ジョルダン人情編4◆星と砂漠とベドウィンと



1999年10月3日(日)ワディラム

さて、今日はアカバ行きのバスにのり、途中ワディラムへの分岐点で下車。と いう高度なテクニックを要する(?)旅路のため、緊張ぎみ。
しかし、バスの発車時刻を携帯電話でジタンに告げてもらい、ポイントで待っていてくれるように すでにハッサンが約束をとりつけているし、 レセプションのイブラヒムは、やってきたバスの運転手に「この日本人を分岐点のとこで おろしてやってや〜」と言ってくれたので、安心していられそうだ。 ああ、いいなージョルダン。みんな何から何まで親切で紳士的だ。
そして、最後に別れがいえずにいて気になっていた越後。歩いている越後と バスにのったきあたち、ちょうど目があった。
「セルジオ!ありがとうまたね!」
聞こえただろうか。越後は「ワディラムに行けるんだね、よかったね」 というような笑顔で手を振ってくれた。ああ!最後に会えてよかった!
ありがとう!ムッサで出会ったみんな!

ジタン
ロレンス岩の前でジタンと。互いに腰がひけてます

移動が大好きなわたし。いつもなら車窓にくぎづけなのだが、昨夜の夜更かしが たたってコテっ!と眠りに落ちた。気がつけば、まわりに起こされてあっという間に 下車ポイントについてしまっていた。正味1時間30分。
バスに近づく、スーツにコフィーヤ姿のカッコイイおじさま!あら! あなたがジタンね!アッサラームアレイクムゥ〜!
ちょっと!まるでジゴロのように渋いわね、この人。女泣かしてんじゃないのコノコノ! といいたいくらい、今までであったアラブ人ベスト1に輝くくらいナイスガイである。

ジタンはなにか用事があるとかなんとかで、道をすこし引返して、ある建物の前に 車をとめた。建物にはカラフルな旗がはためき、よこにはテントとカーペット。 ん?なあにここ?
「ここなんだろうね」
「さあー・・・村の集会所じゃないの?」

私たちには皆目見当もつかない。4〜5人の長老みたいな人にむかえられ のんびりとそこでシャイなどをすすっていると、いきなりドヤドヤドヤっと 正装したオヤジたちが集りはじめ、テント内は熱気ムンムンである。 なに〜?なんなのぉ〜?まさか私たちの歓迎式典?ムフ。
そうこうするうちに、ジタンにその建物のなかに呼ばれる。 そして骨董品のようなパナソニックのハンディカメラを指差され、
「これは日本製だ。だから使い方がわかるね?」
といわれる。オイオイ!それは日本人だから日本製のロケットも 打ち上げられるな?といっているようなものだぞ。
でも、古く単純な作りのものだったので、まるで高校の放送部のように 肩にヒョイとカメラを持ち上げいじくりまわすと、モノクロ画面が写り出した。
「オッケー大丈夫、動かせるけど。なんで?」
「これからはじまる式典はこの村で大切なものだ。それを撮ってくれ」

ギャッ!なんだそれ!

サルマとハウダ
サルマったらちょっと「岡村」入ってます・・・

外にいたチョクに話すと
「俺のほうが操作はウマイぞ!」
「たぶんさーイスラム社会らしく、男のチョクはこの式典に参列しなきゃいけないんじゃないの? だってこの建物の奥でタイプライター打ってるのもオンナの人だしさあ」
「うっ。まじ?俺参列すんの?」

なんだか面白くなりそうな予感でウキウキしていた。
さあ!エライ人らしき軍服姿の人がやってきたぞ!式典のはじまりね。 にわかカメラマンのきあも、緊張するっす。写ってなかったら怒られちゃうよう!

