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もうひとつの青春
第五集


目 次
第1集
●雨あがり
   ●電 車
   ●権 利
第2集●秋の心
   ● 酒
   ●我が三畳間
第3集●北 風
   ●車イス
   ●ある恐怖
第4集●新宿まで
   ●軌 跡
   ●
[資料]自由という名の闘い
第5集●春眠一刻
   ●下 町











 春眠暁を覚えず、時々会社に遅刻をするbb
 入社当時は真面目一途で通したものだ。
 掃除当番というのがあって、「お前は車イスだからやらなくてもいい」と言われ、大掃除の時は半分邪魔にされて休んでいた。だがそれを自分から買って出て、定刻の四十分前に出社してせっせとモップがけをしたものだ。その内には持ち廻り制もホゴ同然になり、最後まで当番を守っていたのは僕だけであった。
 日曜も祝日も出勤し、代休もとらず夜は遅くまで残業に励み、ただ会社の御為とばかり忠勤したものだ。

第12話 春眠一刻

 春は名のみの部屋の寒さよ。陽が当たらぬではなおのこと。布団の間から申し訳程度に手を差し伸ばし、時計を見たらば何と九時。今からじゃどう考えても九時半には間に合わない。吾がビルでは九時半になると、時々定期点検と称してエレベーターが停まることがある。運悪くそれに出逢ったら大変だ。遅刻した上に六階まで抱え上げてもらうんでは申し訳ない。それじゃもう一時間ばかり寝てるか。いや、待て待て。どうせなら昼ごろ会社に入るようにすれば良い。そうすれば外見には昼休みから帰ったところに見えるじゃないか。それがいい。うまい手だ。
 こうして昼近くなってモソモソと起きる。朝メシのバナナも節約できるというもんだ。
 春眠一刻値千金bbというのがあったように記憶する。春の眠りの一刻は大変な値うちがあるという意味だろう。
 この時間に出かけて行くことの唯一の楽しみは、いつもは冷たいおかずで食べている定食屋で、湯気の出る食事ができることだ。
 昼になるのを待つ格好で入る。古びたテーブルに向かい、新聞を広げたり、茶など呑んで暫し待っている。お世辞にもきれいとは言えないし、入口の戸などはガタが来て、一遍でも自力で開いた試しはないのだが、愛想の良いのと親切が取り柄でやめられない。
 「どうぞ」と女房殿のお手盛りの碗が差し出される。湯気の出た煮魚、おでん……お袋の家にも随分寄り付かず、自炊する時間もなく温かい食卓とはとんと縁がないが、やっぱりいいもんだ。「オイ、メシ」、すると「ハイハイ」、女房がいそいそと飯を盛る。目を閉じるとそんな光景が浮かぶではないか。
 大通りに沿って会社の方角に向かうと、昼休みとばかり制服のOLやホワイトカラーがどっと街にくり出している。
 細長いビルの前にコピーサービスの三角看板が立っている。その横に渡されたオレンジ色の鉄板のスロープはちと急である。腹が減っていたり体調が悪かったりするとてこずる。ウンショウンショと頑張る。そんな時にいつも手助けしてくれるのは隣りのそば屋の若い衆だ。
 車イスがやっと入れるスペースのエレベーターで六階へ。ドアを開ける。気が付かないように入る積もりでもスマートにすり抜けられないのが車イスの弱み。「オーッ、どうした!」と、社長の怒鳴る声を背中で聞いてタイムカードを押す。遅刻した時のタイムカードほど大きな音を立てる。
 タイプのカバーを外して仕事の準備をしていると機械場の戸が開き、トイレの段差に渡された板の間のスロープを伝ってヒゲのアラさんの姿が現われる。
 「何だ、ドコージ、重役出勤だなあー」
 そら来た。いつもの皮肉だ。すかさず、
 「春眠一刻値千金だよ」とやり返したところ、ちょいと物知りの同僚がいて、あれは「春宵(しゅんしょう=春の宵)一刻値千金」というのだと言われて恥をかいた。
 そうか、春眠ではなく春宵だったのかと一時は納得したが、僕には春眠一刻で良い。

 また夜になったbb
 「11PM」の裸踊りを見た後レコードをかけたら、上で対抗して別の音楽がかかった。
 二階の住人はどんな奴だろう。初めの内は小林旭の「昔の名前で出ています」ばかりかけ、それに撹乱されてこちらのレコードが聞こえない。仕方がないのでスイッチを切ると向こうもやめるのだ。意識しているのは分かっていた。
 気が利いたもので最近は因幡章や小椋佳のLPをやる。それを聞きたくてこちらで挑発したら案の定レコードをかけて来た。すぐやめて、暫くの間小椋佳を楽しんだものだ。
 だが今日は拓郎で勝負しよう。ボリュームを上げて挑戦する。ザマぁ見ろだ。これじゃ向こうも聞きにくいだろう。
 「ゴホン」と、隣りで咳払いがひとつ聞こえる。いけないいけない、一番迷惑を被っているのは隣りのおじさんだ。朝早いのに気の毒だ。
 こんなことをしているから遅刻する。明日は「春眠一刻」にならぬよう気を付けよう。

