カンボジア悠々編◆遺跡まみれのお正月



2001年12月31日(月) シェムリアップ

現在、乾期であるカンボジア。今朝もひじょ〜に天気ヨシ。毎朝のごはんは もうふわふわパリパリのフランスパンにジャム、スクランブルエッグ(という名のいり卵)。 私は何度かの旅で身につけた食事に飽きたらマヨネーズとしょうゆという カラダが欲する生理現象のために、今回もしょうゆとマヨちゃんを食卓に持参。ああ、マヨネーズは おいしいなあ。

私たちを空港に迎えに来たドライバーくんとガイドのSくんが、今日のお供。 なかなかいい車なんだこれが。Sくんの日本語はあたしの英語なみにヘタい。もうヘタレだ。 それでも一生懸命頑張っているのでこちらも神経をとぎすませながら聞く。がんばれSくん。
今日の目的地は、「東洋のモナリザ」とまで言われる珠玉のデバター像を 見ることができるバンテアイスレイ。シェムリアップから約40km、車で1時間と聞いていたので いいオトナの旅行者である私たちは、もちろんバイタクではなく車をチョイス。(つか、ヒゲがいなかったら たぶんバイタク利用してたと思われます。うっす)そこに直行するのももったいないので 途中にあるプレループというちっこい遺跡などによってもらう。 アンコール遺跡群に点在する遺跡はどれも眺めがいい・・・いいなあーレジャーシートを持ってきて ガッツリ寝転びたいほどに。

バンテアイスレイの環濠
バンテアイスレイを囲む環濠。水のそばって落ち着く

のんびりのんびりした道を車は北上する。やはり観光で食べてるだけあってか、観光に必要な部分の 道路の整備は素晴らしい。一本道をそれたり、奥まったところにいくとアッというまにデコボコ道なのだが。 そしてその道の整備については、クメール人みんな口をそろえて日本人が作った道だと 嬉しそうに説明する。うおーあたしの税金はぜひこういうところで使われてて欲しいよーー!!
車の中ではつたないコミュニケーションがつづく。カンボジアの音楽といって聞かせてもらったら、 思いっきり氷雨と雪国 カンボジアヴァージョンがのびたテープからウオンウオンと 聞こえてくるし。日本の演歌って強いな。

ガイドSくん「オサマビンラディン知ってるますか?」
きあ&ヒゲ「知ってるよー。日本でも有名だよー」
ガイドSくん「オサマ、仕事とったね」
きあ&ヒゲ「??とった?」
ガイドSくん「はい、オサマ、私たちの仕事とったね。観光客こない」


・・・そうかあ。ニューヨーク、そしてアフガニスタンにアラブ諸国。あの事件は事件に かかわった国だけが影響をうけたわけではなく、人々が海外旅行事態を自粛してしまったがために 関係のない(であろう)カンボジアにまで影響がでているんだね。しみじみした。
私にとっちゃ、かなり今回日本人旅行者を多く見かけてると思ってはいたのだが、Sくんに 言わせて見ればとても少ないのだそう。

バンテアイスレイ参道
リンガの像がたつバンテアイスレイ参道

さて無事に車はバンテアイステイに到着。うおーもうわっしょいわっしょいと人がいる。 いままで回った遺跡の中で人口密度の高さナンバルワンだ。 このヘンピな場所にある小さな遺跡に、なぜみんなそんなに引き寄せられるのかと思っていたけど 行ってみてわかった。こんなに小さなくせに、めっちゃめちゃレリーフがキレイなのだ。 他ではちょっと残っていないような細かに深く、赤い石に彫られたレリーフたち。 参道にはリンガ(男性自身のシンボルをかたどったヒンドゥ教ならではのもの)の像が並ぶ。 環濠もほんとに小さいけどそれが穏やかな雰囲気をかもし出している。
が、
なんといってもこの遺跡、残念なことに数ヶ月まえに中央祠堂あたりにロープが張られてしまい、 そのレリーフを間近に見ることができないのだ。もちろん、「東洋のモナリザ」もまったくわからない。
もちろん、カンボジアに来る前に「もう見られなくなっている」という情報は メールなどでいただいていたので、その覚悟できたのだが、こ、ここんなに遠くでしか見られないなんて〜〜〜。 「モナリザとかいうやつはアレ?」「いや、あれじゃないの?」「この図によると あの角度からみえるらしいから・・やっぱ見れないじゃん!キー!」
と、プンスカ。しょうがないよね・・・遺跡保護のためだもんね・・・それにしたってここまできたのにな。 なんだか人ごみにもまれに来たような感じでガッカリだい。

ニョックポワン
ニョックポワン。私はなにがしたいのか?

