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作 マルガリテ/純子

第六章
嵐、ふたたび…



小さな戦士


 その朝のジュンコとの接触が、ジャンヌにとって運命の日のはじまりだった。
 ジュンコは1週間前から、病院裏手の納屋に監禁されていた。監視役はいたりいなかったりとルーズだが、たとえ納屋から出たとしても目の前の塀が自力で越せないくらい高かった。
「いったいなんでこんなことに……?」
 教祖の覚えめでたく、ゼーラに来た外国人としては特別待遇に近かったのに、一転囚人並み以下の扱いに驚いて訊いてみたのだ。
「教祖様に逆らった罰よ」
 ジュンコはそれだけしか言わなかった。
 愛しいモニカが責め苛まれている部屋のマジックミラーからジュンコのヌードを覗き見ていた教祖の粘っこい目つきが忘れられない。あの執着がどうしたら憎悪に変わるのか。
〈そういえば……〉
 と思い当たることがないではなかった。このところゼーラに来る囚人の数がめっきり増えたような気がする。それに伴って房の移動が目立つ。ジュンコの納屋監禁もその一環だろうか。
 それにしても教祖の気まぐれの激しさは戦慄に値する。
 本人が「逆らった」と言うからにはその通りなのだろう。それを助けることは同罪を意味する。だが、それでも今のジャンヌは、ジュンコを助けたい気持ちで一杯だった。
 そのためにはゼーラを出る必要がある。
 そして、なにより許せないことがある。
〈大事なモニカを殺された恨み!〉
 それを思うと、今でも怒りと哀しみで心臓が張り裂けそうだった。
 モニカの死には立ち会っていなかった。姉デリアの拷問で危篤になり、応急処置をしたが助からなかったというのが死因だと聞いた。手術室の死体にはシーツが掛けられていた。
 死に顔を見たかったがエルンストおじさんに厳しく止められた。
「見てはならん!」
 いつもはやさしいおじさんが鬼のような顔だった。それくらい凄惨な死に際だったのだろう。白いシーツにベットリと血が染み出ていて、床の血だまりもひどかった。
 姉のデリアはなんとしても許せない。
 殺したいほど憎んだ。だが、血はつながらなくとも姉妹は姉妹。肉親を殺すことは血への冒涜とされ、死んだら地獄に落ちるという言い伝えの国もあると聞いたことがある。
 その代わり復讐心を溜めて死ねば、その相手は死ぬか地獄に落ち、確実に不幸になるそうだ。
 姉さんを殺すにはゼーラを裏切るしかない。そして究極は自分が死ぬしかない。
 ジュンコのためにも自分はゼーラにいてはならなかった。なぜならジュンコに教祖から死刑の断が下されたら、真っ先彼女を殺す役目を言いつけられるのは自分だろう。
〈あの年寄りはそういうことを愉しんでやる鬼畜なんだ!〉
 キンバリーがヤボ用でゼーラを出ると聞いて、ジャンヌは精一杯のおべっかを使ってお供を希った。案外にあっさり許され、かえって拍子抜けしたくらいだった。
 それを少しも疑わなかった。
 ジュンコのいる納屋を訪ねるのが朝の日課の一つだった。
「お姉さん、喜んで! 外に出られるわよ!」
 監視が近くにいないのを確かめて報告した。
「まあ、ジャンヌ! そのショートパンツとっても似合うわよ」
 初めはミニかと思ったくらいだ。濃紺の地の短パンからぴちぴちの腿を惜しげもなく見せて、ほっそりと延びた脚につながっている。
「花柄のサンダルも可愛いいし、白いブラウスの胸のフリルもチェーンベルトも素敵だし……」
 小窓から身を乗り出すように眺めて言った。
 手放しの褒めように顔を赤らめたものの、
「魔女が外出と聞き強引におねだりしたのよ」
 そう答えたらジュンコの顔が強ばった。
「なにか魂胆があるのかも?」
「そんなの承知。抜かりはないわ」
 自信を見せてぽんと胸を叩いた。
 去り際に何か言いかけた時、ジュンコが用を頼んだ。
「この裏の、ゼーラの敷地との境目の板塀が地面近くで崩れてない?」
 ジャンヌは一瞬きょとんとしたものの、飛んで行って確認した。古い板塀の下の方が一定範囲ぼろぼろで無理に押せば崩れそうだった。それが成人の胴体部分ほどの範囲でピンときた。
「凄い! その通り。
 でも駄目ですよジュンコさん。パレルの、人がいる所までは凄い距離があるし、そこだってゼーラの息がかかっているか知れないし」
「心配しないで、強運に賭けてかなわぬまでもチャレンジしてみるわ。あなたこそ気を付けて今度こそここを出るの、戻って来ては駄目よ」
 真剣な眼差しで念押しした。
「じゃあ、ジュンコさん」
 目と目で見つめ合って別れてきたのだ。
〈ジュンコさんに無茶をさせる前に、外と繋ぎを取ってゼーラを叩かなければ!〉
 ジャンヌは気持ちを急かせるばかりだった。
 病院着のジュンコといつか来てしみじみ振り返ったゼーラの町の外れで、ボストンバッグ一つ抱えたキンバリーが待っていた。
 一緒になるとすぐ背中に手を回してきた。
「言いつけ通り風呂に入って清めて来たんだな、いい香りだ。“そのシャボンの匂いを明日まで”取っておくんだぞ」
 何の意味か。後の半分は独特のしゃがれ声で、そんな言葉の一言一言にも虫酸が走る思いだったが、今日明日2日のことと思って耐えた。
 ポプラ並木の一本道をゲートに向かって歩いた。チェーンを外して鉄扉を開けた中を抜けて行った。町は遠のき、建物の一つもなかった。
 その中を、またゲートを一つ、そこを越えてからジャンヌは一度だけ振り返った。
 山襞をはっきり見せて迫るアンデスを背景としたゼーラの入口。この奥に悪魔の要塞があるなど、ここだけ見て誰が想像できようか。
〈でも、これが見納め!〉
 そう思うと、あれほど嫌だった地獄の居城にも不思議と感慨ひとしおだった。
 出口の一隅にぽつんと、ひと月前まではなかった監視所が設けられていた。これでますますゼーラの秘密性、“国家の中の国家”というイメージが強まった。
「おい、少しの間出ておれ」
 キンバリーが一人だけいる40歳代の監視人を追い出した。出て行く時、男はジャンヌに下卑た一瞥をくれるのを忘れなかった。
「ここはあんなのばかりだな」
 しけた顔の衛兵を吐き捨ててバッグを開けた。
「女っぷりを磨かなくてはな」
 そう言ってバッグから化粧道具を次々と取り出した。
 顔がぱりぱりと感じる化粧など嫌っていたジャンヌは今度こそは頑強に拒否したが、結局はまた負けた。というか魔女の機嫌を損ね、大事な目的まで遂げられないでは元も子もない。
「お前ならこんなこと必要ないのだがな」
 どうやら本気だった。化粧の「け」の字もイメージできぬ猛禽女が乳液や化粧水を使い、ファンデーションを塗ってパウダーを叩いた。
 そうしている間も、魔女の頭の中にあるモデルは一人しかいなかった。アイブロウペンシルで眉尻を書き、アイシャドウ付けして行くうち、キンバリーの顔色がみるみる変わった。
「驚いたな……!」
 驚愕という形容ぴったりの驚きぶりだった。
 しばらく見とれていたが、外でクラクションが鳴った。
「そうだ、急がねばな」
 ハッと気づきバタバタと化粧道具を仕舞った。
 車がゲートを抜けた。
 後ろを振り返る目にゼーラを囲む鉄柵が遠ざかる。鉄柵は囚人の脱出防止に高圧電流が流されているとのことだが、なんことはない、それではゼーラの住人自体が囚人と同じではないか。
〈あ!〉と思わず身を乗り出した。
 遠のく光景が定かでなくなる刹那、デリアが鞭を振って囚人を追い立てる姿が見えた。不思議なことに20人ほど並んだ囚着の主は皆年若い女子で、しかも全員目隠しさせられていた。
「バカなことを」
 キンバリーの叱責だった。
「誰が見ているとも分からぬのに。なんという大胆さか。堤防も蟻の一穴からとの喩えもある。帰ってから意見してやらねば」
 そう言って背中に手を回して前に向き直らせた。
「サンチャゴまでだから遠いぞ」
 そう教えられて内心ガックリ来た。ジャンヌにとっては目と鼻の先のパレルに行きたいのに、サンチャゴからでは大回りすぎた。
「なんだ、不服か?」
「いえ、せっかくならエルナンデスおじさんの家にも行きたかったので」
 もっともらしい理由で言いつくろったが、魔女は侮蔑もあらわに吐き捨てた。
「またエルナンデスか! あんな暗愚者のどこがいいのか」
 大好きな人のことだが、ここはじっと堪えた。
 ただ、それからの数時間が針の筵だった。
 息の届くそばからねばっこい視線で睨め回されることは、衣服を通して裸を蛇蝎に這い回られる心地と同じだったからだ。
 だから、サンチャゴのホテルに着いた時には歓喜のあまりに叫びたいくらいだった。
 寝る時がまた不安の種だったが、見当外れの時刻に外出の身支度、そしてこう言う。
「これから“大事な仕事”でな」
 人が寝静まる時に何の大事かとも思うが、そんなことはどうでもゼーラではないホテルの一室、キンバリーのいない夜の安息はジャンヌにとって天国としか言いようがなかった。
 その夜、ぐっすりと眠れた――いや、眠れるはずだったがそうはならなかった。
 死んだモニカの夢を見た。
 モニカは拷問の中で血まみれになり、同情顔のジャンヌを恨みがましく見つめながら、一言も言わず事切れたのだった。
〈モニカごめん、わたしだけゼーラから逃げ出すことになって!〉
 詫びながら、泣きながら目覚めたら汗びっしょりだった。キンバリーにいわれた風呂上がりのシャボンの匂いはそうして跡形もなくなった。
 ざまを見ろと思った。それだけがジャンヌにとって哀しい眠りが残した唯一の収穫だった。




デリア・リーベ


 愛しいマブ! 激情に駆られ、デリアは濃密な視線を投げた。
 そこにいるのは誰もが名無し男と信じて疑わない最愛の間男、マブのリヒターだった。エルンストではないのだ。
 デリアの内奥でモードが変化、いや、切り替わったとでも言うべきなのか、それをリヒターも阿吽で受け止めた。
〈して……〉
 デリアの眼が訴えかけ、半身を起こして手を延べた瞬間、男がいきなり思いっきり強烈な平手打ちをその頬に放った。
「あっ」
 と、再びベッドに身を沈めた仰向け姿勢のデリアの腹の上に素早く馬乗りになり、左手で相手の両手首を掴んで頭の上で組ませた。
 空いた右手が豊かな乳房を鷲づかみにする。
 荒々しく乳房を掬い、指と指のあいだに挟んだ乳首を潰れよとばかりに捻りあげた。
「あひぃッ」
 小さな悲鳴がデリアの口から漏れる。
「ふん、他人は拷問に掛けても、自分はやっぱり痛がるんだな」
「ああ……お願い、リーベ! して! してーっ!」
 リーベとは愛しい人という意味だ。
 その言葉に狂ったようにリヒターは長身を横たえて、大きく弾ませる豊かすぎる乳房を跳ね上げた。
 その大きな逞しい掌(たなごころ)にさえもなお納まりきらない肉球を激しく揉みしだき、乳首をむしゃぶる。
 唾液でヌラヌラと濡れ光る両乳首を、親指と人差し指とが捉えた。
 そこにだけ神経が集中するよう乳房の他の部分には触れないようにして、リヒターはその両乳首を激しく摘み、捻り、引きちぎらんばかりの責めを加えた。
 燃え狂うような乳首への呵責――。
 だしぬけにリヒターは乳房から手を離した。
 馬乗りになった男の逞しいペニスが、組み伏している女の腹の臍のあたりからまるで高射砲が狙いを定めるように裸電球の室内灯に向かってそそり勃った。
 再び乳首への刺激……そう、愛撫ではなく責め苦そのものの刺激が始まった。
「くぁ、く、くうぅぅー……」
 デリアが苦悶の呻きとも快感の喘ぎともつかない声を切なく絞り出し、〈もっと、もっと〉とせがむように背を反らせて胸を突き上げた。
 激情の律動とともに乳房が胸の上で揺れ動く。
 激しい指の呵責にうっすらと赤みを帯びた乳首に、リヒターが再びむしゃぶりついた。
 片方の乳首を、固く尖らせた舌先で転がしながら、もう片方の乳首は指で弾きながら愛撫を加えた。
 そうしてリヒターの空いた手がデリアの尻をなで回し、腰骨の頂を越して女の深淵に向かって滑り降り始めた。
 女が、デリアが、その手の動きに呼応して僅かに脚を拡げる。
 指が茂みに分け入った。器用にくねる指先が柔らかなラビアをパックリと左右に拡げた。そしてそのまま、スルリ、とデリアの体内に侵入してきた。
「あふぅッ」
 ひときわ大きな吐息。それを合図にリヒターがガバリと身体を起こしてデリアの脚の間へその体躯を移した。
 横たわった女の腹に垂れていた透明の粘液が、その動きに合わせてツゥ、と糸を引いた。
「さあ、入るよ、デリア」
 腰を引いて狙いを定める男に、突然デリアが跳ね起きて今度は男のほうを押し倒し、自分が馬乗りになった。
 そしてヒクヒクと脈打つ怒張したペニスを握りしめると、亀頭を口いっぱいに頬張った。
「う、あ」
 今度はリヒターの口から短い喘ぎが漏れる。
「入るのはもう少し後でいいんだねデリア・リーベ」
 恍惚とした口調でリヒターがもう一度熱く激しく愛の言葉を呟いた。
 一時の快楽におぼれるデリアの目が、鏡が反射する光線にピカピカと反応した。マブが器用に角度調節してリレーした鏡の最終部分に“暗愚のエルナンデス”が映った。
「電話受けてる」
「………!」
「あ、深刻な顔でうなずいてる。あの間抜け男のあんな顔しているところなんか見たのは初めて……」
 デリアの緊張が、その身体に密着したマブにも伝染した。
 起き上がってベッドを降り、そろそろと窓に近づく時にはリヒターも裸の身に衣服をまといはじめていた。
「支度してるわ」
 カーテンの隙間から階下を見下ろしながら、デリアが向かいの家のたった一人いる主のうろんな動きを、子細に伝え続けた。
「今、出た!」
 その言葉で振り返ると、愛しい筋肉男はすっかり身支度を調えて目の前に立っていた。そしてウインクを一つすると踵を返し、影のように部屋から出ていった。
 デリアが、またベッドに戻った。
 バタンと仰向けに寝転がると、満たされないまま済んだ不満が鬼火となってくすぶり出し、めらめらと炎上するところだった。
 指がラビアを押し分け、秘所をまさぐった。
「おおっ! もっと、強く突いてよ、焦れったいわね、何をためらってるのよ!」
 再び惑乱に炎上する脳裡に出てきたのは愛しいリヒターではなく、腹違いの歳の離れた妹ジャンヌだった。その小さな手が褐色の繊毛を掻き分けて淫乱の沼に暴れ狂っているのだった。




