小市民の思考

例えば、欲しくて欲しくてしょうがなかった本を、1日中さがしまわっても、見つからず、
脱力感いっぱいで、重い足をひきずり、家路を急いでいたら、タッチの差で
電車を一本逃がしてしまい、気をとりなおして待っていた次の電車が人身事故
で遅延し、復旧の見込みもたたず、振替輸送の駅までトボトボ歩いていたら、
雨が降りだし、傘もなく、せめて最寄の駅まで家族のものに迎えに来てもらおうと、
携帯を取り出したら、電池切れで、公衆電話も長蛇の列。
電話をあきらめて、乗り継ぎ、乗り継ぎ、やっと、家にたどり着いたら、家の者は
外出中。
電気真っ暗、門にも鍵が…。雨のふりしきる中、鍵を探せど見つからず、ゴソゴソ
してたらカバンの中からアドレス帳がこぼれおち、よりのもよって、深い水溜りに
ドボンと漬かり、拾おうとして、しゃがんだ拍子に、手にもってたおNEWのカバンの
底が思いっきりドロ水につかり、ますます脱力して、鍵を探すのをあきらめ、ものす
ごくブルーな気持ちで、家の者が帰ってくるまで、近くの本屋に避難したら、灯台もと
暗し。探していた本が見つかって涙が出るほど感激したことないですか?
私には、よくあるんですね(ちなみにこれは実話です)。
そんな時って、その事実を人に話したくなりません?
私は、なるんですね。

だ〜か〜ら、ここにきて、話をすることにしました。


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<アキレス腱断裂物語3>


続きを入力しないまま…え?もう7月ですか?そうですか。そうですか。(^^;;;;;;)。

しかし、人間の身体ってホントすごいですね。今の足の状況は、歩くには全く支障はないくらいに復活しました。
いよいよ夏に向かって、テニスを再開しようかと思っている今日この頃です。

経過の羅列になってしまいますが、ま、みなさんがアキレス腱を切った時に、せめて目安になればと思い入力しておきます。

 

2005年1月〜2月

今日からリハビリ開始。
病院内のリハビリテーションセンターに週1回くらいで通いはじめました。
(本当は週2回が好ましいと言われましたが、仕事の関係で1回にしてもらいました)

<治療内容>

治療1:温浴

ジェット気流が出てくる足用浴槽に脛から下をつけて30秒。
浴槽脇に用意されている水が入ったバケツに30秒。
これを交互にトータル5分くらい。

この治療の感想は、とにかく「水は冷たい」でした(^^;;;)。
真冬ということもあり、バケツの水は、痛いくらい冷たくて、本当は、お湯の時も水の時も、足でグーをするみたいに
指を曲げたり伸ばしたりしなくてはいけないのですが、水が対流すると冷たさが攪拌されて堪えがたいので、
チョンボして、水の時だけは動かさずジーーーッッとしてました。(それでもいいって言われたもん!!)

チョンボといえば、水とお湯との交換の時って、ホンの数秒ですがロスタイムが出るじゃないですか。
ストップウォッチで計りながら行うんですが、お湯から水に交換の際は、ストップウォッチは止めたらすぐにオンして
交換動作自体(ゆっくりモード)もカウントに入れ(^^;;;)、水からお湯に交換の際には、アラーム鳴る直前に足を出す
動作に入り、すばやくお湯に足を突っ込み「温か〜い」と感慨に浸りながら、「あ。押すの忘れちゃったわ!」などと
見え透いたひとりごとを言いながら、ゆっくりストップウォッチをオンにするという、せこいズルをしてました(笑)。
そのうち、水にコッソリお湯を入れ、ぬるま湯にするという荒業に切り替えましたが…(爆)。

 

治療2:マッサージ

担当の先生による触診+マッサージ。
そもそも、私は、肩こりとは無縁の人間で、マッサージ関係は肩といわず、足といわず、あんまり気持ちいいと
思ったことはないので効果を体感できずにいましたが、この時ばかりはマッサージ効果を体感できました。

先生にマッサージをしてもらうと、歩く時、本当に痛みが違うんです。
また、このセンターで歩くと、気持ちがゆったりしているせいでしょうか、歩くぎこちなさが通常の半分になるから不思議。

通常の生活だと、時間を気にしないでゆっくり歩くわけにもいかず(遅刻ギリギリな性分なので…)、気持ちがあせって、
本当は、踵をつけて、ゆっくり足の裏全体を地面に接着し、最後につまさきで蹴る(この蹴るのが大事)という動作を
一歩一歩着実にしなくてはいけないんですが、実際は、それを大幅に無視して、踵気味に重心を乗せたままチョコっと
左足を着いたらすぐに右を出して(これだと痛くない)歩き、そのうちだんだん体の向きが右斜めになってきて、
最悪は右足ケンケン状態。ダメじゃーーん(^^;;;;;;)。

今は、もう、かなり普通の歩き方ですが、それでも、やはり、この時の名残なのか、怪我前に比べて、足の重心が
やや踵よりになった気がします。

 

治療3:歩行訓練

私、かなり治癒力優秀者のようでした(エバリ!!)

先生やセンターの方々に、「恐るべき回復力。さすが運動やってた方は違いますね。」などとおだてられ
調子にのって歩きましたねぇ。ええ。ガシガシ歩きましたよ(笑)。

リハビリって痛いものだと思っていて、スポーツ選手の体験談とかでも、泣きながら頑張ったっていうの
良く聞くじゃないですか。なので、「私も、負けられないわ!(誰に?)」って妙に張り切って、
痛いの我慢してすごい勢いで歩いてたんですけどね。

ある日、何かの話の流れで、「痛いのはどこまで我慢すればいいんですかねぇ?」と言ったら、
「いや、痛かったら我慢しないでください。」と言われました(^^;;;)。

どうやら、私、頑張る方向を間違えてたようです(笑)。

 

<病状>

この段階では、健康なほうのアキレス腱と怪我をしたほうのアキレス腱では太さが、かなり違います。
健康なアキレス腱が指1本分くらいの太さだとすると、指3本分くらいある感じ。
また、踵からふくらはぎにかけて手でなぞると、アキレス腱部分弓なりに凹んでいると思いますが、怪我したほうの足は
弓なりに(気持ち)でっぱっています。
両足を伸ばして床に座り、足首を手前に曲げると、健康な足のほうは、うっすらと隙間が空いてますが、
怪我したほうのアキレス腱部分が床にあたります。

リハビリの先生の説明は、怪我した時幹部が治るまで守るようにかさぶたが出来るのと同じで、
アキレス腱のまわりを守っているので、太くなっているということでした。
アキレス腱のまわりにかさぶたができているわけではないでしょうが、わたし的いは、とても説得力のある
説明でした。

 

<感想>

はじめての体験なので、私は週1回ココに通うのが、とても楽しかったです。
先生も同じ年くらいでしょうか。
とても優しくてかわいらしい方で、先生と接する時は、かなりオヤジ化してしまいました。

リハビリセンターにいらしている人は、私よりも、もっとシリアスな人が多いので、物見遊山的な私は
すごく浮いていました。
「ギブス姿をデジカメでとっちゃいましたよー♪デヘヘ」なんて話したら、「前向きでいいですね」って
感心されちゃいました(^^;;)。

通う日時が決まっていたので、だいたいいつも決まったメンバーが部屋にいます。
「あ。今日も来たね。同志!」みたいな感覚で、ダラダラお話をする暇はないのですが、
目で意思疎通が出来て嬉しかったです。

私の同志は、お手玉を篭に入れる訓練をしていたおばあちゃんと、階段の上り下りをするおばあちゃん、
(この人が先にやっていたら私はベンチで待っていて、私が先だったらおばあちゃんが待っている)
私が足の温浴をしている時に肘の温浴をしているおじさん、歩行訓練の為、病院内を一周してくる
おばあちゃんの4人。あとは、単発で会う人々。

先生も3〜4人で、室内も、そんなに広くないのですが、効率よく対応していて、私はとても好感が
持てました。

研究生(学生さん)も受け入れていて、私が通っている2ヶ月の間に、3人くらいが私の観察してました。
病状が軽く、おしゃべりが好きそうだったので白羽の矢がたったのでしょう。
「お話聞かせていただいていいですか?」って言われて、同じような話を3回も繰り返しました(笑)。

 

2005年3月

リハビリも2週間に1回になり様子を見た後、病院とお別れをする日がやってきました。
あとは地道に、自分で、お風呂の時にマッサージしたり、エクササイズをしたりして、
完治を待つことに。

