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●もうける一方の民放テレビ
NHK東京テレビ局が本放送を開始したのは、1953(昭28)年2月1日。
同8月28日、民放の先陣をきって日本テレビ開局。
55(昭30)年4月1日、ラジオ東京(現TBS)がテレビ開局。
59(昭34)年2月1日、日本教育テレビ(NET=現テレビ朝日)開局。
同3月1日、フジテレビ開局。
東京12チャンネル(ローカル)も、64(昭39)年4月12日に放送を開始した。
この東京12チャンネルは、日本科学技術振興財団テレビ局といって、開局当時、現在のテレビ朝日とともに「教育局」の看板をかけていた。
「教育番組」を50パーセント以上、残りの大部分を教養番組として放送することが、郵政省が免許をおろす条件だった。
しかし教育番組では視聴率が取れない。もうからない。
そこで、競馬やボーリングまでが科学技術教育番組となり、いちいち説明が付け加えられる。
『ダイナミック・ゴルフ』(ゴルフ番組)……アマチュアゴルフ競技を通じてゴルフの力学を解明。
『競馬中継』……たんにゲーム展開を見せるだけでなく、競馬を科学的見地から見直す異色科学番組。
『ビッグ・チャレンジ・ボール』……ボーリングの科学的側面にスポットをあて、初心者に“ボーリングの科学”を知ってもらう。
『黄金バット』(マンガ)……幾千年の眠りの後、社会正義のためよみがえったミイラの活躍を通して、戦争科学と科学兵器の知識を啓蒙。
もっともらしい理屈はついているが、ただの娯楽番組。
この調子で『ハレンチ学園』やお色気番組『夜の大作戦』が教養番組となる。
NET(テレビ朝日)では、今再放送している『アンタッチャブル』が教育番組だった。
東京12チャンネルとNETは、1973(昭48)年11月1日教育専門局から一般局に変更され、民放の教育局はなくなった。
在京テレビ・キー局の78年度上半期(4〜9月)決算は、営業収入、伸び率ともに好調で、日本テレビ403億4900万円(11・6%増)、東京放送(TBS)360億4900万円(12・8%増)、ラジオとの合計では、425億4500万円(12・2%増)、フジテレビ412億3300万円(12・3%増)、テレビ朝日339億100万円(12・4%増)となり、4年前まで赤字続きだった東京12チャンネルも今年3月決算で初めて黒字を出した。
本紙は民放の労働者組織、民放労連につとめ、機関誌「放送レポート」の編集者でもある太田喜晟氏の話をきいた。(画像は報道陣にそっぽを向かれた形の佐藤栄作。この頃は新聞もテレビも、まだすこしは骨があったが、今は骨どころか筋もない)
――まず、視聴率とはなにか。
太田 数がどのくらいかということだが、それには視聴率を測定する機械を、各家庭に備えつけなければならない。
日本にはビデオ・リサーチ、ニールセンと、視聴率を調査する会社が2つあるが、たとえばそれらが関東地区だけで何台設置されているかということは、いっさいオープンにされていない。
一説には数百台と、非常に少ない数だといわれ、1000万もいる東京の視聴率を正確に出すことなど、土台ムリだ。
また一家庭に2台、3台と複数のテレビがある時代に、ひとつだけとりあげてもしかたがない。
そのように視聴率の調査方法自体問題があるし、内容についてもこれらは何の回答も示さない。テレビが今どのチャンネルでついているかどうか、それを調べて出すのが視聴率。
――1パーセントが百万単位になるという。視聴率50パーセントだと5000万人になり、お化け番組といわれる。
『水戸黄門』はまさにお化け番組。
だが、実際はあいまいなはずの数字を土台に、ワアワアさわぐのはなぜなのか。
太田 それ自体は問題だといわれながら、他にかわる方法がないから、それが非常に力を発揮している。
スポンサーはより多くの人たちがCMを見るかどうか、それで自分の所の商品の売れ行きが決まると考えるから、それが視聴率競争を招く。
低けりゃスポンサーがおりるということで、数パーセントの差にふりまわされる現実がでる。
