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●列車はゆくよ
快速電車のほぼ一車両を占めてカラフルな服装の花が咲き乱れていた。季節がら目的がら年齢がら皆、軽装である。夏服の短かな袖口や裾からも若さがはじけていた。
俺の目の前の席でも4、5人の少女が一グループとなり、何やら映画の話に興じているようだ。近所の福祉会館で見かける時には心優しいボランティアの天使だが、今はあどけない普通の女のコに戻って楽しそうに会話している。
話の輪に加えてもらおうと、そっとその方へ車イスを進めた。
「ハリソン・フォードって好き?」
「ハリソン・フォード……誰だっけ」
訊かれた一人が少し考えていたが、別の一人が、
「ほら、あの人よお、『刑事ジョン・ブック――』に出てた二枚目」
そうそう、正義の熱血刑事が警察内部の腐敗と戦うその映画の話がしたかったんだ。ところが、そのまた別のもう一人が、
「『スター・ウォーズ』にも出てだし、その後では、あれ、なんだっけか、『ターミネーター』みたいなサイボーグが出て来る……」
「『ブレードランナー』でしょ」
「『インディ・ジョーンズ――』もあるわ」
「でもハリソン・フォードより。ねえー……」
女のコたちは興味のホコ先を別に向け、エイリアンやサイボーグやゾンビやバンパイヤやミイラ男や狼男や、あげくの果てはアメリカに進攻して来たソ連軍戦車と戦う映画の話に夢中になった。
俺はしかたなく、また車イスをバックさせた。
その日は20人もの若者と一緒に、ボランティア合宿に参加していた。
福祉会館職員の友人から旅行の話を聞きつけ、さやかさんも一緒とあって勇躍参加を志願した次第。そのさやかさんとは、同じ会館に勤める俺の憧れの女性である。
昼は海で泳ぎ、夜は温泉につかり、汗を流したら大宴会という。そのうえ今度の宿は混浴の露天風呂があるとも聞く。昼はさやかさんの水着姿が見られ、夜はそのさやかさんと生まれて初めての混浴が経験できるかも……俺の心はいやがうえにもときめいた。
傍らの席に最近とみに禿げ上がった額を気にする会館職員のMさんが坐り、何か文庫本を開いて一心に読みふけっている。
「なんだいこれ、『柳生武芸帖』? 昔、東映で近衛十四郎が演ってたあれか?」
「映画なんか見てねえよ」
「チェッ、話の合わない奴ばかりだな」
と、また一人になって外に目を向けると、何やら急に空模様がおかしくなった。窓を走る緑の田園風景にかぶさった空がどんよりと曇っているのだ。
〈大丈夫かな〉
もちろん海水浴のことである。つまり「さやかさんの水着姿」である。一つ目の愉しみがはかなく消えようとしていた。
●いで湯の雨
宿に着いたとたん大粒の雨が降り出し、あたりは急に暗くなり、夜気が冷たく感じられた。
いで湯の宿は海に面した高台にあった。背後に山裾が広がり、その出合にせり出した格好で露天の岩風呂がある。
座敷でくつろぎ、一杯ひっかけた後、俺はくだんのMさんと数人の男子学生とで汗を流しにでかけた。俺の他はゆかたの着流しだ。
途中の廊下でさやかさんに出会った。これもゆかたである。着物になると妙にいろっぼい。
「お風呂、行くんですかー」
さやかさんが訊いた。
「さやかさんも行く?」
「もうちょっとしてから。今、グループで明日の打ち合せしてますから」
そう言って、また仲間と座敷の方へ歩いて行った。
脱衣場の先は屋内の大浴場があり、そこを出た所が露天の岩風呂になっている。せっかくの機会、雨の中での露天風呂も風情と、外のを希望し、俺は介助に手慣れた仲間に横抱きにされ、出た。
「ほら、蛍が飛んでるよ」
Mさんが指差した方を見ると、少し離れた一角がぼっと明るくなり、その明りの回りを無数の光るものがひゅうひゅう飛び交っているではないか。
「あー、蛍……」
なんと面妖な、なんと奇っ怪な、この雨の中、たち昇りたなびく湯煙りの中、大小とりどりの蛍が乱舞しているというのか。
間もなく笑いが起こった。かつがれていたのだ。よく見ればその輝くものは、階下で照らす常夜灯に群がる蛾や羽虫であった。水銀灯の明りの効果がそれらを異様に反射させ、錯覚を起こさせたのである。
「どうしたんだい?」
Mさんの声を背中で聞きながら、俺は一時その光景に見とれていた。降りしきる雨の中、水銀灯の明りに映えて、無数の光る虫たちの舞い狂う姿は、命の炎を燃えたたせて誇らしげに見えた。
やがて仲間の手を借りて湯につかった。湯の中一杯に細かな白いものがただよっている。俗に陽花といわれるものだそうな。
「ここの温泉はそういう温泉なんだ。これが体にいいんだ」
