光の七群神

ト・テルタ
司るもの 美・幸運・狂気
誓い 幸運を信じよ、幸運は追求するものなり。美ならざるものもまた美なり。
戒律 全てを美しく、華やかにせよ。楽しみを味わえ、常に楽しめ。人々に幸運を与えよ。笑わせよ。狂うものを止めてはならぬ、されど共に狂うはよし。
説明

 あらゆるものの美を司る幸運神ト・テルタは満面の笑みを浮かべ、ゆったりとした着物を目一杯振り回して踊る一人の少女の姿で描かれます。もちろんこれは人々の一つの想像に過ぎず、西部地方では妖艶な笑みを浮かべたエルフの美少女、中央では自由奔放に踊るフェアリーの少女の姿で描かれることがほとんどです。ただし、どの絵にも必ず右手の小指だけは綺麗な装飾を施されます。
 ト・テルタの右手の小指は幸運の証とされているからです。その想像画が示す通り、ト・テルタを信仰する者達は、笑顔を自然に振り撒ける幸運と、その笑顔を際立たせる美を求めます。
 ト・テルタの神官は常に美しくあろうと心がけます。そのためこの神は主に女性に信仰されることが多いようです。
 人々の幸運を育むのもト・テルタの仕事です。人の幸福を乱し、陥れるような輩を懲らしめるため、ト・テルタは闘いを否定していません。
 また、幸運を運ぶのは人と人との絆と交流である、との考えが都市部では一般的であり、旅人や芸人、商人と言った階層からも広く支持されています。


ソルト
司るもの 知恵・学問・水・鬱
誓い あらゆる知恵の内、最も尊き知恵は無知なり。水の流れのごとくあれ。
戒律 学べ。流れよ。積み重ねよ。
説明

 あらゆる水と知恵を司る知識神ソルトは、ゆったりとした水色の衣に身を包んだ細身の男性の姿で描かれます。東部地方では無垢な赤子。東北地方、南部地方ではぽっちゃりとしたとても人の良さそうな婦人の姿で描かれます。
 ソルト神は、ありとあらゆる知恵を手に入れよと教えられます。例えその知恵がどのようなものであれ、それは尊いものとされるのです(例えそれが戦の知識だったとしても)。ただし、その知恵を手に入れるために無理強いをすることを望みません。水の流れのように、あくまでも自然に手元に残るものだけを己の知識にせよと説きます。ですからソルトは別に戦を否定しません。それが自然のなりゆきであると認めれば、ありとあらゆるものを肯定します。ですが、だからといってソルト信者が攻撃的な行動に出ることはまずないでしょう。ソルト信者が良く使う諺(ことわざ)にこのようなものがあります。
『水は岩をも砕く力があるが、決して山頂めがけて流れはしない』


イーヴノレル
司るもの 愛・豊穣・大地
誓い 全てを愛氏、全てに慈しみを.愛の形は大地のごとく無限にして不変なり。
戒律 争いを治めよ。生きるためにのみ戦え。
説明

 あらゆる愛と豊穣を司る大地神イーヴノレルは、何枚にも重ねた着物を羽織った二十代後半の女性の姿でよく描かれます。砂漠では土色の布を身体に巻きつけた一人の老いたラーバードの男性。北部では真っ白な薄絹を羽織った目の鋭いボーンレットの女性が描かれます。これはその地方ごとの土地の様子が主な影響を与えているようです。
 イーヴノレルの神殿は、大抵どこの村や町にも存在します。その石像は稚拙なものから職人が作った豪勢なものまで様々ですが、道しるべなどにも使われることもあり、もっとも民に慣れ親しんだ神ともいえます。よくそんな石像にはイーヴノレルの天使が住みつくことがあります。
 イーヴノレルの神官の思想とは、自分たちの力で人々を救うことにあります。もちろん神に頼る事を恥とはしませんが、出切るだけ自分たちの力でやるようにと教えられます。つまりは『自力』を養うようにと教えられるのです。
 信者の主な仕事は開拓です。荒地を自力で開き、作物が安定して収集できるようになるとほとんど無償で民に分け与え、そして自分達はまた新たな開拓地を探して旅を続けます。そのためイーヴノレルの神官は一般の民たちに熱狂的な支持があります。
 ですので、イーヴノレルの神官たちは逞しい開拓師が多く見られます。もっとも、これは逆で開拓師達が主にイーヴノレルを信仰すると言った方が正しいのかもしれませんが。


