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ある年の暮れ、30年近くも前の障害者運動(小田急乗車拒否問題)での“戦友・木下洋二さん”の訃報に遭いました。
1年後、ホームページ旧ホンタで、追悼記に添えてキャプ画を配した、木下さんらと共演した番組採録を起こす必要から、30年前の録画ビデオを振り返る機会を得ました(NHK「奥さんごいっしょに――車イスのくらし」参照)。
そこでは木下さんだけでなく、何人もの障害者運動先達の若かりし日の勇姿にもお目にかかると同時に、出演障害者のうちCP者(脳性マヒ者)のみのアップがないことに気づき、あることに思い当たって愕然としたものです。
CP者はごく軽い人以外は言語障害があり、アテトーゼといわれる緊張痙攣もあります。
テレビは当時も今も障害者を映すことには抵抗があり、それというのも視聴者から興味本位ととられることに神経をつかっていたのです。ところが障害者の対談で障害者を無視するわけにいかず、そのなかでも重度なCP者を選んで放送コードの枠におしとどめたというわけです。
あれから四半世紀──。いったい障害者をとりまくなにが変わり、なにが変わらなかったか。ものが豊かになり、建物の構造が変わってバリアフリーともてはやされた分、人々の心はますます冷えたかも知れません。乙武さんが障害者の市民権向上に少しでも貢献したのか? 彼が香取慎吾と並んで語る姿がウソっぽく見えたのは俺だけじゃないだろう。
障害者を「障碍者」あるいは「障がい者」と言い替える動きがあることにも反対しつづける。人々に心のバリアーが存在するかぎり、潜在的差別心がなくならないかぎり、俺たち障害者はいつまでもこの世に「害」をなし、また「害」される人間であり続けるのです。それでいいではありませんか。「障害者」そのことば自体が、今の社会に対するアンチテーゼにもなりうるとの期待をも込めて、このシリーズを送ります。
2007・9・25
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