・・・・がしかし、式はすすむがカメラが動いてくれない。 イヤンイヤン!なんで!さっきは動いたのにぃ。 あわてて世話役の人にヘルプすると、
「テープが悪いんだな。たぶん・・・問題ない、気にしないで。もういいよ」
5分でクビになってしまった。ふん。カメラがわるいんだ、カメラが・・・(泣)

どうやらこの建物は、政府関連機関で、この名もない小さな村にこれが建設されたことを 祝う落成式のようだ。たしかに素朴な建物だが新しい。屋上なんかまだ工事中だし。
そんななか、姉弟らしい小さな子どもがふたりいた。 お子様〜!きあにかまってかまってセンサーがビビッと 反応し、さっそく荷物の中からシャボン玉を取り出し、ふうふうふいてみせる。
ふたりともめちゃめちゃ興味深そうに見つめる。差し出すと嬉しそうに シャボン玉をいっぱい作っている。 姉はサルマ、弟はハウダ。サルマちゃんは式典のアシスタント嬢をするらしく 可愛く着飾っている。うううん、キュウトォ〜!

ひるめし
チョクのまわり、全部お偉いさんだらけです

式に参列する義務(?)はチョクにまかせて、きあはサルマたちと遊びに夢中になってしまった。 似顔絵をかいたり、写真をとったりいろんなことをすると、サルマもむちゃくちゃきあに なついて、「扇風機つけてあげるね」「ハディジャ、お花を摘んできたから 髪に飾って!」とかいがいしく世話をしてくれる。 弟のハウダはやんちゃすぎるくらいやんちゃで、しっかりもののサルマといいコンビだ。
あーん。わたしも弟か妹がほしいよう。(でもいまはチョクが弟だもんね)

そうこうしているうちに、式典はおわり軍服姿のおえらいさんのテープカットのあと 建物内の見学がはじまった。 わたしがぐうたらしていた部屋にもおえらいさんは訪れ、なんと話し掛けられた。
「日本の方ですか?ジョルダンはいかがですか?」
「はい、気候もいいし、なによりみなさんが親切です」
「どこが好きですか?」
「どの場所もみなよかったです。クワイエス!(最高!)」
おえらいさん方はハハハと笑って、部屋を去っていった。 フウ〜〜何者かしらんが緊張したぜ。 頼むから私に英語を話させないでくれ。とんでもないこと言い出すから。

その後、みな三々五々去っていったので、おっしゃあー!これで ワディラムの砂漠へGO!ね!とふたりウキウキしていた。
ジタンのオンボロダットサンにのりこみ、道を南下していると、 いきなりジタンが車をとめ、レキ砂漠のむこうを双眼鏡で眺めはじめた。
「あそこにベドゥインテントがある」
そういっていきなりダートを走り出す!ひゃー!なんも見えなかったのに たしかになにやらテントと車の集団に近づいていく!おそるべし・・・ベドウィン。

マンサフ
マンサフです。羊のあごがシャキーン

するとそこには、さっきと同じメンバーが集っている。つまりは、式典がおわり テントに移動して昼飯。という段取りだったらしい。なあんだー、それならそう言ってくれよ ジタン。先ほどとはかわりかなりくだけた感じの和やかなムードがテントを包む。
軍服姿のエライ人の近くに席をうつりなさい!とみんな言われ、このインチキ姉弟ったら めちゃめちゃゲスト扱いである。 世話役の人に
「あの軍服の人は何者なの?」 ときいてみた、するとアカバ州の州知事、ユセフ氏とのこと。 お、おい!アカバ州って、アカバ・ワディラム・ペトラの一大観光地を抱えてる州じゃ ないの?ウヒョー。これってこれって 石原慎太郎と焼き鳥かこんでる感覚?。こりゃ恐れ入りました・・・
さあ、メシが出て来た。 デカい皿にどーんと羊の頭が鎮座ましましております。これってウワサのマンサフ だな?ヨーグルトかかってるし!きゃあ!こんなの絶対食べる機会ないと思ってたのに!
いっただきまああああす!

