けるんです。今はチューブを飲ませていますけど、直接の方がはるかに効果的ですからね」
 両親はうなずいた。
 結局、ニュートン記念病院では詳しいことが分らず、カレンは4月24日、デンヴィルにあるセント・クレア病院に移されて、いろいろな精密検査を受けた。しかしここでもはっきりしたことは分らなかった。
 ジョーとジュリー夫妻は毎日2度ずつ、病院のカレンを見舞った。
 その間、ベッドの上のカレンはうつ伏せに近い格好をしながら、だんだんに両腕と両足を胸にかかえこむような姿勢をとって行った。


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「娘に死を」

 変わり行くカレンの姿に、家族の心情は揺れ動いた。カレンには弟のジョンと妹のメリーの2人兄妹がいた。
 ある晩、ジョンは母親にこう言った。
「ママ、もう僕、病院には行かないよ。あそこにいるのは僕の兄妹じゃない。あんな風に寝ている姉さん、見たくないよ」
「分ったわ、もうお休みなさい」
 ジュリーは息子をしからなかった。彼女とて、カレンはもう死んだ気でいた。「廃人同様の家族」を抱えて、家庭の空気はますます暗くなる一方だった。
 この状態を早く終わらせなければ――いち早くそう思ったのはジュリーだった。早く終わらせて家の中の暗さを取り除かなければと。
 だが、ジョーの方は「決定」を下しかねていた。2人とも敬けんなクリスチャンだったが、同時に救いを神にのみ依存していた。
 ジョーは「カレンを神の御元に送ってやりたい」と考えながら、自分では手を下せないでいた。こうしている間にも神様の方から娘を迎えに来てくれたら、そう願っていたのだろう。
 その彼の決心を強くうながしたのは、クインラン一家が所属する教区のトーマス・トラパソ神父だった。
「寝たきりだっていい。一生このベッドの上にいても生きでいてほしい」とつぶやき、苦悩するジョーにトム神父はこう言った。
「分るよ。だが、こういう考え方もあるんじゃないか。
 カレンは明るく元気な子で、若者らしく毎日を思う存分楽しんで生きていた。カレンのことを考えると、浮かぶのは幸せいっぱいの笑顔だ。あんなに元気だったカレンが、今はどうだ。あんなになってしまって、あれで幸せなはずがない」
 相談相手のトム神父の言葉に会って、ジョーも今までの迷いがすっかり消えたようだ。
 両親は天の啓示でも受けたように娘を死なす事を考えた。「管をつながれ、冷たい機械によって生き永らえるより、死んだ方が幸せ」と考えたのだった。
 ところが、この両親の訴えは思わぬ障害に出会い、その後の苦しい闘いを強いられることになる。


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訴訟へ

 いったんはカレンの生命維持装置を外すことに同意した医師側も、法的な問題と医学の倫理に阻まれて躊躇させられたのだ。
 患者から人工呼吸器を取り外すということは殺人行為になるかも知れないということと、カレンは21歳で法定年齢に達しており、この場合両親に決定権がないということだった。どうしてもそれをするなら、両親が法廷で後見人として指名されなければならない。
 と言って、この面倒な訴えを取り上げ、裁判闘争にまで高める弁護士もなかった。父親のジョーが勤める製薬会社の弁護士さえ、これにはとりあわず、代わりに別の事務所を紹介してくれた。
 そこでめぐり会ったのがポール・アームストロングである。
 ポールとて、この前例のない申立が引起こすであろう難しい事態は百も承知だった。だが彼の野心と若さは、一生に一度あるかないかのこの事件に燃え上った。
「がんばって法律を続けて来たのも、いつか本当の仕事ができると思ったからなんだ。ね、頼むよ」
 彼は妻の同意を得るため、2人で病院のカレンを見舞った。やせ細り、海老のように体を曲げて横たわるカレンをひと目見て、エレンは顔をそむけて廊下へ出た。ポールもそれを追って外へ出た。
「ポール、あなたの勝ちよ」
 弁護士の妻はうなずいた。
 9月22日、ジョセフ、ジュリア夫妻の「カレンに安らかな死を」という訴えにより、ニュージャージー州高裁は初めて調査を開始した。