制作現場がいくら疑問をもっても、結果としてデータに表われると、それによって番組をおろされたり、あるいは途中で打切られたりということがあるから、力をもっているという状態。
●政府の圧力、スポンサーの圧力
番組が第三者の圧力につぶされた歴史をたどると、NHKの『ユーモア劇場』(三木鶏郎脚本)がある。
以前には『日曜娯楽版』ともいわれ、評判をとって8年半も続いた番組だったが、1954(昭29)年3月14日放送のコントの中からNHKは「犯罪のかげに代議士あり」「汚職汚職で半年くらす」などの風刺コントを、脚本家の意思を無視してカットした。
実はそれよりも前から、政府は国会で「NHKの放送は政府と国会をからかっている」
と発言したりして、それ以後も何回か圧力をかけている。
そのため、『ユーモア劇場』は6月になって放送を打切られた。
自衛隊を批判して放送中止になった代表選手は1962(昭37)年11月25日放送予定だった『ひとりっ子』(RKB制作・家城巳代治脚本)だ。問題の局はTBS。
内容は防衛大の入試に合格した高校生が、恋人や母親の説得で防衛大に行くのをとりやめるというもの。
これは『東芝日曜劇場』で芸術祭参加番組として放送されるはずだったが、右翼団体が防衛庁に「放送をやめさせろ」とどなりこみ、スポンサーの東芝がおりて、放送5日前に急きょ中止となった。
しかし放送中止にはなったものの、『ひとりっ子』はテレビ記者会賞を受賞し、その後映画化もされている。
こうした圧力で中止になった番組は、『判決』(NET=現テレビ朝日)『ノンフィクション劇場〜南ベトナム海兵大隊戦記』(日本テレビ)の再放送と2部、3部、局の自主規制で姿を消したのが『風雪』(NHK)、『若者たち』(フジ)などと、枚挙にいとまがない。
こんなことがある。映画『第三の男』の放映(日本テレビ)にあたり、内容の一部が書きかえられた。登場人物の一人が事故死とみせかけて殺された。映画では車でひかれることになっているのを、放送ではテラスから落ちて死ぬことに吹替えられた。
これは提供スポンサーがホンダだったため、局で気をつかったという。
公害企業がスポンサーだったため、その企業による汚染公害のニュースが放送されなくなり、ニュースにスポンサーをつけることの問題性が指摘されたこともあった。
――テレビが占める広告の割合はどう変わったか。
太田 1975(昭50)年までは新聞の広告費の方がテレビよりも多かったが、75年にテレビが追い抜き、それ以降、差を広げつづけている。今は広告の主要媒体をテレビが占める時代。
――見方をかえれば、75年以降、テレビが広告に影響されやすくなったということがいえるか。
太田 それは民放の経営姿勢との両面から、あるといえる。
とにかく民放系はボロもうけ。
たとえば新聞はオイル・ショック以降経営危機におちいり、毎日なんかは再建という、非常にきびしい状況にある。反面、民放の経営はものすごい動き方。
一般企業が一ケタ台、それも5パーセント、6パーセントの伸びしか示してない時に高度成長時の伸び方で売上げを大きくしている。
それを放送に還元するというならまだしも、放送以外の産業に投資する傾向が起こった。関連企業を作り、駐車場、レストラン、不動産などに手を出す。
利潤追求一辺倒で、放送を良くすることなど考えていない。
それにスポンサーの要求が加わり、どんどんCMをぶちこむ、もうける、そういうシステムだ。
●CMふやしの秘密(マジック)
民放番組からCMを抜いた場合、1時間ドラマで45分、1時間半のスペシャル物で1時間10分、『日曜洋画劇場』などの2時間番組で1時間35分、『日本映画名作劇場』の1時間40分といった特殊な番組で1時間20分となっている。
CMワクを考えに入れてのドラマはともかく、一本の劇場用映画の時間はだいたいが2時間前後。それをムリな時間帯の中に入れるのだから、作品自体がそれに合わせて切られるのは仕方のないことだが、元来はそれではすまぬはず。
ところで、1時間ドラマにしても、新聞の番組表を見れば分るように、番組と番組の間に「ニュース」や「お知らせ」が入り、実際は54分番組なのだ。
