ジョルダン人情編1◆はじまりはいつも孤独



1999年9月23日(木)福岡〜クアラルンプル

ミニ関空と呼びたくなるほどそっくりに生まれ変わった福岡空港 国際線ターミナルから飛び立つマレーシア航空。どうみても愛人 との旅行を楽しむ不動産業社長、みたいなカップルを横目に機内食をパクつく。
普段なら「フン。ざけんなよ」と青島幸男よろしく、 意地悪ばあさん並みの視線をおくるところだが、今回のきあは しおらしくも「うらやましいなあ」なんて 思ってしまう。
以前に書いたと思うけど、わたしは好きで一人旅をしているわけ ではなく、誰とも行きたい場所、スケジュールが合わない旅を選 んでしまうのでしょうがねえや、ひとりで行くかな、フフフン。 のような感覚なのだ。
この旅は、もしかしたら独身最後の旅になるかもしれない。 だからガンガン自由を楽しまなきゃソンなのだが、いかんせん、 ツレと一緒のときも十分自由(というか気まま勝手)なので、今 さら自由を楽しんでもなあ〜。ん?弱気?喝をいれねば喝を。

パン
チャイナタウンで見つけたカワユイパン

さて6時間のフライトでおニュ〜のKL国際空港到着。
今回は福岡で唯一の旅HP仲間、えびオクサマとの待ち合わせを この空港内でしていた。彼女は帰国のため、わたしは旅のはじまり。 んま〜なんてステキなんでしょ。
苦労など微塵もすることなくあっさりおくさまと会えたあとは、 空港内のグルメコートにて初のマレーシア料理をゴチになる。
「アタシ両替しすぎたから貸すよ」
オクサマからのウレシイ申し出に、山ほどのリンギットをうやうやしく貸していただく。 おかげでマレーシアではこの金ですごすことが出来たぜ、オクサマ。 オクサマは結局台風にブチあたり、シンガポールで ディレイをくらったらしい。きあも1日出国が遅れてたらこの旅行パアに なってたな。まあ、きあの日ごろの行いの賜物でしょうね。
(寝坊したり閉め切りやぶったり嘘ついたり。うわっすごい行い)

今夜のお宿はネットで予約していたチャイナタウンのホテル。
ほんとにインターネットは便利だね。エアポートバスであっさり到着。 ざわめく屋台をひやかしひやかし、買い食いしてさっさと床につく。
なんだか、孤独感が離れない。
オクサマと別れてからなんだか 地球上にわたしとつながりのあるひとが誰もいなくなったような 錯覚に陥る。
多分このひっそりしたシングルルームのせいだ。 窓の向こうはチャイナタウンの賑わい。
わたしはその中にこころから飛び込んでいけない。
日記代わりのメモも、 仕事先のひとに書くエアメールもなんとなくしめった感じだ。
仕事から解放されて何も考えない時間が欲しかったはずなのに、 実は自分は、仕事と関係なく楽しく話せる人との時間が必要だったのかなあ。
これではいけないいけない。明日も丸一日クアラルンプル なのだから、気持ちを切り替えなければ。 なんだか旅のはじまりは華々しくなく、こんな地味な一日で終わったのであった。

チャイナタウン
突然のスコールに走り出すチャイナタウンの人々


本日の出費(オクサマに520RM借りる)
■エアポートバス(空港ーチャイナタウン) 25RM
■えびミー&アイスティ 4.5RM
■ベアトップブラ(偽ELLE。屋台にて) 12RM
■ポテトチップス 2RM
(ホテル代は事前に振り込んでおいた。SWISS INN 3100円)



1999年9月24日(金)クアラルンプル〜(アンマン)

宿泊代には朝食もついているので、まずいバイキングをもさもさ 食べたあと、さっさとチェックアウト。KL駅の荷物預かり所にいき、 身軽になったあとは帰りのリコンファームをすべく インフォメのおねえさんにオフィスを聞き出してくてく歩く。
しかし暑い・・・・汗がダラダラ流れる。暑苦しい。 べたつく暑さや雨が大嫌いな私。なんでクアラルンプルにいるんだ? なんてまたネガティブなことを考えてしまう。いかんいかん。 すすめすすめ、もうがむしゃらに歩こう。
駅から徒歩5分のbayabumiコンプレックスというオフィスビルで 無事リコンファームを終えたが、なんかいやな予感がした。
「オールフライト大丈夫?ロイヤルジョルダン航空も?」
「ええ、問題ないわ。良い旅を」


福岡でチケットを受け取るとき、旅行代理店のひとは言っていた。
「うーんロイヤルジョルダン航空。 マレーシア航空と提携してるとはいえ、不安ですね。 とにかくリコンファームは何回しても悪いことはないですから、 ジョルダンでもやったほうがいいかもしれないですねえ」
そして、その助言が大正解だったことがのちに判明する。 きあの嫌な予感は、哀しいことに100%的中するのだ。