みんなに肉のいい部分をすすめられながら、右手でむさぼりつく。
「スプーンはいらないかね?」
「ラ・シュクラン。右手で大丈夫です」

不器用ながらも一生懸命右手で食べる私やチョクをみて、みんなもニコニコだ。 こ、こんなうまい羊肉、食ったことない!やわらかくてジューシーで。 ヨーグルトも大好きなので、まったく問題ないぞ。幸せ・・・。

無免許運転
本当に運転しているため曖昧な表情のきあ

みんなで食事を終えた跡は、知事の話をききながらシャイタイム。
「ヤバーニ・・・」「・・・フジヤマ・・・」
アラビア語だけど、どうやら昔訪れた日本の思い出をみんなに熱く 語っているらしい。知事は私たちをチラチラ見ながら嬉しそうに、みんなもにこにこ笑いながら 聞いているということは、日本を誉めてくれているんだろう。 わたしたちもとってもうれしかった。知事さん、ありがとうございます。
のんびりランチタイムも終わり、みなさんに
「ここもベドウィンテントだぞ!ここに泊まっていけよ」
といわれながら、固い握手をしてその場を離れる。みなさん、最高のおもてなし ありがとうございました〜〜!シュクランクティール!

ハイウェイを曲がり、延々とまっすぐな道を進んでいると、いきなりジタンが
「ハディジャ、車を運転しろ」
と言う。エーッ左ハンドルなんか運転したことねえよ!といいながらも ちょっとワクワクなのでさっそくハンドルをにぎってみた。 なんてこたーない、まっすぐな道をいくだけなので、福岡市内を運転するよりも 楽勝だ。10分ぐらい余裕でぶっとばす。国際免許ないのにねえー。

ワディラムのベドウィンは、政策のために家を建てて今は定住している。 そんなジタンの家にうかがい、すこしなごんだあとは、 ワディラム村の中のお店で夕飯の買い出しをして砂漠へむかう。
ジタンは、観光客を泊めるためのマイテントを3つ設営している のだという。そのひとつが、きょうは貸し切りだ。
モロッコの砂漠はえんえんとベージュの砂がつづき、壮大で宇宙的で、 この砂漠に置き去りにされたら確実に死ぬ・・・と思わせるなにかがあったが、 このヨルダンの砂漠というのは、岩山がゴンゴンありちょっとした植物も生えているので まるでピクニックに来たような感じだ。その気軽さもウレシイ。 しかし、あなどっていてはいけないんだよね。

砂漠のみち
深くのこる轍。それだけが道である印

カザリ山峡という切りたった岩の隙間に、 古代ナバタイ人の書いた、絵文字がある。岩には 動物やニンゲン、足の裏のなどが彫ってあり、岩のグラデーションの 美しさもあり、とても幻想的だ。人間というのは古代から なにがしかの方法で、仲間に意思を伝達していたのだね〜。
このあたりでは、荷台にワイワイ観光客の乗ったジープが沢山いたが、
「僕たちのテントは、奥まったところにある最高の場所だ。 サンセットは最高だし、だれもいない」
ホウホウ、そそれはうれしいぜ、ジタン。

古代人の壁画
見えるかな?壁に人や動物の絵

ベドウィンテントというものは、思ったより全然広い。
ゴザの上に長細いザブトンのようなものをひいて、移動の疲れをいやす。 ジタンは夕食の用意。わたしたちは適当に岩にのぼり、日の傾きかけた 空をぼーっとながめていた。
途中、アカバからフランス人夫婦をのせてやってきたタクシーがやってきて、 みんなめいめい、好きな場所で砂漠の夕焼けを楽しむ。 なんで旅は夕焼けがいいんだろうね??

夕焼けから星空にかわるまではアッという間だ。 私たちは、炭焼きの鶏肉とホブス(パン)、トマトにタマネギ、ヨーグルト というシンプルながら激ウマなご飯をバクバクと食い尽くした。 炭火で焼いただけなのに、鶏肉ったらもう・・・たまらない。 アラブ風にヨーグルトをつけて食べたり、全部をホブスでくるんで シャワルマ風にして食べたり・・・フウー。満足!

