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展示室3
原寸大のページ




チコとマーゴの、往復書簡としての
「アナビアンナイト」



(1007×615pixels/90dpi)
H. チコ
 幻の扉絵?
 いつもと違った画風でしょう。アラビアンナイトの香りがしませんか?
 以前にmomon~gaさんはじめ数人の方から『チコと一緒に』のショートショート小説は、ソレ専門のコーナーを作ったら〜とのご要望があり色々検討してみました。
“チコの千一夜物語”とか“アナビアンナイト”などと題名も考え、ご覧のような扉絵まで画いたのですが、どうもまだ小説を書き続けることに自信がないのです。
 私にとっては文章を創作する事はイラストを画くより数段難しく、文才も持ってないことを自覚しています。ようするに仰々しく新コーナーを作っても、継続できる自信がないのです。
 せめてショートショートを百話くらい書けたら、また改めて考えたいと思うのですが、“Z”さんどうでしょうか?

マーゴ(“Z”)
 すばらしい!!! 爆笑しました。
 そうか、アラビアンナイトな世界にアナル責めはベストカップルなテーマなのだなと、また訳の分からない片仮名用語をつかってしまった(汗)。
 大賛成です! チコさんのコメントだからいいんですよ。ぜったい受けますって。今日からでもやってください。ただし、この絵はもらっときます。
 チコさんやミモさんの絵にわたしが惹かれたのは、やはり直筆絵のタッチなんですねー。その思いは一貫していたのです。デジタルなどというのは、アニメを作るのに合理的な方法として生み出されたものでしょう、そもそもは。
 土台、わたしはそのアニメ自体に疑問を感じてきました。誰ともわからない大勢の手を経て何万枚もおなじような絵を描いて、それで動いたからといってどんな意味があるのか。手塚さんは漫画家としては偉大でしたが、アニメになど手を染めるべきではなかった。ましてやディズニーを手本とするなど愚の骨頂だったと思います。
 チコさん、ミモさんを知り、いままたakiyoさんの過去絵をみるにつけ、わたしはすっかりデジタル嫌いになりつつあります。

H. チコ
 相変わらずノー天気な“Z”さんなんだから。
 一応私としてはアナ(ルレズ)ビアンナイトは「やらないつもりです」と言った上で相談したのですよ……。
 見てる人に「受ける」「受けない」より、私自身が続けられるかどうかが問題なのです。アイディアが出尽くした後のムゴサを心配しているのです。
 今のままならイラストだけを画いていれば良い訳で、たまたまストーリーが浮かんだら、それに文章を付け加えればいいのですから楽なのです。でも、そんなに気楽に太鼓判押されたらもう一回考えてみようかな(実は迷ってます)。
 話は変わりますが、手塚治虫とアニメ&ディズニーの話は面白かったです。私とは意見が異なりますが、そういう見方もあるのですね。“Z”さんらしい意見だなと思いました。
 さらに話は変わって、私もakiyoさんから十年前のアナログ絵(“Z”さん見ましたよね『自作イラスト掲示板』)もらいました。やはりCG画とは違う温か味を感じました。

マーゴ(“Z”)
 アニメで補足すれば、わたしも子ども時代はある意味で貧しく、漫画本など親から買ってもらう機会がすくなかったんです。友だち同士貸したり借りたりはしましたが、それでも1ページ1ページがもったいなく、そのせいでしょうか、吹き出し(セリフ)の一言一言を、まるで劇でも見ているように、たっぷりと間合いを取って、それこそ頭のなかでアニメ化して見ていたんですよ。漫画本にはそういう思い入れがあるのです。
 それが、いきなり動きだしたからって、ナンダカナーなんですね。
 映画でもよく、カラーよりも白黒のほうがむしろカラー的だとか、小説でも行間の味わいとかいうでしょう。ところがテレビドラマみてごらんなさい。なんでもかんでも言ってしまうから、あれって、音だけ聞いてても十分ストーリー分かりますよ。想像力を掻き立てる要素が皆無。
 テレビが漫画をダメにしたんでしょうね。漫画だけではありません、イメージの固定化、分かりやすいことだけ伝えるテレビ文化は、人々から創造力や想像力を奪ってきたといえます。白痴文化とはよくいったものです。権力者にこれほどつごうのいい媒体はないでしょうね。
 ともあれ、チコさん、「アナビアンナイト」のシリーズ化を大期待してますゆえ!

(2006.5.13)
(2006.9.27加筆)












マルガリータの森の“物の怪”たち

(1566×1109pixels/134dpi)





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ミモの部屋へ行く

チコとミモの「扉」








画像のアニメは1980年代後半にLD化された「くりーむれもん」シリーズのシーンから