マド
インド人街にて。アジアって感じだね

インド人街をプラプラ歩き、目指すは「そごう」。普段の旅なら絶対来ることはない 日系のデパート。しかし私には死海のための ゴーグルを購入しなければならないという使命があったのだ。 日本と大差ない価格で購入。クスン・・・ さらに腰巻き用に布を購入。これはとてつもなく役に立つこととなる。

私が悪いんだと思う。1日半を貪欲に遊ぶつもりでクアラルンプルのこと 調べればよかったんだろうけど、脳みそはすでにジョルダンモードだったし 忙しくてガイドブックを見る暇もなかったので、この街に関しては 地図以外の情報は皆無。だからどこになにがあるのかもわからない。
「しまった・・・」と思っても後の祭り。 結局楽しむどころか、必死に時間潰しをしKTMとバスを乗り継いで空港へ。 えびオクサマからちょっとした情報を仕入れただけでも大正解だった。
いやあ、首都は苦手だ。
首都は人に孤独を再認識させる。
ていうか、自分のきもちがノッてないだけなんだけど。 はやくジョルダンいかなきゃ。いけばなんとかなる。 それだけを考えて、23時過ぎ離陸した機内で睡眠をむさぼった。

本日の出費
■ヨーグルト 1.7RM
■絵葉書 70sen×4枚=2.8RM
■切手 2RM
■荷物預かり 2RM
■布 (2.5m) 50RM
■ジュース 2RM
■ゴーグル 46.9RM
■サンドイッチとジュース 6.4RM
■クレープ 4.3RM
■セントラルマーケットではんこをつくる 95RM
■タバコ 3RM
■ジュース 2本 3RM
■KTM乗車賃(KL−NILAI)4.5RM
■バス代(NILAI-KL国際空港)2.5RM
■えびミー 5RM
■ロティ 3RM
■水 2RM



1999年9月25日(土)アンマン

「ドーハの悲劇」でおなじみのドーハで給油後2時間ちょい、 KLから9時間かけてつつつつつついにアンマンに到着。フム。モロッコの空港よりは少しは立派だね。 とうとう来たぜ!ジョルダンよ! 期待感に顔がにやける。まわりから変な目で見られたのは言うまでもない。
さて、ジョルダンはビザがいらないと言う話。 つい最近帰国したという方にメールでいろいろ話を聞いていたので 友人に東京のヨルダン大使館でビザ申請書をもらってきていただいた にもかかわらず、写真を用意するだけでここまで来た。
さあ!イミグレのステキなお兄さん(イタリア人風)、 どっからでもかかってきなさい!と心は勇ましく、 態度は柔軟におずおずとビザカウンターへ。
「あなたは日本人?」
「はいっ、そうでやんす!」
「日本人はビザ要らないからね〜エントリーカードは?」
「あっ!書き忘れた!」
←大マヌケ(機内でくれなかった)
「くすっ。じゃはい書いて。手伝おうか?」
「い、いえ。なんとか書けます・・・(せっせっ)はい、書きました」
ポンポーンとスタンプを押す音。
「2週間ビザのスタンプ押したよ。welcome to JORDAN!」
どきどきしながら迎えたイミグレーションをあっさりと通過。
よ、ようこそ?ほんとに?なんだかジ〜ンとうれしくなっちゃいました。

アンマンのダウンタウン
アンマンの街中は喧燥とアラビアングラフィックまみれ

さて両替を終え、インフォメのおじちゃんに聞いたところによると、 街のバスターミナルと空港を結ぶエアポートバスは6時台からしかないらしい。 (しかしバス停の時刻表には4:50のがあった・・・) しょうがないので、タクシーのうざい客引きをかわしながら 2時間ほどじっと待つ。なんだかみんなの視線が痛い。 この時はジョルダニアンの優しさを知らなかったので、恐いだけだった。
「無事に街までつけるのかな〜」
乗り込んだバスで一緒だったイエメン人5人組の明るさだけが 救いだった。空手のポーズを見せると大喜び!
「僕らバクダット(イラク)にも行くんだよ。 よかったら一緒にいこうよ」
お、おいおい。カンタンにいうねえ・・・いけるか!!!行きたいけど。

