カンボジア悠々編◆shall we アンコール?



2001年1月4日(金) シェムリアップ


目覚ましのセッティングを間違えて4時半におきてしまったので二度寝をぶちかまして いたらいつのまにか6時!きゃあっ!ヒゲ早く出発するよっ!と、むりやりたたき起こして いまだ寝ぼけまなこのヒゲをひきずってホテルを出る。 珍しくメイベリンや2002がおらず、流しのバイタクが止まったのであわててそれに乗り込む。 今日の運転手は二人ともニセNIKE帽子をかぶっているので「ダブルナイキ」と コンビ名をつけてあげた。
今日は、ワンデイチケットを購入して、気になる遺跡をもう一度巡ることになっていたので 購入したが1日20ドルって高い・・・(泣)本当にカンボジアの観光にまつわる金額は恐ろしく高い。

1月4日のアンコール2
今日もガスがたちこめる。オレンジっぽい朝日。

もう、すっかり慣れた道のりを歩き、アンコールの聖池前へ。今日の朝日もやはり美しい!! 何度見ても感動ものだ。なんなんだまったくこの存在感は・・・美しいにもほどがある。
先日の元旦朝日は、早朝にも関わらず初詣(?)客が多かったが、今日はやけに少ない。 これはゆっくり見れそうだとふみ、朝日ショーが終わると同時に中央塔のある回廊内へ入る。 おお!あのおよそ8300名の年寄りが足をすべらせてころげ落ちたであろう、角度40度は確実にある階段もガラ空きなので ゆうゆうとのんびり登れそう。いやがるヒゲをこれまた無理やり引きずって階段をのぼる。 黄金の朝日の筋が、回廊内にストライプ状に漏れて夢のよう。 静かで、鳥の声だけしか聞こえない。うわーやっべえ。感動してぶるぶる震えそう。
もやのかかるアンコールワット周辺。その幻想的な姿に「本当にここに来れてよかった。 平和がもどってよかった」とふたりで感想を述べ合った。旅は人間のちいささを爽やかかつ辛辣に教えてくれる。

1月4日のアンコール
聖池の手前にたつとアンコールもけっこうデカイ。

午前中のアンコールワット散歩を十分堪能したあとは、すぐに観光にまわらずやはり一旦ホテルへもどって 朝飯と朝のおつとめ(うんこ)に励む、規則正しい内臓をもつ夫婦。早起きしてねむねむのカラダが 眠りを欲しているため、そのまままた午前中の昼寝としゃれこむ。ダブルナイキたちとは、別れ際に 「昼にまた来てね」と身振り手振りで交渉しており、今日も一日貸切だ。 (あのねダブルナイキったらロコ向けバイタクみたいで英語通じないんすよ!あたしの英語がヘタレだから 身振り手振りだけなわけじゃないんですよ。と言い訳をする往生際の悪さ)

正午にホテルを出発し、アンコールワットを過ぎてまずはバイヨンへ。バイヨンは アンコールトムの中心にある寺院でこれの回りに象のテラスやバプーオンなどが あるため、ここ周辺だけでもジックリ時間をかけてみてまわりたい場所だ。 最初にきたときより、余裕を持ってみてまわれる。それが二度目のいいところだ。 レリーフなども、ヒゲとあれこれ想像しながら見ていく。すごい、前に気が付かなかった ユニークなものが多い。このレリーフはまさにドラマだ。
やはりバイヨンだけでフィルム2本使う勢い。いやーーーあ、本当に見ごたえたっぷりだ。

バイヨンのレリーフ
表情が豊か!左のレリーフは顔削られてます

次は東メボン。ここは初日に行き損ねていたので行ってみたのだが バイヨンから20分以上走る。アンコール遺跡群のなかではすこし遠目のようだ。ここもバコン遺跡のように 四隅に象さんが建っているが、保存状態はバコンのほうが全然上だ。ただし、偽窓が ユニークで、このアンコール建築物を見るたびに、偽窓の多さとそのバラエティの豊かさに驚かされる。 単なるデザイン上のことなんだろうけど、昔の人のセンスはたいしたもんだ、と改めて感じさせられる。

あとはぐるぐるいろんな遺跡を周って、スラスランに寄り、ガキんちょと遊んで、私たちのアンコールの旅は終わった。 夕方ホテルを出る前に屋台飯も食べて、シャワーも浴びたい。
さよなら、さよならアンコール遺跡。こんなに情のうつった遺跡なんか初めてだ。 アンコールワットを囲む濠のわきを走り、深いジャングルの道をゆっくり抜け、ホコリっぽい活気のある街へと 向かう。涼しい風がシャツを中を抜け、日差しはきついけれどあくまでも爽やかだ。