どこがどういいのかさっぱり分らぬが、なるほど力んでそう言われればそれだけで霊験あらたかなもののようにも思え、麻疹して痩せさらばえたこの身にも力が甦ってきそうだ。
実際それは骨の髄までしみわたる温かさで、びしゃびしゃと顔を打つ雨さえ気にならず、むしろ心地良いほどだった。
階下で女性たちの声を聞いた気がした。いや、たしかに笑い声がした。
「Mさん、女のコの声がしないかい?」
「そのようだな」
Mさんは裸で歩いて行って下の建物を見おろした。
「あれ、やっぱりさやかさんの声がするよ」
「じゃ、下の女湯につかってるんだろう」
事もなげに言う。
「なんだ、それじゃ混浴なんてウソだったのか」
俺はがっかりした。
「ウソじゃないさ。ここの岩風呂は確かに混浴さ。時々近所のオバチャン連中の姿を見かけるよ。でも下には下で女だけ入れる別の温泉が備わってるんだ」
「Mさんの混浴なんてそんなもんだよ」
二つ目の愉しみもこれで消え去った。
それじゃあ上がるかというその時、俺は急に胸苦しくなり、Mさんに頼んであわてて引き上げてもらった。目まいを起こし、吐き気をもよおし、裸の身にバスタオル一枚引っかけ、俺は救急患者のようになって座敷へと運ばれて行った。湯あたりを起こしたのである。
●ゆかたの君
どのくらいそうしていたろう。そっと襖を開ける音がして、そこへゆかたの人影――。
「ぐあい、どうですか?」
容態を訊きながら膝をそろえて正座する。
「もっとそばへ来てよ」
「ハイ」
「もう少し近くへ」
「ハイ、ハイ」
俺は年甲斐もなく甘えた。そのわがままを、病人のためならと割切ってか、さやかさんは素直に応じた。
「気分、良くなりましたか?」
吐き気も収まった。それなのに、
「まだ頭がクラクラしそうだよお」
弱って甘えた声を出した。するとさやかさんの手がずっと伸びて来て、濡れタオルを取って俺の額に掌を当てた。自分の額にも触れ、「熱、あるのかなあ」などと眩きながら。
「お酒呑んで入って、慣れない温泉の湯に何度もつかって、それで気持ち悪くなったんだろうって、Mさん言ってましたよ」
微笑みかけながらそう言う。そしてさやかさんは濡れタオルを絞り直し、また俺の額に乗せてくれた。湯上がりのシャボンのにおいがぷーんとただよう。俺の心にも、さっきから湯の花が咲いていた。
「さやかさんはいつもいい時にそばにいてくれるね」
「え?」
「そういえば前にも一度、困っている時にどこからともなく現われて助けてくれたことがあったっけね」
「そうでしたか?」
「そうなんだ。さやかさんはそういう人なんだ」
さやかさんはクスクス笑い出した。
「それじゃまるで、『白馬童子』みたいじゃないですか」
「あれー? どうして『白馬童子』知ってるの?」
「だって父が、懐しがってレンタル・ビデオ屋さんから借りて来たのを見せられたから……」
あー、そうか。さやかさんのお父さんも似たような年代なのか。世代のギャップとやらを感じさせられ、なんだか淋しくなるなあ。
「男の人って、なぜあんなに時代劇が好きなんですか? 父は『水戸黄門』、弟は『必殺!』、もー、付き合いきれないわ」
「それはねえ」と、俺は俺の勝手な解釈を述べだした。
「男はたいていサムライのような格好良さに憧れるんだ。でも今の社会にあってはとうていサムライのような人間を貫くことはできない。そのかなえられない思いを空想の世界のサムライに求めているんじゃないのかなあ」
しみじみとそう眩きながら、ふと『柳生武芸帖』を読みふけるMさんの姿を思い浮かべた。
「さやかさん」と向き直り、「俺にもカッコいい時があったんだよ」表情を活き活きとさせて語りかけた。
「どんな話ですか?」
さやかさんが思わず膝を乗り出した。
そうだ、あの燃えるような闘いも、ある年の夏の出来事だった。
●闘っていたあの頃
障害者のための職業訓練施設の近くに、とある私鉄の駅があった。何段かの階段を除けば、車イスでも支障なく電車に乗り込むことができ、それで都心まで遠出することができた。それが分かって、初めて電車にひとり乗りをした時には車窓を走る景色が夢のようだった。子供のようにはしゃぎたい気持ちをやっとの思いで抑えた。
ところが次に利用しようとした時、前には階段での上げ下ろしを手伝ってくれた駅員の態度がガラリと変わり、「一人では乗せるわけにはいかない、付添いを付けてくれ」と言う。なんともらちがあかず、俺はいきなり階段に坐り込み、自力で車イスを引き上げようとした。ぶざまには違いないが、別の仲間がそうやって乗った話を聞いていたからだ。だがそれも無駄だった。
「そういうこと、やめてくれませんか。車内では折りたたんでもらわないと困るんです。他のお客さんの迷惑にもなりますから、付添いの人を付けて出直してください」