テウ
司るもの 死・生・星
誓い 死と生は同義なり。が、死と生は異議なり。月のように淡くあれ。
戒律 生きよ。死せよ。
説明

 あらゆる死と生を司る星神テウは、色とりどりの絹の着物に身を包み、黄金の装飾品を身にまとい、右手には反り返った短剣、左手には綺麗な装飾が成された小さな壷を持った美女で描かれます。子の肖像画は他の地方でもあまり差異はなく、死というものがどの生き物にも等しく存在する一番身近な神だからだという説もあります。
 テウ神は、もともと『十二の神』の中で闇に属する神と言われていました。しかし『生』という力を持っていたため、闇からの陣営から追放されたと言われています。(もっとも人の言うことですから、それほどあてには……)
 テウの信者は相手の死を見やる、葬儀屋のような役割を持っています。そしてもう一つの役割が人々の傷を癒す医者の役割です。
 テウ信者は『命』を神から授かった『価値』として考えます。そして『価値』なき命を持っている者には、裁き(ここではすなわち『死』)を与えます。


クオン
司るもの 芸術・繁栄・風・矛盾・幻惑
誓い 芸術を広め、反映せよ。風のごとく漂うこともまた必要なり。
戒律 ものごとを広め、轟かせよ。
説明

 あらゆる芸術と反映を司る風神クオンは一定の肖像画を持ちません。これは他の神々もそうなのですが、クオンはその種類がケタ違いです。あえて例えるならば商業国トロウでは飾り気の多い鎧に身を包み、その四本の腕に多種多様な筆を持ったラーバードが描かれますし、エトラムル聖王都では青、赤、緑とそれぞれ違う色に染め上げられたシャツを着た三人の少女が描かれます。他にも西部諸国では両手を広げて踊るフェアリーの少女。北部では両手から大樹を生やしたボーンレット、ジェクトでは金属の顔を持つ男性で描かれます。
 これはそれぞれの芸術性の違いと反映の違い、風の表情の違いを表していると言われます。とにかく決まっていないのです。一度、ある学者が世界中のクオン神殿におもむき、そのクオン像を描き写していきましたが、その数は数百になったそうです。
 クオンは芸術を好みます。僅かな時間だけその場に留まる砂絵や、数百年の人々に感動を与える銅像など、どんなものでもです。そしてその信者達に風のようにゆったりと、自由たれと説きます。そんな自由な発想から、素晴らしい芸術は生まれると信じられています。
 クオンの信者達の仕事というのは、たいてい芸術家などが多く、一般的(商人や工人、農民など)にあまり認められない、受け入れられないことが多いです。ですが大成すれば大勢の人に認められます。そういった運を掴むためにクオンに祈るのです。言い換えてみれば、案外いい加減な人達が多いのかもしれません。
 クオンは戦いを否定しません。ですがその戦いにも芸術をを求めようしますし、やはり殺し合いは好みません。クオンは戦うのならば試合のような『観せる』戦いを好みます。


アグラム
司るもの 契約・炎・滅
誓い 法と契約は絶対なり、炎のようにあれ。
戒律 己が信ずる法を信じろ。契約を破るな。
説明

 あらゆる戦いと契約を司る炎神アグラムは、燃えるような真赤な鎧を身を纏い、凄まじい戦慄を放つボーンレットの男性の姿で描かれます。トロウでは真っ黒な鎧に身を包み、巨大な戦斧を構えたドワーフが描かれますし、東部地方では鎧も武器も持たず、ただ両の拳のみを突き示す男性の姿で描かれます。
 アグラムの本質は『法』と『契約』です。ですが『炎』という属性を持つため、猛りから戦いという側面も見せます。
 アグラムの信者はなかなか物事を承認することはありません。法と契約は絶対なものですので、その契約に足る事柄かどうか、じっくりと見極めるのです。ですが一度契約が成され、承認されればその行動は炎のように迅速かつ止め難いものとなります。