この段階で、歩くぶんには、ほとんど支障はなく、見た感じも怪我をしてるとは思えないくらいです。
勿論、もう、優先席には座れません。

走ることは、「また切れたら…」という恐怖もありますが、それだけでなく、やはり、まだ、
この段階では、ちょっと無理です。
そもそも、まだ、爪先立ちが出来ない為、着地後の蹴り上げが不完全なので、
当面は、「支えナシで、爪先立ちができるようになる」というのが目標です。

 

2005年7月04日

今現在も太さは違いますし、床に座ると、怪我したほうのアキレス腱部分は床に当たります。
以前に比べ、指2本くらいの太さにはなりましたが、まだ完治というわけではないのかもしれません。
このまま、ずっと、このままなのか不安ではありますが、先生がおっしゃるには、筋肉がつけば、自然と
普通に戻るらしいので、いましばらく様子をみようと思います。

ちなみに、爪先立ちは出来るようになりました。
全力疾走ではありませんが、走ることも可能です。

もともと足の速さが自慢で、テニスの時など普通の人が諦めてしまうボールも、難なく拾えたのですが
きっと、もう、無理でしょう。またテニスを始める予定でいるので、その事実を受け入れられるかが、
今後の私の課題になるかもしれません。

今、こうして、当時のことを振り返ってみたわけですが、たかだか半年前のことなのに、全然遠い昔のようで
いろいろなことを、ザックリ忘れていることに愕然とします。

もう、あの、松葉杖の筋肉痛も、歩くだけで痛かったことも、他人事のようです。
過日、久しぶりに友人と会ったのですが、その友人は一番ヒドイ状況の時を知っていて、
半ベソかきながら東京ドームの階段をあがったことなど、「嘘みたいだね」を連発しながら、懐かしく
語り合っていました。

時間がたつと、痛みや大変さは、笑い話に変わるもんなんですね。
これから先、いろいろなことがあるとは思いますが、「時の流れの魔法」を信じて、頑張っていけそうな気がします。

最後になりましたが、今回の怪我で、本当に沢山のかたにご迷惑をおかけし、また、沢山の温かい心遣いを
感じることができました。

ごめんなさい。そして、心から、ありがとうございました。

2005.07.04


<アキレス腱断裂物語2>


この前、アキレス腱断裂物語をアップして、気を抜いていたら、あっ!という間に半月たってしまった。ぼちぼち続きをば。

2005年1月12日

丸3週間たち、無事、ギブスを取る日がやってきました。そうです。下記写真の翌日です。

お風呂に入る時も、ベットに寝っころがる時も、両手でそーーっと移動させて、まるでコワレモノの荷物のように、
大切に扱ってきた重い左足とのお別れの日です。

とにかく、何をするにも不自由でうっとおしいギブスを「早く取ってしまいたい!」という気持ちが500%あるのですが、
いざ、はずすとなると、なんとなーく、名残惜しく感じて、もう少し、このまま重病人っぽく過ごしていたい…みんなに
心配してもらいたい…なんて思ってしまったりするから、人間って不思議です。
そう、遠い昔、朝礼とかで貧血で倒れるシチュエーションにあこがれていた健康人特有の脳天気な願望に近い感覚。

そして、別れる時になって、あらてめて気づく、ギブスへの愛着。
眺めれば眺めるほどギブスが愛しく感じられ、ともに戦ってきた同志の顔に染み付いた汚れにさえも頬擦りしたくなる始末。
(身体が固くて頬ずりするほど前屈できなかったけど…^^;;)

「出会いがあれば別れもあるのよ…泣いちゃダメ。別れに涙は禁物よ。これから私は自由になるの。身軽になるのよ!」
などと、わけのわからないことを自分とギブスに言い聞かせ(笑)、いざ病院へ。

写真を見ていただいても小さいからわかりづらいですかね?

今のギブスは、石膏じゃないんですよ!
なんかね、特殊な包帯をお湯に浸してクルクル巻くいて、その上からお湯だか薬品だかを塗り塗りすると、プラスチックように
包帯が固まるんです。重さも石膏より数倍軽くて「昔にくらべて良くなったのよー」と看護婦さんご自慢の逸品でした。

そんな優れもののギブスは外す時もお手軽。
洋裁のルレットってあるじゃないですか?
あれのクルクル動く部分が固定されて、電気の振動で動き、プラスチックの布をほじくる感じ。
ギブスと肌の間にサポーターが巻いてあるんですが、その布にくっつくと止まるので、決して肌が切れることはないのだそう。
そう言われても、実際、作業中は、電動ノコギリがプラスチックを切っているような音がするし、常にブルブル振動してるし、
全然、痛くないけど、怖いったらありゃしない。

「昔は、外すのも大変だったのよー。でも今は、ホント便利。」と言いながら看護婦さん頑張る。頑張る。
でも、やはり、ルレットサイズだけあって、膝上からカカトまで中側外側と2本の切り込みを入れるまでに、かなりの時間
を要しました。

そして、いよいよ、ナマ左足とご対面!!

おお!左足ちゃん、元気だったかい?と思わず口走って、看護婦さんと目が合い、元気じゃないですよね…なんて
ひとりボケツッコミ。こんなところでウケをとってどうするんだ…自分(^^;;;;;)。

いやぁ、噂には聞いていましたが、ホント、関節が曲がりませんね。
膝は、少しゆるめに固定していたので、多少の違和感はありましたが、「エイ!」という気合のもと、即、曲がりました。
ていうか即曲げました。
あの時の看護婦さんや先生の驚いた顔が忘れられません(笑)。
でも、さすがに、足首はダメで(当たり前)、リハビリ開始とあいなりました。
私の太い太いももも、ひとまわり細くなった気がします。

知らないとは恐ろしいもので、私、ギブスが取れたら、即、歩けるようになると思ってたんですよね。
だから、2月にはテニススクール復帰の予定を立ててたんです。

取ってみてビックリ!全然歩けない(((>_<)))。結局、松葉杖からは解放されませんでした。

でも、膝が曲がるだけで、こんなにも生活しやすいとは思いませんでした。
ダンサーのように足先伸ばして、もも上げ状態での歩行と、おさらばできただけでも、疲労度は450%減。

ま、私自身、松葉杖に慣れたせいもありますが、お尻で上り下りしていた(^^;;)仕事先の急な階段も松葉でクリア!
駅などの低い段差の階段は、とーってもリズミカル!!
ブラボー!膝関節。GO!GO!!屈伸。

そして月日は流れ1週間後。

 

2005年1月19日

松葉さばきも堂に入って、多少の障害物なら松葉の先で「ペシッ!」と避けられるようになり、わが手のごとく
馴染んできた松葉brothersともお別れする日が来ました。

良きパートナーであった松葉brothersはレンタルで、1日1本100円。両方なので1日200円。
もしかすると、片方の松葉で少し様子を見るべきだったかもしれません。
でも、同じように私を支えてくれた二人のうちどちらかを選ぶことなど私には出来なかった…。
優柔不断な私を許してちょうだい。
どちらかを選ぶことができないのなら、いっそ、思いっきりよく両方とも手放してしいましょう。

ああ…せめてどちらかが50円だったら…(笑)。

と、いうわけで、頼らない自立した生活をめざして、再出発したのでした!

この、松葉が取れた時期から、もう特権はなくなってしまいました。
どんなに痛くても、バランスが悪くても、見た目が普通の私に、誰も席を譲ってはくれなくなりました。
実際、固定している時は、足先をつかない限りは痛くなかったんですが、このリハビリ期間は、ものすごく痛くて
目的地までの到着時間も、松葉を使っていた時より2倍もかかる状態だったのですが…。

世の中、こんなもんなんですね(;_;)
やっぱり松葉brothersに側にいてもらえば良かったと、幾晩も後悔の涙で枕を濡らしました。

 

突然ですが、すみません。ちょっと用事が。この続きは、また後日ということで。

2005.2.28


<アキレス腱断裂物語1>


さてさて、2005年、とっぱじめの更新がアキレス腱断裂物語っていうのも、なんとも
情けないですが、せっかくの(?)稀な体験なので、感情がHOTなうちに書き残して
おこうかな。と。

ことの起こりは昨年末。

2004年12月20日

通っていたテニススクールの最終日に行われたクラス内試合の時でした。
エースをねらえ世代で、松岡修三の大ファンの私は、10年くらい前まで
かなりテニスにお金と暇をかけていたので、ブランクはあったものの、現状のクラスでは、
少し天狗になってまして(実際は自分が思うほどうまくなかったんだけどね…^^;;)
久しぶりの試合を、密かに、やる気満々、いや正確には勝つ気満々で臨んだわけです(笑)。

いざ勝負!

幸先良くトスに勝ち、私のサーブから試合開始。
一球目フォルト。
あらあら。ちょっと力が入りすぎちゃったわ。おほほぉ〜とか笑って誤魔化しながらも目は真剣。
ますます力が入って二球目。ちょっといいところに入り、かなり角度がついたレシーブ。
入ったか入らなかったか忘れたけど、負けず嫌いな私は、とにかく前へダッーシュ。

「パチン!」

 へ?