暗 戦


 ジャンヌはサンチャゴ中央駅から列車に乗った。行き先は首都から450キロ南の街コンセプシオン。そこにエルナンデスおじさんが親しくするペトロ神父の教会もある。
 戒厳令下での列車の旅ほど、何か企む者にとって危険なのは百も承知だったが、子どもはまた違った。今、目の前で居眠りしている小太りの初老紳士が今日のカモだった。
 10歳くらいの女の子のきょとんとした目が気になったが、この子連れに出遭わなかったらバカっぽいスケベ男をひっかけるつもりだった。
「家出だね。いけないなあ。おじさんも同じ方向だ、一緒に旅しながらいい方策を考えよう」
 いっぱしの教育者面が親戚の子か何かを預かり、退屈な時間つぶしに哀れみをかけた気でいやがる。最後はお定まりに説諭して別れるのが関の山で、それがかえって好都合だった。
 ただ、コンセプシオンまで一緒ではこっちが迷惑だった。
「列車の旅は初めてなの。少し見学するわ」
 そう言って一つ手前の駅で降りてしまった。
 ホームを離れる電車を見送りながら快哉を叫んだ。ただ、自分と同じ不幸なニオイのあの子にだけはちょっぴり罪の意識を感じた。
 機転を利かして降りてはみたものの、歩いて行ける一駅ではなく、ヒッチハイカーを装い親指を立てて太腿を強調したらすぐ止まった。
「コンセプシオンまでなら行くども……」
 長距離便のトラック野郎だった。
 しめしめ、今度も中年の木訥真面目人間……そう思ったのが大間違いだった。
「あんなとこまで車で送らせて、まさかタダなんて虫のいいことは考えてないだろうね」
 一瞬には金目当てと考え、「じゃあ、いくら?」とつい色目を使ったのが逆効果だったか。
「金なんかいらね。その身体っぷり、女っぷりなら秘密警察にでもチクればたんと恩賞をはずむだろ。捕まるのが嫌なら、その身体で……」
 横を向いて睨んだ目がエロになっていた。
 それからどれだけ走ったことか。コンセプシオンが目と鼻の近くに来たことを確かめ、渋々モーテルでの休憩を承諾した。
 こうなったら酔い潰そうと、男が持ち込んだ酒やらツマミやらを飲み屋のママよろしく振る舞ったら、機嫌良くこんな話をした。
「最近、サンチャゴ市内で若いオナゴ衆が武装グループにさらわれてるの知ってるか?」
 何の話かと思った。閉鎖的なゼーラでは外のことなど知るすべもない。
「昨日も大学の女子寮が黒服面集団に襲われ、17、8の娘ばかり15人もいなくなった」
 男は秘密警察に勤める親戚から聞いた情報、嘘ではないと強調したが、拉致された少女がノンポリばかりというのも眉唾だった。
 ところが話は一気に核心を突いた。
「襲撃から拘束、移送までの行動が実に水際立って、しかもリーダーは女。それがパジャマ姿で車に乗せられる娘らに、おい、シャボンの匂いがするな、明日までその匂いを……」
 皆まで聞かずゾッとした。瞬間、ジャンヌの脳裡に浮かんだ確かな顔は一人だけだった。
 男は自分の話に興奮したか、酒臭い息を吐きながらいよいよ本番行為に及ぼうとした。
「ケツに入れさせろや。カカアは痛がって一度もやらせてくれね。こんな機会にこそ……」
 安く見られたと思ってカッとなったが、
「だったらなおのことよ。ウンチもしてないし、それも済ませてお風呂で綺麗になって……」
 媚びた目で甘えかけ、バスに行くふりをしてそのままトンズラしてしまったのだ。
 モーテルを出てから沸々と怒りがよみがえった。気晴らしにゲームでもしたかったが、低所得者住宅がひしめく労働者街では無理か。
 だが、あるところにはあるものだ。
 バーンとドアを押して入ったビリヤードで、怒りにまかせた勢いから、まるでハリウッド映画の保安官にでもなった気分だった。
「おお、いかすスケじゃんかよ」
 玉突き台を囲んでいた5、6人の若者の目が一斉にジャンヌを見た。
 はにかむ顔。反対に挑発的な目。玉突き棒を肩に担いだ奴が早くも一発やりたい風だった。
 出し抜けに、あることに思い当たった。
 キンバリーに丸一日のヒマをもらい、サンチャゴを出て以来ずっと抱いていた疑問が黒雲のように頭の中を渦巻いた。
 列車で一緒だった偽善男と連れの子のジャンヌを見る異様な視線。さっきの一発野郎も最初から娼婦を見る目つきだった。
 とっさにトイレを探したのは、もちろん用を足すためなんかではない。
〈あの魔女は何故わたしの顔に驚いたの?〉
 今頃にもなって疑問はそこに集中し、矢も盾もたまらず走り込み、鏡を見てギョッとした。
「姉さん! 追って来たの!?」
 びっくりして振り返ったが、そこにはデリアもいなければ他の誰一人としていなかった。
 もう一度ゆっくり前に戻って凝然とした。
 鏡に映っているのは他ならぬ自分。化粧と髪型で瓜二つになったデリアと腹違いの姉妹のジャンヌという名の15歳がいるだけだった。
〈こんなにも似ている血の繋がらない他人って何なの!?〉
 ゼーラの狂気が姉を狂わせ、姉の狼藉三昧を見てきた自分までその狂気に……いや、元々この心に姉と同じ狂気が宿っていたということなのだ。そう思ったら全身の血が逆流した。
「ぎゃああーーーーっ!」
 キチガイのように叫ぶと手洗い水を両手ですくって顔にぶちまけ、鏡にもぶちまけ、すくってはぶちまけすくってはぶちまけした。
「な、なんだこいつは!?」
 びっくりして飛んできた若者たちが狂女を見る目で呆然とたたずんだ。
 その前を逃げるように駆け抜けた。
 走りながら駆けながら、自分に関わった女性たち全ての悲惨な最期が脳裡に渦巻いた。
〈疫病神どころか、わたしは悪魔なんだ!〉
 デリアが自分と重なった。いや、デリアもほんとうは自分であって、己が鬼畜心がもたらした罪業を否定すべく作り上げた幻影が、この仮の姿なのだ、と。
 ジャンヌは錯乱の真っただ中に叩き落とされた。妄想と狂気が入り交じった惑乱に取り憑かれ、爆発寸前となった時に鐘が鳴った。
〈ああ、神様!〉
 呆然と見上げた目が尖塔と鐘と壁に彫り込まれたマリア像とを見て行った。
 両手を握り締めて地面にぬかずいた。
〈こんな汚れたわたしでも貴女様の御元に召して戴けるのでしょうか〉
 無心に祈りを呟こうとした時、「マリア、マリア……」と、やさしくその名を呼ぶ声が聞こえて、また幻聴かと頭(かぶり)を振った。
 教会の前に数人の人影が――白人男性に混じって30代の黒人女性が、20代の多分メスティソである混血女性の手を握り締めていた。
「ほんとにマリアなのね」
「姉さんったら、幽霊じゃないわよ!」
 歳の離れた姉妹は嬉しそうに抱き合った。
 幸福感に満ちあふれた姉妹の再会場面は、デリアとのいびつな関係と思い合わせて自己嫌悪に陥っていた今のジャンヌには痛過ぎた。
 落ち込む心を白人3人のうちの一人、口髭男の笑顔に救われた。しおれた花が水を吸って精気を吹き返したように立ち上がった。
「ジャンヌ、どうしてまたこんな所に……」
「おじさんこそ、なんで?」
「バカだな、ここはペトロさんの教会だぞ」
 その言葉でジャンヌは我に返った。もう一人は知らないがあとの白人男性はペトロ神父だ。
 黒人女性が自己紹介した。
「パオラよ。彼女は妹マリア。そしてこの子はジュネ、遊び相手になってもらおうと貴女の噂してたとこ……さあ、ジャンヌ姉さんよ」
 言うが早いか、ジュネはさっきから待っていた友を迎えたように駆け寄って抱きついた。
「ジュネだって? ジャンヌとジュネなら名前もそっくりだし、わたしたち親戚みたいだね」
 また同じ不幸のニオイを嗅ぎ取って、ジャンヌは孤児の手を引いて大人たちから離れた。
 二人きりになってジュネがぽつんと呟いた。
「僕、一人ぽっちなんだよ」
 その言葉をジャンヌが暖かくはじき返した。
「この世に一人きりの子なんかいるもんか。わたしにだってあのエルナンデスおじさんがいるし、君にも今からわたしという友達がいるんだし……ねえ、友達になってくれるわよね?」
 そう言って頭を撫でたら笑い返した。そんな2人を離れた所からパオラが見守った。
「ジャンヌ、来てくれ」
 エルナンデスがいつになく真剣な顔で呼んだ。
「じゃあ、みんな中へ」
 神父が招じ、教会の古びた木造の玄関をくぐると意外に広い礼拝堂へと案内された。平日の午後とあって、通路の左右に数列ずつ備えられた木製ベンチはどれも閑散としていた。
 パタンと前方祭壇の横のドアが開いて、若いシスターがペトロ以下全員を中へ誘った。
 後ろでドアの閉まる音。
 パオラが早速に、しかし遠慮がちに訊いた。
「ゼーラにいるドイツ人のこと。子どもであるあなたになら気を許して話しているのかと思ってね。大事なことなのよ。あそこでは秘密警察の分所的役割の他、何かとても乱暴な……」
 言葉を選んで訊く姉に反して妹は急いた。
「ねえ、日本人の女性がいるでしょ!? 惨い目に遭っているんじゃないの? 拷問とか……」
 短兵急に、またあからさまに直接的な質問にジャンヌは面食らった。
「ジュンコさんなら無事です。いえ、相当折檻されてますが意志の強さで持ちこたえてます。ただゼーラの実態は……ゼーラのことはよくは分からないんです。わたし子どもだし……」
 マリアの安心したような落胆したような微妙な顔。エルナンデスおじさんはもっと複雑な表情で、しかし慈愛に満ちた目が慰めた。
〈ゼーラの実態を闇に葬ってもいいのか!〉
 ジャンヌは罪の意識に深く煩悶した。
 話すべきだ、そのために来たのだ。
 だが、勇気に一歩届かない。逃げるように目を落とした所にジュネの無心の笑顔があった。
〈そうだ、あれを……!〉と思い出した時、別のシスターが入って来た。
「神父さん、秘密警察が外に……」
 とっさにもう一人の白人――ギャング映画に出てくるような苦み走った顔が反応した。
 ジャンヌが愕然と肩を落とした。
「また、わたしが災難を招いて……」
 なぜか、それを即座にヤンキー男が否定した。
「違う、君じゃない、おじさんなんだ。抵抗戦士ジェームス・リッチは、今や全チリ指名手配のお尋ね者、ちょっとした有名人なんだよ」
 なぜにか、そうおどけてジャンヌを安心させ、また豹のように精悍な目を神父に向けた。
「この教会に抜け道は?」
「すぐ外の民家と民家の隙間づたいに繋がって……」
 パオラが機敏に応じた。
「車を回します、エルナンデスさん誘導を」
「分かりました……さ、ジャンヌ!」
 ゼーラでは愚鈍で通しているエルナンデスがここではまるで見違えた。ジュネの手を引いたジャンヌは惚れ惚れする思いで後に続いた。
 数分後――教会と並んで建つ民家と民家の軒下の隙間づたいに通り抜けたところにパオラの腹心、イレーネの運転する車が滑り込んだ。2人とも今日は軍服を脱いだ私服である。
 別に1台。運転手はイレーネとは発音違いスペル違いで同名のエレーナ。こっちにはまだマリアだけで、ドアを開けたままでいると、
「先に行って、子たちをホテルに送るから」
「俺もだ。丸腰では行かせられない」
 リッチがエレーナに代わって運転席に着いた。
 後部席のエルナンデスが2人の子を迎えた。
 姉妹が短く別れを交わし、2台の車は別々の方角に向けて走り出した。
「どこなんだろう?」と訊くリッチに、ジャンヌが「ホテル・コンチネンタル!」と答えた。
 顔を見合わせる2人にエルナンデスが笑って応じた。
「まさか“暗愚のエルナンデス”がホテル・コンチネンタルの客とは思わないでしょ」
「そういうことか」とリッチもパオラも納得した。
 目的地まで数分――車窓から警戒の目を光らせる男と女。これがベトナム戦争に服役した元英雄と、今や抵抗運動真っ直中の現役チリ軍兵士だなんて誰が想像するだろう。
 やがてホテル・コンチネンタルの文字を打ち付けた白亜の豪華2階建てビルの、意外に広々とした車止めに走り込んだ。
 エルナンデスがドアボーイを呼んだ。
「予約した者ですが」と話している間も、リッチが油断なく周囲に目を配った。
 玄関を抜けると、ジャンヌの手を放れたジュネが一目散に走り出した。2階を指差すエルナンデスを追い抜いたものの、中2階の踊り場に置かれた大理石像に目を丸くした。
「こんなところに立派なヘラクレスが……」
 パオラが感心し、リッチも剣闘士像の重厚さに一時目を奪われた。エルナンデスは踊り場から先を進み、ジャンヌとジュネが後を追った。
 何気なく下を見たリッチが殺気を感じた。ホテル玄関脇にキラッと光るものが――
「パオラ、みんなも」
 左手で注意を促し、右手は早くも拳銃を握った。銃口の向こうに国家警察隊カラビネーロス兵士の姿をはっきりと認めた。
 一呼吸の後に銃声が轟いた。車のバックファイアに似て乾いた感じの激しい銃撃音だ。
 ほぼ同時に下からの応射を浴びて壁片が飛び散った。陰になる壁にへばり付きながら銃口だけ下に向けてメクラ撃ちするリッチ。銃声が乱れ飛び、早くも硝煙が鼻を突いた。
 突然ジュネの火のような叫び――床に伏せたパオラが心を動かされながらその姿を見詰めた。
「どうした!?」
「この子の両親はレジスタンスと軍の銃撃戦の巻き添えで、この子を庇ったまま流れ弾で蜂の巣のように……それを思い出したんだわ!」
 ジャンヌが怒りも露わな顔を上げた。
「しっかり捕まって!」
 そう言ってジュネの両手を自分の首にかけさせ、前抱きにして一気に階段を駆け上がった。上でエルナンデスが子たちを抱き留めた。
「子どもを部屋に!」とリッチが叫んだ。
 階段踊り場はたちまち修羅場と化した。
 敵の人数が増えた。防弾盾も見える。一歩退いたリッチがヘラクレス像に気づき、それを遮蔽物にして攻撃に精度が加わった。防弾盾がひるんで兵士も階段手前で一進一退となった。
「リッチさん、後ろ!」
 パオラが踊り場の窓ガラスを通して見える外からの新手に気づいて注意をうながした。
 拳銃に新しい弾倉を装填するリッチが、
「パオラ。何をしている!」
「人を撃ったことがないのよぉー」と泣きついたものの「ままよ!」と突進、窓際にへばり付くまでに3発応射していた。
 エルナンデスが戻った。
「予備の銃はありませんか。わたしも……」
「君はいかん。部屋に戻って子どもらを護れ!」
 リッチに追い返されたものの階段を上りかけて反転、また駆け戻るしかなかった。
「ダメです、上にも手が回った!」
 指差す階段の上にも防弾盾が迫り、銃口が向けられた。絶対絶命というその時――
 ドーンと外で爆発音が響き、濛々たる白煙。
「レジスタンス仲間が救出に?」
「そんなはずはない!」
 男たちが呆っ気に取られる間にも階段の下では防弾盾も引っ込み、兵士の姿も潮が引くように見えなくなった。
 2階からの射撃が始まり、リッチがエルナンデスを手伝わせて大理石像を倒し、そこに隠れて猛射を浴びせ、パオラを迎えて決断を下した。
「降りよう。だが薬莢に足を取られるな!」
 厳しく注意をうながして先頭を切った。
 泣く泣く子どもたちを見捨てる以外活路を見いだせず、銃撃戦後の惨憺たる足下に目を配りながら3人は必死で階段を駆け下りたのだった。