頑として取りあおうとしない。その時の俺のくやしさが分かるかい? 見かねた他の客の中から、「私が付添ってもいい」と言ってくれる優しい人も出て来たが、それも前例がないからと認めてくれない。
そうして、やっとの思いで通り抜けた改札口から、むりやり押し出されてしまったんだ。
俺はくやしさのあまり泣いたね。駅の近くのラーメン屋で昼間から冷や酒くらって涙を流していた。
俺は何人かの仲間と力を合わせ、私鉄各社に質問状を送りつけた。何日もたって返事が来た。ところが返事は自社の職員の無礼を詫びるのではなく、むしろあのおりの駅員の言ったのと同じ内容で、「乗車の際は必ず付添いを付けて」と条件付けて結んでいる。
そのうちあちこちの駅に「車イス乗車拒否」のハリ紙が出されるようになった。付添いのない車イス使用者は乗車を認めることはできない旨の文句が書いてある。
そういう時代があったんだ。今なら大問題だが、その頃は誰かが一団となって事を起こさないと話にさえならなかった。
俺らは団結してたたかうことにした。乗車拒否のあった駅にまず抗議のデモをかけることにし、あちこちの団体応援を呼びかけた。
一週間ほどあった夏休みをすべてその準備につぎ込んだ。みんな文句ひとつ言わず行動を共にしてくれたものだ。そうやって勇ましいスローガンを書きたてた派手なノボリ旗を何本も作った。資金はなかったから旗はみんな紙でできており、それにベタベタ絵の具を塗りたくって仕上げた物だ。だから雨でも降ったら大変だった。
しかし、いざ闘いというその日、天も俺らに味方した。ノボリ旗を立てた車イスの一団が、抗議の声を連呼しながら駅への道のりを行進する。「シュプレヒコール!」と呼びかける。すると「オーッ!」、仲間が一斉にこぶしを振り上げ、ときの声。「車イスの乗車拒否をやめろーっ!」、「障害者無視の私鉄を許さないぞーっ!」、叫びながら進む。
車イスの背には色とりどりのノボリ旗。団地の窓から、時々顔を出して見おろす人がいる他は、閑静な住宅街だったからあまり注目を浴びることもなかった。
しかし、時ならぬ平日の夕暮れ時。駅に着いてからが大変だった。
ある者は改札を抜け出て来る勤め帰りの人々の手に訴えのビラを渡し、別の一団はその群れの輪を広げて駅舎に向かって対時する。あたりはだんだん暗くなる。しかし俺たちのいる一角だけは、報道陣が照らすライトでまるで華やかなショー舞台のようにぱっと明るくなっている。
その中で、俺はマイクを握りしめて抗議の第一声。
「今、この駅は包囲されているっ!」
俺はまずそう言って口火を切った。するとこの段になって、さやかさんは目を輝かせてきっとこう訊ねてくるだろう。
〈駅を取り囲むほどの人数が集まったんですか?〉
俺は笑って首を振り、話を続ける。
第一声に続け、あの時、確かにこう言った。
「乗車拒否に抗議し、今日の行動に立ち上がった仲間はほんのひと握りの集団に過ぎない。だがその怒りの声はビラによって手渡され、受け継がれた無数の怒りとなって差別の壁を包囲しているのだっ!」
いわれなき差別には黙っておれないさやかさんのこと、
〈そうですよね、私だってその場にいたら一緒に闘いますよ〉
怒りを我がことのように受け止めてくれるであろう。
ああ、あの時さやかさんがいたならば……言ってもグチか。思えば13年も前のこと、その時、さやかさんはまだ小学生になったばかりの年齢じゃないか。
「ねえ、どんなふうにカッコ良かったんですか?」
ふっと我に返って答えた。
「カッコ良かったなんて、本当はウソさ」
虚しく笑ってゴマ化した。昔話なんて、年寄りが過去のわずかな栄光を自慢するみたいでいやになったのだ。
「さやかさん」
「え?」
「さやかさん、もっと早く生まれてれば良かったのに……」
それだけを言って小さく笑った。その笑いの奥の淋しさがさやかさんの心に映ったであろうか。
「それじゃあ」とさやかさんが立ちかけた。
「行ってしまうの?」
「明日もまた会えるじゃないですか。それまでに元気になってください」
「それもそうだね」
俺はまた一人になった。一人になって、ふと枕元に目を落とすと、いつ置いたのか、どこから摘んで来たのか、コップに活けた紫色の可憐な花の一輪差し。
目を閉じれば、あのときの雄叫びが、あのときの仲間たちの怒りの顔が、その中にさやかさんがいた。団結鉢巻きを締め、こぶしを振り上げて闘う、あの『白馬童子』のようなさやかさんの勇姿があった。
(1986.11月号/No.92より)
一部補筆/「僕」を「俺」に変更 |
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