「ちょっとぉ誰かカカト蹴った?」
「なんか、いやぁな感じに音が…。」
「い、いや、大丈夫だから。大丈夫。大丈夫。」
「あれれぇ…だ、だいじょうぶ…かな?」
「あ。ちょっとヤバイかも。」
「でへへ…ダメだ…パス…」

てなわけで、あんなにハリキッていたのに、あっけなく二球で貧乏撃沈(^^;;;;)。

私はね、最初、隣のコートからボールが飛んできたか、誰かとぶつかったかと思ったんですよ。
でも、周りは誰もいないし、障害物は何もないし、ボールが飛んできた気配もない。
正直なところ「パチン」と音が聞こえたんだけど、それを頭が「何も聞いてない。聞いてないぞ。」
って懸命に否定してる感じでした。
あまりにもみんなが心配そうに寄ってきたので、「これは大変なことになった…」と
思ったんでしょうね。今思い出すと、結構、無茶したな自分と思うけど、
足首グルグル回して「ホラ、平気!平気!!」ってしきりにアピールしまくってました。
おかげで、コーチも、軽い捻挫かなって診断で、即病院ってことにはならなかったんです。

帰りも、ちょっと足をひきづりながらも満員電車に揺られて小一時間座れずに帰り、
次の日はどうしても仕事に行かなくてはいけなかったので、「ちょっと腫れてきた?」
と思いながらも仕事へ。
託児の仕事が終わったら(走りまわる子供のお世話だったので)、さすがに痛みだしてきたので
早退させてもらい、病院へ。

近くの医者に駆け込めばいいものを、こんな時だけ頭が冷静に判断し(いや逆に冷静じゃなかったのかも)
通院を考えて自宅近くの整形外科に行こうと考え帰路についたものの、歩行に思った以上に時間がかかり、
自宅に着いた時には診療時間を過ぎていたのであった((>_<))

わたし的には、次の日が休みなので、「明日でいいや…」と思っていたんだけど、
かなりの足のひきづりように、母親がうろたえてしまい、とにかく、かかりつけの病院へ
ひきずって行かれました。
ま、いいんだけどね。お母さん。ココ胃腸科外科だから(爆)

かなり気休めではありましたが(^^;;)、急遽固定してくれて、痛み止めをもらったので、
結果的には良かったと思ってます。

そして、翌朝、整形外科での診察の結果、「アキレス腱部分断裂」。
即ギブス&両松葉杖決定!
部分断裂だし、スポーツ選手でもないので、手術はしないとのことで、
ちょっとホッとしました。

そして、こんな姿になりました。

     2004年12月22日よりギブス&松葉杖生活開始


私、いわゆる「元気だけが取柄で…」な人でして。
世の中、「元気なだけが取柄で…」という人、結構いますよね。
その元気自慢が100人集まったとしても、かなり上位にランクされるんじゃ
ないかと自負してるんですけど、私を知っている方、どうですかね。
頷いてますかね。

しかも、私、某体育大学出身でしてね、生粋の体育会系だと思うんですよ。
小さい頃から体育が5以下のことなかったし、運動神経および体力にはかなり
自信をもってて、ケガや病気は自分とは無縁と思ってたフシがあるんですよね。

それが、ギブスで松葉杖ですから、かなりショックでしたね。
でも、私以上に、両親、特に母親が、大ショックを受けてました。

確かに、慣れない松葉杖を駆使し、筋肉痛に耐えながら、顔をゆがませて歩く姿は
痛々しいことこの上なく、自分で言うのもナンですが、思わず抱きしめて
あげたくなるような(笑)哀愁を帯びた後姿だったろうと思います。

しかし、まぁ、具合が悪くなって、あらためて知る、自分のスケジュールの節操のなさ。
12月12日に仕事先の2年に1度の大イベントが終わったので、ここぞとばかりに、観劇だ
ライブだ、お泊り会だ、忘年会だ、新年会だと、いれまくったのがいけなかった。


ほぼ90%の約束をキャンセル。
(実際、元気でも、こなすの大変だったと思われる…^^;;)

関係者の皆様には、本当にご迷惑おかけしました。
この場を借りてお詫びします。
また、温かい励ましのお言葉やお見舞いの品々、ありがとうございました。
すっごく嬉しかったです(;_;)。

でも、ま、年末年始の雑事などもぜーーんぶ免除になったので、それなりに
イイ思いもしましたので、ヨシとしましょう。

そんなこんなで、かなり、バタバタしましたが、ギブスから5日目には
仕事に復帰(事務仕事のみ)。
年末年始の休みをはさんで、2005年1月4日からは通常どおり出勤して、
事務仕事のみならず託児の仕事もこなしました。
我ながら、これは、誉めてあげたいと思います。

ケガが左足だったのでオートマなら運転可能だったのが最大のラッキー
だったと思います。久しぶりの車通勤は、なかなか新鮮でした。

思い起こせば、この時期は、とにかく、何をするのにも時間がかかり
体力、気力ともに、消え入る寸前って感じでした。

足自体は動かさなければ痛くなかったので不幸中の幸いでしたが、
松葉杖で普段使い慣れない筋肉をたっぷり鍛えていただいたおかげで
身体中が痛くて、消耗も激しく、実際の病状以上の重病人っぷりでした。

なんせ、足の先を伸ばした形でのギブスなもんで、右足より20cmくらい
長い状態なわけですね。必然的に、腿上げ状態ですわな。
それにギブスの重みが加わった日にやぁ…((>_<))
両腕&両脇の筋肉はもとより、松葉を握っている手のひらも痛くて
ホント泣きたくなりました。
「もう嫌。もういい。このままここにいる。動きたくない。」
何度つぶやいたことでしょう…。

※写真は翌日ギブスがとれるという時期に写したので、なんとなく
 元気そうにとれてますがね…(笑)

この頃のささやかな喜びといえば、電車で誰に気兼ねなくシルバーシートに
座れたことかな。ま、普通の席でも、大概譲ってくれるんですけど、
嫌味な感じがするので、あえてシルバーシートのマークのあるところに
乗るようにしてました。

あと、意外にも、おばさんが優しかったな。
「私も松葉杖ついたことがあるからわかるのよ。大変よね。」とか
「お大事に」とか、全く面識のない人に何度か声をかけられました。
これがまた甘やかすような偽善チックな感じではなく、サラリとした感じで、
なんか、すごく嬉しかったです。

面白いなと思ったのは、ぶつかってくる確率が最も高いのが若い女性だった点。
悪意がないのはわかるんだけど、視野が狭いのか、急ぎすぎてるのか、
思いっきりぶつかってきますね。
女なんか眼中ナシってことなのかしらん(笑)。
で、ぶつかって、はじめて、松葉杖とギブスの存在に気づくらしく、一瞬
「しまった」って顔を見せるものの、「ごめんなさい」と聞こえるように言う人は
私が体勢を大きく崩し、「ひゃぁー」と声をあげた時以外はあまりいなかったですね。
ちなみに、私は、その女性に対して、すぐ「ごめんなさい」と言います。
もともと、人の流れを、滞らせているのは私のほうですから。
でも、考えようによっては、かなり嫌味っぽく聞こえましたかね(^^;;;)。

この松葉杖生活で思ったんですけど、日本の道は、ホント段差が多いですね。
駅もエスカレーターが付いて便利になったかのように見えますが
エスカエーターのある階段が、改札から離れたほうにあったり、
到着電車に車椅子の人が乗っていて降りてくるからと(私はその電車に乗りたいのに…)、
通常は上りのエスカレーターを目の前で下りに変えられて「しばらく待ってもらうか、階段で…」
と言われたりと(私が必死でエスカレーターに向かって歩いているのをスタスタ抜かしていった
係員がでっせ。きぃーっ!!)、脱力してしまうことも多く、障害者にはホント優しくない
世の中だということを、身をもって体験しました。
(こんなもんで、「体験した!」なんて言うなって感じですけどね…^^;;)

ところで、こんな長々とアキレス腱について語ってきましたが
とても、みんなの喜ぶ話とは思えないが…いいのだろうか…。

ま、これから、誰かがアキレス腱を切るかわからないし、参考までに、完治するまで
入力しつづけようと思っています。

てことで、今日は、とりあえず、これで終了。
次回はギブスが取れた後のお話をと思ってます。

ちなみに、今2005.2.15現在で、ギブス&松葉杖とはおさらばしています。
只今、リハビリ中。なんとか自力で歩いてます。

2005.0214


<平和な日本>

水曜日、久しぶりに、お休みでした。
え?ああ、毎週2日、必ず会社はお休みなんですけどね(笑)。
ここのところなんだかんだで、全然、"何にも追われない日"というのが
なかったんで、なんか「久しぶりのお休みっ♪」っていう感覚なんですが。

