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奔流 一番大切なものは“生命=いのち
〜「カレン裁判」をめぐつて〜


 狭い自分だけの「城」から、人通りのある街なかに飛び出して行った時、そのすがすがしい気分の中に生きていることの重みを感じる。そして私は常に明日を信じている。今日よりも明日、明日よりもあさって、障害者の働きかけと社会参加により、障害者を見る周囲の目が回を重ねるごとに変って行く気がする。みじめそうに見えた者がたくましく見え、やがては何だ、オレと同じ人間がたまたま障害を持っているだけじゃないか、そう感じるようになる。私はそれを信じている。
 だが、カレンさんは、本人の全く知らない場面において、「尊厳死」という美名のもとに、今生命の灯を消されようとしている。

 昨年4月14日、21歳の誕生祝いを友人たちと開いていたカレンさんが、酒の中に大量の鎮静剤を入れて飲んで結果意識を失い病院に運ばれた。そしてそれ以後こん睡状態を続け、彼女は酸素吸入器によって生き永らえてきた。
 しかし、カレンさんの両親はみるみるやせ細っていく彼女の姿を見るに耐えかね、州高裁に「尊厳死」を認めさせる訴えをおこした。

 11月10日、ニュージャージー州高裁のロバート・ミュア判事は両親の訴えを却下した。「たとえ植物状態であろうとも希望はわずかに残されており、カレンさんの今持っているただ一つの重要なものは生命である」。ミュア判事は判決の中でこう述べた。

 それから2カ月半、今年に入って1月26日、カレンさんの両親は再び「自分の娘に死を与えてほしい」とニュージャージー州最高裁に上告した。上告にあたって両親の弁護士アームストロング氏は、「カレンさんは回復不可能な脳障害を受けており、1年以内に死ぬことがわかっている」と指摘し、「これは患者を殺すのではなく、自然な肉体の過程をたどることを求めているもの」と強調した。最高裁はこの訴えを受理し、その後7人の判事がこれを審理した。

 そして3月31日、州最高裁リチャード・ヒューズ裁判長は判決を下した。カレンさんの病状悪化と治療の限界にきたことをあげ、「人命尊重より個人のプライバシーと死を選ぶ権利の方が優先。ただその選択がカレンさん自身にできないため、法律的後見人として父親にゆだねる」と、十分資格のある医療機関との相談でという条件つきではあるが、結局「尊厳死」を認める判決を下した。

 4月1日、この判決を不服とし、さらに「上告する」方針を見せていた州検察局は、6日になってこの意志をひるがえした。その日、ウィリアム・ハイランド州検事総長は「連邦最高裁に上告するつもりはない」と発表。ここに「カレン裁判」の幕が降ろされたのである。

 「死」を語る時、それがすべて科学によって解明されていない以上何を語っても観念的になる。しかし一人の人間の命の糸が合法的に切られようとしている現在、私はあえて沈黙を続けるわけにはいかない。
 「自然死」とか「安楽死」とか「尊厳死」とか、実にさまざまの言葉が出て来たが、今回の判決で認められたものは、結局のところ「死ぬ権利」でも「死なせる権利」でもなく、正しくは「殺す権利」ではなかっただろうか。

 権利を有するのは他ならぬ本人ではないか。その本人に苦痛も意識すらもないとしたら、その「生きる権利」を奪う「殺す権利」が他のだれにあると言うのだろう。法律によってそれが定義づけられたことに、私はさむざむとした恐怖を感じさせられる。
 そもそも「全く回復不可能な状態である」ことを、現代の医学はどこまで断定できるのだろうか。

 それを裏づけるかのように4月15日付の「朝日」「毎日」の記事は対照的だった。両紙はその日の夕刊の、それも同じ第2社会面を大きくさいて「植物人間」の記事をあつかった。「そっとして欲しい」と語る、勝訴した後の苦しい両親の横顔を載せた朝日に対し、毎日には岩手医大の試みの「衝撃療法」で、24人の「植物人間」の意識が戻ったと明るく報ぜられた。

 そして、4月19日の朝日に、「尊厳死なんて」と海の向こうの判決を苦しい気持ちで受けとめながら、交通事故で意識を失った娘を6年間あきらめず看病し、共に闘ってきた福島県のある母親の記事が載った。

 さらに4月21日の「読売」は安楽死を肯定的にあつかったその日のNET(現テレビ朝日)の『特別機動捜査隊』をとりあげ、「慎重を要する題材である」ときびしく指摘している。

 私は「安楽死」にも「尊厳死」にも反対である。国民に冷静な判断を失なわせ、生きることの尊さを見失わせているのは医療の貧困と社会保障の微弱さである。それが「植物人間」と呼ばれる患者家族に極度な医療負担をしょわせ、それに同情する世論を安易な方向に導いているのである。
 ロバート・ミュア判事が言ったように、人間の一番大切なものは「生命」なのだ。

(月刊障害者問題1976.5.15/創刊号より)

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