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通勤の人並をかき分けて、車イスが後ろ向きでやって来る。時田和明さん(28)は両手が不自由だから、わずかに使える両足で地面を蹴って車イスを前進させる。
首からはヒモで定期券をブラ下げている。いちいち出し入れする必要はない。改札にこれを見せて通るのだ。
通勤の電車は国鉄阪和線に始まり、地下鉄御堂筋線、地下鉄堺筋線と乗り継いで会社まで1時間余りの道のり。セルフ社ができた昭和50年10月から2年間、この調子で通い続け、外交もしている。
駅員に頼む時もあるが、主に通行人に声をかける。言葉は聞きとりにくいが勇気がある(困った時はお互い様)。
自宅にあるタイプを足で打つ事、通行人に頼んで電車を使う事の他、身の周りの事は今のところすべて親がかりだが、彼はセルフ社を作った発起人の一人だった。
●生きざま
昭和44年に彼は堺養護学校を卒業した。障害は重く、就職はできず、彼を受け入れる施設すらなく、家の奥に閉じ込もらざるを得ない状態になった。
セルフ社を考えつくまでに5年の空白があったが、その間、在宅障害者を外に連れ出そうとする運動に加わっていた。W・C(ホィール・チェアー=車イス)という名前のそのサークルで健全者と知り合う内、自分も何かしなければ、何かできるんじゃないかと考えた。
49年の11月ごろ、自宅で仕事をしようと思い立ち、輪転機とファックス、タイプの一式を買った。その時だった。同じ養護学校出の井上憲一君(25)からセルフ社を作ろうという話を持ちかけられたのは――
●「喧嘩しなきゃ分らん」
井上君も足で蹴って車イスを走らせるが、言語障害はなく、時田さんよりは状態がいい。原稿の編集割付作業も手で行なえる。
近畿大学を卒業した。車イスでの電車利用はその頃から続けている。時田さんも井上君も介護人など付けずに電車を使う。それだけにトラブルも多い。
「阪神、阪急は私鉄の中でもええ方や。京阪も大体いい。近鉄もまあまあやな。よおないのは南海や。ほんまにあかん。ナンカイなちゅう感じでな」
怒るのも面倒とばかり、そんな時は「頼んます」、通行人に声をかける(困った時はお互い様だ)。
ところが時田さんは違う。
「喧嘩しなきゃ駅員は分らん」と言う。「そりゃ暇な時はええわな。だけど忙しうてしょうもない時にまで駅員捕えて押問答やからかなわん。時田さんとはよお歩かんのや」
●「ここに仲間がいた!」
1年前には新入りだった安井務君(21)も、森本秀治君(24)と北山信幸君(19)が2月と5月に新しく入社する事により、やや古顔になった。
以前は自動車部品を製造する会社だったが、朝8時から始まる上に30分前には入ってないといけない。家と会社が遠く、6時に出ないと間に合わない。
職場にはろうあ者が多く、といって手も不自由だから手話は使えない。また、健全者は言語障害の彼を相手にしない。
人間関係のうまくいかないのが手伝ってやめてしまった。セルフでは歩ける利点を生かして外交をやっている。
「彼女? おらへん」と言うが、若いのだからがんばろう。
森本君は同じ町内に住んでおり、6人の中では一番近い。普通の人なら5分の所を彼の足で15分。
職業訓練所、施設、病院と転々とし、再び職業訓練所に入所、その後鉄工所に勤めた。最初ボール盤の穴あけをしていたが、慣れる内に溶接やその他の事もする様になり、そうなると危険度も増して来た。
ケガをする前にやめてしまった。
両親は健在で、6人兄弟の長男。他の5人は親の保護を受けながら働いているが、彼だけは生活保護で住宅に一人住いしている。
●平均賃金2万円
北山君は7年前に母親をガンで失い、鉄鋼関係の会社に勤める父親と、9年離れた弟と3人暮しをしている。朝6時に起き、母親の代わりに料理を作る。
「6年以上もやっとるさかい、もう慣れたわ」と、あっけらかんとしている。まぶしい位の笑顔である。
セルフに来る前にはガラス会社の事務をしていたが、体力的に続かない事と、仕事に張り合いのない事を理由にやめてしまった。一日中座ってるだけ、10日も暇な状態が続く事もあり、これじゃたまらんと思った。
ここでの仕事は雑務だが、こまごまと気を配って周囲のものをとり片着けて行く。
明るく振る舞う彼らだったが、不満がない訳ではなかった。それは給料の安さである。障害者である上に、脳性マヒ者である事の限界を知らされねばならなかった。印刷が必ずしも適職とは言えないのである。
それでも時田さん達はがんばった。スタートして1年は、機械の購入費返済で給料ゼロ。最近になってようやく2万円ずつ払える状態になった。
●「俺達だって働くんや」
市役所では「なぜそうまでして働くのか、生活保護を受ければいいじゃないか」と言われる。
「障害者にとって労働とは何か。余計に数をこなせばええいうもんやない。いわば労働の価値の変革や」と時田さんは言う。
印刷だけでなく、将来は障害者でなければできない仕事を見つけてやって行くと言う。例えば自助具の開拓や販売、これは障害者の状態が分る者でなければできない。
また、今は奉仕活動でしかない盲人用カセットテープ、これを仕事にすれば言語障害のない者にできる。講演のテープおこしの作業なども1時間もの1万円位になると言う。考えれば希望はつきない。
●チンチン電車
セルフ社の紅一点は岸田美智子さん(24)、ボランティアの都合で週2回程度しか通勤できない。車イスで移動する事もムリだった。
だが自宅で足を使ってタイプを打つ。詩を書く事が好きで、通信教育でコピーライターの資格をとり、将来に備えている。
区民センターに勤める父と理解ある母、兄と祖父母の6人家族。
「子供っぽさの抜けないのが悩み」と言うように、決して自分から甘えかける事なく、最近は電車に一人で乗る。家族が駅まで送り、目的駅にボランティアの友達が待っているという風にして。
セルフ社をやるという時も両親は半信半疑、どこまで続くかという感じだったが、ひとりで電車に乗ると言った時は反対した。女の子だし、ケガでもすると大変だ。
それに両親そろって送る事もムリ、と言って一人で介護はできないと言うと、「他のお客さんにも頼めばいい」と言ってきかない。
「完全な形のボランティアを付けていたら一般の人の理解は得られへん」と両親を説得した。
チンチン電車の箱に揺られて10いくつかの駅を超える途中、夜の車窓に赤ちょうちんがいくつもいくつも過ぎて行く。岸田さんはこれを見ながら帰って行くのである。
●爽春の風に向って走れ
今年うれしい事がある。両親のもとでひとりっ子として育った井上君に恋人ができ、結婚するかも知れないからだ。相手は田中三枝子さん(25)で、タイピストをしている。健商里見両親は反対しているが、当人同士の決意は固い。
セルフ社、障害者だけの印刷会社。
助け合い、補い合って支えている。
障害を持っているが故の苦難、人間らしく生きようとすれば、行く手に壁が立ちはだかる。
だが、彼らはとにかくやって来た。2年もの間を。道のない所に道ができるように、彼らは自分の力で一歩一歩、障害者でも人間らしく歩いていける道をつないでいる。
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