ジョルダン人情編5◆ふたたび、ひとり旅



1999年10月5日(火)ソルト〜ジェラシュ

カサカサカサ・・・・
なにやらヘンな音で目が覚めた。ネズミかな?やだなあ〜と 思い、シーツをかぶって二度目の眠りにつく。 すでに外は明るく、車の音や人の声など賑やか。よく、アザーンで起こされる人が いるが、きあは朝にめっきり弱いのでアザーンくらいじゃ目を覚ますことはほとんどない。
「あ、アタシ今日はひとりなんだ」
ガバッと起きるとすでに9時。よく寝た!トイレに行こうとドアをあけると、 ドアノブに黒いビニール袋がぶらさがっていた。チョクだ。 「出会えて楽しい旅になりました」、という 短いメモと、お菓子、そしてワディラムの赤い砂が入っていた。カサカサという 音はこれだったのか・・・。
「・・・イキなことやるじゃないの」

さて、今日から3日間はここを基点に北部の見どころをまわろうと考えている。 地図を見て気になっていた砂漠に点在する城を見ようと、わたしの秘書である(?) M氏に昨日あれこれとアドバイスをうけ、S氏に 「城めぐりがしたい!」と相談していた。 アンマン東部に広がる砂漠地帯に点在する小さな城で、そこはさすがに ミニバスが途切れているので、公共の機関で行くのは難しいという。
クリフホテルは、そんな場所に行きたいという希望者が集れば、安くタクシーを 借り切ることができるのだ。
「ハディジャ、グッドニュースだよ。人数がキミをいれて 4人集ったんでタクシーで廻れる、明日だ」
「おお!S氏!ありがとう!」

ソルトの町
のんびりとした風情のある古都ソルト

というわけで、明日はOK。となると、今日はペトラに告ぐ見どころだという アンマン北部のジェラシュにでも行ってみようかなあ。 あ、その前に古都ソルトにも行こう。めちゃくちゃ 適当だが、思い立ったが吉日、さっそくセルビスに乗り込んでアブダリへ。 いつものように「ソルト!ソルト」と叫んで おじちゃんにバスを教えてもらう。やれやれ。 (※実際は「サルト」といわないと 通じなかった)
乗り込んだバスは、いつものバンタイプと違い、ちょっとデカめの観光バスタイプだ。 大きいのは乗り心地もいいけど、地元の人たちとしゃべりにくい距離を感じる。 やっぱりバンタイプのミニバスが一番いい。

ソルトには40分くらいで着いたが、ここの町の情報はさっぱり分からない。 とにかく、アンマンの古都のひとつで街並みが美しい、らしい。 時計台の前でバスを降りるが、わけがわからないので ぷらりんぷらりん歩いてみる。ほうほう、明るくて賑やかでいい感じ。 アンマンのダウンタウンとはまた違った良さがある。一言でいうと穏やかな感じ。 偶然見つけたツーリストインフォメーションに入ったが、ソルトの町の 観光地図はないらしい。お姉さんに、ソルトの町の見どころを教えてもらい、 丁寧に紙にアラビア語でも表記してくれた。
「わからないときはこれを見せればいいわ」

まずは、フォークロアアートスクールなるものを覗いてみる。 いきなりの異邦人にも驚くことなく、刺しゅうクラスの女性教師はゆっくりとした 英語で親切に説明してくれる。アタシも刺しゅう大好きなんスよー。
次は陶器クラス。アラビック模様、イスラミックブルー、モザイク模様・・・・。 そりゃもうヨダレものの陶器をつくる職人の養成クラスを見学してまわる。 ブータンのアートスクールも見学したが、ほぼ雰囲気はおなじだ。
初心者クラスの生徒さんと、卒業制作をつくる生徒さんの作品は天と地の差。 こうやって、伝統文化を絶やさないための学校っていいですね。

