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| ある日、青霧学園へ、隣町のミッションスクール聖磔女子学院から校内演劇開催のお知らせが舞い込んだ。 |
| ●……聖磔女子学院中学校・高等学校では毎年イェス様の受難を生徒に追体験させるため、『十字架の道行き』を行っています。 演劇をとおして、イェス様に代わって本校の生徒が十字架への道を歩みます。 ●今年イェス様を演ずるのは、中等部3年1組の藤井百合菜さんです。 彼女は全校生徒の原罪を十字架とともに背負い、鞭打たれながらゴルゴダの丘まで引回されます。 ●……百合菜さんが次々に出遭う受難劇を、皆さんにも見ていただきたく御招待のお知らせをお送りしました。開催当日は、一人でも多くの生徒さん、親御さんのお越しをお待ちします。 |
| お知らせはそのまま校内掲示板に貼り出されたが、反応は至って冷ややかであった。 「聖磔学院って、ミッション系だろ?」 「アーメン、ソーメンか」 「これからの季節にはいいな」 「なんだ、それ?」 「ソーメンだろ」 「バカか」 とばかり、笑い者にしかならなかった。 というのもこの学園の校長は某新興宗教にかぶれるあまり、他の宗派をことごとく嫌い、その傾向が校風にも色濃く反映されていたからだ。 「クリスチャンには犯罪者が多いんだってな」 「“復讐するは我にあり”!」 「渋いな。こないだテレビで再放送見た」 「ありもせぬ神など信ずるからこのザマだ!」 「なんだ今のは?」 「時代劇映画『眠狂四郎』に出てくる主人公の決めゼリフだ」 「おまえ、古すぎるぞ。いつの時代の映画だ」 「ジッちゃん、チャンバラ好きだからな」 というわけで総すかんだったが、ただ一人の発言が話の流れを変えた。 「俺、メル・ギブソンが監督した『パッション』見た。それこそキリストの受難劇をリアルに描いた映画だぞ」 「それがどうした」 「鞭打ち場面がエグかった」 「だからどうしたというんだ」 「あれが女だったらどんなにかいいかと思った」 「おまえ変態か」 と、いったんは否定的な空気に押されたものの…… 「そうか。キリスト受難劇は形を変えたSMか。聖磔学院は高校も中学も女子専門だったよな」 その場の雰囲気ががらりと変わったのは、この瞬間からだった。 生徒たちの立ち話を教師の一人が聞いていた。ただ、この教師、後半の話の流れが変わった部分は聞いていなかった。 だから話半ばまでを職員室に持ち帰った。 「いけませんねえー。あんな調子では、誰も彼も協力的ではないでしょうねえー。元々、校長がアレですからねえー。こんな話を生徒会に持って行ってもバカにされるだけですよねえー」 報告を聞いて、職員一同ガッカリして顔を見合わせた。 実は聖磔学院からは、向こうの校長代行、教頭名で、「とても教育的にもすぐれた演劇だから、積極的に宣伝して全校規模で観劇して欲しい」とまで働きかけられていたのだった。 教師らの落胆は、相手校の期待に応えられないためだった。 「じゃあ、職員から観劇の呼びかけはしないことにして、貼り紙だけで済ませましょう」 「そうですね。それでなくとも、この学園は大変な問題を抱えているわけですから……」 そう言いかけただけで、皆まで言わずとも教師たちは納得してうなずき合った。 それは、口に出すのもはばかれるほどのイジメが、このところの青霧学園の水面下で起こり、ほっておけば自殺にまで発展する問題となりかねない情況だったからだ。 ただ、教師がそれ以上具体的に口にしなかったのは、誰もが問題から逃げ、関わりを恐れていたからに他ならない。それは某宗教にかぶれる校長とておなじことだった。 その後、青霧学園ではイジメ問題も浮上せず、したがって自殺者が出たという悲劇も起きず、さりとて聖磔学院の受難劇への関心が高まるということもなく、いたずらに日は過ぎていった。 聖磔学園での『十字架の道行き』公演1週間前というその日である。 「校長、大変大変!」 教頭が息せき切って校長室に駆け込んだ。 「なんやね、騒々しい。廊下を走るなとは日頃生徒たちに義務づけてることやおまへんか。それを教頭たる君が、大人げないやないか」 「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないです、たぶん……」 教頭が差し出したのは隣町の聖磔学院からの“親書”で、親書というからには大変なことだろうと勝手に解釈したのだった。 そこには大要こう書かれていた。 |