素晴らしかったなあ・・・アンコール遺跡。

もう、それしかない。ほんと、あんがと。のこっててくれてありがとう。のこしてくれてありがとう。

スラスラン
人口湖スラスランではしゃぐガキ(私が突き落としました)

ホテルに帰る前にいつも寄る屋台へいく。するとそこで少しだけ顔見知りになった店の娘が なにか色目を使ってくる。ななんですか!私には夫が!とあやういことを 考えたが、なんのことはない、なんと彼女は日本人男性に恋をしていることを恥ずかしそうに告げ、 「手紙書いて渡してほしい」と頼んできたのだ。かーわーいーい〜〜。

Eメールなら喜んで書くといって、その男性のメアドを教えてもらい、口述筆記する私。 まるで霊能力者である。
「ワタシ・・・アナタガスキ・・・ワタシヲアゲル・・・」(日本語)
ぎゃっははははは(すいません)。なんだこの熱烈なラヴ・レターわっ!聞いてるあたしが 恥ずかしいっちゅうねん。彼女もさすがに恥ずかしいようで、ヒゲに聞かれないようにワタシの耳元で ささやくのである。それを必死に書き取るイタコ・きあ。
「ワタシノママ、早ク結婚シロト言ウ・・・デモ、ワタシハアナタガスキ」
もう笑ってる場合じゃありません。彼女、真剣だよ。おろおろ。 なんだか急に不安になるわたし。こんな大切な伝言を預かっていいのだろうか!?
とにかく長い長い口述筆記がおわり、かならず彼にメールをすることを約束したら、彼女からとても感謝されて しまった。か、感謝されてもお返事がくるかは保証できないよ?そんなに喜ばないで・・・
なんだか胸が痛い。

※この後日談ですが、無事彼女の意中の「彼」とは連絡がつき、何度かメールのやりとりを させていただきました。とても爽やかさんのナイスガイ☆で、ワタシがこういうページを運営していて もしかしたらネタとして書かせていただくかも・・とおずおず告げると快く許可してくれました。ありがとうTさん! ところで彼女へのお返事はかかれましたか?ドキドキ・・・重いですよねさすがに・・・重たいですよね・・・

本日の運転手
ダブル(偽)ナイキは朴訥としたナイスドライバー

ダブルナイキとも爽やかに別れ、結局カンボジア・シェムリアップでは大きな事件などもなく無事に過ごすことができた。 ヒゲも一切下痢せず、おいしいものをバクバク食べれて、彼的には楽しめたのではないだろうかとおもう。 ちょっとのんびりすぎてヒマをもてあましていたようだが・・・日本は娯楽がありすぎるんだよ!こういうのんびりした 時間って旅に来ない限りとれないんだから、それもまたヨシ。ということだ。
夕方までホテルでのんびりし、とても心地よく、気持ちのいい滞在をさせてくれたボレイアンコールホテルを後にする。
クメール人も笑顔の人種だな、と思った。

プレハブの国際ターミナルから飛び立つ飛行機。窓の外をみると、明かりも何もない。一面の暗闇だけだ。 夜のフライトのとき、いつも当たり前のように見るあの宝石のきらめきが一切ない。 まだ発展途上のあの闇の中に、シェムリアップのひとたちの生活があり、遺跡があるんだな。 そしてあの闇は、平和になった証でもあるんだなとポツリと思った。

バイヨンの子坊主
微笑むバイヨンとちいさな僧。


本日の出費
■アンコール遺跡1日入場券 20$×2
■バナナ8本 2000RE
■昼飯とシェイク 6800RE
■バイタク 5$×2
■シェイク(ホテルで) 1.6$
■宿代(7泊分・カード払) 262$
■空港送迎 5$
■エアポートTAX わすれた



2001年1月5日(土) 〜バンコク〜福岡

シェムリアップからわずか45分のフライトでバンコク・ドンムアン空港へ。 へとへとに眠い私たちは、おみやげをガッツリ買い込んだ後、空港のすみっこに横になって爆睡。 朝、福岡に帰ってきてようやく、いまが冬だということに気がついた。 私たち夫婦のはじめての夏休み・・・いや初詣海外旅行は終わった。ごくろうさまでした。

〜おわり〜


カンボジア悠々編、終了です!ご意見ご感想などいただいたらもう嬉しくて 腕立て伏せを100回はしてしまいそうです。



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