 ジャンヌとジュネが取り残された部屋ではデリアの高笑いが響いた。
 思わずジュネを抱き寄せる弟を冷たく見下し、
「モニカの代わりがチンポの毛も生えそろわないガキか。母親が淫売なら血は争えないな」
「だから秘密警察に密告したのか!」
「まあまあ」と仲裁するキンバリーにもそっぽを向き、憤然と踵を返した。
「ゼーラに戻る!」
 そのまま出て行ったデリアと入れ代わりにガスパール・ルイス少佐が入ってきた。
「攻撃を仕掛けてきた勢力は依然不明です」
 ガスの報告に魔女はまなじりを吊り上げた。
「こいつが裏切るとは思わなかった。デリアの注進でエルナンデスに目を付け、コンセプシオンの警察と連携して網を張らねば、こやつまでみすみす取り逃がすところであったわ」
 そう言って頭から爪先まで、服の上から舐めるように見ながら嗜虐の笑みを浮かべるキンバリーにジャンヌは観念した。
「覚悟はとっくに。でもこの子の前では……」
 恥ずかしそうにパンツのボタンを外した。
「部屋をもう一つ取れ」
 キンバリーが警察指揮官に命じた。そして出て行こうとする背中にジャンヌが――
「おじさんがここに居残るの? そしてイヤらしいことするのね。うふ、そんな顔してるわ」
 かねてその志向のガスは面食らった。
 ジャンヌにしてみれば、昨日のゼーラ入口での監視所番人と魔女のやりとりに倣ったつもりが、偶然ガスの弱みを突いた形となった。
「天下の二枚目ガスも形無しだな。ここは諦め、お前も出ろ。その代わりあとでたっぷり出番を作ってやる。それまでは見張りに徹しろ」
 そう言って先にガスを、続いて悠然たる足取りでキンバリーも出て行った。
〈今だ!〉とジャンヌが勢い込んだ。
 ジュネを流しに引っ張って行ってゴミ容れの開閉蓋を開けた。
「ダストシュート、これを抜けて逃げて。エルナンデスさんと来た時ふざけて試したけど、わたしは無理。でも君なら大丈夫のはず!」
 寸刻を争う危機から、躊躇するジュネを抱き上げ、強引に押し込んだ。
「こうやって両手を広げ加減に、あとは下がホテルの裏だから兵隊もいないはずよ!」
 あるだけの金を渡した後、脱ぎかけのパンツの裏地の縫い込みをぶち切り、そこから封書を取り出しジュネのズボンに押し込んだ。
「ホテルを出たらパオラさんにこれを……絶対に無くしてはダメよ!」
「お、お姉さんは……」
 躊躇も質問も無視され、ダストケースの扉を勢いよく閉じられ、小さな戦士はジャンヌからジュネに受け継がれた。

 真っ暗な中でジュネは進むしかなかった。
 死ぬのは怖くなかったが、死より大事な役目がある。教えられた通り身体をこすらせこすらせ、やっと下まで降りた。
 無事着地した所に外から射す光――ほっと息つく間もなくホテル裏手の路地を走りに走った。
 人気のない通りを選んで無我夢中でどこまで走ったろう。ジュネの果敢で孤独な戦いは、だが、ほんの一時で済むことになった。
〈あっ〉と気づいた所にエレーナの車、後続するイレーネの車にはパオラやリッチらの顔も、瞬く間に抱き留められ2台の車は疾走した。
「やはりあの子は無理だったか」
 後部席の窓から無心にこちらを見るジュネには安堵しつつ、ジャンヌを思ってガックリと肩を落とすエルナンデス。リッチが励ました。
「まだ何か必ず逆転のチャンスがあるはずだ」
「しかし“援軍”は何者でしょう」とパオラ。
「血眼でゼーラを追っているのがアメリカの特殊機関とばかりはいえまいよ。ゼーラの犠牲者にはユダヤ人も多数含まれるのだろ?」
「え? まさか!?」と血相変えた。
「その“まさか”なら逆転の余地ありだ」
 そしてすぐ前に見えるさっきまでの小さな戦士ジュネ。そのポケットに強力な“隠し弾”のあることを、まだ彼らのうちの誰も知らない。




黄金飛沫


 半日時間をさかのぼるゼーラの純子――。
〈キンバリーは姑息で残虐な魔女……そんなのと一緒でジャンヌは大丈夫だろうか〉
 昨日の朝、元気な顔を見せたジャンヌの安否がにわかに気になりだした。
 おそらくは車での遠出だろうが車中や途中でのキンバリーの所業が心配され、虐殺スタジアムから場所はどこか不明のままの“キンバリー要塞”に移送された時のことを思い出した。
〈途中、軍の施設で陰湿で執拗な“秘所あらため”を受けたのだった〉
 あの折のキンバリーの指なぶり、アナル虐めを思い出すだに身体の奥がじんじんしてくる。
 それにしても、と思う。
 納屋に厳重な閂(かんぬき)を付けただけの仮設監房にちょうど1週間。「ゼーラの一員になれ」といわれ、突っぱねた結果がこの仕打ちだったが、それにしてもバカにしたものだ。
 ベッドが一つ、大小便兼用の大きな瓶(かめ)が一つ。今日になってまだ用便は一度もしてないから悪臭はそれほどでないものの、これでは奴隷部屋と一つも変わりない。
 しかし、その雑さ加減が純子に幸いした。
 おそらく下を水道管でも通って、それが破損して地下水が漏れているのではないか。ベッドの陰になるところの土壁が、下から50センチ以上も腐食してボロボロなのだ。
 大学を出てすぐの頃、親に反発して仕送りを止められ、日の当たらない安下宿の1階に暮らしたことがあった。その時に水道管の破損でおぞけを震う場面に出くわした。
 水道の蛇口からミミズが這い出し、壁は下から広い範囲にわたり腐食し、水道屋が来てちょっと叩いたらガサッと崩れ、ミミズやらゴキブリやらがウジャウジャしていたものだ。
 この納屋を改造した監禁部屋の、今の壁の腐食状態がそのまま同じだった。
〈ひょっとしたら脱出出来る!〉
 そう直感してジャンヌに確かめてもらったのだった。
 罠だとは微塵も疑わなかった。そんな手のこんだ罠はないし、腐食を発見した時、天啓に似た直感が身体を一本貫いたのだった。運を天にという思いが沸々と全身に漲ったのだった。
 足音が近づいた。
 いよいよ来たかと思った。ひょっとしたら脱出の機会はなくなったかとも感じた。ちょうど1週間という時間の暗合が、今度こそは殺されるのかもという不安を掻き立てもしたからだ。
 B地区サブリーダーのゲットナーが閂をこじった後、ガタガタいわせて建て付けの悪い板戸を開けた。
 元の患者着姿のままで外へ出された。
 11月は、見上げる空に南米の秋深い季節の太陽がまぶしかった。もうすぐ日本の気候にして暑い夏であるチリの冬に入るという時期。
 病院裏手の一角はこんもりとした森だった。あそこに入れられに来る途中、教練合宿所という立て札を見た気がしたが、どうやら今日は別の道をたどっているようでそれはなかった。
〈どこか外に通ずる道はない?〉
 それとなくあたりに目を利かせた。
〈とっさに身を隠せる場所はないかしら〉
 漫然と付いて行っているようでいて、その実、全神経を集中して観察眼を働かせた。
 森がだんだん開けていき、ちょっとした庭を有するある建物の前に来た。
 バンガロー風の2階建てで、数段ある玄関部分の突き出しと合わせた二層の三角屋根だが、2階は途中で切れて、切れた向こうに残りの三角部分が見えるという洒落た構造だった。
 名前があった。玄関の扉と屋根の中間にゴチック文字でレリーフされている。
 “ジーク・ホイゼ”
 ホイゼは英語のハウス。直訳すれば勝利(ジーク)の家だが、教祖の名がジークベルトであることを考え合わせれば“ジークの家”あるいは“帝王の家”とでも訳せるだろうか。
 建物の花壇の横に大きな穴。さらにその脇の方に見えるのは拷問台だろうか。
 玄関の扉が勢い良く開いて、エルンストが出てきた。今日に限ってはシルバーブロンドのデリアも片割れの筋肉男も見あたらなかった。
「さあ、ジュンコ」
 エルンストが顎をしゃくり、ゲットナーのたくましい手が純子の肩にかかるやいなや、一枚きりの囚着が一気に剥ぎ取られた。
 熟した女っぷりの素裸の体を、2人の男の欲望に憑かれた目がたっぷりと舐め回した。
「教祖様の多趣味にも感心するな。年端もいかないガキを所望すると思えば、こういう大人の女にも旺盛な執着心をそそられる」
 ゲットナーの呆れたような感心したようなセリフをエルンストがたしなめた。
「滅多なこと言うでないぞ。教祖様が所望と思わば、我々はそのリアルドールをこだわりをもった特別メニューで磨き上げねばならぬのだ」
 「さあ」と、目配せ一つで穴のそばの台へと向かわされた。
 やはり開脚椅子型の拷問台だ。それに自分から登ると、即座に手脚の拘束を受けた。
 ゲットナーが小さな瓶を手渡し、エルンストが肛門を真正面にさらけだした純子の股の正面に屈み込み、瓶からとろりとしたローションを指で掬っていきなり肛穴に深々と突き刺した。
「あふぅッ」
 直腸に粘液が擦り込まれていくうっとり感に、思わず知らず洩らした吐息。もう一度、さらにもう一度、ローション液が肛門から溢れ出すまで、何度も何度も入念に注入された。
 微妙な腹痛を感じる。下痢便の予感がした。
「準備できたかい?」とゲットナー。
「これで指を拭け」
 手渡したタオルでエルンストが指をぬぐった。
 直径2センチほどのゴムホースの先端には、金属製のタケノコ管が装着されている。
 エルンストが再び股間にしゃがみ込み、嘴管を純子の肛門にあてがう。左右に捻りながらゆっくりと腸の中へ挿入していった。
 管の一段太くなった部分が肛門を通りすぎて腸の中へ納まり、引き抜かれない限り自然に抜けることはなくなった。
「ぁぁぁぁ……あふぅ」
 苦しさと快感と、そして恥辱とが複雑に入り組んだ吐息が漏れた。
 これから何をされるのか、もうはっきりと分かっていた。ある意味、電気を流される方がマシかもしれないと思った。
 “浣腸”――日本にいた頃、学生時代の悪友のアパートで隠微な8ミリフィルムで見たことがある。浣腸プレイ。でも、あれはブルーフィルムの作り物だった。
 突然、身震いするような疑問が閃いた。何しろ相手が相手……
〈どれくらいの量をわたしのお腹に入れるつもりなの?〉
 目がゴムホースの行方を追った。
〈ウソ! あれを全部入れるつもり? お腹が破裂して……いいえ、口から出てきてしまう!〉
 ゴムホースの先端は半透明のポリタンクに入っている。途中、電動ポンプとおぼしき機械が取り付けられ、タンクの中には黄色味がかった液体が並々と満たされているのだった。
「さぁ、ジュンコ。今日からは教組様にお目通りするたび、その前にここへ来て、この“特製の浣腸液”で外だけではなく、お腹の中も綺麗にしないとね」
 優男のエルンストが、ここでは残虐心をおくびにも出さず語りかけた。
 耐え難いはずのこの屈辱がかえって被虐の欲求を刺激し、半ば諦めの心境で全身の緊張を解き、拷問台の上で一瞬恍惚となった純子の耳に信じがたい会話が聞こえてきた。
 まずゲットナーの声で、
「ところで、エルンスト、この浣腸液の成分は何なんだ?」
 その後、「クククク」
 不気味な含み笑いが耳に届く。そして続けた。
「小便さ。診療所の男子便所の尿溜め壺から汲んできた小便にグリセリンをブレンドしたんだよ」
 そうしてまた笑い声を響かせた。
 恍惚感など微塵に消し飛んだ。
「い、イヤァッッ!!!」
 ポンプが起動され、ブウン、という音と共にホースが踊った。肛門に迫るホースの踊りを純子が恐る恐るといった目で追っていく。
「あぐっ!」
 短い悲鳴。堰を切って体内にほとばしり流れ込む忌まわしい浣腸液。大腸に流れ込むなまぬるい液体の奔流を実感する。
「うぐうぅー、うぐううー」
 絶望的な嗚咽を漏らしながら、大腸が次第にその浣腸液で満たされ、パンパンに膨れ上がっていくのを感じる。
「ヒグウゥゥゥー」
 大腸を満たした液体はさらに純子の小腸への侵略を開始した。押し流された便が小腸へと逆流、純子の内臓は猛然と抵抗を始めた。
 猛烈な下痢痛と恐るべき排便感。しかし肛門に突き立ったノズルは抜けるべくもない。
「グエッ、グェェーッ!」
 腹のところどころが、そう、不特定多数の男たちの小便に満たされて張っていく腸の形をなぞるように醜く膨れ出して、絞り出すような嗚咽が始まった。
「アガァァーアアー!!」
 まるでスローモーションの映画を見るようにゆっくりと、しかし確実に下腹が妊婦のように膨れていく。ついに臍が飛び出すほどにまで風船のように腫れ上がる腹。
 臨月かと思わせるような腹になるまでの長い長い拷刻が過ぎて、やっとポンプが停止された。
「ジュンコ、君は出産経験がないんだったよね、可哀想に。でもこうやって、ホラ、妊娠してるみたいだ。素敵だよ、ジュンコ」
 彫刻男が、裡に秘めた悪魔性をたばかる表向き二枚目の言葉で、遠く聞こえる木霊のように囁いた。排泄を強要される行為がこれほど汚辱と苦痛にまみれたものとは知らなかった。
「ギエエーッ! グルジイー。グルジイデスうぅぅぅー。オネガイー、抜いて! 抜いて出させてェェェーッ……!」
 拷問台の上で南米の陽光を全身に浴びながら、汗ばむと同時に苦悶の鳥肌を立てた全身が複雑な光の反射を見せてキラキラ輝いた。
 2人の会話がなお一層遠い世界からのエコーのようにかすかに脳裏に入り込む。
「しばらくこのままでいいよ。腸壁にこびりついた便も完全に落とさないとね」
「どれくらい置いとけばいいのか……」
「5分か、10分くらいかな? しばらく見てようよ」
 1秒が1分にも、そして1分は1時間にも感じられる。
 お腹が痛い! 死んでしまう!
 燦々とした太陽を仰ぎ見ても癒されぬ内臓を襲う拷苦に苛まれながら、永遠かと感じる時間の中で、次第に純子の身体からは血の気が引き手脚に痙攣が始まった。
 南米の朝陽がその照らす角度を変えたとはっきりわかるころになって、ようやく救いの言葉を朧気に聞き分けることができた。
「そろそろいいかも。抜くぞ」
 エルンストが純子の傍らに立ち、排出物を被らぬよう注意深くノズルを掴んで一気に引き抜いた。
 ドバッ! 
 黄色いモラモラが混ざった液体が地面の穴に向かって迸った。辺り一面、溜めに溜めた糞便の耐えがたい異臭。しかもそれは複数の他人の尿で攪拌された自分の軟溶便という恥辱。
 ブブブブー、ブビィッ。ブビィッ、ブスゥゥゥー……
 まるで終わりがないかと思われるほど、その奔流は純子の体内から、肛門から吐き出され続けた。幾たびか不規則な排出音をさせ続け、やがて徐々に勢いを弱めた。
 ブスッ、ビチビチ。ブビィィ……
 最後には情けない音とともに噴出は終わりを告げた。
 穴の中の土の上で、モラモラとした液体が湯気を立てながら泡立っていた。
「ハア、ハア……はぁー、はぁー……」
 涙目の純子が、憤怒と屈辱、汚臭に鼻をつまみたい思いまで入り混じった表情をエルンストとゲットナーに向けた。
 まず、地区担当者から傲然として訓告が下された。
「これで朝の儀式は終わり。これからは毎日、こうしてまず身体の中を綺麗にしてからだ。その順序をとくと覚えておけよ」
「………」
 代わってエルンストは、いつかの秘密基地で見せた鬼畜惨殺処刑人の顔になっていた。
「さあ、ぐずぐずするな」
 尻を叩かれ、背中を小突かれして、目の前にそびえる帝王の居城へと向かわされた。