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攻撃のなかで

 この「事件」に、マスコミは当然のことながら素早く反応した。カレンのような患者の場合、1日入院すると600ドルもの費用がかかり、60日も入院すると2万から3万ドルにもなる。
 だが、クインラン一家の場合はカレンがすでに成人しており、両親に経済的負担はかからない。その費用は社会保障税から支払われていたのに、なぜ両親が訴訟に踏切ったのかということが、マスコミ関係者の疑問を抱いた。
 もっともアメリカ国内の有識者や医療人の中には、カレンのような「廃人同様の入間」を生かすことに莫大な税金を使うより、別の方面の施設を完備することが先決だという意見や、カレンのような患者が集中強化治療室のベッドを占領している代わりに別の患者が使用を断られるということで、カレンの例は「無意味な延命」と考える向きも少くはなかった。
 しかしクインラン家の訴えはもっと素ぼくな感情から出発したものであった。
「売名ではないか」とか、「娘を進んで死の淵へ追いやる親があるか」といった攻撃の声が両親に集中した。
 裁判中「カレンは大変な酒飲みで、麻薬の常飲者で、無軌道な娘である」という中傷記事まで出た。
 なかでも一家を苦しめたのは、カレンがもし実の娘だったとしたら、裁判をしてまで機械を外すかといソ声である。
 ジョーとジュリーの2人はジョンとメリーが生まれる以前、生後4週間のカレンを養子にして育てたのだった。
 両親の苦悩をよそにアームストロング弁護士は一人燃えていた。
「絶対に忘れてならないのは、この問題は憲法に保障されたプライバシーの権利の見地に立つことだ。“カレンの意志”に反し、特別な方法で生命を伸ばすことを拒む権利の主張だよ」
 妻にそう語っていた。
 だが「カレンの意志」とは何か。


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カレン裁判

 いよいよ裁判となった。
 法廷では何人もの医師の所見が述べられた。
 カレンに対する有効な治療法については「ない」というのが一致した見方だった。患者を刺激した際の反応についても、その正確な判断は誰にも下せなかった。患者に答える能力がない以上、カレンの生死を語る資格は誰にもなかったはずである。
 しかし、現在のカレンの「グロテスクな状態」を語る医師の証言に、法廷内はどよめきを上げた。
「カレン・アン・クインランの場合、現在取られている措置は過剰だと思います。その措置は何の目的もなく、無意味だと考えられているからです。患者にとっても両親や社会にとっても」
 カレンの法廷後見人のダニエル・コバーン弁護士は「カレンの精神年齢がいくつぐらいか」と、ジュリアス・クレイン博士にたずねた。彼はカレンを「抱きしめたいほど愛くるしい新生児」と比較する返事がほしかったのだが、博士の答は残酷な比ゆだった。
「無脳症モンスターの状態を示すのがもっとも適当でしょう。これは脳の半球がなくて生まれた赤ちゃんのことです。このような子供を暗い所へ置いて後頭部からフラッシュを当てると、光が眼球を通って出て来ます。つまり、脳がないのです」
 場内は再び騒然となった。この「衝撃的な証言」には、ダニエル・コバーンですら言葉を失った。
 トーマス・トラパソ神父も証言台に立ち、1957年にローマ法王ピオ12世が麻酔学者グループの集まりで出した声明文を引用した。
「カトリックの教訓に基き、カトリックの倫理と理論を踏まえ、人工呼吸器について述べられました。それは生命を保つためには通常の手段が取られるべきで、特別な方法は取られなくていいということです」
 そしていよいよ「カレンの意志」が登場する。
 アームストロング弁護士は質問に立った。
「以前カレンさんとあなた方との間に医療についての会話がなされましたね」
 証言するのはジュリアだった。
「74年の1月ごろと、最後は75年の2月でした。
 親しい方でしたので見舞いにも参りましたが、あの子にとってはショックだったようです。あんな手当てを受けるより、たとえ死ぬことがあっても家へ帰った方がいいと……あの子は言ったんです。まじめな顔をして、あんな風にして私を生かしておかないで、あんな毎日だったら死にたいわ、って」
 代わってジョセフが証言台に立ち、ダニエル・コバーンが訊ねた。
「あなたは信仰の上に立ってなおかつ願いますか? 娘さんのカレンの命を終わらせたいと」
「いいえ。命を終わらせたいと言うんではないんですよ。私の願いは、ただ、娘を自然の状態に戻してやりたいということなんです」