でね、切りに行く暇がなくて、ほったらかしにしてたら、びっくり
するぐらい頭がデカくなってたもんで、お散歩がてら駅3つ程歩いて
カットに行って来ました。

今日は天気がよくて、適度に風があって、すーーごく気分がよかった。
最近の玄関はどこも、とてもキレイに手入れされてて、お花、満開だったし。

いろいろと凹むことや、脱力しちゃうことも、多々、あるにはあるけど
こぉ〜んな、のんびりした日を過ごせるっていうのは、やっぱり私、
恵まれてるんだなって思いました。

この空、イラクにも続いてるんだよね。

それにしても、最近のアメリカ…どうよ。
何かあるたびに、いちいち見解を出すけど、あれ聞けば聞くほど
眉間にシワが出てしまう。

TV映像が、毎日毎日、洪水のようにイラクの戦況を伝えてくる。
不毛だなぁ。なんか。

かといって、私は、何をするわけでもなく、自分の事に手一杯で
日々を過ごしているだけなんだけどね。

2003.04.11


 <ドタバタ撮影日記> 


3日ほど前、突然、わが職場である、鴨下和美フラメンコ教室に電話がかかってきた。
その依頼とは、TVの取材。
今まで、雑誌の取材とかは何度か受けたことがあるが、TVは初めて。
しかも、メジャーな日本テレビさん。

おいおい、日本テレビと言えば、光ちゃんの番組もやってるじゃん!見てるよ。毎週。
てことで(笑)、細かい内容も聞かず、既に、OK態勢。
先生をキレイに撮ってくれて、お教室の宣伝もしてくれるんだから、断る理由もないしね。

で、あらためて、内容を聞いてみると…
この3月にはじまった『汐留スタイル』という情報番組だそうで、託児付のフラメンコレッスンに
アンテナがひっかかったようだ。
そうだろう。そうだろう。
託児付きのレッスンをしているところって、フラメンコ業界広しといえど、
ウチぐらいなもんだろうよ。

ん?待てよ。となると、何?私も出るの?

…でね、その事実に気づいた日から、頭が痛くなったの。
これね、ホント、笑っちゃうんだけど、登校拒否児の朝の気分と同じで、「なんとなく痛い…」
じゃなくて、完全に「痛い。痛い。」なの。思わず、バファリン飲んじゃったもの(爆)

私をご存知の方は、もしかしたら意外に思われる方もいると思います。
実際、私、自分でも意外だったもの。
どちらかというと引っ込み思案のほうではないし、結構、目立ちたがりやっぽい、
行動をとっていることも多いので、私も、今の今まで、こういうの好きなほうなんだって
全然平気なんだって、思ってたんですよ。
それがね、まぁ、あんまり好きじゃなかったみたいなんですよね。
ン十年ぶりに明らかになる新事実(笑)。

ま、それはさておき、実際に取材が行われたわけなんですけども。
その一部始終を。

取材は2人。
大々的なカメラじゃなくて、ウチも持ってるようなホームビデオで撮ってました。
すごくラフな感じでした。
ま、半日かけた取材も、編集で1分ぐらいになるだろうって言ってたんで
そんなもんかもしれませんね。

この日の為に、今までは、別々の日に来ていたお子ちゃまを全員集めて
ジュニアの子にも人数加勢で、集まってもらい、託児人口5名様。
レッスンをする生徒さんも、正規の方+お子ちゃま達のママ+振替の方。

ウチのスタジオ、一般家庭のマンションの一室をスタジオにした感じなので狭いんですよね。
……異様な密集度+妙なテンション。

子供も、こういう、いつもとはあきらかに違う雰囲気って、察するじゃないですか。
なんか、ビミョォーな表情で、思わず、ぷぷぷ。

いつもは、天気がいいと、即、公園に連れていっちゃうんですが、
「レッスンを見る子供達の図」を撮りたいらしく、まずは、スタジオ内での保育開始。

通常、1対1、もしくは1対2ぐらいで保育してたんで、なんとか対応できたけど
今日は1対5だもの。どう考えても、無理よね。スペース的に。
どうする〜、アイフル〜(笑)。
でも、ま、多少、折り重なってたものの(笑)、なんとか、みんなでお絵描きを
はじめました。よかったよ。あんぱんマン書けるようになってて(笑)。
この4月にマスターしたのさ。バイキンマンも書けるんだぞ!

でもさ、飽きちゃうよね。
最初こそ、仲良くお絵描きしてたけどさ、撮影のタイミングがね、なかなか合わなくて。
部屋の狭さと、予測のつかない子供の行動と、フラメンコの見せ場のポーズが噛み合わず、
だんだん、お子ちゃま達の「外行きたい病」がウズウズ。

いつも来ている女の子(2歳)で、ママ達が踊り始めると、自分も一緒に踊リ出す子がいて
すごいカワイイと事前に伝えてあったんで、それを撮ろうと必死だったんだけど、なんせ、
取材者が二人とも見慣れない男の人で、カメラを持ってるもんで、テレちゃって、
踊らない踊らない。挙句に、泣いちゃうし。

自慢じゃないけど、私、託児はじめて今まで、あんなに、子供、泣かせたことないからね!

で、もう、限界ということで、公園に場所移動になりました。
ここで、また、いつもにはない珍事が。

スタジオから外に行くまでには、階段があるんですが、そこを、いつも、ゆっくり
自分達で降りさせてるんですね。
今日は、普段では一緒にならない、お子ちゃま同士が一緒になって、仲良く手をつないで
降り始めたんですよ。

おお!これは、イイ絵面だ!ってことで、階段下から、子供達の降りてくる様子を
撮影してたんですがね…。
さすが、子供。予測不可能なことをしてくれます。
いや。ある意味、予測どおりというか。
最後の1段で一人コケて、手をつないでた子もろとも、落ちました。泣きました。

自慢じゃないけど、私、託児はじめて今まで、この階段で、子供、泣かせたことないからね!

本来は、公園に行く時の絵面は、みんなで仲良く手をつないで・・・って感じをシュミレーション
してたんですが、泣いた子抱えて、半べその子と手をつなぎ、元気の有り余ってる男の子を
大声で遠隔操作し、鼻かませて…。はぁ…。
気づけば、ズボンのポケットは裏返しになってダランと出てました。私。気づきませんでした。
髪の毛は山ん婆状態でした。はい。気づきませんでした。

公園でも、「子供と楽しくニコニコ余裕の保母さんの図」と撮りたかったようですが
なんせ、子供は、動く。動く。
しかも、通常、子供を遊ばせる時って、子供とそんなに密着しないじゃないですか。
例えば、ブランコだったら、後ろから押して、たまに、前にまわって、ちょっかい出してってやるでしょ。
その上、今日は、押すブランコもひとつじゃない(笑)。
ブランコ4つ全部占領したって、一人余るんだからさ。

しかも、撮影なので、あまり、派手に動かない程度にって。
そんなブランコ、子供、面白くないよね。
案の定、普段は、ブランコで「きゃははははっ♪」って感じなのに、ブスッと神妙な顔つきしてます(^^;;)。

ひととおり公園風景を撮影して、撮影者が、スタジオのレッスン風景を撮りに行ってしまった後のほうが
子供、生き生きとして、まぁ、なんて、楽しそうなこと(笑)。この表情撮ってくれよ!