このところ番組と番組の間に、ニュースがあったり、『お天気メモ』『世界あの店この店』といったミニ番組が多いのはなぜだろう。
プライムタイムという時間帯がある。これは18時〜23時のうち、3時間半を各局ごとに決める。
この時間の番組のCM量は、「日本民間放送連盟放送基準」の中の「広告の時間基準」によると、右の表のようになる。
ミニ番組を設けて前後にCMを入れることでかなりの荒かせぎになる。
そして、そのことの中に、CM基準のぬけ穴があるのだ。
ミニ番組が5分ではなくて6分であること、それによってCM量は10分以内に拡大される。1時間番組は50分でなくて54分であること、それによってCM量は60分以内に拡大される。
ちなみに日本テレビの『NNNニューススポット』の、タイトルを抜いたニュースフィルムとコメントの時間は2分30秒だという。
――それだけもうけて視聴者の反発はないのか。
太田 ここ1、2年の間、多少変わりつつあるのは、テレビにもの申す傾向が、割合起こり始めてきた。
CMの量が多すぎるということなど、民放労連も言ってはいるが、いろいろな視聴者団体、母親団体も言い始めたし、内容を改善する意見もある。基督教婦人矯風会が「アルコールのCMがこれだけ多いのは日本だけだ」と言っているし、地婦連など、婦人組織を使って広範囲なCMについてのアンケート調査をやっている。
そういう問題が少しずつではあるが、起き始めたのが新しい動き。
――アメリカと比べて視聴者の動きはどうちがうのか。
太田 10年おくれている。アメリカでは視聴者の強い動きが、政府の通信機関に影響を与えている。
――そういうものに影響された自粛があるのか。
太田 12歳以下を対象にした番組のCMの禁止という方向にも動いている。
その点、日本は野放しだ。
――日銭3億円といわれる巨大企業テレビ、商売上のしくみは何がどうなっているのか。
太田 テレビの料金というのは2本立てになっていて、一つは番組を売るということ。番組の制作費をスポンサーが出し、なおかつ相当額の電波料も払う。
――これが分らない。電波料とは何か、だれに払うものか。
太田 もちろん放送局だ。
――そんなものを放送局が勝手に取れるのか。第一、電波に金なんかかかるものじゃないだろう。
太田 そういう名目で取るわけ。
――そこが分らない。
太田 それがボロもうけの話の根本部分。
――電波料とはいくら取るのか。
太田 1時間のドラマに対してスポンサーが払う金は、制作費が1500万円、電波料が1500万円、合計3000万円にもなる。
電波料の1500万円は置いといても、制作費の1500万円は制作のために全部使えばいいはず。
ところがそこからももうけを出そうと考えているから、下請けに出すことになる。
●さらにもうけるために……
NHKの45分ものの大河ドラマ『縦の木は残った』の直接制作費が69年当時で約370万円だったのが、ほぼ10年後の『黄金の日々』では1060万円に増えている。ところが、民放テレビでは、66年制作の『泣いてたまるか』(TBS・国際放映)が700〜800万円の制作費だったが、11年後の『白い荒野』(TBS・国際放映)は1150万円と、2倍にもなっていない。テレビ映画制作が、いかに、局から安く買いたたかれているかがわかる。
しかも、比較した数字のなかのNHKの制作費は、スタジオレンタル料・機材費・車両費・職員スタッフの人件費などが含まれていないので、それらすべての経費を入れている民放下請けのテレビ映画とは、実質的にはさらに差が開く。
しかも、ただでも低廉な制作費が中間でピンハネされ、現場へ届くころにはさらにやせ細る。民放労連が編んだ「番組制作白書中間発表」には、『Gメン75』(TBS・東映)の例が出ている。
それによると、TBSが推定1500万円で東映本社に発注すると、東映本社では下請けの東映東京制作所へ1300万円でおろし、同所はさらに、孫請けの東映企画プロ、映広プロなどへ1100万円でおしつける。それらのプロダクションが間接費をさしひいて、現場へおりてくる直接制作費はわずか600万円というやせ細りかた。(「放送レポート」No.36=79・1)