1時間ぐらいで退散することにして、その後はまたアンコール遺跡群をめぐる。ニョックポワンはミニコロシウムのような風情だが、どうやら雨季にこないと雨がたまらなくて意味がないらしいお堀あり。 4箇所に設けられている水の出口に手をつっこんだりして、ローマの休日気分。
ゴハンを食べた後はプリアカンへ。このプリアカン、別に他の遺跡と大差ないだろう なんてハスに構えていたけどすごいでかい。東の門から西の門まででこぼこ道をハアハアいいながら歩いて 遺跡内を見学したけど、なみのデカさじゃない。Sくんは「全長1kmあります」なんて フザけたことをいってたけど(そんなわけない!)それを信じてもおかしくないくらいとにかく長い。
もうひとつの見所は、アンコール遺跡群のレリーフの中でも、プリアカンのあるひとつの アプサラ像だけ、腰巻がはだけているというやつを見つけること。 これは、歩き方などに書いてなかったので知る由もなかったが、ガイドのSくんが気を利かせて教えてくれたので 見ることができた。おお、たしかにめくれてますな!腰巻。

プリアカン
プリアカン。女性のシンボル「ヨニ」。永遠みたいに奥へ続く

プリアカンのアプサラ
見えにくいかな〜?奥のアプサラはきっちり腰巻あり。手前のアプサラの腰巻はだけてます。

ふー今日もおなかいっぱい遺跡をみたよ、と車にゆられてホテルに帰り際、ドライバーたちがどこかへ 寄り道をしている。はひ?ここはお寺すね。なんでしょう。
Sくんに「このかんばんを読んでね」といわれ、ちょっとなきながら 英語の看板を読んでヒゲに聞かせるあたし。アティトゥモサン寺。 あっ、キリングフィールドってとこですねここ!。
ポルポト時代の恐ろしく悲しい過去をまざまざと静かに見せつけられる。静かに納骨されるホネたち。
お坊さん達ともすこし会話を交わしてお布施をする。ええもう、何度でもいっぱいしようじゃないのさ。 ここでも日本からの援助がもりもりされているよう。

キリングフィールド
ホネが見えますか?頭蓋骨。せつない

リコンファームのためバンコクエアウェイズのオフィスによってもらい、その後オールドマーケットで2001年の 買いだめ。そうなのよね、今日ったら大晦日。ぜんぜん気がつかなかったよ。うっかり 夏休み気取りでした、私たち。
ホテルにもどると、やすからのメッセージ「アンコールワットの大晦日ライトアップが あるらしいので見に行きます。現地で会えると思うので会えたらご飯食べましょう」とのこと。私たちも 軽くシャワーを浴びて一服後、すぐにアンコールワットに向かう。が。
結果からいうと大晦日ライトアップなんかなかったの一言。
みんなから大晦日のライトアップは美しい!と聞いていたが実はそれってミレニアムだけの記念行事だったらしく 今日は2001年、新世紀初年の最後の夕焼けだというのにやっぱり閉園18時前にはみんな追い出される始末。悲しい・・・。
結局やすにもあえず、今日一日たっぷり観光してクタクタな私たちは、なんと22時には眠りについちゃったのです。 ああーむにゃむにゃ。来年もいい年でありますように。

2001年最後のアンコール
今日のアンコールワットも美しく存在してますな



本日の出費
■トイレチップ 500RE×2
■水 2000RE×2
■昼飯 8.5$
■お布施 500RE+100RE+100RE
■おみやげ 30$
■ガイド&ドライバー代 50$
■夕飯 忘れた
■バイタク代 忘れた



2002年1月1日(火) シェムリアップ

ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ て、ああ!やかましいわ、おまえは(80年代の)片岡鶴太郎か!と、 まったく時代錯誤なセリフを叫びながら アラームを止めて真っ暗闇の中起床。
グッドモーニング2002年(ウインク)★というわけで、みなさまあけまして おめでとうございます。本日は、生まれてはじめての海外正月を迎えるために夫婦そろって アンコールワットへ初詣。 ヒゲ、こら、そこの鼻の穴が天を仰ぐ(ある意味ポジティヴ)おじさん、早く起きてくださいよ、とゆさゆさゆさ。

昨夜、地元民の結婚式に乱入してビールをたらふく飲んだあとにご機嫌で部屋へ電話を入れてきた スーパーサイヤ人(ヒゲ命名)であるやすと、 今日の5時に玄関で待ち合わせ済み。まだまだ真っ暗な中、吐息も白いような気がする。ヒー!寒い!!
ゲストハウスからのっそり出てきたやすと、さっそくバイタクに分乗することに。やすは、前の日にドライバーと契約して いたらしく、そいつが待ってるとのこと門をぎぎーと開けるとそこに待ってたのは。あっ!メイベリンじゃん。

