貧乏旅行☆

さすがじゃエゲレス

下から読んで下さい。(上にいく程、新しい記述になります。)

 

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<Vol.3 ドーバー城>

私のオススメスポットNo.1は、ドーバー城かな。
城といっても、砦って感じで、特に綺麗でもなく、大きくもなく、歴史的に何かがあったわけでもないけど
屋上からみた、ドーバーの風景が、印象的でした。
ちょっと曇っていたので、フランスは見えませんでしたが、ホント、目と鼻の先なんだなぁって感じがして
昔の両国の領土争いやらなんやらが、すごくリアルに頭をかすめました。

ドーバー城近辺は、本当に、普通の家が立ち並んでいて、人気(ひとけ)があまりなく、私は、すごく、
気に入りました。
坂道を登ってドーバー城に着いたときは、すでに閉館の4時を過ぎてしまい、かなりブルーになりながら、
未練がましくウロウロしてたら、帰ろうと車を走らせて下ってきた係の人とすれ違い、ラッキーなことに、

Uターンしてくれて、中を見せてもらえました♪
夏だったので、まだまだ明るく、貸切状態の城を、2時間くらいかけてゆっくり見ることができ満足。満足。
係の人にとっちゃ、とても迷惑な客だったと思うけど(^^;;)、彼のおかげで、私のイギリス人好感度は
200%UP★

カンタベリー大聖堂から、少し足を伸ばすとありますので、興味があったら、行ってみてください。

2002/06/02


<Vol.2 大英帝国>

さてさて、何から書いたらいいんだろう。
そうだ、題名。なんで「さすがじゃエゲレス」なのか…から話そうかな。

それはね、大英博物館に行った時、思ったの。
たしか「パンドラの鐘」に関連したなにかの記述で、野田秀樹さんが書いていていたんだけど、
(もしかしたらセリフの中でいってたのかもしれない)今、いくらひっくり返してもその記述が
見つからないので、うろおぼえなんだけど、「あれは盗みの集大成」みたいなものだと。

ま、いろいろなイキサツがあって、ここにこうして収まっているわけで、それを否定するつもりは
全然ないですが、本当に、その力たるや、すごかったんだろうなって思いますねぇ。
だって、私、カイロ博物館に行った時より、大英博物館で見たミイラのほうがよっぽど驚いたもの(笑)。
埋まっているのも含めたら、そりゃ、エジプトの方が多いと思うけど、ミイラ展示総数でいったら、
カイロ博物館より、多いんじじゃないかなぁ…。犬、猫のミイラもあったりするし。
これはほんの一例ですが、各ブース、各ブーズ、ホントよく集めたよなぁってビックリしてしまいます。
なんていうか、本家よりスゴイ!って思わせるって、すごすぎる(ボキャブラリーが貧弱ですみません…^^;;)。
さすが!大英帝国。

あと、ロンドン塔のジュエルハウス。
怪盗ルパンやらスパイものに登場する、そんなもの本当はないだろうと幼心に思っていた「アフリカの星」
やら「コイヌールダイヤ」やら、そういうのが、実際にあるのね。
こぶし大の大きさのダイヤモンドでっせー。

もうねぇ、宝石やら、金製品がザクザクあって、ココにこんなに集まってんだもん、私らみたいな庶民の
手元に来るわきゃないね…って実感します。

このジュエルハウスは私のオススメスポットです♪

なかなか宝の山に辿りつけないんだけど、並んでいる間中、スクリーンに宝物が映し出され説明してくれてるの。
それだけでも、飽きないです。
宝物館を出てるくる頃には、もう、己の貴重品感覚がマヒしてしまうという特典つき(笑)
ここで売っていた「The Crown Jewels(日本語)」という本は、私のお気に入りです。

その本に載っていた宝物に関する記述を少し書いておきますので、もし、興味のある方は
実際に、見てきてね♪

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「アフリカの星」
1905年南アフリカのプレミア鉱山で発掘。
原石は3106カラット!!!!!
イギリスへのお輿入れは1907年。エドワード7世の66歳の誕生日に南アフリカ政府から献上されたのでした。
翌年、9個の大粒ダイヤと96個の小粒(といっても庶民サイズの特大粒)にカットされて、一番大きなの
(カリナンT530カラット)が王笏へ、二番目に大きなの(カリナンU317カラット)が王冠へ飾られましたとさ。
その二つのダイヤを留め金でつなぐとブローチになるらしい。
ものすごいブローチだよね(^^;;;;)
カリナンV〜\の行方を知っている方は教えて下さい。

