ラルマナイ川右股

  
ルート札幌市常盤 神社下バス停(13:30)−営林署小屋(15:25)−ラルマナイ三股(15:33-6:35)泊−右股−ブッシュ漕ぎ(9:40)−空沼岳頂上(13:20)−湯ノ沢登山口
日付1967年(昭和42年)6月17〜18日
同行者L.M、S
感想下方に詳細記録



テント地付近より空沼岳ラルマナイ川三股(テント地)
空沼岳頂上

道標記録より
 このコースを知ったのは、高校時代、[北海道の山」第6号を読んだのが、その始まりである。それ以来このルートは、百松沢山と並んで、いつも、頭の片隅にではあるが、こびりついていたように思う。
 我部においては、空沼岳には専ら夏道を利用するに留まり、ヴァリエーションルートは全く試みられてはおらず、昨年、2年目パーティが空沼入沢を下降したのが唯一のものであった。それで、ラルマナイルートが良ければ合ワンに利用し、従来の集団デートの如き合ワンを排除し、空沼岳集中を行うのが、1つの夢(?)であり、この実現の第一歩を踏み出したわけ(オーバーだね)
 6月17日
 登山者で満員の中を神社下で下車。出る時の俄雨は上がった。神社下から30分も行くと平凡な農道から、側溝も真新しい2車線の道路になった。これは、札幌−支笏湖を結ぶオリンピック道路になる筈のものである。厚別川をはさんで滝野からの道路とが厚別川で接する橋の地点からは西の方をとる。2万5千の地図では立派な道路になっているが、使用していないのか、自動車は入れないような道路、この道が対岸の道と合流する1キロ位前からは、かなり荒れていて笹がトンネル状に道をおおっている。ラルマナイ川に出て、7百米も行くと、恵庭営林署のかなり立派な小屋があり、そこから3百米程行くと、今日のテント地であろうラルマナイ三股についた。神社下から2時間。正面に空沼岳。
 6月18日
 夜の12時頃雨がテントを打つ音で眼を覚ます。5月下旬からは、今回の山行を含めて4週連続して山に入っているのに、どうしてこう日曜日には太陽は顔を出してくれないのかな。太陽の神はふざけておられる。少なくとも、日曜日に顔を出さない太陽には存在価値を見出すことは出来ない。本来なら日の出の太陽がオレンジのリツロンを通し、明るくて目をさます筈であるが、太陽とのコミュニケーションの欠如か、それ共、演出である自然の神の不手際か、いつまでもうす暗いまま。
 4時半起床 一応雨は上がった様だが空は相変わらず暗い。出発頃はガスってきた。わらじをつけて、最初から水の中を行く。水量は少なく20センチ位か。1時間歩いて、三股から1.1キロ西の右手から入っている沢との分岐。この分岐から25分で更に5百米西の、左から入っている沢。
 ここまでは地図で確認できた。しかしこれからは、地図上の分岐は実際には全くわからなくなってしまった。天候も、あたりはガスり、雨がぱらつきはじめ視界も良くない。(もっとも晴れていても、木々でわからないが。)多分2つ目の分岐から1キロ西の付近で二股になるが、地図を読んでも全くわからず、只、磁石をきるのみ。右手を取る。このあたりになると沢もせまく、水もチョロチョロ、沢が切れるのも必至だ。こんな所で切れてはどうしようもない。まだピ−クまでは3キロ近くあるのに。
 この地点から百米位行くと道が沢から離れるようについてくる。それを行くことにする。1つ小さな尾根を南に越して沢に降り、更に道は続く。しばらく道に従って進むが、磁石を取り出すと、道は北に向かっている。シマッタと思い、いよいよブッシュ漕ぎをすることになる。雨は降るの、視界はきかないの、おまけにすごいネマガリ、今のロスを取り戻すべく南西に切る。後はずっと西南西に磁石を切りっぱなし。方向を定めて50米位行っては、又、磁石、行っては磁石、これのくり返しであった。ピークの方へコールをかけるも応答なし。内心ヤバイ事になるかもしれないとも考えた。しかし時間もまだ早いし、引き返すにしても楽ではない。何処にいるのかは分からなかったが、そうはずれてはいまいと再び磁石とにらめっこをしながら懸命に漕ぐ。再度コールをかける。1回だけだが声がした。かなり右手からだ。
 12時半頃頂上直下の急斜面の下に出る。ひたすら登る。這松が現れた。登りきると道に出た。空カンがあり、新聞があり、ビンがある。場所によっては、タバコの吸殻、ガムの紙1枚が道標の機能を立派に果たすものだ。13時20分、空沼岳頂上。皆、顔がほころぶ。
 リーダー反省
 クラブではじめてのコースであるが、ひどいコースだ。一言でいって、二度と行く気が起こらない沢だ。「北海道の山」6号では、「うまくつめれば殆んどブッシュを漕ぐことなしに頂上直下の基部に出る」とのことであるが、チョッと信じられない。
 しかし、途中はとにかく、最後のつめは全く予想通り的中したし、コースタイムも6時間50分(「北海道の山」では5〜7時間)であることからして、そんなにまずいつめ方ではなかったと思っている。
 成功の原因は、沢が切れてから道などを行ったりしたが、そこからすぐに計器登行に切りかえ、徹底的に磁石を切ったことであろう。 

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