ジタンのテント
ジタンのテント20畳はあるデカさ

その夜は、3人でずっといろんなことをしゃべった。
砂漠って、こわいくらいサイレントな世界だ。
風の音も生物の音も一切ナシ。聞こえるのは火の燃えるランプの音だけ。 ジタンにおねがいして、アルバーバというベドウィンの 弦楽器を弾き、うたってもらった。
とってもせつない。
アラビアンソングの独特のコブシはなんでこんなにせつないんだろう。
「日本の唄をうたってくれ」
といわれ、いきなり歌合戦状態。
チョクはジュディ&マリーの曲を照れながら披露し、 わたしは久保田早紀の「異邦人」で手堅く攻めた。  (※余談だがこの唄が流行っていた時代から大好きな曲であった。 中森明菜の唄でも「サンドベージュ」が一番好きだ。 アニメは「アラビアンナイトの冒険」が好きだった。どうやらわたしの中近東好きは幼いことからの基盤があったらしい)  ああ、ジェネレーションギャップ。
ジタンもまけるものかと、さらに唄と演奏が続く。 星空と砂漠とベドウィンソング。なんて平和な時間なんだろう。
穏やかな時間、贅沢な時間だ。
ジタンが言っていたが、
「たまにこのテントに来て寝るんだ。 やっぱりベドウィンの生活はテントだね。テントがすきなんだ」
昔からの生活環境を、政策の一環でかえられてしまったことをベドウィンはどう思っているんだろう。

夕焼け
砂漠に落ちる太陽

「さて、このテントの中に寝るかい?それとも星空の下で寝る?」
「もちろん、星空の下!」

ゴザをずるずるとテントから50mくらい離れた場所へ運び、 毛布を用意して3人川の字になってオヤスミだ。
実は、わたくし。実家の自分の部屋に蓄蛍テープを小さく切ったものを ペタペタと天井や壁にはり、疑似星空を楽しみながら10年間寝ていた。
けれど、いまわたしの頭上に光るのはインチキの星ではない。
何万光年も離れた古代の星明かりを見て眠ろうとしている。もったいなーい! なんだか興奮しまくって眠れないよ。月はでていない。暗闇と静寂と星明かりだけ。
スプリングのきいたベッドのかわりに、きめ細やかな砂のクッション。
清潔なシーツのかわりに、おひさまのにおいのするござ。
ふかふかのブランケットのかわりに、ちょっと羊くさい毛布。
ランプのかわりに、数億個の星明かり。

なんにもないのに、贅沢だ。どんな富豪の寝室よりも贅沢だ、そう感じた。

ジタン
アルバーバの音色とジタンの歌声が響く砂漠の夜



本日の出費
■宿代(ムッサスプリングホテル) 3泊15JD
■お菓子・水  1.4JD
■ミニバス(ワディムサ−待ち合わせポイント) 3JD
■ジュース 400F




1999年10月4日(月)ワディラム〜アンマン

「ハディジャ!ムハンマッ!」
ジタンの声と冷たい風に起こされた。いやあーきもちいい・・・
太陽や風や空気の違いで目覚めるっていい感じだネ。 朝方、まだ星がみえるころ寒さで起きたが、その時朝の月が ぽっかりでていた。それを見て
「ああ・・・キレイ・・・」
とつぶやきながらまた眠りにはいったようだ。まるであの月は夢の中の できごとだったように感じる。

砂漠の朝
砂漠の朝は幻想的だが一瞬にして灼熱に

ジタンはどうやら、本日も迎えなければならない観光客がいるようで せっせかせっせか撤収して、ジタン家近くのちいさな店先で 私たちを降ろした。起きてからここにくるまで1時間もかかっていない ほどのスピードだ。まあまあ、ジタン落ち着いて。

とにかく今日は、アンマンに戻らなければいけない。が、 ワディラムからアンマン直行のミニバスがないというのだ。 店のオヤジなどにあれこれ聞き、策を練る。
とにかく、アカバ−アンマンは午前中は頻繁にバスが通っているから まずはアカバにいってアンマンに帰ろうということで 落ち着いた。すげえ遠回りだけど、今日1日は移動で費やしても問題ない。
チョクはビジターセンターまで、バスの時刻を聞きに行ってくるということで きあは荷物番をしながら、 食べ飽きるほど食べまくったカレー味の豆コロッケをモサモサ。 しかし、ジタンたらもうもどってこないのかしらー。 まともにお別れもいってないのになあ。ブツブツ。