こんな調子で、全てが、空回り(爆)。
でも、なんだかんだいいながら、お子ちゃまも楽しかったらしく、「また来るからねー♪」と
元気に帰っていきました。

撮影クルーの方も、かなり、疲れてましたが、私も、かなりなもんです。
こうして、長い半日が終わったわけですが、オンエアは1分ぐらいだそうです。
どんな映像か、怖くもあり、少し楽しみでもあり…。
放映予定は5月6日(火)だそうですが、確定ではないそうなので、決まり次第、HPのどこかに(笑)
載せますね。

そして、一夜明けた、今日、頭痛は、見事に、なくなってました。
やっぱり、精神的プレッシャーだったのだろうか。

2003.4.20


<愛しのみいちゃん> 


私は、今、みいちゃんにLOVE☆LOVEである。
みいちゃんがそばにいないと心が寒い。
みいちゃん命って感じ(笑)。
もうねぇ…もう、なんていうか…とにかく愛しい。
暇があったら、ずーーーっと隣でちょっかい出してたい。
ひだまりで、一緒に、ゴロゴロしてたい。

私の心を見事に射抜いたみいちゃん、それは、おばあちゃん猫。
いやぁ〜、猫がさ、こんなにカワイイものとは思ってもいなかったよ。

出会いは、10月末。
友人夫婦がNYへお出かけしたので、1週間ほど留守を預り、一人暮しをしたのだが、
オプションでみいちゃんがついてきた。

実はさ、私、飼い主というものになったことがないのね。
私の記憶がないだけで、我が家でも犬と鳥とグッピイを飼っていたらしいんだけど
なんだかんだで死んでしまったらしく、その哀しさ故に、両親と兄は、生き物を飼うのは
やめようと家族会議で決めたらしい。

そう、末っ子の私は、その決めた後に、ものごころがついたので
猫をひろってこようが、鳥をつかまえてこようが、議論の余地なく
却下されてしまい、ずいぶん、理不尽な思いをしたもんだ。

だからさ、もう、最初はどう接していいやら…ドキドキもんでしたよ。
私が世話したとたん、ストレスでハゲになっちゃったり、グレちゃったり
家出しちゃったりしたらどうしよう…とか思ってさ。

最初にお見合いしたのは友人が旅行へ行く数週間前。
もうね、顔合わせに行ったのに、顔すら見せてくれなくてね。。(;_;)。。シクシク

でもさ、餌の威力はすごいよね。

---

と、ここまで入力して、月日はたちました。
今12月だよ。オイオイ・・・(^^;;)。

餌ね。餌。

そうなのよ。みいちゃんたら、食いしん坊だったのよ(爆)
私とみいちゃんを繋ぐ物。それはカリカリ(キャットフード)。

思いっきり、アッサリ、餌付け成功しました!

ま、餌の威力は確かにあっただろうけど、みいちゃんも観念したんだろうね。
だって、私しかいないんだもん。
二日目くらいから、その事実を受け入れたみたい。

もうさ、みいちゃんたら、笑っちゃうんだよ。

友人宅は、玄関の扉を開けると、自動的に灯りがつくのね。
と、さ、迎えにくるのよ。のそのそと。

玄関入ってすぐ正面に中扉があってね、真中がガラスになってるんだけど、みいちゃんが
すまして歩いてくるのが見えるの。
で、「お!来た来た」と思って、靴を脱いで、ゆっくり中扉を開けるとさ、わざわざ
お腹むけてねっころがってんのよ。

もうねぇ、その姿のカワイイことったら。
「なんだよぉ〜(*^o^*)」って、思わず、となりに寝ちゃうよね(笑)。

でね、ある日、あまりにもかわいいんで、意地悪してみたくなってね(^^;;)、玄関あけて、
間髪入れずに、すぐに中扉を開けたのよ。
そしたら、ねっころがりきれなかったらしくてさぁ(爆)
半分お腹むけた体勢から、ひねりをいれて、瞬時に体勢を整えて、何事もなかったように
お座りしながら、前足嘗めてたよ。

ぎゃはははははは。間に合わなかったんで誤魔化したんだよね。
状況、伝わるかなぁ〜、すんごい面白かったんだよねぇ〜。

もうさぁ、そんなみいちゃんに惚れまして(笑)、帰宅も早い。早い。
普段は、道草大好きで、なにかと帰りが遅くなりがちなんだけどさ、もうね、チャッチャと帰るからね。
娘ができた新米パパと同じ心境だね。きっと。

なんかさ、猫って面白いよね。

私もみいちゃんも、ホント、暇さえあれば、ところかまわずゴロゴロしてるんだけどさ。
あれって、なんだろうね。なんで、猫って、狭いところに来るかねぇ。

私が肘枕っていうの?(肘を立てて拳に頭をのっけてる姿勢)やってて、ゴロンとしてたらさ、
みいちゃんがスリよってきて、一緒にゴロンとするのはいいよ。
でもさ、なんで、わざわざ、その狭い、顔の前っていうか、肘の三角に空いてるところにくるかねぇ(笑)
ま、とりあえず、「みいちゃん!邪魔だよ。TV見えないよ。足のほうへ行ってよ。」と声に出して
言ってみたりするんだけど、内心は、なんか、すごく、嬉しくて、本当に足元に移動しようとすると、
その寝ている姿勢のまま、みいちゃんの後を追って、方向転換したりして、床磨きしている自分が、
ちょっと、いや、かなり、笑えるんだけどね(爆)。

そうそう、こんなこともあったわ。

私ね、みいちゃんとの生活の中で、一日だけ、ちょっと凹んだ日があったのね。
その晩はなかなか眠つけなかったんで、「みいちゃ〜ん♪」って意味もなく呼んでチョッカイ出してたのね。
ほら、猫って、呼ぶとシッポとかで、遊んでくれるでしょ。

これさ、ホント、偶然だと思うんだけど、みいちゃんてば、急にね、私の目尻を嘗めたんですよ。
それまで、みいちゃんに、指を嘗められたことはあったけど、顔は嘗められたことなかったから
ビックリしちゃった。
ま、私、別に、泣いてたわけじゃないんだけどね。

猫って、まぁ犬とかもそうだと思うけど、言葉がなくても、なんか通じるもんなんだね。察するっていうか。
もうね、みいちゃんが人間だったら、絶対に、求婚してたね。

あ〜あ。これ入力してたら、なんか、思い出しちゃったな。
みいちゃんとのLOVELOVEな日々を。
あれから丸1ヶ月とちょい。
みいちゃんは忘れちゃってるんだろうなぁ。餌やってないもんな。うーーん。せつない。

猫、飼おうかなぁ。
でもさ、私、たぶん、猫が好きなんじゃなくて、みいちゃんが好きなんだと思うんだよね。
友人にみいちゃんちょうだい!って言ってもくれないだろうなぁ。
10年以上も飼ってるからなぁ・・・。

ま、今は実家生活なので、一人暮らしでもはじめたら、考えよーっと。

そういえば、猫って、ほとんど匂わないんだね。獣臭くない。
トイレも今、いい砂があるんだね。
おしっこ含むと丸く固まるのね。すんごい!画期的!!
それをシャベルですくって捨てればいいし、便利だよね。
あれ、ちょっとくらい横にゆすっても崩れないしね。
さすがに縦にポンポンしてみたら崩れたけど(何してんだか・・・^^;;)

え?みいちゃん見たいって?
カワイイぞ〜。(既に盲目状態・・・笑)

どうだ!思わず微笑んじゃうだろ〜♪

2002.12.5


 


<青くさいモノ>

ここ数日、私は、「青くさいモノ」に凝っている。
え?いやいや、ピーマンやセロリじゃなくてさ。

キッカケはね、この前、噂の「SHOCK」を観て、Kinki Kidsの堂本光一くんに
興味をもったからなんだけど。
情報収集好きの私は、とりあえず、ここ数日で、CD5枚、光ちゃん関係の本2冊、ビデオ1本(SHOCK)買ってみたさ。

いやはや、もうねぇ…涙が出るほど、若い。
まず、歌の歌詞。ハンパじゃなく思いつめてて、青くてね。
これまた、彼らのカワユイ頃(今もカワイイけど、もう成人式すぎてるからね。彼ら)のCDジャケを
見ながら聞くと無償に切ない。途中で、ジャケットみるのも、こっぱずかしくなってきます…笑。
声も頼りなくてね。まーさーに硝子の世代だわな。

なんていうんだろう…もう、ホント、古傷が疼く感じ。いろいろなことを思い出す。

聞いたCDが比較的初期の頃のものなので、特にそういう「せつなさ」「幼さ」「思いつめ」みたいな感じの
オンパレード。
作詞、作曲も、有名どころなんだよね。山下達郎さんとか、松本隆さんとか、吉田拓郎さんとか。
みんな、あの硝子の少年達の中に、過ぎ去ってしまった青くさい季節を、投影したんだろうなぁ…って感じがする。

いろいろなものを知って越えてきた大人が、青くさい季節真っ只中の少年の言葉(声)を借りて吐露した心は、
深読みすると、本当に、涙がでてきます。
気に入ったフレーズは、後日、言葉の宝石箱にでも入れとこうと思っとります。
興味のある方は、ぜひぜひ、聞いてみてください。(とっかかりは、ベスト盤がよいかと思います。)

で、次は、本を読んでみたさ。

まずは、本屋で背表紙見たときから、すでに感動。
ここン十年と、手にしたことがなかった、丸文字+ド派手な色彩が踊ってるぞ。わーお♪
そして、帯には、「堂本光一・堂本剛のすべてがわかる!!」と書いてある。
そうかぁ。すべてかぁ…どうしよう(笑)。

どれを買っていいかわからないくらい、ファン心理をついた題名が氾濫しているジャニーズ関連本の棚を前に、
ボーゼンと立ち尽くしてしまった。

結局選んだのは、そこにある中では、一番新しそうな上述のすべてがわかるらしい本と、"ここだけの話"が盛りだくさん
らしい、ラジオ「どんなもんヤ」(現在もOA中)の総集編みたいなやつの2冊。
私って、自意識過剰なんだか、これ、買うのすんごく恥ずかしかったのよぉ。(^^;;;;)
さりげなーく、三島由紀夫の本を混ぜて会計したりして…かなり笑えるぞ>自分。