さて、ついたところはアブダリバスステーション。 土地感もなにもない私はとにかく、歩いてる人をつかまえることにした。 と思ったときすでに私の目の前には 「welcom to JORDAN!」
とにこやかに笑う殿方。 なにかお役にたてますか?といわれ、まずは ダウンタウンの目印であるキングフセインモスクへ行きたい!と 告げる。その青年は、おいでおいでと坂道をあがる。 へっ?そんなに近いの?彼はレバノン人だそうで、なにかといえば ウェルカムウェルカムと言ってくれる。
で、ついたところはキングアブドゥラモスク。
・・・そそうね。きあの発音が悪かったのよね。
「ここもいいけど、キングフセインモスクもいいから行ってね」
と言われ、門の前で別れる。ま、いいかしょっぱなから観光も。 しかしホント、ただの親切でこの坂道をあがってくれたんだなあ。
キングアブドゥラモスクはピカピカででかかったけど、歴史はないので 見ても「ホホウ」くらいで終わる。 それよりもさすがにバッグパック背負って、その上に黒いマントを かぶり〜の見物はなんともみっともないものだったので早早に退散。 タクシーでさっさとダウンタウンへ向かうことにした。
タクシーに乗ったのは、これが最初で最後だった。

キングアブドゥラモスク
唯一内部に入れた。キングアブドゥラモスク

目星をつけていたのは、超有名なクリフホテルという 外国人宿。もうその宿の名前しか頭になかった。 どうやら日本人宿もあるらしいが、別に調べてまで行く気はなかったし、 このホテルは有名どころということで、ミニバスのでてない離れた場所へ いくためのシェアメイト(チャーターは大人数ではないと高い)を 見つけるのも容易らしいのだ。 とにかくチェックインしようと暗い階段を上がっていると・・・ 降りてきたのはニホンジンらしき男性。
「あ、こんにちわ・・・」
「日本人?こんにちは。ここね、ドミ4JDっていうけど 交渉すれば3.5JDになりますよ。じゃあ」

と、それだけ彼は言うと軽やかに去っていった。 ああ、なんだかそういうのいいなって思った。さくっとした会話。 この男の子、チョクとの出会いがさらにきあのジョルダン滞在を おもしろおかしくしてくれるとはこの時は知る良しもなかった。

ドミの空きベッドに無事滑り込み、カンタンに洗濯をした後 泥のように眠りこけた。まだ朝も早いのに今日はもう動きたくない・・・・
夕方目がさめると、黒髪で同じ東洋人のオンナノコがいた。
「ハーイ」
同室の台湾人、オフィーリアはむちゃくちゃ 元気印の子で、たどたどしい単語英語でしゃべる私に根気よくつきあってくれた キトクなお嬢さんだ。
「きあ、ご飯たべにいかない?」
アメリカ人のジョンと3人でホテル前の定食屋にしけこむが まだ疲れがとれていないのか、わたしはまったく食欲がない。 オフィーリアとジョンの会話も、わかるけど参加できる語学力も気力もない。 もう、なんだかやるせない気持ちだ。とにかくこの時の ブルーな心は今考えても謎なくらい。旅に出たのを後悔しそうに なるくらいなぜだか落ち込んでいたのだ。

キングアブドゥラモスク
キングアブドゥラモスクの内部、地味派手?

そんな私の気持ちをしってかしらずか、ふたりは店をでて
「夜景を見にいこうよ」
と坂道をあがり始めた。
途中、ランプ台をつくる職人の工房などを冷やかしながら。
ジョンはヘンなうら道や近道になぜか通暁していて、 あやしいガケをのぼってたどり着いたのが、アンマンの丘の上に立つ 城塞跡とヘラクレス神殿跡だった。・・・ああ、きれい。 山にへばりつくように建つ家のあかり、月夜にうかぶ遺跡。
「満月だね」
寒いほどの風に吹かれ、いろんな話をし、それぞれ好きな場所に いたりしてその夜を過ごした。
「きあ、ジェラシュはね風で動く柱があるの。
そりゃもうすばらしいわ。ぜひ見に行ってね」

なんだか、さっきまでの鬱な気分が少し晴れた気がした。 いっぱい動いて考え込む暇がないくらい楽しもう。
もう今の時点で道行く人に「welcome to JORDAN!」を100回くらい言ってもらってるじゃないか。

その夜はよく眠れた。昼間あれだけねたのに安心感からか ほんと、コテっと眠りにおちた。 オフィーリアとジョンは、テラスでチェスをしている。 ホテルのみんなはテレビでサッカー観戦。 わたしといえば、朝一番のアザーンが聞こえるまで、しばし休息。
なんだか明日からいいことが起こりそうな気がする。

丘の上から
高台からアンマン市街を望む。きれいだにゃー


本日の出費
■バス(クイーンアリア空港−アブダリバスターミナル)1JD
■絵葉書 6枚 1JD
■タクシー(キングアブドゥラモスク−キングフセインモスク)500F
■バナナジュース 400F
■ブーザ(粘りのあるアイス) 300F
■ネットカフェ 1時間1JD
■お菓子 550F


ブルーなオープニングではじまりましたジョルダン旅日記。
次は「ヒッチハイクで行こう」ですぜ。これからが盛り上がり時です(笑)




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