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裁決

 1975年11月10日、審判は下った。ニュージャージー州高裁はクインラン夫妻の申立を却下した。
「生命の尊厳さが介在していること自体が生命の状況よりも重みを持っており、この世に生を受けたカレンが持っている一番大事なもの、それは他ならぬ生命である」
 ロバート・ミューア・ジュニア判事はそう裁決した。
 その日は裁判が始まった日と同じ雨が降っていた。モリス郡地方裁判所の前には150人を越えるマスコミ関係者がたむろし、退廷するクインラン夫妻らはたちまち彼らに取り囲まれた。
「今度の判決をどう思いますか」
「口惜しいですか」
「上告しますか」
「今は何もお答えできません」
 ポール・アームストロング弁護士は報道陣をかき分けながら、いら立ちを押さえられなかった。
 彼らはもちろん上告した。
 上告に際し、ポール・アームストロングは6項目の論点を提示した。それは、

 1.ジョセフがカレンの後見人として指名されるべきこと
 2.ジュリアが証言した「カレンの意志」は、今受けている無意味な医療の中止を要求する価値を持つ
 3.カレンとその家族はカレンの医療を停止させるための憲法によって守られた権利を有する
 4.本訴訟に敗れることはカレンとその家族にとり非道かつ不当な仕打となる
 5.医療撤回は殺人を構成しない
 6.カレンに対する医療中止こそ本人の利益に通ずる唯一無二の道

から成る6項目であった。
 アームストロング弁護士は法廷に立ち、前記の論点を朗々と声高く読み上げた。彼の野心は最後の勇気を奮い起こし、勝算を確信させたのかも知れない。


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逆転

 1976年3月29日、カレンは眠れるままに22歳の誕生日を迎えた。その2日後、3月31日――
 ニュージャージー州最高裁は前判決をくつがえし、法廷は7対0の全会一致でクインラン夫妻の訴えを条件付きで認めた。医師の同意があればカレンの命をつなぐ人工呼吸器を外しても良いとの判決を下したのだ。
 リチャード・ヒューズ裁判長は判決の中で、今回の事例は死の定義と存在、人工的手段による生命の延長に関連した問題を含み、これが比類なく重要なものであるとしながらカレンの病状悪化と治療の限界が見えてきたことをあげ、次のように述べた。

「人命尊重の大原則よりも個人のプライバシー尊重と死を選ぶ権利の方が優先されるべきである。しかし死ぬかどうかの選択はカレン自身にできないため、法律的後見人として父親が医師と相談の上、カレンに代わってその判断(治療の中止)を行うことを認める」

 この判決をCBC、NBCなど、主要テレビネットワークは夜7時のニュースでトップに報じた。
 画面には元気だった頃のカレンの写真が現れる。長くたらした髪にふっくらした頬、それが繰返し現れ、続いて見る影もなくやせおとろえ、呼吸器につながれるままの現在の姿が想像図で示された。
 裁判の主役を演じたアームストロング弁護士は、若々しい頬に興奮の色を浮かべてマイクに取り囲まれる。
「これで呼吸器を外すことができるわけですね」
「クインラン氏はカレンさんを、“自然の過程(プロセス)”に戻すことができるわけです」
「クインランさんはどうですか」
 質問を受けたジョーは、ジュリーと共に沈痛な表情でうなだれ、そばにトム神父らが励ますように付添っていた。
「人工呼吸器を切るのを同意する医者はすぐ見つかるでしょう」
「奥さんは」
「娘の回復が本当に絶望的かどうか、明日にでも医師団の最終的決断を仰ぎます」
「回復見込が全くない場合には」
 その質問にはジョーが答えた。
「判決に従ってこれ以上の治療をやめます。それが神によって課された責任だと思うからです」
「同じような子供を持つ親ごさんたちに言うことは」
「祈りなさい、信仰を捨てないで」
 最後の言葉はジョーが自分自身に言い聞かせた言葉かも知れない。これによって349日間に及ぶジョーとジュリーの苦しい闘いは終わったかに見えた。