この選択が正しかったのかそうでなかったのかはわからないが、とにかく面白かった。
「どんなもんヤ」のほうが、ラジオOA当初(15歳くらい)から、20歳くらいまでの、トーク集なんだわな。これが。
もうねぇ、ブラボー小僧 ’s!って感じ。やっぱり、これも、かなり青くさい。
小僧 ’sの発言は、「う〜ん、忘れてたぞ!そんな時代も確かにあったぜぇ」的な趣があって、ついついニヤニヤ顔に
なってしまうし、アイドルチックな写真もいっぱいで、そのキャプションは、マジなのか、狙っているのか、微妙な味を
醸し出しているし、リスナーの質問などは、小学生からもきてたりして、ホント微笑ましいのだ。
例えばね「思い切って告白しました。でも「好き」って言ったのに「月」って聞えてしまったみたいでした。
もう一度思い切って告白したほうがいいでしょうか?」とかね。
で、小僧 ’sがいろいろと答えたり、チャカしたりしてるんですよ。ところどころに、己の恋愛観ちりばめてね。
どちらかというと恋愛ベタな私は、意外な発見があったりして、勉強になったりもするんですけどね。

で、もう一冊はその名もベタな「まるごとKinki Kids どーもと兄弟」という二人の足跡が網羅されている本。
すごいよ。二人とも既に伝説の人らしいよ。
私、二人のこと、なーーーーーーーんにもしらないので、これはすごく興味深かった。

どさくさに紛れて、感覚が麻痺してしまい、私が中学生くらいの頃に君たちがいたらなぁ…と真剣にため息ついた
自分が、ちょっとカワイかったりする(爆)

これ、最初、電車の中で、読んでたんだけど、な〜んか気恥ずかしくて、5分ともたず断念。
だからって、家で、夜中の2時頃まで、真剣に読んでた自分も、かなり気恥ずかしい気がするが、とりあえず読破。

私、あらためて、光ちゃんに興味をもちました。

本の中で、特に気に入った記述があるんで、ちょっと抜粋しましょう。
(ゴーストの可能性がなきにしもあらずだけど、彼の言葉と信じてる)

彼が24時間テレビのドラマ「勇気ということ」に出演した際、車椅子の指導をしてくれた鈴木さんという方
(ご本人も車椅子にのっている)に宛てたて手紙のワンフレーズなんだけどね。

--
鈴木さんたちのおかげで、人間の本当の強さ、生きることの素晴らしさがわかったような気がします。
何かツライことがっても、それは挫折ではなく方向転換なんだということを教わりました。
これから何かあったときは、大きく一度深呼吸して、みなさんのように明るく生きたいと思います。
--

これ、すごい、いいこと言ってるよね。このイメージと、過日TVで見た彼の目のギャップに、かなり、底知れない
印象をうけましてね。

そのTVっていうのはね、日曜日にやっている世代密林という、ディスカッション番組で、先週(7/7)のテーマが
貢ぐだの貢がれるだのに関してだったのね。
No1ホストの方やら、定職をもたず貢がせて暮らしている男やら、貢がせ女やら、わやわや出演してて、芸能人は、
泉谷しげるやら京唄子とか出てたんだけれど。
そのホストやら、貢がせ男が仰天発言している時に、光ちゃんのアップがたまに映るんだけど、その目つきが、
えらく印象的でね。(そのショットをビデオに撮っておかなかったのが悔やまれます…)

見た目は、とにかくキレイで(SHOCKビデオのチラシなんて垂涎モノよぉ〜)中性的な、無垢な感じがするけど、
どうして、どうして、なかなか男気ありそうだし、偏屈っぽそうな感じだし。
かなりダークというかダーティな部分も隠れていそうで、彼の瞳の水深はそうとう深そうである。

しばらく、光ちゃんを観察してみようかなって思ってま〜す。

2002.7.10


<期限>

今日、仕事先にスペインから荷物が届いた。
物はウチの先生の商売道具であるフラメンコシューズ。

今年の2月にスペインへ行ったときに、何度も店に通って、通って、やっと交渉成立、
2ヵ月後に送ってくれることになったらしい。
で、帰国当初、常日頃のスペイン人との約束を考慮すると、ま、だいたい夏ごろできてくるかな?
って笑ってたんですね。

あれから、3月・4月と月日は流れて、無事、期限の2ヵ月後に到着。
スペインに生活していた先生にとっては、何度も煮え湯を飲まされているので
「あのルーズなスペイン人が、よくもまぁ!!!」と、とてもご満悦の様子。

日本じゃ、期限を守るのが当たり前。
ましてや、期限をちょっとでも過ぎようものなら、そりゃもう、大変なクレームですよね。

いいよな。スペイン人。
期限を守っただけで、こんなに喜ばれて(笑)

て、私がポソッと言ったのをキッカケに、先生とスペイン人気質と日本人気質の話を
してたら、意外な盲点が発覚。

例えば、何か・・・何でもいいや、制作依頼をし、「どれくらいかかりますか?」と聞きます。
制作側は「2ヶ月」と答えたとします。

と、私たちは、2ヵ月後に出来てくる(=手元に届く)と思いますよね。
たぶん、日本人10人いたら、8人以上はそう思うんじゃないかと思うんですよね。

ところが、スペインは違うみたい。

スペイン人の「2ヶ月」は自分が働く時間のことらしいんですね。
どういうことかというと、土日はお休みしますね?そのぶんは勘定に入れてないらしい(^^;;)。

と、どうなるかというと・・・(一ヶ月30日として)
60日÷週5日×4週間=3ヶ月

ほら、ほら、ほら!ねっ、ねっ、ねっ!! 1ヶ月の誤差がでるんですよ!!!

結局、自分を基準に考えるか、お客(=相手)を基準に考えるかの差ですよね。
ということは、スペイン人はルーズではないのかもしれない。
(誤差以上に遅れる場合が多々あるので、信憑性に欠けるけど・・・^^;;;)

お国柄の違い、気質の差と言ってしまえばそれまでなんですが、なんだか、とても
面白くないですか?

2002/04/17


<ダルマの目>

みなさん、ダルマ、持ってます?
今年、群馬方面の友人から、かなり立派なのをいただきましてね。
今まで、私専用のダルマって持ったことがなかったので、嬉しくて、嬉しくて、
思いっきり都合の良い願をかけてみたんですね。

不思議なもので、願をかけてしまうと、なぜか、ダルマが同志になったような気になり
手を合わせて願い事を口にするだけではなく、何かの拍子に話し掛けたりしちゃって(^^;;)

「今日は寒いね」とか。
「地球温暖化で今年の桜は早咲きらしいよ」とか(笑)。

そのフレンドリーな態度がお気に召したのかどうなのか、なんと、まだ、1年の4分の1しか
過ぎてない段階で、その願いが叶いましてね(ヤッホー♪)。

で、早々にダルマの目を入れられる状況になったんですが、人間、こうトントンと話がうまく
いくと、それはそれで、不安になるものですね。

今、この目を入れてしまったが最後、1年の山場(ピーク)が過ぎ、残り4分の3は坂を下るのみ
か・・・とか思ったりして、ちょっと軽いブルー・・・(^^;;)

かといって、いつまでも片目のままにしておくと、
「せっかく叶えてやったのに。いいんだよ。そっちがその気なら。ハイ願い事成就、取り消しね!」
って、アッサリ、見捨てられちゃう気がするし・・・。

で、今、悩んでるんですよね〜。
皆さんだったら、どうします?

即、目、入れます?

2002.03.28


 

<トホホな一日>

ココ最近、土日出勤したりもしてたので、今日、私はお休みしました。
といっても、日頃、伸ばし伸ばしにしていた役所の手続きやらなんやら予定はテンコ盛り。

そう、昨日の夜、私が立てたスケジュールは完璧だった!

