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今に問う真の人間性 |
| イギリスはヴィクトリア王朝、まさに外輪船が蒸気船に代わり、乗合馬車はエンジン付自動車に代わり、近代科学の基礎が花開かれようとしていた。 そんな時代を背景とした映画『エレファント・マン』(1980年イギリス=アメリカ作品、デヴィッド・リンチ監督)は、私に限りなく深い感銘を与えた。生涯、2度会えるか会えないかといった類の映画、そういっても過言ではあるまい。内容は衝撃的であり、悲痛であり、白黒映像は美しく引き締まり、哀調をきわめていた。 |
| 映画は1870−90年代のイギリスに実在した青年ジョン・メリック(27歳で死亡)の後半生を描いたものである。 ――モノクロ画面に美しい女の顔。悲しげなモノトーンのワルツ。ゾウの群れが女の顔を踏みくだく。その女から赤ん坊が生まれた。のちにエレファント・マンといわれて見せ物になった奇形ジョン・メリックの誕生。ボイラーが炎を噴き上げる。19世紀末は機械文明の夜明けだ。そのときから失われ始めた真の人間性を、80数年後のいまに向かって問いかけるか。すぐれた導入部である。
●衝撃的出会い 公立ロンドン病院の外科医トリーブス(アンソニー・ホプキンス)はカーニバルの雑踏にまぎれ、“奇形人間(フリーク)”と書かれたテントにさそわれ、“エレファント・マン”の存在を知る。彼は見せ物小屋の親方バイツ(フレディー・ジョーンズ)と接触し、金を払って見せてもらう。 「世の中は驚くことばかり。哀れこの男の母親は、妊娠4か月目にして地図にもないアフリカの島で象に襲われ……」バイツの口上をうわの空で聞きながら、トリーブスはただメリック(ジョン・ハート)の悲惨なあり様に言葉もない。じっと見つめるトリーブスの目に涙が……。 彼は再び頼み込み、メリックを馬車で呼び寄せ、その症状を診た上でさっそく学会に報告する。 裸にされ、下着まではぎ取られて聴衆の前にさらされるメリック。疲れて帰ると、今度は「どこへ行ってた?!」と、無情なバイツのムチがうなりをあげる。 翌日、バイツが連れて歩く少年(デクスター・フレッチャー)に急を知らされ、トリーブスはメリックの容態を診に行く。「“俺の宝”をどうするんだ!」と食ってかかるバイツに、「死んでは元も子もあるまい」と病院に連れ帰る。 ●観客もまた目撃者 ジョン・メリックがその姿をはっきりと現わすまで、31分の間がある(全編の長さは2時間4分)。それまでの彼は暗がりの中だったり、片目だけ開いた仮面をかぶっていたりする。そして無気味な旋律が恐怖感を高める。 観客の多くは怖いもの見たさ、“不幸”に対するのぞき趣味で来ている。この点は映画の中の、見せ物小屋に群れる人々と同じ立場だ。気持の悪い思いをするのは厭だが興味はそれ以上。これこそ強者のおごりである。強者である半面弱者であることの真実を知らぬ下層市民の平均的思考でもある。その実体を目撃しようとしてなかなか目撃できないでいれば、“怖いもの”への期待感はますますふくれあがろうというものだ。 見せそうでいて見せないこの恐怖映画的手法は、実は観客と映画の中の民衆を一体化するためだ。 メリックは時計塔の下の屋根裏部屋に収容(隔離)される。そこへ看護婦が食事を運んで来る。何も知らされてないノラ(レスリー・ダンロップ)は、戸を開けてベッドの上のメリックを見たとたん目を見開いて絶叫する。観客の恐怖心もこの瞬間最高潮に達する。観客は看護婦とも一体化した。 ●まれなる奇形しかしこの後、カメラはメリックの姿を真上面からとらえ始める。 メリックは文字通り世にもまれな奇形であった。頭はずんぐりとして異様に長く、美しい金髪がその間からまばらに伸びている。