(1977.4.20第12号)



第13話 下 町

 この地域に住んで早や2年――。
 越して来た当初は、よく言う下町の人情など一体どこにあるのだろうと思った。何を訪ねたって、どこを覗いたって、そんなものは見当りはしなかった。
 朝早くから夜遅くまで機械の音を立てている中小零細企業の街。そんな街のどこに人間らしさが潜んでいるのかと思った。止まっているトラックにすら腹が立った。
 だがいつの頃からか、狭い道に大型車が停まっていても、必ずどちらか一方に除けてあるようになった。アパートの入口に車が停まることはなくなった。後ろから近付く車もやたらクラクションを鳴らさなくなった。
 見知らぬ人に声をかけられるようになった。子供が気軽に話しかけて来るようにもなった。
 1丁目の角の犬は威勢だけ勇ましい。通りかかるだけで大声で吠えたものだが、この頃はそばに行ってもおとなしい。
 そこを曲ってなじみの寿司屋を越すと、何屋だか分らない店が1軒ある。菓子屋かと思うと寿司や弁当も売っている。入口には週刊誌やマンガや単行本までがビッシリと並べて置いてある。
 僕が通りかかる。すると、ヌード雑誌のページを広げ、「お兄さん、いいのが入ったヨ」と言っておじさんが出て来る。
 アパートのそばの店はいつも夜遅くまで頑張っている。朝飯のバナナを買い忘れて夜中の10時頃に帰って来たが、そこの八百屋がまだ開いていて助かったことがある。
 友だちが遊びに来た。
 呑んで騒いで10時半頃、酒を切らした。近所の酒屋に電話したら親父がビール瓶ぶら下げて飛んで来た。
 友だちが驚いて「お宅はいったい何時までやってんだい」と訊いたら、「寝るまでやってんだ」と答えて更にビックリさせた。
 ガツガツ働くということではない。つまりは、もうからないから長々と気楽に構えているということだろうか。家の近所にはそういう店がいくつもある。
 風呂から上って帰ると、時折吹く夜風が心地良い季節になった。洗面器を抱えて浴衣の若い娘が僕を追い越した。白いうなじと淡い湯の香が悩ましい。
 銭湯のそばには古いのれんのそば屋もある。中をのぞくと、風呂上がり頃には店の片着けをやっている。視線が合うと親しい挨拶が返って来る。
 「独り者では大変だろう」と、時々酒の肴に煮〆をごちそうしてくれる。ここにも下町の人情が生きている。だからここへそばを食べに来ると決まって話が長くなる。
 信号の手前を車の来ないのを見計らって渡り切ると、目の前に救世軍女子青年館という古い建物がある。昔は救世軍だったが、今は独身女性の寮になっている。
 ここを通りかかる時、何人もの若い女性と行き過ぎる。しかし、今だにそこの女の子とどうなったという話はない。
 建物の横を路地に曲ると、時々秘やかな逢瀬を楽しむ男女を見かける。
 寮の門限を前に、別れを惜しむカップルだろうか。深刻そうな顔で向き合っていることもある。何はともあれ、ここには二人だけの世界が存在した。
 「俺はどうだ」と振り返る。施設を出る時は地域に骨を埋めるんだと意気込んだ。
 八百屋の一人娘かタバコ屋の看板娘をモノにするんだと張り切った。だが、八百屋は娘を雇う余裕がない夫婦家内営業。タバコ屋は隠居のバアさんが留守番兼ねた店番ときた。
 目当ての娘はどこにいるのやら。
 銀行員の女の子には肩すかしをくらい、せっせと通った、あこがれのスナックのマドンナはいつしかマスターの奥さんに。ああ、やんぬるかなやんぬるかな。
 味噌汁のニオイがする。玉子焼きのニオイがする。魚を焼くニオイがする。あちらこちらで「家庭」という名のニオイがする。
 独り暮らしの三畳間に帰り、一日の最後の時間をアルコールに漬ける。
 明日はどうなる、あさってはどうだ、一年たったら何してると、黄色い液体に夢を一杯浮べ、今日の疲れと共に腹の中におし流す。
 一瞬の幸福に酔い知れたこともあった。叶わぬ夢に煩悶したこともあった。生きていて良かったと思う半面、あの時死んでいれば最上の幸福だったろうと思うこともある。
 しかし僕は思う。
 この地域にしがみつき、福祉とか宗教とか同志とかいう言葉と無縁な世界の中で、同じ人間として認められる日を迎え、こんな僕にも可愛いい女房ができていいではないかと。そうしたら、もう少しマシな人間をこの世に出現させてやれるのに……。

―完―

(1977.7.15第15号掲載分に補筆)


カット 今岡秀蔵

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