アブジャベリの家
窓の桟などがシャレたアブジャベリの家

次は教会を覗こうとしたのだがお休み。わたしが道を聞いたらわざわざ坂をのぼって 案内してくれた男性も残念そうだ。いえいえ、いいんですよありがとう。
ふうっとロータリーの日陰でひとやすみしてたら、ひとりのおじいさんが手招きをする。 おじいさんはシャイを飲ませてくれ、カタコトの英語がしゃべれる人間をわざわざ 連れて来て、3人でたどたどしい会話を楽しむ。おじいさんは8畳くらいの ちいさな店で洋裁店を営んでいるようだ。ミシンがある。
「アシタここにこい!おいしい野菜を食べさせてやろう!」
ははは。おじいさん、明日はこれないんだけど気持ちはいただきます。 でもツバをばんばん飛ばしてしゃべらないでえー。

さらにエホエホ坂道をあがりアブジャベリの家という オットーマン様式の古い家も眺めた。今も人がすんでいるので全然わからなくて 通り過ぎてしまったくらい、ふつうに存在している家だ。 歩き疲れて人ん家の階段らしき日陰でやすんでいたら、またおよびがかかった。
「おーいそんなとこにいないでここで休め」
あいあい、なんでしょう。ヒョイヒョイと顔をだすのが癖になってしまった。
そこは倉庫のような作業場のような場所で、若いふたりの青年がいた。 「ボクは水道管工事の仕事をしているんだ!」
と胸をはるのはアブドゥラザク。ミリンダまでおごってくれ、さらに自分の 水道管工事の腕前を披露したいのか、奥の作業部屋でパッキンの開け閉めなどを 実演してくれた。アブドゥラザクはその腕一本で生きてるんだね。かっこいいぜー。 きあのこれまでの旅の経緯を話したり、アラビア語辞典を見せたり、アブドゥラザク の写真をみせてもらったり、いろんな話をして盛りあがる。
「クイーンはとってもキレイよね。あたし大好き」
「そういえば、明日ソルトにクイーンが来るんだよ」
「えー!明日はあたしデザートキャッスルにいくんだ」
「残念だね、またいつかおいでよ」


アブドゥラザク
楽しいひとときありがとう。水道工事職人。

アブドゥラザクは、「日本人と話したのは初めてだ。たのしかったよ」と 言って、別れをおしんでくれた。 不思議なことに(?)アブドゥラザクとその弟子に、エロい印象はまったくなかった。 正直、手とかにぎられたらやだなあ、なんて思ってたけど、 好奇心で目を輝かせたアブドゥラザクたち、そんなこと考えてないみたいだ。 ごめんね、ほんのチョっとでも疑って。おかげでまたまた一般ジョルダニアンと 話せて嬉しい限りのひとときであった。

4時間くらいでソルトを引き上げ、一度アブダリに戻ってジェラシュ行きのバスに 乗る。もうバスに乗りまくったおかげで何の心配もない。
バスの中では、となりあったオバサンがまたしゃべるしゃべる!
でもよく聞いてると、ちょっとヘンなことを言っている。 ダンナはアメリカ人で・・・とか、なんかつじつまのあわないこと。 賑やかな市場の前でバスを降りた時、そのオバサンとの通訳をかってでていた人が 「あの人、すこしおかしいんで気にしないでネ」と わざわざ言いに来た。あら、いえ、別にわたし何も気分は害してないので いいんですよ・・・・。
結局、その人がジェラシュ遺跡の入口まで案内してくれたうえに、 「ぼくの家にきて、母のつくるご飯をたべませんか?」と 誘ってくれたが、遠いのかときくと、バスでまた行かなければいけない場所だったので 丁寧にお断りをして遺跡にむかう。 歩いていけるんだったらねえー、行ったんだけど。

ジェラシュ
ジェラシュの広場。壮観ですね。

まず感想からいうと、トルコのエフェス遺跡とかをみてるもんだから、 そういう感動!とかが薄いのが残念である。ただ、やはり保存状態もなかなかで、 ブラリと歩く分にはキモチのいい場所だ。
でも、他の国と比べるなど、ジョルダンに失礼なのでじっくりなめるように 遺跡を見てまわった。ローマ劇場では30分ほど昼寝をし、 風が吹くとゆれる柱の前では、なぜか警察官が遺跡の説明をしてくれた。 時間はゆっくり流れる、風がふく。ときおり観光客の英語やフランス語が聞こえる。 遺跡巡りは大好きなはずなのに、やっぱ人と遊んでるほうが楽しいな・・・
ジョルダニアンの紳士的な人柄と人なつこさが恋しくなったきあは、 そうそうにジェラシュをひきあげ、さっさとバスでアンマンに戻ることにした。