額にはコブ状のものが突起している。目はおちくぼみ、鼻はひしゃげ、唇はめくれて頬の部分はただれたようになっている。左手はかろうじて正常をたもっているが、右手はグローブのようになっていて使いものにならない。全身は腫瘍でおおわれ、特に背中は毒キノコのような吹出物がいちじるしい。 ●生きる知恵 その彼が、実は紳士的な言葉で話し、聖書もそらんじて朗読できるほどの能力をもっていた。最初はトリーブスもそれを知らない。 メリックを親身に世話する婦長(ウェンディー・ヒラー)も、トリーブスの医学的手腕を高く評価している理事長カー・ゴム(サー・ジョン・ギールガッド)も、不治の患者を置くことに反対だ。メリックに関心を寄せるトリーブスだけがちがう。 メリックが片言でも話せることを知り、トリーブスは簡単なあいさつと聖書の一節を暗記させ、理事長と対面させる。だが、それはすぐに見破られる。気落ちし、階段を降りかけるトリーブスの背後では、たどたどしいがはっきり、聖書の残りの部分が朗読されていた。 「あの部分は教えていません!」 理事長は激しく呼び止められた。 「なぜ隠していたのか」と問うトリーブスに、 「話せることを知られるのが怖かったんです」と答えるメリック。 弱い者は弱いなりに、さまざまな知恵を働かせてその場を生き抜く。バイツのもとでは白痴と思わせ、トリーブスの保護を前にしては話せる自分を明らかにする、その知恵の哀しさ。 ともあれ、こうしてロンドン病院の一画をあてがわれた。ただ、その安息も長くは続かない。メリックの周りには酒場で見つけた客から金を取り、見せ物にしようとする卑劣な病院警備員がいるし、貴重な金づるを失った興業主ハイツも、機会をうかがってメリックをつけ狙っている。 ●哀しみを耐えて… ある日、背広を新調し、紳士然としたメリックは、トリーブスの家に招かれた。 トリーブスの妻アン(ハンナ・ゴードン)はメリックを暖かくもてなし、手を差し伸べる。あいさつを試みながら、しかしメリックは口ごもる。 「どうかしましたか?」 「すみません。あなたのような美しい御婦人からこれほど優しく迎えられるなんてことは今まで……(鳴咽)おお、許して下さい」 その言葉にさそわれて感情を乱しかけるアンだが、気をとり直して応接間に案内する。 あたりを見回すメリック。なんてすばらしい部屋だろう。おや、あれは? 居並ぶ装飾品の中に立つ何点かの肖像写真。 「家族の写真ですわ。これは子どもたち……」 「すばらしい! 見せて下さい。……今、どこにいるのですか?」 「近所の友だちの家へ遊びに行ってるよ」 「これが母です」 「おお! 気品のある顔立ちだ」 そのうち、「私も母の写真を持っています。見ますか?」と言って、彼が肌身はなさず持ち続けてきた肖像写真を差し出す。 「まあ、なんてお美しい方!」 驚き目をみはるアンを前に、メリックは静かに語る。 「母は天使の顔を持っていました。私が生まれたとき、母はどう思ったでしょう。このような私を見てきっと失望したに違いありません」 「そんなこと! あなたのような立派な息子さんに失望だなんて」 「こんなに素晴らしい友達と一緒の所を見れば、母もきっと安心して今の私を愛してくれるに違いありません。……私はいつも努力してるんです。美しい母にふさわしい自分であろうと」 アンは涙をこらえきれない。美しい母の面影を抱き続け、耐えに耐え忍んできた苦難の人生、それを思えば私もつらく、この後ラストまでこのつらさは続く。 ●窓から見える尖塔 そういえば何度あの母の写真が出てきたことだろう。メリックが母の肖像に目を落とすとき、ジョン・モリスのあの哀切のテーマが必ず流れる。母は耐えよと教えている。そして母は強く生きろと励ましもした。 たった一人のジョン・メリックbbしかし今、トリーブスをはじめとする人々と出会った。 