――もうければ何でもいいという民放姿勢の中で、ウケが悪いとされるドキュメンタリー番組は少くなったのか。
太田 少くなった。今、ドキュメンタリーをレギュラーでやっているのは、NHKが『ルポルタージュにっぽん』、TBSが『土曜どきゅめんと』、日本テレビが『ドキュメント79』をやっているだけ。しかもその時間帯は、TBSや日本テレビが夜の11時半、45分とおそい。
――ところで、クイズ番組など、視聴者参加番組に障害者が出ないのはなぜか。意識的なものや暗黙の了解でもあるのか。
太田 どうしてだろう。文章としてはないし、あったら問題。
ただ、日本の視聴者参加番組は、視聴者が出て来て討論したり意見を言ったりというものではない。
たとえばヨーロッパでは、視聴者に時間をわたして番組を作らせ、それを局のスタッフが必要最少限に技術的に援助する、そういう番組が生まれつつある。そういうものが本来は視聴者番組。
その点、日本はサシミのツマに視聴者を使っている程度で、ワイドショーでも視聴者はカザリ。
――たとえはクイズ番組に障害者が何げなく出る、そのことだけでもかなり意義があると思うが、ああいうのの選考はどうするのか。
太田 抽選じゃないか。
ただ、歌とか、『おもろい夫婦』といった番組の場合、おもしろいことを言う人を選考するといったのはあるだろう。
クイズの場合は抽選だと思う。
――障害者が応募して当たった、障害者だからダメだということは。
太田 ないと思う。
――でも今まで出ていない。
ハガキを出して当たったから出せ、人海戦術を動員したそういう運動があってもいいのではないか。
太田 面白いと思う。それだから落としたなんていったら大問題だ。
●障害者を〈見せない〉ことの差別
マスコミ評論家の鈴木均氏は、著書の中で、「テレビの放送基準の中に、『見える異形』を許容しない条項がある。ふだんのワイド・ショウの中などに出てくる参加視聴者の中からは『異形の者』はのぞかれている」と書いている。
同じ項の「追記」で、「このあとで5月3日テレビ朝日“水曜スペシャル”『世界格闘技選手権』を見た。アメリカのテレビ・カメラは、勝者アントニー・猪木にサインを求める『車椅子の観客』をしっかりと捉えていた」と指摘する。
鈴木氏は、テレビの画面のはしからそれを「目撃」したのだろう。
そういえば昨年の『24時間テレビ・愛は地球を救う』では、筆者は逆にカメラが障害者から逃げた場面を目撃している。
シンボルTシャツを着た多勢のボランティアが忙しそうに電話の応対をしている。ビデオ・カメラがそれを追う。ボランティアの中には障害者も多く参加していた。従ってカメラはその列にも及んだ。が、車イスで、不自由な体をゆらゆらさせて答える車イスの脳性マヒ者を捉えた瞬間、カメラは別の場面に逃げてしまった。
そのくせ24時間番組の中のドキュメンタリーでは、性質上、障害者をさけることができるわけがない。これはどうしたことか。
現場の話では、この番組は24時間連続生放送するだけの機材も態勢もないまま、やっつけで本番に突入したと言う。趣旨を十分理解してない者がいても不思議はない。
ドキュメンタリーは前もって撮ったフィルムであっても、ビデオの部分は完全な生だ。担当者の頭の中には「異形を見せない基準」がこびりついてお均、との日だけは見せてもいい特例であることを忘れ、あわてて逃げたのだろう。
これは推測であるが、かなり当たっているはずだ。
テレビとは外見上醜い部分は見せず、しかし物事の本質をも覆い隠す、一億総白痴化にとってはまことに的を得た利器なのである。
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本稿執筆にあたり以下を参考にしました。
「放送レポート」1972〜79年最新号(民放労連編)
「日放労史」(日本放送労働組合編)
「現代テレビ批判」(鈴木均著、みき書房)
「講座・現代ジャーナリズムIII 放送編」(時事通信社)
(障問1979.7.15/第39号より)
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