サナザナダルマ 14号
28darma13

至高神への至福にひたるならば、より小さな至福をすべて自分のものとすることができます。海へもぐるなら真珠を求めなさい。願望をかなえる如意樹の下へ行くならば最高の至福を祈りなさい。もうちょっと努力するなら、それより大きなもののない最大のものが手にはいるのに、それをしないで、なぜ、小さなものを願うのですか。大きな、至高の、無限のものと一体となりたいと願うのは、人の本性です。最大で無限の神にほかならぬ至高者が人のハートの洞穴におわすからなのです。

  それは母牛のあとを追う仔牛にたとえられるでしょう。仔牛はどれも自分の母牛を知っています。たとえ何千頭の母牛と何千頭の仔牛がつながれている場合でも、綱をはずしてごらんなさい。仔牛はまちがいなく自分の母牛のところへ行きます。そのように、あなたも自分の支えである源が何であるかを知らなくてはなりません。支えはあなたがそこから発した神によってのみ得られるのです。
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Sanathana Sarathi Oct.1989