お茶会に招かれた日の夜、メリックは廊下のゴミ箱をあさってボール紙の端切れを拾い集めた。 小さな四角い窓から見える聖パトリック寺院の尖塔。その模型作りを思い立ったのは生命の証か。自由のきく左手一本でひとつひとつ器用に、その所作には宗教的な壮厳ささえ感じられた。 病室の壁に2枚の絵が飾ってある。そのうちの1枚はベッドに寝ている少年。ふとメリックは「私もあんなふうに眠れたら」とつぶやく。横になって眠るという行為は、メリックの病気にとって死を意味する。 彼はトリーブスにたずねた。 「私の病気は治せるのですか?」 「進行を止めることはできるが、治すことは不可能だ」 ●偽善と慈善の中でメリックを紹介した新聞記事を見て、舞台女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)が病室を訪れた。彼女は自分の写真と『ロミオとジュリエット』の本を贈った。やがて聖パトリック寺院の模型にも目を止めた。 「あそこから下は見えないので、想像に頼るしかないんです」 淋しそうにつぶやくメリック。外へ出たいという欲求が垣間見えたような気がした。だが、ケンドール夫人に何がしてやれよう。 トリーブスでさえそうだ。彼はメリックを少しでも外の世界へ近づけようと、上流階級の人をたくさん呼ぶ。招かれる彼らは単に好奇心で来ているだけで、中にはメリックの姿に眉をしかめる者さえいる。婦長まで「先生は病院を見せ物小屋に代えているだけではないか」と問う。トリーブスはそのことで悩みはじめる。 アレキサンドラ皇太子妃が女王の意向を伝え、ロンドン病院の一室がメリックの終身ホームになろうとも、しょせんそれは形を変えた隔離の場でしかない。 ●醜さの極致 製作時、弱冠33歳だった監督デヴィッド・リンチは、メリックの外見の醜さを強調することで人間の真の醜さと対比させた。 病院警備員のジム(マイケル・エルブィック)は卑劣の極みだ。 酒場で怖いもの見たさの酔っぱらいを募り、夜を待ってメリックの病室に連れ込む。低劣な酔漢は悲鳴をあげて恐れおののく娼婦たちをむりやりメリックの体に押しあてがう。ジムをはじめとする破廉恥漢どもは床に倒れ込んだメリックの顔にウイスキーを浴びせかける。仕上げはジムが鏡を出してその顔に近づける。悲鳴をあげるメリックを見てみんなは狂喜乱舞する。ジョン・モリスの音楽がひときわ効果を加える愚劣な舞踏の場面。かつてこれほどすさまじい映像があっただろうか。 このあとメリックはバイツに連れ去られ、大陸に渡って再び見せ物に出される。しかし、メリックはもうバイツの言うことは聞かない。そのため、ひどい仕打ちを受ける。 ●「私は人間だ!」 だが、見せ物小屋の仲間たちは相談して彼を脱出させる。大男や小人たちが、暗い森の中、ランプの灯をかざし、打ちひしがれたメリックを支えて歩いてゆく。明りが川面に点々と浮かぶ。童話の一ぺ一ジを思わせる美しい情景bb。 同じ運命を背負う者だけが真の味方たりうるか。「幸運を、わが友よ!」、小人に送られ、船上の人となって振り返ったとき、メリックは何か言いたかったに違いない。しかし彼は黙ってトリーブスのいるイギリスヘと向った。 ロンドン駅。仮面ですっぽり顔を隠したメリックは子供たちの好奇の的だ。まとわりつかれ、突然ビッコをひきながら逃げ出すメリック。振り向く女の悲鳴。階段をかけおりるメリック。絶叫する少女を押し倒してなおも逃げると、今度は大人たちが追いかけて来る。たちまちふくれあがった集団に取り囲まれ、ついには仮面まではぎ取られる。 どよめきが起こった。なおも追いかける群衆。メリックは公衆便所の隅に追いつめられそこで叫ぶ。 「私は動物じゃない! 象じゃない! 私は人間だ!」 ●一人歩きした映画 ロンドン駅でのシーン。スピードと緊迫感みなぎるあの場面は映画の古典を思わせる。彫りの深い撮影(フレディー・フランシス)は特筆に値するのではないか。さらに、人間の心のひだを鮮かに演ずる名脇役陣など、この作品の良さを語ればきりがない。 そして映画は命の息吹きをもって独り歩きした。デヴィッド・リンチの前作『イレイザーヘッド』や次回作のSFがどんな作品であれ、この事実は変わらない。 作者はあえて何も語らない。監督にいちばん近い人物はトリーブスであろうが、そのトリーブスさえとまどい、最後までメリックを理解できないでいる。 ただ、忘れてならないのは、物語の4分の1を過ぎた時から、カメラが正面からメリックに迫っていることだ。その時から観客は向き合って主人公と接する。メリックの存在をどう受け止めるか、それはひとえに観客の心理にかかってきている。観客のある人はメリックの悲惨な体験に心を痛め、またある人はトリーブスやバイツやノラなどに自分を見る思いがするだろう。当然、途中で席を立つ人もいる。そして見る人それぞれがそれぞれの評価を下す。 〈エレファント・マンが素顔を見せるとき、彼の存在そのものが、私たちの心の深さとやさしさを映し出す鏡になる〉と言った人がいる(清川妙・作家・広告のコピーより)。私はこの言葉こそ名言であると信じている。 それにしてもあの天使の顔を持つ母親はどうなったのだろう。生きているのか死んだのか。この想像もまた見る人それぞれの判断にまかすしかない。 ●“異形”を見る心 何も語らぬ映画から何を読みとることができるか。 ある意味では障害者問題であり、別の見方をすればもっとグローバルな問題を指摘しているようにもとれる。 戦争も環境破壊も極言すれば人間性の欠落から起こされていることである。そしてその人間性を試すバロメーターのひとつが、異形者を見る人の目と心であろう。 ある人は言う。「メリックも知性と教養を備える点ではしょせん障害者のエリート」。 だが、メリックの知性や教養は何ら差別を解消しうるものではなかった。むしろ逆に、無知な民衆というものは、異形者が知性の点などで自分よりも上だと知ると、かえって憎悪をむき出しにして差別心を増幅させるものだ。 そして今、科学は最高の域に達し、社会福祉の前進は映画の時代とは比較にならない。にもかかわらず異形者を見る人の目と心はどれだけ変わったと言うのだろうか。 ●遥かなる終焉 ケンドール夫人に招かれた観劇の帰り、メリックはトリーブスに向かってこう語る。 「私は信じています。(劇中の)あの牢に閉じこめられた鬼は、一生外へは出られないでしょう」 そこからは一歩も出られない自分、これ以上は誰にも受け入れてもらえない自分、それを思うメリック自身の吐露であったのか。 しかし、トリーブスはその言葉の真の意味をまったく理解できず、「おやすみ」を言って廊下に出て行くしかなかった。 その夜、メリックは、聖パトリック寺院の模型を完成させ、重ね合わせた枕をすべて取り払って安らかな死の床につく。 メリックの生命の証である聖パトリック寺院の模型の全景。そのすべてに彼の無念の想いが込められているのか。いや、そう考えるのは俗物であろう。メリックの静かな気持を思えば、許すことしか知らぬ彼の心情をもってすれば、そこに込められているものは“祈り”以外の何ものでもあり得まい。 窓の向うに広がる大宇宙――星の彼方の奥から美しき母の顔が。そしてその母の声がやさしく語りかける。 |

| 決して 決して 何も死なない 小川は流れ 風はそよぎ 雲は漂い 心はときめく…… 何も死すものはない |
| bbそして、すべては闇の中へ…… |
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