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あつれき

 セント・クレアの医師団は、ジョセフを前にして表情を硬くした。
「せっかくですが、われわれにはこの機械は外せません」
「まだそんな事を、最高裁からの命令が出ても、まだ法を恐れるんですか」
「法ではなく、これは医学の問題だ。彼女の命を支えているのは、この機械なんですよ」
 クインラン家とセント・クレア病院との間には、早くもこの時“あつれき”が生じた。判決は下りたが、いざカレンの人工呼吸器を外す段になって医者が跨躇したのだ。
 しかし、それでも両親は主張を押し通した。
 地元紙モーリス・タウン・デーリー・レコードは、“離乳テスト”と呼はれる実験が4月27日から始められていると報じた。
 それはカレンが自然呼吸できるかどうか試す実験で、その際には人工呼吸器が時々外された。彼女が耐えられないようであればすぐ元に戻す、それが医師側から両親に出された、外す条件だったのだ。
 カレンの体重は意識を失った当時3か月の間に53キロから34キロに減っていた。ところが皮肉にも呼吸器を外した結果、カレンの体重が5キロほど増える進歩を見せた。
「カレンさんの両親と医師団との間で、治療や実験の方法について意見の違いが生じており、そのことが尊厳死を遅らせている」
 5月21日のニューヨーク・タイムスはそう取り上げ、さらに3日後、次のように報じた。
「すでに4日以上も前からカレンさんの酸素吸入器は完全に外され、22日には特別看護室に移された。なぜそうしたかについては、病院側と両親が対立関係にあるというウワサがあるだけで、両者は一切コメントを避けている」


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殺される命たち

 5月26日、イギリスでひとつの事件にピリオドが打たれた。
 エンマちゃんという8歳の女の子は、生まれつき脳性マヒにかかり、話すことも歩くこともできないというだけで命を断たれた。
 1週間に五十回も〈ひきつけ〉を起こし、寝たきりの生活を送ってはいたが、この子はいわゆる植物人間ではなかったはずだ。暮れに母親が看病疲れで倒れ、代わりの世話が祖母の手に代わった時、この子の運命が決まったのである。
「このまま大きくなっても一生壁を見つめて過ごすことになる。いっそ永久に眠らせた方が幸せではないか、そう思いましてプラスチックの袋を……2度も繰返すのはとても耐えられないと思い、しっかり袋を握り締めていました」
 56歳のエリザベス・ベッケットは、メードストーン地方裁判所でそう証言した。8歳の罪なき子は居間のソファでスヤスヤと眠る間に、この祖母の手で殺されたのだった。
 検察官は「悲劇的な安楽死のケース」と言い、裁判長は「看護がなければとても8歳まで生きていなかった」と、被告の“安楽死”を認めて無条件釈放を命じた。
 老婆は泣きながら法廷を去った。
『カレン裁判』以後、安楽死や安楽殺人の記事が目立ち始めた。しかしそれをいちいちここに並べるのは意味をなさない。なぜならそのような事実はそれ以前からも医師の間で行なわれていたからだ。ただその時にはまだ医師の側にも、殺すことに対して恐れを感じる心が存在していた。


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自然死法

 6月4日、ニューヨーク・デイリーニューズ紙は、カレンの両親が「悲劇的な内幕話」を婦人雑誌レディース・ホームジャーナルに3万ドルで売ったと報じた。
「同雑誌は病床のカレンさん撮影のため、フリーのカメラマンとも契約済み。両親は他にも、ワシントン・ポスト紙記者と単行本出版契約も結び、テレビ、映画社とも交渉中」
 14か月間の治療費は16万ドルを超えているが、両親の経済的負担はない。
 6月9日の夜、カレンはセント・クレア病院からモリスプレインズのモリス・ビュー療養所に移された。
 翌日の記者会見で、療養所側はこう語った。
「7人から成る当療養所の倫理委員会は、全会一致でカレンさんがもうこれ以上回復する見込みはないと判断しました。その結果、カレンさんは普通患者並みの治療を続け、自力呼吸が困難となっても、これ以上人工呼吸器の助けを借りる.ことはありません」
 9月30日深夜、世界初の『自然死法』がカリフォルニア州で成立。不治の患者が自分の意志で生命維持装置を外すことを認めたもので、翌年1月1日から発効された。カレンの自然死が認められてから、ちょうど半年後のことだった。
 日本でも安楽死協会や医療辞退連盟といった団体の動きがあり、アメリカの波が徐々にではあるが押し寄せて来つつある。