アルカーナ
司るもの 始まり・太陽
誓い 我等は全てを始めるものなり。我等は全てを照らすものなり。
戒律 始めよ。照らせ。されど留まることも必要なり。
説明

 全ての始まりと、それを支え象徴とされる太陽神アルカーナは、輝ける衣に身を包み、両手を上にかざした一人のフェンランの姿で描かれます.北の方では半身が闇に包まれたクラケット。砂漠の国では太陽にしなだれ、邪悪な笑みを浮かべた一人の人間の女性の姿で描かれます。これはそれぞれの国の太陽に対する思いや印象が反映したものと言われます。砂漠の国にとって、太陽というものは恐れつつも敬われる存在なのです。
 アルカーナは全ての始まりを司る存在です。あらゆる物事を始め、そして光のように曲がらず、誤りを否定します。そのためアルカーナを信仰するものは、主に役人などの上級職に就いている者が多いようです。


 

 

 

闇の五群神

ガラ・デ・パスツェル
司るもの 腐敗・無力
誓い 我等は全てを終わりに導く者。全てを終わらせないために、終わらせる者。
戒律 全ては腐敗を終焉とし、無力たれ。
説明

 全ての腐敗の象徴、無力の神ガラ・デ・パスツェルは、西の方では右半身は絶世の美女、左半身は腐れただれた四十三の腕と十三本の足を持つ女性の姿、トロウやドレスなどの中央ではただ無力に座りこむ三本足の巨人。東では下半身が地面に埋められ、左半身は赤銅色の頑健な肉体、右半身は骸骨の巨人の姿で描かれます。
 ガラ・デ・パスツェルの教えは(これは他の闇の属性神にも言えることですが)いたって単純です。「全てに置いて無力たれ」これだけです。ですからたいていガラ・デ・パスツェルの神官は物事にたいして拒否的、懐疑的な行動をとりがちです。というかそれが教えなので当たり前なのですが・・・。
 この教えと考え方は、(当然と言えば当然ですが)社会に受け入れられることは滅多にありません。ですが腐ることもまた絶対必要なもの、自然なことです。ガラ・デ・パスツェルは強いてなにかをすることはありませんが、同じように進んでなにかを乱そうともしないのです。


ヴァルンツェ
司るもの 快楽・怠惰・生殖
誓い 全てに快楽を得よ。広めよ。楽を得よ。
戒律 物事に一切拘りを持たず、全てを忘れよ。開放せよ。関わりを持ちつつ全てを無視せよ。
説明

 快楽と怠惰の神ヴァルンツェは、妖艶な笑みを浮かべ、全裸の上から薄絹の羽衣を羽織り、五つの乳房を持つエルフの女性の姿。東北の方では目の部分を皮のベルトでグルグル巻きにして、ただ無邪気に笑う一人の赤子。トロウでは中性的な容貌を持ち、まるでピエロのような化粧を施し、人骨を積み上げて作られた椅子に淫靡な笑みを浮かべて優雅に座っている姿で描かれます。
 ヴァルンツェは娼婦などの家業を営む者達に信仰されることが多いです。神殿も性教育の場とされていることも多く、多少敬遠されがちです。ですが性交は人に生き物にとって絶対に必要なことであり、淫靡もまた愛の形の一つです。その証拠にヴァルンツェは光の主神アルカーナの妻とされています。


レーティ・パル
司るもの 時間・曖昧・運命
誓い 我等すべてのものに存在するもの、例え何ものであれ、我が眼、我が手、我が耳から逃れられぬ。
戒律 手を貸すな。手を出すな。我等は見る存在なり。見守る存在にあらず。
説明