メイベリンも、「ありゃ、こっちのマダムだけじゃなくて、こないだのご夫婦も一緒ですかい こりゃ儲けもの。急いで友達よばなくちゃ」とばかりに、いそいでケイタイで電話。 すげーーー!!ここらのバイタク野郎はケータイマスターですか。(マスターって?) 待つこと10分ほどで、もう一人ドライバーがあらわれ、ようやく3台でアンコールワットへGO〜。 メイベリン以外の2人のドライバーはこれまた帽子であだ名。ジャマイカつば広である。 入場券チェックゲートの係員も日本語で「あけましておめでとうございます」と流暢に挨拶してくれた。

朝のワットその1
睡蓮浮かぶ水面にアンコールワットの影ゆるやかに映りて

まだ5時台だというのに、アンコールワット前の駐車場は車やバイク、バスで大混雑。すごいっ! みんな新年のご来光を見に来てるんだね。暗闇の中でのチケットチェックもしっかりアリ。さあ、 早くこないだ目をつけてた場所、聖池のど真ん中の石のフチを陣取るために 急がなくっちゃ〜ね〜。パタパタと小走りな3人。
どっかりと聖池のほとりに座り込んで、朝日を待つが寒いし腹減るしなんだかもう眠いし。 ヒゲはあまり待つことが好きではないので「まだかなー」「まだかなー」と どんよりしていたが、きあは、話し相手のやすがいるのでぜんぜんへっちゃら。久々の再会もあって ぺちゃくちゃと話に花が咲く。

※実はこのとき、当サイトの読者さんがアタクシの姿をこの聖池の前で発見し 「もしや」と思って話しかけようか迷ったそうですがそのまま話しかけずにおわった、というのを メールでいただきました。んまー!なんと!アタシってまるで有名人きどりですね。つかそういう場合は すぐに声をかけましょう。2秒で友達&ほっぺにチューです(女性のみ)

朝のワットその2
ようやくのご来光。2002年の幸せと平和を祈りました

6時50分日の出。日本から約2時間遅れの太陽は、それはそれは優雅で、神々しくて・・・。
まわりの日本人率が相当高いのだがそれもわかる。日本人ってやっぱヤオロズの神の精神が 染み付いてますよね。DNAって感じで。太陽をみて拝む。そんなの、日本人だけなんじゃないかしら。 でもとっても素敵だなとおもう今日この頃。あたくしももちろんお手手のしわとしわをあわせて幸せをなーむーと 祈りました。

朝のワットその3
陽がのぼりきり一面ガスに煙る寺院内。朝日初詣も多し

さて、その後は、そのままアンコールワット見物にいくやすと、一刻も早く朝のお勤め(うんこ)がしたいきあチームに別れる。ああ!自分の健康な排便サイクルが憎い。 ヒゲはそこらへんの4歳児のように「おなか減った」を連発するし、とりあえず メイベリンだけやすのために待っておくよう伝え、ジャマイカとつば広を従えて 一度ホテルへ戻る。すると、レセプションの男性から「アプサラダンスの予約がとれましたよ」 とのうれしいご報告。そう、せっかくのお正月ですもの、と今夜はアプサラダンスを見ながらのディナー予約を 昨日お願いしていたのだ。ふふ。これで夜の予定もばっちりだわね。安心して朝ごはんを食べて速攻惰眠をむさぼる。

マーケット
魚を発酵させたプラケットのニオイがすごい市場内

11時前にホテルをでて、散歩がてら歩いてオールドマーケットに行こうとしたら、さっそく2002に見つかる。
「あ、やっほー2002」(ホントに私らはそのまま「にせんに」と呼んでた)
「なにしてんの!乗ってけって」
「やだよ歩きたいんだもん。20分くらい歩くだけだし近いし」
「なーんで、乗ったほうが楽なのに」
「そ、そりゃそうだが。ほんじゃ3ケツで2000REなら行く」
「よし」

あっ、テメー!こないだダメっていったくせ、やっぱ3ケツしてもいいんじゃねえか!!と思いながらぎゅうっとつめて乗る。あ、でもこりゃ たしかにきついわ。数分ならいいけど、アンコール遺跡群までの約20分これって貴婦人には無理無理と 心でつぶやく。ちなみに2000RE=約70円。バイタク側にしても全然悪い値段じゃないです(だってアンコールまで 1ドルだからね)

