青柳城

 
所在地長野県東筑摩郡筑北村坂北、麻績村麻。坂北駅の東1.5Kmで、標高905mの城山の頂上と南東尾根。
構造善光寺街道から比高260mほどある城山の頂上を一の郭とし、そこから南東に伸びる尾根上に順に二の郭から五の郭を、途中には二重堀切や竪堀を設け、西麓に居館を置いた山城。
築城不詳。青柳氏が伊勢神宮の麻績御厨預職として、戦国時代に居館を営んでいたようだ。
城主ほか青柳氏、・・小笠原氏
その他実戦が度々行われた数少ない城である。
青柳氏は信濃の守護小笠原氏に属していたが、天文22年以降武田氏に従い、天正10年武田氏が滅んだ後は織田氏の支配下に入り、同年信長が死後、上杉家に従属した。その後、小笠原氏が筑摩北部を回復すると青柳氏は、麻績・青柳城を支配した。しかし、天正15年(1587)、青柳頼長が小笠原貞慶に松本城に呼び出された間に、子長廸等が謀殺され青柳城も没収された。

縄張り「現地案内図」より2013/08/10 歩行図(善光寺街道歩き)
説明版城址公園櫓門
二重堀切二重堀切
五の郭二の郭手前の冠木門
三の郭説明版一の郭石垣
頂上・一の郭頂上から聖山の眺め
居館跡への下りの途中の帯郭居館跡

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