朝早く起きてチケットぴあに並び、チケットGETしたら、その足で市役所へ行き手続きをすませ
いったん帰宅して、石井さんのディナーショーの宿泊プランの申し込みをし、赤坂にある元職場へ
行き、ランチがてら頼まれていた熊川てっちゃんのチケットを授受し、国会図書館によって調べもの
をした後、千代田線に乗ってそのまま亀有リリオホールに行きチケットひきとりをして帰宅。

うーーーん、なんという無駄のない綿密なスケジュール。
あとは朝早く起きられるかどうかにかかっているわーなんぞと思いながら眠りにつく私。

普段、あまり、目覚ましを使わずに起きることができる私は(残業続きだったとある水曜日、
起きたら午後3時だったこともありますが・・・^^;;)今朝も、ちょうど良い時間に目が覚めて、
いざ!チケットぴあへ。

私、休日に並ぶことはあっても、平日に並んだことなくて、勝手がわからなかったんですが
とりあえず、いつもの入口へ。

と、今日は、並んでる人0。
最初は「わーーい!」と思いながらも、1時間たっても誰もこないことに少々不安を感じた
まさにその時、もう一人登場。
彼女も「ぴあに並びに来た」という。とりあえずホッとして、待つこと2時間。

開店5分前になっても、ぴあのお姉さんが現れない。普通、用紙を持ってきて、事前に記入させ
売り場に入れてくれるはずなのに・・・。

もう一人の子と、鍵を空けている守衛さんに聞いてみたら、なんと、平日は特別ここに並ぶ必要は
ないと言う。なんだとーこのぉー!
そこは、位置的に地下一階の入口である。ここから駆け上がっても、1フロアー分不利になる。
早速、ぴあに一番近い入口に行ってみてびっくり。
人が一杯じゃん(T-T)私の3時間を返してちょうだい!!!!

とはいえ、持ち前のダッシュ力を見せ付けて一番乗りさ!どうよ。どうよ。わっはっは。
さて、申し込み用紙をすばやく渡して。と。はーー。

心地よい疲労感と達成感にしばし浸っていた私をおそった意外な言葉、そして新事実発覚。

  お姉さん:「まだ売り出してないようですが・・・」

  私   :「え?先行予約なので、一般はまだだと思いますが、ハガキがきたんで・・・」

  お姉さん:「ちょっと見せていただけますか?あっ、これ、3日からになってます」

NOーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)

 

でもね、ここで、脱力してては、スケジュールどおりすすまない。
激しい脱力感に、座り込みたくなる気持ちを抑えて、車に飛び乗り、市役所へ。

・・・ツイていないときはとことんツイていないようで・・・書類不備で手続き断念。

もうさぁ・・・ちょっと、脱力にもほどがあるよね。
何回かこの手続きしたことあるけど、足りないっていわれた書類を使ったことなんて
今まで一度もなかったのに。いつからそれが必要になったんじゃい!!!!!!!!!!!!

 

でもね、でも、ここで座り込んでる場合じゃないのよ。
そうそう、はよ、ウチへ帰って、インターネットで、宿泊プラン申し込まねば。

萎えてる身体にムチ打って、家に帰ると、車庫脇に路駐車が!
ばかもーーーーーーーーん!!!!あたしゃ急いでんだよ!どけ!どきやがれ!!

今考えると、このへんで、頭がショートしたようです。

インターネット申込み終了が10:30。乗り捨てた車を車庫に入れ終ったのが10:50頃。
友人と赤坂で待合せが11:50。残り時間1時間なのに、なぜか、あと2時間と思った私。

疲れていたとしか言い様がありませんね(^^;;;)
余裕で準備して、駅までチンタラ歩いて、電車の中でウトウトして、フッと気づいたら
すでに11:30。まだ半分も来てないのに・・・。

結局赤坂に着いたのは、お昼休みが終った時でした(^^;;;)。もう脱力する力すらない感じ。
2人には無事チケットを渡せたものの、遅れたおかげで、1人にチケットを渡すことが出来ず、
元の会社の更衣室にこもりしばらく連絡待ち。(不審者扱いされなかったのがせめてもの救い)
仕事が30分くらいかかってしまうというので暇をつぶしながら待つこと1時間以上。

ようやく渡せて、国会図書館をカットし、亀有へ向かう時には、目はうつろ(笑)。
それでも、リリオのチケットは良いお席で少し気が晴れました。

この時点で3:30です。今日一日、長かったこと。長かったこと。
先に結論から言っちゃいますが、こういう日は、ジタバタしないで、潔く全てのスケジュールを
止めて、家に帰ることを薦めますね。あたしゃ。
無理押しするとロクな事ない。

だけど、私は、ここで、無理押しをしちゃったんですね(^^;;)
これまで、全てが無駄骨だったので、気晴らしがしたかったんだと思います。
で、何の気なしに、今日リリオで観られる演目の席を聞いてしまったから、さぁ大変。
これまた良い席で、その上、当日券は1時間前からしか売らないのに、今でもいいですよって
親切に言ってくれて・・・。それが裏目に。
6:00開場。6:30開演。その時点で2時間半待ちですよね。開演までは3時間だ。
なのに、私は「ラッキー。ちょうどじゃん。」って思ってしまって。

そうです、16:00開場、16:30開演と思い込んでしまったんですね。
はい。待ちましたよー。3時間♪(少々ヤケ気味・・・)

ばーか。ばーか。ばーか。

挙句の果てに、ちょっと私と趣味の合わない演目だったので、もう、修行のよう。

そしてヘロヘロになりながら家に帰ってきたのは、いつもより、ずーーーっと遅くて。

はぁ・・・・・・。

自業自得とはいいながら、私の今日一日はなんだったのでしょうか。

2001.11.01


<ニュース速報>

私、高校の頃から浜田省吾、大好きなんですね。
あの、TVに出ない浜省が、NHKの深夜番組に登場と聞いて、頭痛くて一日寝ていたにもかかわらず(^^;;)
無理無理起きて、見てたんですよ。ゆうべ。

想像していたよりも、ちょっと作りすぎている映像でしたが、浜省の声や、昔のライブ映像等をを眺めながら
遠い昔のあんなことやこんなことを想い出して、ちょっとセンチメンタルになったりしてたんですね。
そして、浜省が淡々と語りながら、そろそろエンディング…というところで、やってくれました。アメリカ。
第二次爆撃開始。

それじゃなくても、テレビ画面の上部&右側に速報が流れていて、せっかくの浜省が20%OFFになっちゃって
嘆いていたのに、攻撃開始とともに、あっさり、映像がぶっちぎれて、ニュース番組になってしまいました。

あと、10分もかからないで終るのに、なぜ待っていてくれないんだ!アメリカ。
速報が画面上部に流れて情報源の役目ははたしたんだから10分くらい待ってからニュース番組に切り替え
たって誰も文句言わないと思うぞ。NHK。

などと、ブツブツ言っていて、ふと気が付いたんですが、やはり、今回のテロ関連は、私にとって、
遠い出来事、他人事だったようです…(^^;;;;)。
自分としては、マスード氏のこともあったし、いつになく身近に感じて、危機感をもっていたつもりでしたが…。

こうして「他人事」とパソコンに入力している間にも、現実に戦いがはじまって、確実に何人かの命が奪われて
いるんですよね。

ワールドトレードセンターのテロの映像をみて戦慄した私の目は、爆撃機が夜空を飛んでいく姿を見ても、
嫌な感じはしましたが、戦慄は覚えなかった…。

怖がらない自分が怖かったりする今日この頃…。
やはり、なにかが、狂ってきているんでしょうか。

2001.10.09


<JRの遺失物>

私は、5日の日曜日に定期券を買いました。
そして、6日の月曜日の会社帰りに、落としました(^^;;;;;)。

そりゃ、自分が悪い。悪いよ。
でもね、なんか、JRの対応に、解せないことが多すぎてさぁ。

ことの発端は、定期区間の7つ先まで出稼ぎに行ってまして、帰りの電車で、定期券を投入して切符を買った時におきたのだ。
そう、切符を取って、おつりを取って、定期券を残したまま(T-T)、電車に駆け込んだのでした。
ハイ。私がいけません。それは認めます。

で、地元の駅を降りようとして、定期を忘れたことに気づいたので、駅員さんに言ったの。
そうしたら、その場で紛失届を作成してくれたのですよ。
話を聞いたら、その届を各駅にFAXして、定期を解約するのを防ぎ、手元に届いていたら、こちらに送ってもらうのだそうだ。

その届を作成し終った時、駅員さんが、「もし見つかったら、明日の夕方頃、お家に連絡が入ると思います。」と
言った。確かに言った。
見つかった定期は購入した駅(届を出した1つ先の駅)に届くので、そちらへ行ってくださいとも言われたのね。
すぐFAX入れれば、切符を買った駅にも当然FAXは行くし、あえて電話するまでもないだろうと思ったのは別に
間違ってないよね?