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法制化の疑問

「意識がなければ生きていても仕方がない、と多くの人は考える。『人間は考える葦である』というパスカルの有名な言葉もある。
 だが、意識がなくても生きていることと死とは同じではない。一言もものを言わなくても、そこに温かい血が流れている体が横たわっているということは大きい。人が眠っているベッドと誰もいないベッドとでは天と地ほど違う。なまじ法をつくって堂々と人を死へ送り込むより、人間は生きられるなら生きるべきだ」(作家・渡辺淳一)

「死を選ぶ自由ということがいわれるかもしれない。
 しかし、選ぶというからには、生を選んでも充分こと足りるだけの条件が片方に整えられていなければ選んだとはいえないはずだ。選ぶ条件を与えておかないで選ぶ自由もなにもあったものではない。日本の現在の医療体制や福祉行政がその条件を整えているとは、お義理にもいえないのである」(身障者グループ『しののめ』主宰・俳人 花田春兆)


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「共倒れの尊厳」

「安楽死法ができたら、いちばんよろこぶのは怠惰な医者だ。重症者の苦痛をなくし、重症者の生命をとりとめる一切の努力をしないでも法律によって免責される。
 安楽死法ができたら怠惰な医者におとらぬほどよろこぶのは薄情な家族だ。彼らは重症者が生前にかいた『安楽死させてほしい』という証書を病院の医者にもっていきさえすれば、あとは重症者をほっておいて遺産の分配の協議をすればよい。
 安楽死法ができたら、いちばんこまるのは、いま病院で重症者の看護に身をすりへらしている医療従事者だ。あんなに一生懸命働いているようにみえるけれど、助からぬとなったら注射で殺すのではないかとまわりから思われる屈辱に耐えられないだろう。
 安楽死法ができたら、まじめな医療従事者におとらぬほどこまるのは重症身障者や特別養護老人ホームに入所している人たちだろう。生きていても役にたたないものは殺してもかまわないと法律がいっているのに、世の中にめいわくをかけているのは気がねだと日々思うだろう」(評論家・医師 松田道雄)

「カレン裁判の場合は回復不能な植物人間と正常人との生きる権利に差があるかどうかを他人が判断するわけで、今の社会にはその能力がないのではなかろうか。
 人類の生存のために、マイナスを背負った人々を少なくしようとする裏には現代社会のエゴがあり、それは『恥多き人類の生存』である。人間にふさわしい未来は、『人類の尊厳な共倒れ』を一度は覚悟することによって初めて開けてくるのではあるまいか」(慶応大教授・分子生物学 渡辺格)


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命の闘いは続く

 1977年6月21日、自力で生きるカレンの容体が悪化したというニュースが流れた。
 この時も重い伝染病にかかったカレンに対し、モリス・ビュー療養所の医師団は治療を抑えているとの推測が流れたほどだ。だがそれにもかかわらず、カレンは翌日持ちなおし、元気な鼓動を打ち始めた。
 健康な時、カレンは、「生命維持装置につながれて生きるよりは死んだ方がいい」と言ったそうだ。だがそれはあくまでも、健康だった時の言葉である。今、現在のカレンの言葉ではない。
 人は死と隣り合わせになった時、生きることへの執念が燃え上がるものである。今こそカレンは“生きる”ことを主張するはずだ。
 今年の3月29日、カレンは25歳の誕生日を迎えた。その鼓動の一拍、一拍がカレンの生きることへの主張であり、今日一日、今一時の、命の凱歌ではないだろうか。
『カレン裁判』はリチャード・ヒューズ裁判長の判決で幕を閉じたが、カレンの命の闘いはまさにその時始まり、3年を経た現在もなお続いているのである。

 月刊障害者問題1979.5.15/第37号より全文
 挿入画像は『カレンの裁判』(ワレン・V・ブッシュ・プロ制作のTVドラマ。日本では『XEROXスペシャル 小さな命・カレンの裁判』と題し、テレビ朝日が1978年8月12日に放映)より
 なお、本稿は月刊障害者問題掲載の際には、次のリード文が別に付された

――眠り続けるカレンを囲んで家族、医師、弁護士、神父らが繰広げる死への舞踏劇。法延はカレンの「尊厳死」を認めた。だが死に尊厳があるのか。『カレン裁判』が世界に与えた波紋は何か。

特集・リード文   創刊号 奔流(主張)から

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