ジーク・ホイゼ


 いよいよだ。ジーク(教祖)の居城(ホイゼ)にどんな運命が待っているのか――
 数段ある階段を上って建物の中に入った。
 玄関は狭く、すぐ前が部屋の入り口だ。
「自分から開けろ」
 促されてドアを開けかける、と、ピアノの調べが流れた。恐る恐るなおも開けたところで音楽が「わーん」と耳に付いた。
 曲がショパンのポロネーズであることも、それがレコードから流れていることも、次に感じた部屋の異様さによって消し飛んだ。
 天井が半分から先吹き抜けになっていた。その一隅に4つの鉄柱、どうやらレールのようで、その4辺の長さは1メートル超だった。
 裸の身は後ろから急っつかれて進むしかない。
 吹き抜け部分の視界が開け、4つの支柱がそのまま上に延びているのも分かった。2階部分の高さまで見えたところで異様さが際だった。
〈あれは……!?〉
 裸の女が目隠しされ、逆さに吊られていた。肌の艶やかさから10代に見える若さだった。上半身がひしゃげて、頭ごと4つの支柱の延長線上にもたれかかっているという感じだ。
 支柱は昇降機の一部だった。
 台座とクレーンに吊られた天井を結ぶ壁部分がわずかなことから、床の上に乗ってるのが車椅子であることも下から見えていた。
「あっ!」と驚いたのはその有様だった。
 足が出かかり、即座に止められた。
「それ以上前に行くな!」
 ゲットナーの制止は何かを懼れるあまりの響きを持ってきつく感じられた。
 そこからでも分かる。女の頭部が教祖の股間にあり、ガイコツの手で押さえられた顔が無理矢理奉仕させられていることは。ただ、車椅子が横向きで決定的な部分が見えないだけだ。
 ぴちゃぴちゃぴちゃという水音――。
 薄目を開けて宙点を見詰め、皺だらけの顔が陶然としている。その口から吐息のような、呻きのような声が洩れ、それだけでさえおぞましい。それ以上の何を見たいものか。
 打ち捨てる幻影の後から別の幻影が――
〈わたしもあの彼女のように……!〉
 ゾッとした。あまりの嫌悪感に鳥肌が立った。
 それだけはなんとしてもゴメンだった。キンバリーに、ここゼーラでさえ惨たらしい責め苦にかけられ、それでも思わなかった死にたいという願望に初めて衝き動かされた瞬間だった。
「ひえーぃ」
 と素っ頓狂な声。声は教祖の絶頂顔から出た。欲望を噴出した瞬間のソレと察せられた。
 また背中をつつかれた。
 また天井のある部屋に戻らされ、階段を歩かされた。途中、エルンストが年代物蓄音機のスイッチを切ってポロネーズはぴたりと止んだ。
 階段を一歩一歩上がる。
 死刑囚が上るという13階段を思い出した。
 上がりきった部屋は小ホールのようだった。
 それが吹き抜けに面しては桟敷席を有し、回廊ようのそこには片側にいくつか別の部屋が並び、吹き抜け部分にまで突き出した桟敷席は今は吊り責めショーの観覧席としてあった。
 そして吊り責め全裸女性の背景の壁に埋め込まれた2台のビデオモニターが……それらの異様さに憑かれて見入っていると、
「おージュンコ!」
 教祖ジークベルトはすっかり満足した顔で、手を挙げて機嫌良く挨拶した。
 ウィーンとクレーンの音がして、女を吊ったチェーンが目の前で下方移動していく。代わりに自分が吊される――そう思った純子の不安は間もなく打ち消されることになる。
 チェーンは上がって来なかった。
 下を見下ろしたゲットナーとエルンストが、作業の完了を見届けて教祖と向き合った。
 ひそひそ話がここまで聞こえてきた。
「他の女たちはどうした」
 ゲットナーは、あくまで神妙に「すべて手はず通りです」と答えた。
「奴らにはゼーラであること、決して気取らせるなよ」
 教祖は固く念押しした。
 エルンストはどうにも解せない風に首を傾げ、正直に疑問を口にした。
「いずれ女たちを帰すとはほんとですか? また、なにゆえにそのような……?」
「奴らには“ゼーラの美学”をたっぷり刻んでな、千年王国確立の暁には、あの女らの肌と肉の刻印が証明するのだ。それまでは謎のまま語り継がせねばならぬ、殺しては元も子もない」
 そう言って不気味な含み笑いを純子の方にまで届かせた。
 純子はゾッとした。聞いてはならぬことを聞いたと思った。これによって彼らが自分を生きて帰すことはないと確信するに至った。
 そんな気配はおくびにも出さず、また好々爺然とした顔が純子に向いた。
 そして今日という日はよほど機嫌が良いらしく、自力で車椅子を漕いで昇降機から桟敷である2階部分の床に移動してきた。
 その時に足音が上がってきた。
「デリアだな」
 耳もまだ健在らしく老人は音で聞き分けた。
 案の定、言い当てられた主がシルバーブロンドの髪をなびかせて近づいた。
「何があった?」
 老人の勘は鋭く何事か察したが、「まあ良い」とここでは質さなかった。“遊びの時間”にそれ以外の雑事は耳にしたくないのだった。
 代わりに他のことを訊いた。
「ヤツはどうした?」
「調教が済んだのでとりあえずわたしが――」
「よし」
 頷く顔から異様に不気味な笑みがこぼれた。
〈ジャンヌが捕まった!〉
 純子はまったく出し抜けに、何の根拠もなくそう確信し、そのとたん、全身から力が抜けた。
「さあ、今度はおまえに愉しませてもらうよ」
 老人の蛇のような目が、純子の熟れきった女の肌を頭から爪先まで舐め回した。