次の日、念の為、定期を購入した駅に行ったら、まだ届いてないし、「あったとしたら夕方だと思うよ」と言われたので、
「ひょっとして?」と思って、遅ればせながら定期を無くしたと思われる駅の電話番号を教えてもらって、かけてみたのね。

そうしたら、アナタ、あったじゃないですか。
わーーーい。というわけで、「とりに行きます!」と嬉々としていったら、もう、送っちゃったと言われて「?」状態。
どこに?何を?
「購入した駅のみどりの窓口あたりに届くと思いますよ。3日後くらいかな」とも言われました。

オイオイ。今日送ったのに、3日後?
しかも、その間のキップ代は勿論自腹。
無くした定期券があるのはわかっているのに、なんで?そんなぁ!!!と思うよね、普通。
で、「えぇぇ?3日?そんなにかかるんだったら取りに行ったのにぃ・・・」と言ったら「午前中だったら間に合ったのに」って
言われたぜぇ。

あたしゃ、昨日のうちに、知らせたはずだ!キィーーーーッ!!と思ったが、とりあえず、そこでグダグダ言ってもしょうがないので、
その場は引き下がり、夜、駅に行って再確認しようと、わざわざ、改札を出て、みどりの窓口に行ったら、ここじゃなくて、
遺失物取扱のブースがあるからそこへといわれ、行ってみたら閉店してた。

結局、情報確認もできないまま、また、お金を払い、自分の最寄駅まで、引き返したのでした。シュン。
はー、別に、どの係員の対応も間違ってはいないと思うんだけど、なんか、もうちょっと、融通きいてもいいんじゃないの?
と思ってしまった。

ちなみに、今日の夕方、家に、「定期券ありました」のTELはかかってきませんでした。

<教訓>
まず、定期を無くした場合を想定して、遺失物取扱所の場所を確認しておき、できれば、どこの忘れ物はどこに集配されてどこに問い合わ
せるという案内書があるので、それをもらっておくことをオススメする。
そして、紛失届は、最寄の駅ではなくて、自分の管轄の遺失物取扱所に出すようにする。
次に、落としたくさいところの心当たりがあるのであれば、紛失届作成時に、電話して聞いてもらう(たとえ無駄骨に終ろうが勇気を持つべき)。
もし見つかっても、3〜4日は手元に来ないので、コストのロスを考えて、見つかったところまで取りに行くのが賢明だと思われる。
その為にも、見つかったら、定期券はそのまま、そこに保管して置いてくださいと紛失届に一筆入れてもらう(別に問題ないらしい)と良い。

そして、これは、お客様の声ということで、みなさんも気が向いたら、駅員に訴えてもらいたいのですが(笑)
この、高速化時代に、遺失物の授受が3日も4日もかかるっていうのは、いかがなもんか?

私の定期券があるのはわかっているのに、自腹でキップを買うのも結構頭に来るものだ!
そう、私が落としたのが悪いし、見つかっただけでもラッキーなんだけど、でもでもでも・・・なんだか、イヤな感じ。

2001.08.07


<心の視力>

落ち込むできごとがあった時、どうしてます?

人間、暇だとロクなことを考えないようで、思考回路は、悪いほうへ、被害妄想へ、自暴自棄へ…と
もう、思いこみのフルコース。

そんな時、自称、思考家の私は、まず、トコトンその事を考えるんですね。
そうすると、そのうち、お脳のメモリーが一杯になって、不思議と眠くなってしまうんです…(^^;;;)
で、起きたときには、なんで、寝ちゃえるのぉ〜?寝ちゃえるってことは、そんなにたいした悩みじゃ
ないんだわ〜って、自己完結してしまい、苦笑い…というのがお決まりのパターン。

昔、昔、失恋したときに、潮風にあたりながら、夕日を見つめて泣くつもりで(カッコつけたかったの…笑)、御用達の港へ車を走らせ、
さぁ!と思ったら、あまりにも、気合入れすぎて、夕日どころか、西日のサンサンとふりそそぐおだやかな時間帯についちゃって、
何を思ったか、そのまま、お昼寝してしまい、気がつけば、日はとっぷり暮れてて思わず、笑っちゃった経験あり。

でも、長い年月の内には、自己完結できないこともありますよね。
そういう時、ほんと、お友達に話すだけ、聞いてもらうだけでも、気分的に全然違う。
最近、私は、それを痛感しました。

本当に、友人とはありがたいものです。

別に、ただ、それだけの事なんだけど、なんか、嬉しくて、そのありがたさを忘れないようにココへ
書きこんどきました。

すごく、偽善者っぽい言い方かもしれないけど、誰かがブルーな時に、それに気づいてあげられるような、
心の視力を、養いたいなって思う。
私が友人にもらった気持ちを微量でもお返ししたいから。


<褒め言葉…?>

過日、私は、友人に「○○さんが、貧乏ちゃんのこと、『時々少年に思える事がある』
って言ってたよ。」と言われた。
で、私は、その友人に、「れそれを聞いたとき、あなたは、なんていったの?」と聞いた
ところ、「いやぁ〜、彼女、お母さんには『とっつぁん坊や』って言われたらしいよって
言っといた。○○さん、大ウケだったよ。」だと。

おい、ちょっと待て。

そもそも、成人式をとっくに過ぎた、適齢期もとっくに過ぎた(自暴自棄…笑)女性を
つかまえて、「少年」とは…。
ましてや、自分の生んだ、かわいい箱入り娘に向かって、「とっつぁん坊や」とは…。
挙句の果てに、それを笑い話にして、いろいろな人に披露する友人とは…。

少々、説明しなければるまい。

事のはじまりは、もう、半年くらい前に遡る。髪の毛を切りに行ったら、自分で言うのもなんだが
へんな髪型になってしまい、テレ隠しのつもりで、「なんだか、ガキみたいになっちゃったよ…」と
言ったところ、母は私のことをマジマジと見つめ、ひとこと「とっつぁん坊や」とつぶやいたのである。

お母さん、どうでもいいけど、基本的に、文法が違ってないかい?
そもそも、「とっつぁん」も「坊や」も男の人に使う言葉でしょ?あなたの子供は女の子でしょうよ…。

てな話を、翌日、会社の友人に話したら、2週間は、人の顔を見るたびに「とっつぁん坊や」と
指差して笑ってました。

これは、どう考えても、褒め言葉ではない。それぐらいは私でもわかる…(ゆっゆっ許せん!)

話変わって、会社の○○さんは、私の席の隣の人で、私とそんなに歳は離れていないくらいの
物腰が優しげな、良いパパである。
結構、気配りさんで、あんまり失礼なことは言わない人。・・・だったはずである。

「少年ぽい」  これは、男の人に対して言うときは、確かに、褒め言葉に含まれるはずである。
実際に、私は、少年の部分を残した男の人が好きだ。…お茶目だぞ孤狸庵、松岡修造♪
それは、大人になっても、子供の時のような、みずみずしい気持ちを忘れていない向こう見ずな
無邪気さが、とても眩しかったりするわけだ。女からしてみると。

では、「少女っぽい」というのは、どうであろうか?
「少女っぽい」というのと「少女趣味」というのと「女の子っぽい」というのは多少ニュアンスが
異なるが、少なくとも、大人の女性にむけて、「少女っぽい」というのは良い意味にとられることが
多いのではないか。…かわいいよね、八千草薫、吉永小百合、阿木曜子(字が違うかも…)。
それは、大人になっても、子供の時のような、みずみずしい気持ちを忘れていない、ふわふわっと
した無邪気さが、とても眩しかったりするのではないかと思う。男じゃないからわからないけど。

さて。と。

大人の女性に向けて発せられた「少年ぽい」という言葉は、どのような扱いになるのか。
…なんで、「少女」じゃなくて、「少年」なんじゃぃ…

くどいようだが、○○さんは、気配りさんで、あんまり失礼な事はいわない人だったはず…(笑)

この、たいしておもしろくない話、意外と後々まで話が続いていて、驚いた。
ある日、ある時、前述の友人が、会社の先輩OLに「何座?」と聞かれ「乙女座」と答えたら、
思いっきり、ビックリされたらしい。
彼女は、確かに、部長からも、本部長からも、「姐さん」と呼ばれて頼られている(笑)つわもので
一般ぴぃぽぉが想像している乙女座からは、ちと、遠いかもしれない。しかもA型。
そう、ここで、私のファン(いるのかそんな人…笑)は気づくであろう。
実は私もA型の乙女座なのである。
友人は、ごていねいに、私までひきあいにだし、「A型の乙女座」を強調したのだ。

…かの先輩OLは、うなづきながら、「じゃ、乙女座の男」の欄をみればいいのね♪」と
自己完結したらしい(^^;;;)。
そして、また、前述の○○さんの話がむしかえされ、「とっつぁん坊や」の話になり、○○さんも
加わって、欠席裁判のように、人を肴に、笑いあって、親睦を深めたようである。

私の周りには、文法が根本的にわかってなくて、言葉の意図を読み取れない人が多すぎる。
日本の教育は実践向きではないとうのが、こんなところでも見え隠れしている…。
ヤレヤレ、困ったもんだ。

ちなみに、私は、普通に見たら、どうみても、女の人という印象であると思う。