オールドマーケットを散策し、そのまま歩いて、シェムリの有名な日本宿タケオGHへ。
旅が好きではなく、そうこなれてもおらず、どちらかというとシャイなヒゲと一緒の場合、 こういういかにも旅のつわものがわっしょいと詰め掛けているような場所に 連れて行くのはどうかな〜とも思ったけど、カンボジアアドバイスをしてくれたみんながみんな、メールで タケオGHのシェイクは食っとけとハンを押したようにいうので、 素直でおきゃん(おきゃん?)なあたしはもちろん言われるがまま、それに従うのです。犬モード。
タケオのシェイクの感想?そりゃもううまかったですよ!でもバンコクのカオサンの裏通りのシェイクも 負けないくらいおいしいですよねー。でもシェムリアップのほかの店で飲むシェイクと比べたら全然濃くてグー

マーケット内
ちょっとシュールなディスプレイですよね

カンカン照りの昼間に動いて疲れた体をすこしやすませた15時、 朝のバイタク野郎どもが、迎えに来てくれる。アンコール遺跡群とは反対方向のロリュオス遺跡群に行くためだ。すごいでしょ?この遺跡見物強行軍。ロリュオスはアンコール地域に王都がうつるまで ここがクメールの中心部だったという歴史の古い場所だ。

おそろしいまでにまっすぐに続く路。これはプノンペンに続く道。もちろん全線こんなに舗装されている わけではないらしいが、日本が作ったということをジャマイカもしきりに言う。 まずはロレイへ。とにかく小さい。たくましい金剛力士像のレリーフを 見れば十分といったところ。次は、アンコール遺跡群でもっとも古いとされるプリアコー。 牛の像がもったりとお迎え。それもそのはずこの寺の名前は「聖なる牛」という意味らしい。 そしてその祠堂ったら倒れないようつっかえ棒でささえてある。 冗談みたいな姿だがマジだ。この「つっかえ棒にて支えられる遺跡」というのはアンコール遺跡群の いたるところで見ることができる。完全な修復をいまかいまかと待ち望んでいるのだろう。自然に朽ち果てるという 選択肢を選ばせることなく、現代人はいやおうなしにリペアしていく。

最後はアタシがロリュオスで一番見たかったバコン。思ったとおり、素敵! こぢんまりしたピラミッド式寺院で、年老いたじいさんのように体のかたいヒゲでも、登るのは苦にならない サイズというのがいいではないか。さほど人もこない静けさがさらに◎。 レリーフで描かれるものたちもアンコールワット周辺のものと若干違うデザインというか 表情をしている。なんといってもそのひろびろとしたテラスの四隅に、象さんがデン!と並んで ジャングルからくる外敵を見張っているようなところ。いいないいなここ。 お土産売りの子どもたちものんびーりしてるし、バカみたいに安い値段でTシャツとか売ってるので こちらが心配するほどだ。たぶん本当に買うとなったらひるむはず。Tシャツ10枚1ドルとか言ってるのが聞こえる。

バコン遺跡
ロリュオス遺跡群のバコンの四隅には像がいる

今日も一日、遺跡で満腹。その後はマーケット内の素敵なカンボジアシルクの店で生地をみたりした。 カンボジアシルク、かなり洗練されてます。さすがフランス人のセンスがこういうとこに繁栄されてるのね〜と 感心しきり。フランスパンとカンボジアシルクのおしゃれさは、フランス人が残したよい軌跡ですね。 旅の買い物好きなひとにも、カンボジアシルクおすすめ。

その夜はアプサラダンスのディナーショウでお正月のおせちならぬビュッフェディナー。 ぶっちゃけ、たいしたことない。まあそれを言ってしまうとやはりポルポトの話にまで言ってしまうらしいのだが (ダンス継承者とかはほとんど虐殺されて、いまカンボジアの伝統は残されたひとたちが手探りで 蘇らせようとしている)、バリのダンスなどをみてしまっているので、アプサラダンスはまるで 子どものように感じてしまった。もちろんワタシの主観ね。
バリダンスは観光観賞用として花開いたからか、ものすごい 華やかさがあるが、なんとなくそれを見慣れた目には、アプサラダンスは田舎くさいかんじ。ただそれが いいという人もいるだろうからもちろん否定はしません!!それなりに楽しめたし、よかったよかった。
なんだかこんな、遺跡ばかりみてる平凡なカンボジア日記でスイマセン。 とりあえず2002年最初の日はこんな風に暮れていったのです。

アプサラダンス
バリやタイのダンスに比べるとまだまだなアプサラ舞踊



本日の出費
■バイタク 2000RE
■シェイク 1000RE×2
■昼飯 6500RE
■おみやげ 62$
■バイタク 2000RE
■庭でジュース 1.8$
■水2000RE
■ハガキ 1$
■ガイド&ドライバー代 50$
■ディナーショー(ダンス鑑賞) 25$
■バイタク代 5$×2



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