妖 虫


 老人が手元の呼び鈴を押し、回廊脇に並ぶ部屋の一つからエルンストとゲットナーが姿を見せた。大きな鉄製の長方形の水槽を、ガラガラと手押し台車に載せて重そうに運んできた。
 長手方向はゆうに2メートルもあるが、高さは50センチほどしかない。浴槽にしては少し深さが足りない容れ物だった。
 大きな水槽を載せた手押し車が教祖のそばに運ばれて車輪にロックが掛けられた。台車に載せてあった小振りの保冷箱ようのものが、うやうやしく脇の椅子の上に置かれた。
 空に見えた中には5センチほどの高さに水が――しかも汚れた水が張ってあった。
〈なんの仕掛け?〉
 一瞬には訝った。
 いきなりゲットナー、エルンストに抱き上げられた。汚水の気持ち悪さをたっぷり感じさせられ、「ううっ」と呻きながら仰向け姿勢で水槽に漬けられた。
 両手首を頭の上で組まされ枷をはめられた。頑丈そうなリングで鉄水槽の内側に溶接されているフックに引っ掛けられ、固定された。
 「お産ポーズ」ほどではないにせよ、両脚も股を目一杯開脚した状態で、膝と足首部分が左右側壁のフックに枷で固定されていった。
 水は泥臭い上、不快な生ぬるさである。
 純子は思わず、ブルルッと身体を震わせた。
 自分の体積により当然水位も上がった。ちょうど肛門を水面下すれすれで浸すくらいまで上がっている。下手に身体を捩ると膣まで浸かってしまう。それだけはイヤだった。
 2人の手下はそれだけの準備を終えて部屋から出て行った。
 また、この不気味な年寄りと2人きりだ。別の予感からも純子の心臓は早鐘を打った。
 水槽ということで「まさか!」の不安。
〈このまま水を張られて溺れ殺される!〉
 だが、その直感は見事にはぐらかされた。
 教祖はさっき見た保冷箱風のケースを開き、直径30センチほどの大きな円筒形のプラスチック製ビーカーを取りだした。
〈なんだろう?〉と、じっと目を凝らして眺めた。
 その純子の視線に呼応するように、老人は半ば震える手で半透明の容器を純子の目の前に持ってきた。
〈え? なに、これ?〉
 透き通った容器の中に細長い三角錐の形をした、ミミズが変形した格好の生物が1匹、2匹、3匹……いや、少なくとも10匹かそれ以上は蠢いていた。
 体環をヒクヒクと伸び縮みさせながら容器一杯に重なり合い、絡み合ってのたうっている。 1匹が上方に向かってグウンとその躰を伸ばし、虚空をまさぐったかと思うや、シュッと縮こまった。
「ほうれ、よく見ろ。これはこのあたりの沼地に生息する世にもめずらしいヒルでな。女の敏感な部分を本能で嗅ぎ分け、そこにだけ食いついて血を吸うのじゃよ」
「………!」
「こいつらに食い付かれるとな、それはもう何とも言えん痛痒さを感じるらしゅうてのぉ」
 老人はさも愉快そうに口元を震わした。
 ヒルですって!? 確かにヒルだわ。日本にもいるヒル。でもこんな大きさのは初めて。なんていう大きさなのかしら。いちばん縮んでいても10センチ近くある。伸びると、20センチ!?
 その妖虫たちは褐色の体環に幾筋もの黒っぽい縞模様を飾り、不気味に伸び縮みを繰り返しながら吸盤の口唇部で獲物をまさぐるよう、吸い付く相手を求めて蠢いているのである。
「ひゃひゃひゃひゃ」
 ゾッとするような笑いをあげた老人が、長柄の銀色のトングを使って容器から最初の1匹を掴みだした。掴まれたそいつは、キュッと躰を縮め、ボールのように丸くなった。
 ポチャン……
 股間の水中に落とされ、
「ヒッ」
 純子は短い悲鳴を上げた。必死で首をもたげて、水中から襲い来るその“虫”というには巨大すぎるクリーチャーの動きを見逃すまいと濁った水面を凝視した。
 音もなく滑らかに、まるで水面から滑り出てくるかのように唐突にその象の鼻のミニチュアは現れ、そして正確に純子の陰核の包皮にピタリと吸い付いた。
 次の瞬間、またそいつはキュッと躯を縮め、全身で純子の陰部に這い上がる形になった。ヌメヌメした太マジックペンほどのヒルが小陰唇の間にピッタリとはまって吸い付くのだった。
〈き、来た。ううっ……!〉
 巨大ヒルの口唇の中にある鋭い歯が純子の陰核の薄い粘膜を貫いた時、天然麻酔薬であるおぞましい虫の体液が注入され、即効性の麻酔液を打たれたその部分の感覚が鈍化する。
 思わず叫んでしまった。
「うひぃぃぃぃー!」
 あまりの気持ち悪さの嫌悪感に一時は卒倒し、次には下を向いて目を凝らした。自分の股間の、性器の割れ目に沿って不気味な大ミミズが張り付いているのがそこからでも見える。
「ふひょひょひょひょー」
 教祖が再び耳障りな笑い声を立ててお祭り気分だった。
「ほうれ、さっそく核を探り当ておった。ほうれ、ほうれ、他の奴らも早よう女の生き血を啜りたいと騒いでおるのう」
 そう言って今度は純子の胸に2匹、3匹、4匹の大ヒルをボタリボタリと落としていった。
「ひええーっ」
 ヒルたちは悲鳴にも反応して、グウンと一瞬体節を伸ばして蛆虫のような口唇で吸い付き、乳房にペッタリ張り付く不快感と乳首の皮を食い破られる痛感覚を同時に感じた。
「いやや、いやーっ!」
 いまや純子は汚水に浸りながら、両乳首と陰核とに吸血生物を吸い付かせている、という世にも奇怪な姿を晒しているのだった。
 教祖の顔が悪魔的に目を見開き、目を吊り上げた。
「ヒヤハハァー!」
 笑いとも叫びともつかない甲高い声。突然、容器が一気にひっくり返った。
 ドポン、ドポン、ボチャン……
 残り5匹かそれ以上のヒルがぶちまけられ、次々と純子の脚の間の水中に落ちていった。
 まるでB級ホラー映画のそれだった。
 ヒルたちは一斉に水面下からシュッと躰を伸ばし、性器や小陰唇や膣粘膜に次々と吸い付いた。 そして中の1匹が、初めに陰核に吸い付いた奴の下に吸盤口を滑り込ませる、同時に純子の尿道口をも探り当てて食い破り始めた。
 陰核が、乳首が、そして小陰唇や尿道粘膜が妖虫たちの鋭い口唇で食い破られていく。
「あ、ああ、あーっ!!」
 注入される麻酔体液。痛痒いゾッとするような感触の麻酔体液がこの後自分をさらに辛い地獄に導くことをまだ知らず、純子は鉄水槽の中で嫌悪と恐怖と屈辱との悲鳴を上げ続けた。
 剃り落とされた陰毛がようやく少し伸びてきた純子の恥丘から、まるでバナナの房の――そう、腐って変色したバナナの房のようなそれにヒルたちがぶら下がって蠢いているのである。
 そうして妖虫たちは吸盤の口唇を性器の粘膜に密着させ、鋭い歯を血管まで食い込ませて純子の血を貪欲に残酷に啜り続けるのである。
 やがて細長かったヒルの躰がやけにプックリと膨れてきた。さっきまでの痛痒さが、いよいよ尋常ならざるものとなった。何かとんでもない毒液を体内に注入されたかのような――
「うひ、うひぃぃ。取って、取ってください、ああーん、教祖様、お願いですー」
 べそを掻きながら哀願しながら、純子は身も世もあらず恥も外聞もかなぐり捨てて泣き狂い始めた。
「ううーん、むいーぃぃ」
 耐えがたい呻き声を口から漏らした。
 必死でヒルたちを振り落とそうと縛られた身体で上下左右揺すってみたが、それは逆効果だった。ヒルたちはなおさら鋭い吸血口を肉の中に深く食い込ませるだけだった。
「ひいー」
 泣きべそをかく純子を見下ろす教祖が、小さな食卓用の調味料入れの小瓶を取り出した。
「可愛らしいのぉー。まっこと可愛いらし。わしの可愛い純子が虫に乳をやっとるようじゃ」
 黄濁した目が悶える裸身を舐め回した。
「電気や搾乳拷問で搾ってさえ出なんだ乳が、虫にせがまれてからは乳はおろか性汁まで振る舞ってくれるとは……優しいのぉジュンコは」
 邪々けたセリフを吐きながら純子の右乳首に食い付いている2匹の大ヒルの上に持ってきた小瓶を、微かに震える手で傾け振りかけた。
 きゅいーん!
 そんな鳴き声が聞こえたかのように錯覚した。
 キュッと身体を縮めたヒルたちが、次の瞬間には今まで吸った血を一気に吐き出し、萎みながらぽたぽたと水中へと落ちていった。
 その間大量の血が吐き出され、乳房の片方が大怪我でもしたかのように血まみれになった。
「うひゃひゃひゃーッ」
 また甲高い笑い声が響いた。車椅子の上から注意深く水面を覗き込みながら、
「こやつらもなかなかにしぶといのぉ……」
 塩に怯んだ2匹のヒルは、もう一度血を食らいたいという本能に憑かれてか再び水面から出た脇腹を、ひたひたと這い上がり始めていた。
「うんむむむー……!」
 全身を襲う気持ち悪さと痒み感とで純子は半狂乱になった。縛られた手足の枷をガチャガチャ音をたてて揺すりながら悶え苦しんだ。
 悪夢のような時間がゆっくりと長く過ぎた。
 満腹になったヒルたちが1匹、また1匹と身体から離れ、水に落ちていった。
 笑いがこぼれていたが、それは今までの老人からの口から出るものではなかった。
 はっ、と気づいて見ると、 いつの間にか周囲に下卑た顔の手下共が戻っていた。
 デリア、エルンスト、ゲットナー。それに、いつの間にか能面のミランダまでが雁首そろえ、白衣のこの悪魔の女医の手には注射器が握られていた。
 汚水が全身からしたたり落ち、髪から背中を伝う滴が、まるで、まだヒルが背中に吸い着いているようなゾッとする悪寒。潮のような痛痒感。
 再びテーブルが持ち出され、枷を外された純子が、男2人に軽々と抱き上げられ、横たえられた。全身が鳥肌立っている。
「あひぃぃー、痒い痒い痒いよぉー。おねがいーッ。何か薬を、薬を塗って。お願いですー!」
 暴れる純子をエルンストとゲットナーが脚を掴んで左右に拡げ、デリアが両手を閉じ合わせて頭の上に上げさせた。
 藻掻く純子の股間を喜悦の老教組と並んでミランダが覗き込んだ。
 いきなり皺だらけの指が性器に伸びた。
「ひいーっ!」
 無毛の剥き身の割れ目を撫で、性器をかすめた指がズブリと肛門に侵入してきた。グイグイ押し込まれ、直腸内を掻き回され、思わず排便感をあおられた。
「良いのー、ジュンコの肛門は……こうやってイタズラする指をぐいぐいと締めつけてくる」
 グチュグチュと異音を立てながら肛門に突き立てた指を出し入れする。その際の猛烈な排便感。だが、そこではない。
「あぁぁ……ふぅ……!」
 か細い呻きの底で必死にこらえた。
〈アヌスは無傷なのよ。痒いのは性器と尿道なんだってば。性器と尿道を掻いて掻いて掻きむしってちょうだいよーっ!〉
 恐るべき痛痒感に苦悶しながら辛うじて恥ずかしい言葉にするのを必死にこらえる純子。冷然とそれを見詰めるサディスト共は、この先に起きる何を虎視眈々待っているというのか。何が始まるのか!?
 ミランダが手に注射器を持って迫った。




反撃の足音


 これが道路(みち)かと思えるほどの悪路、難路のけもの道を、2人の男女を後部席に乗せてイレーネ運転の車がバウンドを繰り返しながら疾駆した。
 月は中天に煌々として闇を照らしている。
〈こんな夜にも百鬼夜行は横行するのだろうか……〉
 パオラが漠たる思いに取り憑かれたが、さすがにそれは切り出せない。
「エルナンデスを向こうに乗せたのは何故?」
 さしあたっての具体的な疑問を口にした。
 ジェームス・リッチはそれには答えず、何を思ってかこんな話をした。
「1年前のミュンヘン事件――ドイツのオリンピック選手村襲撃テロを憶えてるかね?」
 イレーネが「知りませーん」と降参する中、パオラの確かな記憶は表情を暗くした。
「ドイツがナチ時代の悪夢を払拭する意味でも36年ぶりに巡ってきた同じミュンヘン大会。それがまたも悪夢に見舞われたのですもの……」
 1972年9月。オリンピック開催のドイツ選手村で、イスラエル選手の宿舎が「黒い九月(ブラック・セプテンバー)」を名乗るパレスチナゲリラに襲われた。
「突入時、抵抗したコーチと選手が射殺……その後ゲリラは人質と共に宿舎に立てこもり、イスラエル政府に『パレスチナ政治犯の釈放』を要求。返答を待つ間にさらに1人を処刑……」
 パオラが記憶と照らして、つい口をはさんだ。
「交渉は決裂。ゲリラは人質を取ったまま逃走用車両、飛行機を用意させ、空港に着いたがドイツ警察と激しい銃撃戦。何人かは逃げ、結局人質全員がゲリラに射殺されたんですよね」
 リッチが補足し、最後の部分は訂正した。
「襲撃犯は8名。空港で撃ち合って“戦死”したのが5名。残り3名が逃げのびたが人質を殺したのはドイツ警察なんだ。あまりにずさんな対応と狙撃手の誤射でね。犯人が手投げ弾で人質搭乗機を爆破したのは全員が死んだ後だよ」
「えーっ」という驚きとため息。
「犯人側に人質を無闇に殺す意志はなかった。だが、時のイスラエル首相ゴルダ・メイアは復讐心に燃え、モサド幹部を集めて選りすぐりの暗殺チームを結成、欧州全域に散らばるパレスチナ人11人の暗殺作戦が実行された。標的が11人だったのは殺された選手の数に因んでだ」
「まるで映画みたいですね」
 イレーネが最前の驚嘆に続く感想を洩らした。
「いかにも米人好みのな。だが、モサドが血祭りに挙げたのは殺すにたやすい無実のパレスチナ人ばかりだった。しかも暗殺に先立ち、“テロ組織壊滅”を口実にレバノンに大兵力を投入して、爆弾を雨あられ、その結果、無実の市民数百人が虫けらの如く殺害されたんだよ」
 リッチが一呼吸おいて話を続けた。
「この事件が将来映画になる時には、イスラエル建国の生け贄としてのパレスチナ人受難や弾圧の実態など無視され、ひたすらユダヤに都合いい内容に書き替えられるのだろうね。それこそアメリカ人とユダヤ人の共同脚本によって」
 最大限の皮肉を込めて締めくくった男の横顔をパオラは不思議な思いで見詰めた。
〈このアメリカ人は、なぜそんなことまで知り得て、しかもこんなに激しく言い切れるのか〉
 ただ、リッチの断定口調には強い説得力があった。既にこの時代、ユダヤ資本はアメリカの政治、経済の中枢まで牛耳りつつあったからだ。
 リッチの話には、まだ続きがあった。
「ところがモサドはノルウェーで大ドジをやらかした。実行行為者が次々と警察に逮捕されたのだ」と、そこで話を切って思案顔になった。
「奴らはミュンヘン事件報復の失敗のツケをどこかで晴らしたいと思っているはずだな……」
 ぶつぶつつぶやき、一心に考えを巡らしているようすだった。
「ところでパオラ」と来る途中の機転を褒めた。
「素早くジュネの口止めをし、手紙をエルナンデスに見せなかったのは大正解だったよ」
「やはり彼を疑ってるんですね?」
「いや、彼がもし不幸にしてモサドに捕まることでもあっては元も子もなくなるからだ」
 そう言って意味深な顔で微笑んだ。
「あっ!」とパオラが驚きを顔に表わした。
 濛々たる煙幕の中での銃撃戦がよみがえった。何者とも知れぬ勢力の攻撃に反転して応戦する警察隊兵士らの背後を抜け、救出に駆けつけた仲間の車に飛び乗っての間一髪の脱出劇――その際の異様な興奮とスリルが思い出された。
「これから俺の隠れ家に向かうが、お二人さん方には芝居をしてもらうことになるからね」
 リッチの魂胆をパオラが察して苦笑した。
「芝居は他の“お客さん”向けですね」
「え、まさか盗聴?」と、イレーネにも合点がいった。
「そうか、ピノチェト政権がアメリカ公認である以上、ゼーラだって同じ穴のムジナ。だとするとゼーラを叩く勢力で一番可能性の高いのは、同胞ユダヤ人救出を目的とした……」
 イスラエル情報機関モサドが不気味に蠢く巨大な魔影として浮かび上がった。
 しかも、その相手の力を逆手に取って魔窟ゼーラを叩こうというのか!? リッチの大胆不敵な闘志がその場のパオラにもイレーネにも伝染し、狭い車内は言い知れぬ緊張感に包まれた。
 パオラの漠たる疑問は解けぬまま、車はまた闇を突いてガタゴトと走り続けるだけだった。




壊れる!