| ●すでにお知らせの当学院、“受難劇”開催の当日が時々刻々近づく今日このごろ、皆様方には梅雨時を控えて[ママ]如何にお過ごしでしょうか。 ●……ここにきて大変な事態が出来して起きました[ママ]。 主役の百合菜ちゃんが怪我をして、イェス役に欠員が出たのです。みんな、もう、ただおろおろして、「このままではせっかくの苦労も努力も水のアワになる」「この世には神も仏もないのか」と、生徒の先行き将来すら危ぶまれます[ママ]。 ●……聞けば、貴校は学校演劇にすぐれた実績を有し[ママ]、こういう急場に際しては適切な支援体制が取れる学校と推察されます。どうか我が校の窮状にかんがみ[ママ]、一所懸命な生徒を哀れと思し召し、1週間というきわめて短期間ではありますれども、代役派遣を戴きたく存じます。
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信じがたいほどの乱筆、乱文に先方の混乱ぶりが察せられた。 ――こういう急場に際しては適切な学校演劇にすぐれた実績 「青霧学園ではそんな“実績”があったんかね」と校長。 |
●すでにして…… |
| 「なんじゃ、こりゃ!」 「がはははっ。アーメン、ソーメンの劇が暗礁に乗り上げたぞ」 「まっこと“受難”じゃのー」 「いい気味じゃ。人の善意になど甘えるからバチが当たったのだ」 「ありもせぬ神など信ずるからこのザマだァーっ!」 それを先途と爆笑の渦が起こり、結局、これも罵倒の上塗りとなった。 へたに生徒会になど持ちかけないで良かったと、校長も教頭も職員も胸をなで下ろし、ただただ聖磔“受難劇”の当日が過ぎ去るのを静観して待つことにした。 ところが…… 聖磔の危急を知らせ、欠員募集を求める貼り紙が出されて三日後、奇跡が起きた―― 青霧学園の、なんとイジメられっ子グループの面々が校長室に出向いて、教頭も立ち会う中で意外な申し出をしたのである。 「わたしたち、聖磔学院“受難劇”への代役に応募します!」 「この3日間、ハリツケ昇架の場面を練習しました。荊の冠も手作りで仕上げました!」 「トン子が演じます。見てください!」 そう言って中庭に出て、本格的にその場面を再現することになった。 「き、君たちいつの間に……!」 「初めは体育倉庫に誰も近づかない時間帯を選んで練習してました。でも、だんだん自信が出てきて外でも練習するようになり……これが倉庫で練習していた時の写真です」 校長も教頭も感動して目頭を熱くした。 人は誰でも、何か一つはすぐれた取り柄があるものだが、それに気づかないまま過ごす。ところが、あるきっかけを得て豁然と本領に目覚め、奮然と立つことで自信すら得るものである。 それを目の当たりにしたのだった。今、この時に、生きた教育をイジメから立ち直った生徒の姿によって教えられたのである。 「何か、いつもの君たちではないような……」 「そんなお世辞は見てからにしてください」 「そうよそうよ、さあ、始めまーす」 「スタート!」 |
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| しかし、この出来事は青霧学園に新たな火種を生じることになった。 イジメられっ子グループが稽古を積んで代役を担うことになったのを、校長も教頭も自分の胸に畳んだまま、雑事にかまけて全校にも知らせず聖磔校にも通知しなかったのだ。 「他校の窮状に同情し、学校側が率先・大々的に[ママ]告知した募集広告により、一部生徒の自立・向上・成長をもたらした[ママ]」との勝手な勘違い、思いこみによる一面的な感動もただ一時のみの気休めに過ぎず、それより自身の栄達・安泰・冥利に関わる諸々のことどもに追われ、校長も教頭もいつしかトン子ら有志生徒の勇気も義挙も努力も記憶の隅に置き忘れてしまったのである。 そして聖磔学園“受難劇”公演を2日後に控えたその時になって―― 青霧学園の、今度はイジメっ子グループの面々が校長室に出向いて、教頭も立ち会う中でこれまた意外な申し出をしたのである。 「わたしたち、聖磔学院“受難劇”への代役に応募します。まだ間に合いますね」 「この一週間近くというもの……特にピエタの場面を猛練習しました。荊の冠も手作りで仕上げました」 「優子と秀美が演じます。見てください」 そう言って中庭に出て、本格的にその場面を再現することになった。 「き、君たち、待ってくれ!」 校長も教頭も大慌てとなった。 