「コイヌール(光の山の意)ダイヤ」
このダイヤの経歴はあまり定かではないらしい。
最古の伝説は3000年前まで遡るそうだが、一般的には1655年にインドのコルー鉱山で発見されたいうことになっている。
インドの王に献上され、ペルシャの王に略奪され、アフガンに渡り、またインドへと戻ったと思ったら、東インド会社経由で
ビクトリア女王に献上された。
発見当時は787カラットもあったって書いてあるけど、アフリカの星の3106カラットに驚いた後だったので、「へー」くらいの
驚きである。
結局、イギリスに渡ってきた時は、186カラットにカットされて、そのカットが気に入らなかったビクトリア女王の夫君
アルバート公によって、現在の105.6カラットになったのだそうだ。
「なんだぁ…105.6カラットしかないんだぁ…」と思わず、口を突いた。(105.6カラット"しか"ってアンタ…(^^;;;)

「インド帝国王冠」
1911年、ジョージ5世が「デリーの謁見式」で着用する為に作られた王冠。
エメラルド、ルビー、サファイア、及び、6100個ものダイヤがちりばめられている。
重さは920g(重そう…^^;;;)で、3時間15分の式は大変苦痛だったらしく、帰国後、一度も使われていないらしい。
ちなみに、カリナンUがついている王冠は1.06kgだそうだ。ひーーっ、王族も大変じゃ。

 

(そのうち、写真をアップしようと思ってますので…)

2002/06/02


<Vol.1 渡英>

今年(2002年)の6月にイギリスへ行くお友達がいるので、これを機に、エゲレス貧乏旅行について
入力しようと思いついたまではよかったが…(^^;;)。
気づけば5月も、もう終わってしまう。これはイカン!

ということで、あわてて、写真やら、ガイドブックやら、現地で調達してきた本やらを引っ張り出し、
しばしネタ探し。
久しぶりに、眺めていたら、とっても、とっても、とってもエゲレスへ行きたくなってしまった。
思い出を呼び起こし、せめて、心だけでもエゲレスの風に吹かれてみようか…。

1994年初夏。
音速の貴公子アイルトン・セナ(F1レーサー)が事故死したのを見て「このままでいいのか自分…」な
気になり、通勤時の、蟻んこの行進のような人波の中で「歯車」「歯車」という音が聞こえたのをキッカケに
ボーナスをもらった次の日に会社を辞め、「今年は£が安いらしい」という友人のすこぶるアテにならない
情報を真に受けて、渡英したのだった。
当時は、まだダイアナ妃も健在であった。うーーーん、時の流れを感じるなぁ…。

さて、渡英が決まってから気づく、自分の語学力。

何を隠そう、私は英語が苦手である。ギリギリガールと呼ばれていた。
え?セクシーだから?うーん、そうともいうけど(笑)、赤点ギリギリ、デンジャラスな女ともいう(^^;;)。
話が少しズレるが、高校3年の時の英語の先生が若くてカッコ良かったので、卒業の時に、友人達と
サインをもらいに行ったことがあった。
その先生は順番にサインをしていたのだが、私にだけ「あとでとりにこい」という。
「ちょっとぉ!先生、惚れるなよ〜♪」なんぞと上機嫌で、友人達にも羨ましがられながら、待つこと半日。
得意げに、サイン帳を受け取ると、そこには、愛の告白ではなく、英語のことわざが、ビッチリ書かれて
いたのだ。
茫然とする私の耳にこだまする先生の声。
「英語は大切だぞ。離任式までに訳して来い」だと。
ギリギリガールの面目躍如な瞬間であった…トホホ…(^^;;;;;)。

こんな私が、現地で、好きなところに行けたのは、同行者のおかげだろう。
フランス編でおなじみの有吉さんは、新婚旅行を控えていて、私よりダンナを取ったので(当たり前)
中学校時代の友人と行くことにした。
ラッキーなことに、彼女は、オーストラリアに1年間留学していたのだった。

かくして、唯一の懸念材料を、他力本願でクリアし(^^;;)、いざ、エゲレスへ、ロンドンへ。

2002/05/31


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