 少女は後ろ手に縛られ、うつ伏せに寝転がされていた。自分で外しかけたファスナーの、短パンの腰のゆるみ以外は服装に乱れもない。
 拷問はまだ始まってはいなかった。
「おまえへの土産と連れて来たのにな……」
 魔女が憎々しげに少女を見降ろした。
「小面憎い奴。爺ぃへのせっかくの貢ぎ物を鳥籠からも、この手からも飛び立たせおった」
 語気を荒げ、「しかも」と続けた。
「裏切り者のパオラ、下等なクロンボめが!」
 その一瞬、ガスが〈なにっ!?〉と反発した。
 先住民族の血を受け継ぐメスティソの色浅黒い二枚目顔は、それだからと肌の色の差別に抗議したわけではなかった。
「こうなることを予期しなかったので? 逃げられたのはあなたの不覚ではないのですか?」
 そう言って皮肉屋の黒人女少尉の肩を持つ自分を可笑しがった。だが、魔女は動ぜず、
「バカめ。人殺し、外道がおなじ鬼畜仲間を告発して生き残れる道理があるか。同罪だぞ」
 吐き捨てた先には唇を噛むジャンヌがいた。
「今夜は存分に料理してやる」
 そう言って今は魔女丹精の化粧も落ち、“ねんね”にしか見えぬ虜を上向けさせ、ショートパンツを下着ごとずり下げ、陰毛のはみ出た秘所に荒々しく手を差し入れた。
「あ」と悲鳴。キンバリーの狼藉は仮借ない。
 やがてゆっくりと抜き出した手の、人差し指の先が血でべっとりしていた。
 猛禽が餓狼と化し、ブラウスの胸をフリルごと引き裂いた。微乳の白い胸が晒され、腰に付けた申し訳程度の衣服も一気に剥ぎ取られた。
 全裸のジャンヌからさっきまでの勝ち気は消え失せ、両手で乳房を押さえてぶるぶる震えた。
「くくく」と魔女が笑って裸身を反転、足を大きく開いた。バレリーナ体型の細くてしなやかに伸びた白い足が今のガスにはまぶし過ぎた。
 ベッドに膝を着き、ぷくんと丸い小尻の中心をカギ裂きにこじ開けた。悲鳴をあげてのけぞる顔が眉間に皺を刻んで歯を食いしばった。
「むっ、ううっ……」と声を殺した。
 が、耐えきれずに「くうっ……!」
 時折「ひええーっ!!」という甲高い響きを上げたりもした。
 悲鳴に微妙な強弱が付けられ、10分後くらいには奇妙な静寂。次いで激しい喘ぎが洩れた。
 ついと向けた視野にジャンヌを串刺ししたキンバリーの手首――。
 それからまた数分。男と女の交合のようにベッドがギシギシと揺れ続け、いきなり「見ろ」と言われて突き出された手術用手袋の拳は、淫液でぐしゃぐしゃだった。
「後ろはこうまでしておいて前は処女のままとはな」と教祖の無惨な倒錯性に驚嘆しつつも、「さあ」と勧めた。
「どうした、このような馳走を前に“ガスペド・ルイス”ともあろう少女愛嗜好者が」
 魔女めが久々に嫌な名を吐いたと思ったら、持参の道具箱からペンチと針金を出した。
〈あんなものを何に……!?〉
 ガスの斟酌など意に介さず、再びジャンヌを仰向けて手首足首に針金を巻きつけた。
「ベトナムではな、こんなのよりもっと小さなガキがベトコンの連絡係を務めるんだぞ……」
 そう言ってぐっと締め付けた。
「うーっ」
 ジャンヌの苦悶を愉しみ愉しみ、足首を締めた針金を引き張ってベッドの支柱に結びつけた。足が終わると上体に移動して手も同様、1、2分の間に少女は大の字にされた。
「自分がこうなると思ってたか」
 電極クリップが手足を縛った針金の4箇所に。次に白い肌の微乳の乳首にも噛まされ「うっ」「くっ」と苦痛の呻きを2つ洩らした。
 性器への電極挿入は見ないでも分かった。
 青ざめた横顔の怯えと震え、破瓜を予感する恐怖の表情で一目瞭然だった。
 シーツの上の裸体が弓なりにのけ反った。
「ギャアアアーッ!!」
 という断末魔としかいえないような絶叫がその場の空気を切り裂き、壁やガラスを震わせて響き渡った。
 目を見開き、白い喉を上向けて泣き叫んだ。
 手を堅く握り締め、足は爪先を内向きにして針金を強く食い込ませ、鞭のように細くしなやかな手足には硬直の筋がくっきりと浮き立ってぴくぴくしていた。
 10秒、20秒……
 絶叫は苦悶の激しさを現わして凄絶に響き渡り続けた。針金を食い込ませた手首足首からは早くも血を滴らせている。
 ガスでさえも反吐が出そうだった。初めてこの猛禽の魔女に憎悪を掻き立てた。遠い異国の地でこうした行為、戦争とセットの残虐非道をどれだけ繰り返してきたことか。
「うわあーああ、あ……ううーっ……」
 やっと電圧が降圧された。
 それでもジャンヌののけぞり、苦悶は乳房の下のあばらを浮き立たせて痛々しさが和らぐことはなかった。
「ジュネは、ジュネは……」
 息も絶え絶えに、うわごとでも口にするように尋ねた。
「バカめ。己の心配が先だろう」
「逃げたのね、無事逃げおおせたのね」
 そう呟いてにっこりと微笑んだ。
 反動は倍にも3倍にも増して襲いかかった。
「うぐっ、ギヘエエエーッ!」
 今度のは電気ショックと呼ぶにふさわしい電撃反応だった。四肢、胸、腰が激しい痙攣に襲われ、首を振って泣き叫んだ。
「グギャアアアーッ!!」
 狂気じみた断末魔がジャンヌの全身と部屋の空気を引き裂いて響きわたり、その激しさは壁に血が飛び散ったと錯覚するほどだった。
「将軍!」とガスが思わず手を出した。
 キンバリーの手に手を重ねたまま、変圧ダイヤルを降圧方向に回した。思いがけぬガスの変心と気迫――さしものキンバリーがうろたえた。
「そうさな、死にたがる者を殺すほどつまらぬことはない。時間をかけて責めねばな……」
 照れ隠しにそんなセリフをつぶやく。
〈存外に意気地のない女なのだな、こいつは〉
 そう思って猛禽の魔女など屁でもなくなった。
 それにしても後遺痙攣をぴくぴく繰り返す汗でしっとり光る少女の裸身――。
「時間をかけてな。楽には殺さん」
 次なる趣向とばかりにドライバー、ピンセット、ペンチなど、冷酷な輝きを発する様々な棒状医療器具をシーツの上に並べていった。
 ほどなくしてジャンヌの悲鳴がすすり泣くように、しゃくりあげるように転調した。
「どうだ、感じるか、それとも痛いか?」
 別の手は昇圧ダイヤルをゆっくりとひねり、悲鳴がまた甲高く響き渡った。


 同じ頃、ゼーラの森のそばに建つ教祖の牙城ジーク・ホイゼでは、水槽と並んで置かれたベッドの上の純子が半狂乱だった。
「痒いっ、お願い、掻いてちょうだい!」
 手を、足を縛られ、自由の利かぬ身で喚き狂った。吸血ヒルに噛まれた傷が痒いからって、これほどの痒がりようはない。
 医療台車のトレイには注射器が載っていた。
「そろそろ薬が効いてきたようですね」
 ミランダが能面の顔を微かにゆがめた。
 デリアが面白くてたまらないといった顔でからかった。
「何が、どこが痒いのかハッキリ言えよ!」
「ち、乳首に性器……びらびらちゃんが痒(か)いいーっ! 早く掻いて早く。お願いーっ!」
 ぷっと吹き出したり、手を伸べて掻くと見せかけてまた引っ込めたりとからかった。
「よし、アレを使う時だな」
 教祖の言葉に〈待ってました〉とばかりデリアが踵を返して駆け出し、階段を駆け下りた。
 それから純子は、ゲットナーの両手に抱えられた。
 今度は何が始まるのか!?
 回廊の脇に並ぶ部屋の一つがぐんぐん迫った。ドアが開いて、見慣れた開脚寝台が目に飛び込んだ。股を広げたごく若い女――今度も10代の少女が目隠しされて乗せられていた。
 少女をエルンストが抱えてどこかへ運び去り、入れ代わりに純子が乗せられた。
 後ろでバタンと扉が閉じた。
「何が欲しい? 何で刺激して欲しいか」
 教祖の皺だらけの顔がぬうっと迫った。
 脚が開かれ、膝上膝下にベルトが架けられ、頭で組まされた手にも乳房にも。
 涎を垂らして「入れて!」と言いかけた時、閉じていた部屋の扉が勢いよく開けられた。
 のそっと黒い影が入ってきた。
 異形の主に「?」と顔を上げて目を凝らした。
 爛々と目を輝かせ、唸り声をあげて入ってきた生き物。よく見れば精悍な体躯の軍用犬――。
〈セパード?〉
 大きさは子どもよりは大きく――喩えていえばジャンヌほどもあった。
 遅れてデリアが入ったが、犬に気を取られている純子はそれどころではなかった。獰猛な唸り声を上げてうろつき回る凶暴な生き物に純子の目は釘付けだった。
「そら、ヒンケル、よく見ろ。そうれ……」
 ガイコツの手が大人の女の性器をひねり上げ、少し黒みがかった円熟の赤貝を摘んだり開いたりして犬の劣情を煽り立てた。
 純子が口をふがふがさせて驚嘆した。
「ゲーエ(行け)!」
 号令をかけて手が叩かれた。
 逞しい体躯の兇犬は、開脚寝台で脚を広げた股間に矢のように飛びついた。
「ひえーい!」
 目を見開いて静止した顔とは反対に、四つ足に捕捉された裸身が暴れ狂った。ベルトが締まった膝から下をあらん限りのたうち回らせ、爪先を引きつらせて足掻きに足掻いた。
 よく訓練された“彼”は人間のメスにさえ発情するのか、短い白い毛に覆われた下腹の突起から鮮やかな紅色の鋭角なペニスを滑るようにせり出させ、ギラギラとぬめって震わせた。
 腰を一振りしただけでいきり立つ一物が的中し、純子と犬とが結ばれた。
 けーん!
 興奮の余りか狐のようないななきを発して早くも交尾運動を激しく開始した。
「ううっ、うーうー……!」
 犬に犯される倒錯。だが虫の毒牙に傷つけられ、それによって生じた無惨な痛痒を、犬の挿入行為が癒しているという異常。間もなく純子の苦悶は恍惚へと変わる。
 喜悦の表情を浮かべてなお欲しがるのだった。
「あーあ! もっと、もっと激しく! ワンちゃん」
 目を剥いて見開いた双眸から随喜の涙をこぼして身悶え、叫び狂った。
 周りはやんやの喝采だった。
 デリアは高笑いを上げ、指を差してのけ反りまくり、エルンスト、ゲットナーは床を鳴らして飛び跳ねながら腹を抱えて笑いこけた。
「ワンちゃん胸掻いて。痒(か)いーっ!」
 狂ったか。呆けた顔から涎の糸を引き引き哀訴哀願、妄執の獣姦亡者と化した。
「やはり畜生はダメだのー。ミランダ、胸がお留守だ。乳首の痒みは機械で癒してやれ」
 教祖が驚喜しながら指図した。
 床に置いた発電装置のコードが伸ばされ、冷たく見下した能面の顔に嘲笑を浮かべた。
 すぐに両乳首をワニクチが挟み、電気が流され始めた。
「うーっ! ああーっ!」
 半開きの中から涎といっしょに甘美な悲鳴を洩らした。
 犬のピストン運動が急激にせわしなくなった。艶々とした毛並みの精悍な体躯を隆々と波打たせ、長い舌をダラリと垂らせて荒い息を吐きながら機関車のように交尾を加速させた。
「アア! イイワ! モット! 強ク! モット、早ク! 行ッテ! 行カセテーッ! ワンちゃぁぁーん!」
 いつの間にかチリ言語であるスペイン語から日本語に戻って喚き狂った。
「驚いたな、犬に姦られてこんなに悦ぶなんて」
「変態ですよ、超ド変態女ですよ!」
 デリアが追従笑いを浮かべながら罵倒した。
「よーし、ワンコロはもういいだろ」
 教祖にうながされ、デリアが素早く号令した。
「ヒンケル、ヴェーク!(行くのよっ)」
 手を振って廊下の方へと合図し、犬はキャンと一声いななき、すごすごと退散した。
「人間様より犬っころとはのー」
 邪魔がどけてせいせいした顔の老人が、またオモチャを欲しがる童心に返ったように純子の性器をもてあそび始めた。

 部屋が暗くなった。
 間接照明が点けられ、ジュンコの剥き身の陰部が晒された。別の照明はジュンコの呆け顔を――彼女は紅潮した淫ら顔を照らされ、「痒い」「痒い」を連発している。
 男2人が教祖のそばに――ガラガラと医療台車を押してミランダも戻ってきた。
「クスコ」
 教祖の指示にミランダが器具を手渡す。
 アヒル口が淫肉を押し割って突き立ち、「ひっ」と短い悲鳴。キリキリキリと音を立てて拡張器具が開かれた。陰毛を剃られた剥き身の性器が淫らな口を開けさせられた。
「ドライバー」と手が出る。
「ピンセット」と、またガイコツの手が。
 助手の動作はてきぱきとして、指示の直後には「ひえー……!」と悲鳴が叫ばれた。
 電線を繋いだピンセットの先でつままれた淫肉。赤黒く腫れ上がった虫の噛み痕に、尿道を含む淫部に電線を繋いだドライバーの先が押し当てられた。
「あへぇー!」
 よだれを垂らして白目を剥く姿は狂女そのもので、デリアでさえこんなマゾ女は初めて見た。
 うねうねと続く赤味の肉洞の奥にもっこりした肉輪。その穴から乳液よりも濃いヨーグルト状淫液が染み出している。
 そして……
 たらたらたらと、拡張する医具に押し開かれた膣の隙間から絶え間なく滴る愛液。固唾を呑んで見守る周囲にも淫臭がただよい始めた。
 拘束ベルトを起点に四肢が異様にひしゃげている。筋だった腕が、足が、指を勝手な方向に向けてひきつらせているのだ。
 ぶるぶる震える合間にも感極まった悲鳴。
「ひえーっ」
 それと連動してガタッという音。
 ガイコツの手が発電器具を操ってひねり込まれるたび、ベルトの締め付いた手足が戒めに逆らって暴れ、ぎしぎしと寝台を軋ませるのだ。
 膣道はいまや子宮から滲み出た淫液で白い道だった。濃い乳液状の体液が間接照明でぬめぬめと淫乱な輝きを発している。
「どうだ、気持ちいいか?」
「はいー、気が遠くなるような……」
 あとは言葉にならず悶え声になった。
「見ろ」と、これはデリアらに向けてだった。
 ライトを傾け、明かりの角度を変えることで医具で開かれた部分の翳り方も違って見える。
「さっきのヒルのように見えんか。ラブジュースを全身に浴びた淫乱ヒルじゃ」
 そうつぶやいて「ほほほ」と女みたく笑った。
「よお見ろ、ひくひく蠢いておるわ」
 その言葉に男たちも女たちも下卑た笑いを浮かべ、固唾を呑んで目を凝らした。
「ひい、ひぃーん」とヨガる声。
 時折「おおっ」と雄叫びじみた驚喜。
「そうだそうだ、遠慮なくヨガるがいいぞ」
 言いながらアヒル口を抜いた。
 愛液を滴らせる赤貝が、医具で開かれた時の状態を保ったまま、あんぐりと口を開けて5人の視線に晒され続けた。
 教祖の目顔にミランダが差し出す道具で答えた。今度のは太めの鋼鉄棒だった。
「さあ、これはどうだ?」
 棒器具がゆっくりあてがわれ、「うーん」という甘美な声。閉じかけた肉の口がふたたび獲物を欲しがり欲しがり、酷い太さの棒状異物を自分から呑み込んでいくのだった。
「ふーっ」と溜息をついて目を剥いた。羽を広げたような左右の脚がぴーんと突っ張った。
 カチッという音。
 広げた両脚がぶるぶるっと激しく痙攣した。
「うひゃひゃっ、ヒイイイーッ!」
 目を大きく見開いたジュンコが、腰から下を震わせた。ひきつれと痙攣。ふくらはぎや太腿にもビクビクと筋肉痙攣が走った。
 ずぼずぼずぼと電撃棒はせわしなく出し入れされた。教祖の嬉々とした顔は電撃レイプを愉しんだ。そしてジュンコは……
「ああっ! いいっ! もっと! もっと!」
 ピストン抽送のずぼずぼに、じゅくじゅくという泡立ち音が加わったように感じた。
 性臭は鼻を突くほどで、棒器具を出し入れる性器が滴らせる白濁した愛液は、時間の経過と共にますますその粘度と濃度を増していった。
 エルンストもゲットナーも目をみはった。
「どうだ? え、ジュンコ」
「あ、あ……あーあ……」
 大股開きの四肢の身悶えが激しくなった。
 喘ぎも苦しそうだ。
 頭の上で組まされた手を揺すって拘束ベルトをがちゃがちゃいわせ、汗で光る上体も蛇のように波打たせている。
 電撃棒レイプもそれに合わせて速くなった。
 ずぶずぶという音にじゅわじゅわという泡立ち音が加わり、性器はひっきりなしに愛液を滴らせている。
「はあっ、う、うう……!」
 目を見開いて首を振った。いやいやを繰り返す首振りポーズ。絶頂が近い。
「おお、凄い!」とゲットナー。
「こんなことは初めてだ」とエルンストも爛々と目を凝らした。
 突如としてジュンコの全身が突っ張った。
 足の先がぐぐっと丸まり、
「あっあっあああーっ……!」
 愉悦の絶頂声と共に棒器具を食わえた性器から白濁として泡状の淫水がドッと溢れ、一部は糸を引いてたらたらと床に滴り落ちた。