あしあと
夜の間、どんな動物が活動してたのかな。

そこに、バスがゴトゴトやってきた。店のオヤジも
「あれがアカバ行きだ!」と教えてくれる。 ああー!でも、チョクがチョクがいないんだよ! とあせっていたら、そのバスからヒョイとチョクが顔をだす。
「ちょうどこのバスだっていうからここまで 乗せてもらっちゃった。さあ、行こうぜー」
結局大忙しのジタンに別れの挨拶は言えずジマイで、そのままバスに乗り込む。 8:00にバスにのり、アカバについたのは9:30。
ヒエー、早いな!まだ9時過ぎ!? アカバのバス停につくなり、そこらへんのおやじに
「アンマンは!?アンマン行きはどれ!?」
と訪ねると、
「アレだ!5分後にでる!」
キャ〜〜。めまぐるしいわ!でもその前にトイレはどこ〜!!こんな調子で アリのレストランに顔をだす暇もなく、バスに乗り込んだ。

ゆらゆらアンマン行きのバスに揺られながら、なんて今日はバタバタと 大忙しなんだとグッタリ。砂漠で時間を忘れていたので 分刻みの移動が腰にくるわあ。
アカバからアンマンへの道はデザートハイウェイ
あまりにもタイクツな風景だ。便利なぶん、景色はありふれた 国道ふうの道。でも、今日くらいいいよね。もう疲れたからうたた寝しちゃうぞ。

コーラ
ワディラムにて。

20分ほどの食事休憩をはさみ、とうとうバスは見慣れた街並みへ入る。 戻ってきたよーアンマン。なんだか旅が終わりに近づいているというのを 肌で感じる。ううーさみしい。いえ、まだあと5日あるんだけどね。
「S氏!M氏!ただいまあ〜」
結局またクリフホテルに舞い戻ってきてしまった。感じのいいレセプションのS氏と、きあのミスター セクレタリーであるイラク人のM氏も、帰りを喜んでくれた。
「面白かった?」「うん!ペトラもワディラムもアカバも行って来たよ!」 「よかったねえ」

実はチョクとは明日でお別れである。
わたしはアンマンを拠点に北部を攻め、チョクは明日イスラエル入国だ。
お金も残り少ないということで、チョクはルーフドミ (屋上にマットが敷いてあるだけ)に。わたしはシングルにチェックイン。
その夜は、またまたカイロレストランに行き、道連れの感謝とこれからの旅路の無事を 祝い祝杯をあげた。紅茶で。
「いやあほんとうに楽しかったし、助けられたよアリガトウ」
「こちらこそどうもどうも」
「イスラエルからエジプトいって、日本帰国はきあと同じくらいだよね。メールちょうだいね」
「うん、写真も送ってくれよ」
たわいもない話をしながらアンマンの夜は更ける。
「明日何時に出発するかわからないから、これが最後かも」
「うん、あたしも昼まで寝てるかも。じゃここでおわかれだね」
アラブの男のようにガシッと握手をして、部屋へ戻った。
本当にありがとう。ニセ弟としてキミがいただけで、わたしの旅は果てしなく 安全なものになったと思います。現地人の家に遊びに行ったり、ボートにのせてもらったり。 もし、きあひとりなら警戒心が邪魔して、できなかったと思います。
私は弟や妹がいないので、本当の弟ができたようで、むちゃくちゃ嬉しかったんですよ。 ありがとう、いい旅を

夜、あいかわらず人型にへこんだベッドに沈みながら考えた。
到着した時のひとりだったときの気持ちと違い、明日からひとりになるけど ぜんぜん孤独感はない。むしろまた違う楽しさや出会いがあるんじゃないかと ワクワクだ。明日からふたたびひとり旅。
絶対、いいことがあるはずだ。

バスにて
ミニバスの前にすわってた親子



本日の出費
■ワディラムツアー代 20JD
■ミニバス(ワディラム−アカバ)1.5JD
■ミニバス(アカバ−アンマン)3JD
■お菓子・ジュース 2.2JD
■セルビス(ワヘダッド−ダウンタウン) 2人で350F
■切手(200F×2枚)400F
■ブーザ 140F
■夕飯代(カイロレストラン) 2人で4.5JD

次は最終章「ふたたびひとり旅」へ突入!


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