「そういえばあさってやったなあー」 「すっかり忘れてましたねえー」 周章狼狽する校長と教頭を目の前に、せっかく張り切って出かけてきたイジメっ子グループの面々は、ぽかんと口を開けたまま訝しがるほかはなかった。 「まあ、とにかく練習の成果を見せてもらおう。 ああっ! 中庭はいかん、中庭は。万が一トン子……いや、なにかにつけてネタバレは厳禁だからな。とにかく学校はいかん」 ただ、事なかれ主義に徹するべくしてうろたえ、ネタバレはいかんと言ったわりには校舎は離れたものの、グラウンドそばのバスやトラックが通りかかるという一般道脇を、練習成果披露の場に選んだのであった。 2時間後―― 「困ったなあー」と、ほとほと困り果てた体の校長。 「先に1つ受けてますしねー」 「そっちをボツにするしかないだろう」 「えっ! トン子は降格ですか」 「役者は、さっきの連中の方が上やしなあー。マリア役の子、秀美といったっけか? なかなか泣きの場面が真に迫っていたやないか」 「お言葉ですが、わたしはトン子のハリツケ場面の絶叫の方がリアルかと思いましたが」 「あれは演技というよりはマジや。なにせ痛い目に遭うとるのは日常茶飯やからなあ。リアルすぎて、かえって教育上よろしくないわ」 その点さっきの子はルックスもええし、あれなら受けはええやろと、高校1年の割には意外に発育のいい胸だの腰だのを思い出してにんまりする校長であった。 〈教育者とは思えぬ発言……〉 教頭はそう感じたものの、強きに流されるを処世のスベとするからには決して口に出すものではなかった。 「まあ、代役は秀美と優子ということにして」と、やっと今ごろになって聖磔学院への連絡をする気になり、電話機に手を伸ばした。 「あ、もしもし。こちら青霧学園ですが……」 にやけ顔で電話する校長の頭の中では、さっき見た2人の生徒の“受難劇”の一場面がくっきりとよみがえっていた。 |
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| 「え、代役は必要ない!?」 受話器を握ったまま校長が絶句した。 「連絡もなかったので、結局こちらで乗り切ることにしました」 向こうの声は、こちらの事情を聞く前だったので、多少の自負をも込めて気楽に、快活に響いた。 が、しかし、ここまでには葛藤があった。 安易に他校に代役を願ったことに、学院理事会からは批判が出たのだ。ただでさえ宗教団体の寄付や布施、勧誘や折伏には非難がつきものなのに、何を軽はずみなことをというわけだ。 それで残りわずかとなって、青霧からは代役の承諾がなかったのを逆にバネとして、「頼るは自分たちで」という意志のもと、生徒も職員も一丸となって練習に励んだのだった。 「なにか……?」 「いえ、それは良かったですね」 その場はそう言って電話を切るしかなかった。 こうして青霧学園だけが問題を残した結果、大波乱の翌日を迎えた。 「せっかく練習を積んだのに、いまさら演劇に出られないのはなぜ?」 「すべては、あの落ちこぼれの、泣き虫連中の出しゃばりのせいよ!」 憤然として互いに互いを罵り合った。 すべては学校側の誠意のなさと、いい加減さと、身勝手さと、生徒の心をないがしろにした結果が招いた混乱と対立だった。 イジメられっ子グループとイジメっ子グループの反目が頂点に達した。といって、トン子らイジメられっ子グループもこれまでとは違う。今では演劇練習を通じて自信を身に付け、なにかにつけて気迫がイジメっ子らに勝るとも劣らなかった。 「あんな連中なによ!」 「よし、もっと仲間を増やしてやっつけよう!」 その日のうちに勢力を増やし、青霧学園に凄惨な第一次スクール・ウォーズ勃発かという一触即発の大危機が生じたその時、異変をどこからか聞きつけた聖磔学園演劇部の生徒が粋な計らいをした。 翌る聖磔学院の“受難劇”開演当日――。 劇は収容人員の大幅増から近くの教会大聖堂を使って行なわれ、聖磔学院全校生徒と、青霧学園の全校生徒をも招いて行なわれた。 そして舞台には聖磔学院出演者のほか、青霧学園のトン子も優子も秀美も出演して、全舞台を3つに割って、それぞれのイェス役が舞台ごとを演じ分ける方式にて行なわれたのである。 2つの学校による友情あふれる舞台は、やんやの喝采で幕を開け、しみじみとした余韻により幕を閉じた。もちろん青霧学園の男子生が喜んだのは当然だが、彼らがどのような妄想のもとに見ていたかはここでは問題にしない。 ただ、これを機に聖磔、青霧両校の交流は深まり、青霧学園からは、その後深刻なイジメの噂は聞かれなくなったとのことである。 |