「よーし、そこまでだー」
 と、教祖が車椅子を漕いで横へ移動した。
 目配せ一つでそれまで見物していた手下がジュンコに群がった。
 開脚寝台の腰から下の部分が平らに戻された。手足のベルトが解かれ、脚載せ台が畳まれた。のぼせたような顔のジュンコが呆気に取られている。
「痒みはなくなったか?」
「あ、あわわ……ううん」
 風呂上がりののぼせ顔で弱々しく首を振った。
 今ではジュンコの目の前に移動した教祖の目配せ一つで配下が動いた。
 ゲットナーが両手を頭の上で一つに引き絞る一方、デリアはエルンストを手伝い、片脚ずつ膝を抱えて大股観音開きに押さえつけた。
 3人がかりで押さえられ、股間を無防備に晒されたジュンコが羞恥と恐怖に身を震わせた。
 寝台に上体を乗り出し、ミランダが腕相撲の格好で局部と向き合った。すでに手術用手袋の両手は、潤沢なローション液でぬるぬるだった。
「ううっ!」
 と呻いてのけぞった時、ミランダの拳が性器を押し広げた時だった。「う、ううっ!」という苦痛の呻きを歯牙にもかけず、拳の一番太いところを一気に通過させた。
 突いて引いて、また突いた後でひねり込んだ。
「くうーっ、ひいっ!」
 歯を食いしばって顔をしかめた。
「ふだんは嫌がるフィストレイプを、今夜は痒みに紛れて身体ごと欲しがるとはな。おい、今度アカの妊婦が送られてきたら、虫に食わせてから出産させてみろ。それこそ痛がりもせずスッポンスッポン産み落とすに違いないぞ」
 そう言ってケタケタ笑い転げた。
 ミランダはその教祖の言葉にほだされ、喜々として突き入れる。突いて突いて突きまくり、「ひっ」「ぎゃっ」という悲鳴が呼応した。
 ミランダの腕が恐るべき深さに達したと思った瞬間、デリアが「あっ」と息を呑んだ。「うげっ」という嘔吐音と共に、臍下数センチの腹部に拳の形が盛り上がったからだ。
「おおっ」という周囲の歓声がどよめきとなって沸き上がった。
 涙目の顔でいやいやを繰り返すジュンコ。
「うあーっ、あっあっ……ひいっ!」
 首を振り、不自由な拘束姿勢をよじる。
 腹部の盛り上がりが形を変えた。
「ひげえーっ」という凄惨な叫び。
 女であるデリアには分かる。子宮は女の急所であり命の源。痒みに紛れてるとはいえ、今、正にその部分を破壊されるかも、という恐怖はどんな苦痛にも増して最大のダメージなはずだ。
 ミランダが姿勢を変えた。
 と、ジュンコに今度はハッキリ苦痛の悲鳴。見れば刺突貫通した腕に角度を付け、隙間を作っている、そこへなんと、もう片方の先が――。
「イヤアアーッ!」
 飛び出すくらいに目を見開いて絶叫した。
 すでに左手の先が入りかけている。
 ミランダの口元が残虐に歪んで右手の下に添えた左手がずずっと前進した。
「いやだああーっ、厭アーッ!」
 デリアが引きずられ、思わず力を込め直した。押さえつけた脚が筋をぴりぴりさせて閉じよう、足掻こうと力んでいる。男のゲットナーでさえ、「おっ」という顔で押さえ直した。
 気を取られている間に2本目が入った。
「ギャアアウウーッ!」
 絶叫を歯牙にもかけず、いやむしろ嬉々としてミランダの拷問ダブルフィスト抽送が寝台をギシギシと軋ませて開始された。


 ジーク・ホイゼが狂乱のさなか、ホテル・コンチネンタルの一室では、いよいよガスパール・ルイスの正念場であった。
「長いのー」とキンバリーの賛嘆のような慨嘆のようなつぶやき。
 目の前にまるで虫の息の少女が、ただしかし、時折下半身に後遺痙攣を来しながらベッドにのびていた。戒めは解かれていたが、手首にも足首にも不規則な重なりの裂傷が痛々しかった。
 血の付いた針金が脇に散らばり、シーツ上には役目を終えた棒状医具が残酷なぬめりを見せて並べられていた。
「ほぼ5時間の電気責めだ。酷いのぉー」
 まるで他人事のようにほざいて、「くくく」という冷酷な含み笑いをしばらく続けた。
 また「さあ」と魔女が焚きつけた。
 そればかりか、驚いたことに拳銃を抜いて銃口を突きつけた。
「何の冗談で?」
「やらねば貴様を抗命罪により射殺する。幸い、この場に余人は一人もおらぬでな」
 どうやら本気のようだった。
 ふと横を向くと、ジャンヌの顔にも緊張が走っていた。
〈虫の息どころか、まだまだ……〉
 そう確信してガスは内心ホッとした。
 その心を読み取ったわけでもあるまいが、
「ちょうど良い機会だ。無数の少女の生き血を吸った自慢の一物とやらをこの目で拝みたい」
 そして、それはそれとしてと断った上で、
「犯すのは前だぞ。フィスト経験のあるケツになど入れたって面白くもなんともないからな」
 そう言ってケタケタと笑った。
〈貴様も変態ではないか!〉
 精一杯睨みつけてから再び少女の顔を窺った。
 ジャンヌの顔が微笑んだ。
〈大丈夫よ〉そう答えているようだった。いや、そう思いたい心の願望、罪の意識がガスの目にそう見せただけなのかも知れない。
 おもむろにベッドに上がった。
 ベルトを外し、ズボンを下ろした。
「あ」と蚊の鳴くような声で、少女が横を向いた。キンバリーからは感嘆の声が洩れた。これまでのガスなら誇らしげに胸を張るところ、
〈なぜだ、何故なんだ!〉
 そう思う心とはまた裏腹に、結局手は本能のままにジャンヌの細い脚を左右に払いのけた。
 その部分は見なかった。
 手探りの必要もなかった。
 ガスパール・ルイスの目は真っ直ぐジャンヌの顔だけを見ていた。ひたすら許し乞いをする眼差しでジャンヌの心に呼びかけた。
「ううっ!!」
 目を見開いた顔がのけぞった。歯を食いしばり、痛々しい針金傷の手がシーツを握り締めた。また、激しい呻き。「ううっ」「ううっ」と、おのれの腰の動きに連動してそれは叫ばれた。
 おびただしい出血をガスの分身は感じ取り、嗜虐の血はそれに激しく反応した。〈バカめ、ガスのバカめ〉と激しく自己嫌悪に陥りながら一物はなお堅さと太さを増していった。
 ジャンヌの目に涙が――それもはっきり見え、ガスの嗜虐はそれにも強く反応した 。




ゼーラの涙


 月明かりが頼りなくなった。
 車は鬱蒼たる藪の中へ分け入り、ヘッドライトで照らされた所以外は漆黒の闇となった。ポンコツセダンは見た目の頼りなさに反し、驚くべきタフさでバウンドしながらも疾駆し続ける。
 明かりの向こうにぽつんと一つ、あるかないかの掘っ建て小屋がぐんぐん迫った。
 監視されていることを意識し、しかしその過剰な緊張ぶりを些かも気取られてはならないという大命題を胸に秘め、3人の男女は車から降りて廃屋同然の隠れ家へ入った。
 鼻をつままれても分からない真っ暗闇に、ポッとアルコールランプの明かりが灯された。
「ずいぶん時代がかってますね」
 パオラがつい洩らした。
 どこからか見られ、聞かれていると思えばイレーネは緊張の余りに声も出ない。それではまずいと、ここはあらん限りの勇気を奮った。
「映画みたいですね。リッチさんがよけいギャングスターに見えますね」
「今のはあまり上手いセリフではないよ」
 自分への評価の不満とも、外に向けた芝居への感想ともつかぬ戯れ口で返し、パオラに軽く睨まれる一幕ともなった。
 封書を、こそりと音させて開封し、細かい文字がびっしり並んだ紙片を広げた。
「何が書いてあるんですか?」
 中身を知らぬイレーネは芝居でなくリッチに質問した。
「読むよ」と断って1行目が読み上げられた。
「この手紙が皆さんのお手元に届く頃には、多分わたしは、この世にはいないでしょう」
 リッチでさえ思わず声を詰まらせた。
 パオラもイレーネも居ずまいを正した。2人の頭の中で、手紙を読み上げるリッチの声は途中からジャンヌに変わっていた。

 ………わたしは、コロニアル・ゼーラのありのままの姿を、パオラさんを介して世界中の良心に訴えかける気持ちで出てきました。
 しかし、自分の意気地無さにくじけました。自分の罪と向き合うことを恐れ、罪を告白する勇気と力を持てませんでした。お赦しください。死んでいった人たちにも、ごめんなさい。
 曲がりなりに手紙形式になってしまいましたが、それによって書かれた言葉、遺す言葉として役立てていただけます。この告発状を“血で書かれた言葉”としてお受け止めください。
 それではゼーラの実態についてお話しします。
 ゼーラにナチ戦犯でもあるバルツァー・ジークベルト(以下「ジーク」)らドイツ人300人が逃れてきた12年前、それがその後の移住者とも合わせ1200人ほどに膨れ、パレルの一角に国家の中の国家として君臨してきました。
 アジェンデ政権下では干渉もされない代わり厚遇もありませんでしたが、アジェンデが倒され、ピノチェト政権となるやゼーラの役割は政権と切っても切れない関係となりました。
 ここは秘密警察DINAの拷問センターとして、また秘密の大量武器庫――武器の国際密輸中継基地としての権能も果たし、そればかりかピノチェト個人の隠し金庫もあると噂されています。いわば政権の恥部でもあります。
 教祖ジークは悪魔です。淫乱狂気に取り憑かれた少年少女愛嗜好者でもあり、彼はまた若い成人女性を辱め、いかに残虐に殺すかを己の美学にしているとまで言い切っています。
 広大な敷地を有するゼーラの森外れに建つジーク・ホイゼ(勇者の家)は、彼の寝所であると共に、日頃個人的趣味嗜好を満たし、時に賓客を招いて接待と称して公開拷問、公開処刑の場とする世にも恐ろしい牙城でもあります。
 建物の半分近くは吹き抜けで、2階の一部は吹き抜け部分まで続く桟敷席となっています。ここに賓客を座らせ、1階から2階にかけ吊した全裸の囚人の拷問ショーや、観客自身参加しての鞭打ち競技、人間ダーツまで行なわれます。
 そして壁には最新のビデオモニターが埋め込まれ、その上をスクリーンで覆って8ミリ映写会の会場にもなります。映像は主には拷問の実写ですが、犬を使ったレイプ映像は意外に好評で、何かにつけて映される題材です。
 2階のフロア部分には大アイテム、小機材を置いてさまざまな狂宴が行なわれます。
 また、回廊よう桟敷の片側はフロア側から吹き抜け桟敷に向かって、性器拷問実験室、覗き窓の付いた2つの観賞用拷問室、その2つを縦方向にマジックミラーを通して眺められる賓客用鑑賞室の4つの部屋が並んでいます。
 性器拷問実験室には内診台をより強固にした開脚寝台が置かれ、大股開きにこれに載せられた囚人は、電気ショック、酸などの劇薬注入、さまざまな大小形状の異物による強制拡張、半田ゴテなどで徹底的な性器破壊を受けます。
 ただ、これら拷問は、その奥のペア拷問室で行なわれることと比べれば生やさしいものといえます。そこでの相方は恋人だったり友人だったり親子兄弟姉妹だったり、ごく親しい間柄であって赤の他人であることは決してありません。
 それをサディスト共の驚喜、喝采のもとに覗き窓から見物される図を思い描いてください。良心を試され、思いやる心を玩ばれ、抑圧者の気まぐれなスイッチ操作によって人の尊厳を壊されるプロセスを想像してみてください………

 イレーネが憤激に身体をぶるぶる震わせていた。そしてリッチの朗読は問題箇所に達した。
「……ここにはチリ人政治犯の他、多くのユダヤ人がチリ人とは別格扱いで収監され、ひときわ過酷な情況に置かれています」
 読み上げる途中、素早く目配せした。
〈え?〉とパオラ、イレーネも目を落とした。
 ユダヤ人囚人と他の政治犯との峻別。人口に比べて異常に規模の大きな病院。検査と称してそこに消えていった人々の運命が語られ、
「すでに150人が残虐な方法で殺され、この後さらに150人……」
 パオラが目を剥いた。
〈ウソぉー〉と、その真偽を強く訝った。
「……首都で若い女性が拉致され、連続失踪していますよね。街で噂される失踪人数が遂に150人になりましたが、事件はジークの親衛隊によって起こされ、これも実はこれから続くユダヤ囚虐殺の伏線、カモフラージュなのです」
 パオラが驚愕した。ずっと抱き続けてきた事件への疑問、それがふいと出てきたこともそうだが、ジャンヌの手紙を途中から盗聴者向けに改竄し、噂の事件を放り込んだ機転――
 パオラらの関心を浴びつつ作文朗読は続く。
「……このところゼーラにくる囚人の数が急激に増え、それがすべて10代の女性。……生き残っているユダヤ人150人と照らして、何らかの関連を考えないわけにはいきません」
〈そうきたか〉と、パオラがにんまりしながらイレーネと顔を見合わせた。
 だが、リッチですら決してそこまで読んでいたわけではない。
 モサド焚きつけを目的に読まれているジャンヌの偽手紙が、実は偶然にしてゼーラの内情とゼーラ周囲のうろんな動きとリンクした、ゼーラの真実に限りなく迫る内容であることを。
 そうしてリッチはひたすら読んだ。「今そこにある命の危機を」「ゼーラのユダヤ人を救え」とばかり諄々切々と読み続けるのだった。


 ジャンヌは歯を食いしばってシーツを握り締めていた。ガスの超人的一物の持続力、勃起力は恐るべきものだった。
 ぎしぎしとベッドが激しい軋み音を立てた。
〈ガスめ、ガスのバカめ!〉
 行為を続けつつも自らの異常を呪った。
 気が遠くなるような苦痛の中でジャンヌの心は死者たちを思い出していた。チリ人政治犯、ユダヤ人、そしてゼーラで裏切り者として処刑されたドイツ人たちの顔々……
 そうして己(おの)が罪業を厳しく責めた。
 贖罪の心は自らの告白文でもある手紙を暗誦していた。