 全ての時間と運命、そしてそれを弄ぶ曖昧さを持った時間神レーティ・パルは、斜に構え挑発的な笑みを浮かべ、右手には鋸、左手には十三本の針がある懐中時計を持った美女。聖エトラムルではグニャグニャに捻れた鎌を持った黒騎士(で、あるにも関らず、エトラムルで国教であるアルカーナの妻とされています)の姿。西部では悪戯めいた笑みを浮かべ、十五本の短剣を漂わせている少年の姿で描かれます。
 レーティ・パルの信者は特にどうといったこともしません。それは人が目の前で殺されそうになっていても、です(高司祭にもなると、己が殺されそうになってもなんら手を下そうとはしないと言われています)。
 無論自分の親友を助ける。自分の金儲けのために動く。つまりは当たり前の行動は行います。しかしなんらかの使命、目的、教義のようなものは一切存在しませんし、それらのために動くこともありません。というか「ない」のです。
 ですからレーティ・パルは無力の神とも言われています。ですがそんなことは決してありません。なぜなら誰もレーティ・パルの力――時と運命には逃れ、逆らうことなどできないのですから。


カニクバ

司るもの 破壊・滅び・減少
誓い 全てに破壊を。滅びにすら破壊を。
戒律 破壊せよ。無価値たれ。
説明

 全ての破壊と滅びの神カニクバは、骸骨の首飾りを下げ、骨だけの右腕を天に掲げ、空に向かって咆哮する一人の巨人の姿で描かれます。東のヴァギラータでは静かに目を閉じ、十六本の腕にありとあらゆる武器を持つ女性の姿、南の大国トロウでは右手に蛇を持ち、左手に牛の首を、そして四つの首からは四色の火炎の息吹を吐く男性の姿が描かれます。
 カニクバの行動思念は単純明快です。とにかく滅びを与えます。とにかく壊す。ただそれだけにあります。ですがそれは『戒め』としてあり、別段信者達が破壊的であるわけではありません。
 カニクバの教えは『破壊』です。そしてその矛先は必ずしも物だけではありません。腐敗政治、王朝――歴史を見ても、何らかの革命の首謀者には始まりの神アルカーナと契約の神アグラム、そしてカニクバ信者が関与している事が多くあります。
 もちろん、教えを曲解し、ただ単純に破壊に悦楽を見出して破壊衝動に捕らわれる信者がいることもまた事実です。


ウェンターナ
司るもの 終わり・混沌・月・光
誓い 我等は迎え入れる者。そしてまた繰り返す者。
戒律 終わらせよ。混沌に帰せ。
説明

 全ての混沌と終焉の神ウェンターナは、真っ暗なキャンパスの中ただ一人ポツンと座る一人の子供の姿で描かれます。不思議なことにこのウェンターナと星神テウだけは、これ以外の絵で描かれる事がほとんどなく、一説によればウェンターナは人々の前に真実の姿を見せた神と言われています。
 ウェンターナの司るものは、アルカーナと同じ『光』です。しかし太陽の光と月の光がまったく違うのと同じく、ウェンターナの光の意味も太陽のように万物を照らす光ではなく、光があるからこそ闇が目立つ……そんな間接的な意味合いを持っています。
 ウェンターナはあらゆることを終焉させよと教えます。例えそれがどんなことでも。一見それは悪しき事のように思います。しかし人間に対し害的な意思を持った神は存在しないのです。無論、結果的に人間にとって邪悪と思われる内容を詠う神もいます。しかしそれは全て人側の解釈の違い、そしてそれらの行動の結果です。現に歴史上、ほとんどの戦争はウェンターナ神官の介入によって終演を迎えています。
 ウェンターナはアルカーナの対極に位置する神としてよく描かれます。上にアルカーナ、下にウェンターナといった風です。アルカーナが始め、そしてウェンターナが終わらせる。そのためアルカーナ神殿とウェンターナ神殿は基本的に隣同士に建設されます。


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