 ………ゼーラの囚人で、ユダヤ人はとりわけ悲惨な目に遭っていました。
 彼ら彼女らは些細なことで残酷なリンチを受けます。わずかな罪が死に直結します。そして教祖はその執行を誰彼かまわず命じ、拒否すればゼーラの住人も同罪として処断されます。
 わたしは15歳の子どもですが……
 わたしもユダヤ人を殺しました。女子で力はありませんから、奴らは先に遊び感覚で射撃を習わせておき、ある日、囚人を断罪する場に立ち会わせ、いきなり処刑役を命ずるのです。
 あの時の衝撃は忘れることができません。
 人として死ぬのか鬼畜として生きるのか、すぐには迷いました。でも死にたくなかった。もっと生きたかった。いろんな人と巡り会い、楽しいこともたくさん、恋もしたかったし……
 初めて手にかけた人は25歳の女性でした。
 真っ直ぐ銃口を向けた時、心の中で必死に彼女に、いや自分に言い訳していたのです。
〈あなた、25歳でしょ。わたしより10年も長く生きて……わたしはどうせそう長くはない。こんなところでこんなことをして、長く生きられるはずがない。それなのにあなた今まで――〉
 引き金を引いた時、25歳の彼女は頭から血を噴き、驚愕を顔一杯に表し死んでいきました。
 その次もまたその次も、そうやって撃ち殺したのです。15歳のわたしより若い囚人はいません。だからわたしの気休めの“呪文”は、それからもしばらくは心の中で繰り返されました。
 モニカに会うまでは……


 ある日ジーク・ホイゼへ呼び出しを受けた。
 皺だらけの顔が好々爺然として言ったものだ。
「よお来たジャンヌや。今日はお前にペア拷問のパートナーを見つけてやったぞ」
 その瞬間、息が止まるかと思った。が、すぐに打ち消した。なにかの間違いだ。それとも、やはり身内は身内と姉デリアに白羽の矢を射止めたか。ならば悦んで電気を流してやろう。
 そうしてペア拷問室の一つに入らされた。
 その日はデリアはいなかった。身内の拷問には立ち会わせぬという一般的情けか、どうせ憎しみ合ってる者同士ならつまらないというゼーラ的常識のどちらがどうでも良かった。
 服を脱いで裸になると、エルンストから性器に電極の一つを挟まれ、拷問椅子に座った。手足にベルトが架けられたが、手にはスイッチが握らされた。最後に乳首にも電極が結ばれた。
 壁の鏡は反対側からのマジックミラーになって、隣室の相方も同じ部屋で、同じ方向を向いて座らされ、2つのミラーを通して二体の生け贄がもう一つ向こうから見学できる仕組みだ。
 廊下側に覗き窓があるが、その日覗き窓からの見学者はなかった。
 ペア拷問室備え付けのモニターが点けられた。
 暗い画面が明るくなっていき、思わず息を呑んだ。まさかという思いの反面、やはりという思いで見た画像はジャンヌと同じ椅子に裸で縛り付けられている長い髪の少女モニカだった。
「な、何故あの子が!?」
「ふん。なぜはないだろうが」
 エルンストは吐き捨てて部屋を出ていった。
 モニカは時折きょろきょろし、ほとんどカメラ目線で同じようにモニターに映っているであろうジャンヌに涙目で訴えかけた。
 そのうち壁掛けスピーカーから教祖の声――
[ジャンヌ、聞こえるかジャンヌ。よくもわしをたばかってくれたな、しかも、わしの目を盗んで同性愛などという不埒をするとは……]
 教祖の声など耳に入らず自問を繰り返した。あんなに気をつけ、モニカにも自分にもきつく戒めてきたのに、それがなぜバレたのか!?
 煩悶する間も教祖の指令が繰り返された。
[さあ、わたしの許しを得たければモニカの身体に電気を通じさせよ。さあ、早くしないか]
 なぜだ、なぜだと自問している時、強烈な電撃に全身が切り裂かれた。
「ギエエエーッ!」
 椅子をガタガタ音立てて叫び狂った。
[馬鹿者。自分が可愛いくないのか]
 教祖の叱責がスピーカーから飛んだ。
 今度はモニカが通電スイッチを強要された。
 モニターのモニカが涙目をいっそう潤ませて弱々しく首を振った。ジャンヌは今か今かと胸が張り裂けんばかりの恐怖で身が縮んだ。
「ギャアアアアーッ!」
 ジャンヌが飛び上がった。といって叫んでいるのはモニターのモニカだった。目を見開き、長い髪を逆立てて凄い形相で泣き叫ぶモニカの凄惨にびっくりしたのだった。
 またスイッチを押す番になった。
「ジ、ジャンヌ……」
 それ以上は何も言わず、モニターの中のモニカはただ哀しそうにするだけだった。
[ほら、どうした]とジークがまたも催促――。
「あ」と思った。その間、乳首に、性器に、チリチリという独特の電気刺激を受けていたことだ。それが徐々に電圧を強めていった。
[どうした? モニカが可愛いいか? まだわしを裏切り続けるか]
 ジャンヌはスイッチを押した。
 目を瞑った時、壁を震わし、その場の空気を切り裂いて恐ろしいモニカの絶叫が響きわたった。目は見ていなくても愛しいモニカの断末魔は頭の映像にくっきりと浮かび上がった。
 また、スピーカーの声。
[止めてよし。今度はモニカだ]
 今度こそ来るぞ、と思った。〈やれ、モニカ〉と、その後の自分の気休めのためにも、そう希った。怖くて怖くてしかたないのに。
 しかし、今度もモニカが卒倒した。
 モニカのキチガイじみた絶叫で、こっちが気が狂いそうだった。
 バカ、モニカのバカ! わたしは抜け目なく振る舞った。お前のドジに違いない。いつだってそうだった。いつだってそうしてわたしに迷惑かけてきたんだ、と呪いがましく責めた。
 気が付いたらまた自分の番、スイッチを押してモニカを泣き叫ばせ、泣き狂わせていた。
 そうしてモニカは最後の最後までジャンヌへの通電スイッチを押さなかった。あの時、一度でもわたしへの通電スイッチのボタンを押してくれたら、どんなにか楽だったことか。


 激しく貫かれ、少女の花芯をズタズタにされながらジャンヌが最後の独白をつぶやいた。
〈……今夜わたしはあなたのもとに行くよ。
 今日で、ちょうど15歳と6か月12日、あなたが死んだ時と同じだから。今、この時に死ねばモニカと一緒の寿命。そしたら天国から、またわたしを暖かく笑って迎えてくれるでしょ?〉
 そう呼びかけたものの、ふっと寂しく笑って自嘲した。
〈わたしがなんで天国に逝けるのよ〉
 破瓜の痛みではなく、別の痛みに貫かれてジャンヌの胸はこみ上げた。
 ガスが素っ頓狂な雄叫びじみた声を発した。
「やっと終わったか」
 猛禽が賛嘆相半ばする顔で、ゆっくりとジャンヌの方へ近づいた。そして耳元に囁いた。
「おまえ、ゼーラに連れ戻されてどうなるか。モニカと同じ運命に……」
 声が小さすぎてあとは聞き取れなかった。
 が、その瞬間、突如としてジャンヌが奇声を上げて目を見開いた。鬼気とした顔の凄惨さにガスが仰天した。
「いかん!」
 ガスの言葉が早かったかそれより遅かったか、ジャンヌの口から血が垂れた。それを見て我が分身を抜きに行ったガスの手元が狂った、とキンバリーには見えた。
「何を慌てるか」
「バカっ、見ろ」と恐れを知らぬそのセリフ。
 とっさに顔に手をやる。人工呼吸を試みるガスが、間もなく空しく首を振った。「ダメだ」と言って、ぐったりしたジャンヌをシーツでくるんで抱き上げていた。
「どこへ持って行く。それはゼーラへ……」
 キンバリーに皆まで言わさず不敵に笑った。
「まだ終わってない」
「なに?」
「たった今、別の趣味に取り憑かれた! “ガスペド・ルイス”にネクロフィリアの別名が加わったぞ!」
 そう叫んでケタケタと笑い、呆然とするキンバリーを尻目にドアを蹴破った。制服警察隊カラビネーロスが待機する中、白いシーツのジャンヌを両手に抱いたまま廊下を歩き出した。
 つとシーツがめくれ、白い美少女顔が覗いた。
〈ジャンヌ、安心おし、大丈夫だよ。もう誰の手も届かない自由の身になったのだから……〉
 そう呼びかけた時、意識がないまま薄目を開けて茫乎とする瞳に光るものが、それが露となり玉となり、白い頬を伝った。そうしてひと筋流れた少女の涙を、誰か見ていただろうか。




脱 出


 監禁納屋でどれだけ放置されていたことか。純子の身体は粗末なベッドに、囚着1枚きりのボロ屑同然に転がされていた。
 すやすやという寝息の他はなにも聞こえない夜の闇、夜はどこまで行っただろう。
 その闇の中でぱっちりと瞳が見開かれた。
 弱々しく伸ばした手が宙を泳いだ。ぐったりとした身体に少しずつ精気をよみがえらせて半身を起こし、上体を起こし、純子がやっとベッドから降りて立ち上がった。
 昼間の狂気の半分は芝居だった。いや、正確には正気が半分、残り半分は痒みにまかせた半狂乱だった。媚薬など何ほどの効果があろうか。
 だが、狂態の後で打たれた注射は利いた。
〈眠るまいと必死で自己暗示をかけたのに……〉
 周囲の暗さを確かめた。まだ、夜のうちなのか、それとも夜明けが、朝が近いのか。
〈とにかく急ごう〉
 鎮静剤の効果をねじ伏せて、いったんは“しゃん”と背筋を伸ばした。
 深呼吸してベッドの下にもぐった。
 いつものことだが囚着一枚きりといえど、衣服をまとわせてくれたのには感謝したい気持ちだった。特に今夜こそはと決めたこの時に――
〈裸では外を一歩たりと歩けない。でも……〉
 この囚着では怪しまれることは必至だ。
〈まあいいわ、なんとしても誤魔化そう〉
 前進する意志しか今は必要なかった。
 そうして、ここぞと思う部分を手探りした。
〈あった!〉
 土壁が腐食した部分のざらつき感と脆弱性。〈これなら大丈夫〉と身体ごと押した。
 壁が動いて、動いたと同時に崩れた。その瞬間ハッとしたものの心配された音は、カサともしなかった。まるで砂が崩れるかのようだった。
 檻から出た瞬間の外気が心地よかったが、ここはまだ地獄の敷地内だ。ゼーラを出なければ、まずこの板塀を抜けなければ……
 薄明かりの中、わずか2メートルに満たない板壁の影が、まるで巨人のように自分にのしかかって感じられた。
 さすがに今度は土壁を崩すようにはいかなかった。2回、3回、頭突きもまじえて夢中で突きまくり、突如バリバリッと割れかかり、あとは一気に押して板ごと敷地の外に飛び出した。
〈あれは……!〉
 見晴るかす東の空に黎明が射していた。
 まずい! 夜が明ける前にできるだけゼーラから離れなければ。
 焦るそばから足は穴だらけのドロ道を一目散に駆けていた。
 人気はまったくない。頼りないサンダルが泥に浸かり、たちまち足まで泥だらけになりながらも、人目を気にする必要もなかった。
 1キロも走ると砂利道となり、周囲が樹木で鬱蒼とし出した頃、突如、行く手から車のエンジン音――〈はっ〉と純子の警戒信号が作動して、すぐそばの灌木の陰に身を隠した。
〈こんな時間に……〉
 息を殺して潜んでいると、業務用のミルク缶を満載した小型トラックが目の前で停まった。車から男が2人、路肩に並んで立った。そしてすぐ後に放尿する音が威勢良く聞こえた。
 話し声も交わされた。
「この先にあるのがコロニアル・ゼーラだぜ」
「可哀想だな、あんなところに送られた囚人は……」
 しみじみと会話し、それからまたエンジン音を吹かせていなくなった。
〈そうか。ゼーラはパレルの町の住人にも良く思われていないのか〉
 とたんに勇気が出た。これまでゼーラを受け入れたチリ国民なら、誰もがゼーラを認めているはず、だから純子にとっては敵である可能性は高いと思った。それは錯覚に過ぎなかった。
〈そうよ、あんな所――実態が分かれば誰がゼーラなど認めるものですか。知らないから、誰にも知られないから無知の闇にまぎれて好き勝手な横暴三昧ができるんだよ〉
 それを告発して外から叩かなければ――。
 ジャンヌはそのため、勇気を奮って出かけたのだけど、と、また可愛いい親友の安否が無性に気になりだした。
〈もしかしたらジャンヌは……!?〉
 不吉な思いは確信へと直結した。この脱出の成功がジャンヌの失敗の代わりではないかと、純子の希望的観測は飛躍的な神がかり的発想として次へのジャンプを大きくさせた。
 また、遠くから車の走行音が近づいた。
〈イチかバチか!〉
 そう思ったとたん近づく走行音がやけに耳に響いた。ジェットの爆音と錯覚した。そういえば、とクーデター勃発の際の街の混乱が、空からの銃撃に怯えたあの日の修羅がよみがえった。
〈敵か味方か、その心きっと見極めてやる!〉
 再び灌木の陰から目を凝らして待ち受けた。
 また神を信じてる、神など信じたことのない自分が、こんな気持ちもあのクーデターの時以来初めてだな、そう思いながら人知れず微笑みながら、今度もひたすら運を天に賭けた。

第7章「暗 雲」へ




参照リスト
(以下文献・映像・サイトを参照としました)
『戒厳令下チリ潜入記――ある映画監督の冒険』(G. ガルシア=マルケス著、後藤政子訳、岩波書店)
[「黒い九月」と「モサド」の報復合戦](ヘブライの館2)
『サンチャゴに降る雨』(大石直紀著、光文社文庫)
「失踪・チリ政治犯 20年目の追跡調査」(1993年イギリスBBC制作、NHK-BS「世界のドキュメンタリー」)
[チリ軍事クーデター前後の旅日記](街角の旅日記)
[チリ年表 チリ軍事クーデター以降3カ月間の年表]
『20世紀最後の真実』(落合信彦著、集英社)
[『パラダイス・ナウ』と『ミュンヘン』――映画に見るイスラエル−パレスチナ](ナブルス通信)
「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」(1999年スイス・ドイツ・イギリス作品、ケヴィン・マクドナルド監督、スカパー/シネフィル・イマジカ放映より)
『私は全裸にされ、体中に電気を通された!』(週刊女性自身1976年2月12日号、光文社)(以上50音順)

*なお、ブラウザによっては壁が固定せず、スクロール移動してしまいます。
 その場合、インターネット・エクスプローラーなどにブラウザ変更してお試しくださるようおすすめします。


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●マルガリテ/純子__嵐のなかで…●

カット写真 純 子
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