ドーム跡
ドームの天井はさぞキレイだったに違いない

そして、アブダリからダウンタウン行きのセルビスは、同乗してた スペイン語が話せる現地人におごってもらった。 なんでやねん!なんでアンタタチ、そんなに良くしてくれるの?
イスラム教徒が旅人に良くするのは、未来の自分のためだという。 イスラム教徒が生きている間に一度はやっておきたいメッカ巡礼。 そのメッカ巡礼、すなわち旅の間に良くしてもらうには、 自分も旅人に良くしてあげることが、イスラム教徒として当然の行いだと 聞いたことがあるのだが・・・それにしても、異教徒であるアタシに そんなによくしてくれるなんて、すいませんねえホント。と恐縮してしまう。

宿にかえれば帰ったで、あのペトラであたしたちを5つ星の ホテルに連れ去ったハッサンから電話がかかっていたようだ。はっははは! ハッサン、クリフに泊まると言ってたこと覚えていたのか!
でも、もうチョクもいないことだし、アタシひとりで会いにいくのはやなので レセプションのS氏に「またかかってきたらいないってゆってね・・・」と 伝言して部屋に戻った。
ヨルダン人、そしてイスラム教徒。わたしはどんどんきみたちに惹き込まれていくよ。 おもしろすぎ、まいりました、ギャフン!

柱
風で揺れる柱。空をささえています。



本日の出費
■セルビス(ダウンタウン−アブダリバスステーション) 500F
■ミニバス(アブダリ−ソルト) 150F
■ミニバス(ソルト−アブダリ) 200F
■サンドイッチ・ジュース  350F
■ミニバス(アブダリ−ジェラシュ) 350F
■ジェラシュ入場料 5JDF
■トイレチップ 100F
■ミニバス(ジェラシュ−アブダリ) 350F
■ジュース 350F
■ブーザ 300F
■ネット接続料 1JD(45分)
■ジュース・水・お菓子・タバコ 1.1JD
■デザートキャッスル巡り代金  10JD




1999年10月6日(水)アンマン〜アズラク

東部に点在する城のなかからハラナ城、アムラ城、アズラク城の3ケ所を まわるために、今日はタクシーチャーター。1台につき4人あつまればひとり10JD。 なんと私も含め8人集っていたので2台に分乗してレッツラゴー。
ドイツ人カップル(あとで聞いたのだが私と同い年で新婚旅行で来たらしい)と ロンプラをじっくり眺めながら黙々と遺跡をみている国籍不明の白人男性と東洋人のアタシ。 これがひとつのタクシーにのって砂漠の城(デザートキャッスル)巡りをするのだ。
アンマンの渋滞をぬけるといきなり地平線。ドギモを抜かれるホライズン。 まっすぐに続く道、これってサウジにそのまま突っ込む道なんだろうなあ。

ハラナ城
地平線に置かれたガトーショコラ。ハラナ城。

さて、まずはハラナ城
地平線というお皿に置かれたガトーショコラのようだ。こ、これが城!? 小さいわりに中は入り組んでおり、馬小屋の跡などもある。 砂漠に点在する城の中でイチバン保存状態がいいらしいが、何の目的で建てたのかは わからないらしい(と、他のツアーのガイドさんが言ってた。英語なので定かではない)。
なにもない屋上でおもわずごろりとすわりこむ。地平線しか見えない・・・・・。 開放感がありすぎて恐いくらいだ。

次は楽しみにしていたアムラ城。しかし、行ったらビックリ。 公衆便所?といいたくなる大きさなのだ。 こ、これが城なのか。心からビックリ。近くに建てられている本当の公衆便所と同じ 大きさなのだ。がしかし!さすが期待していただけあって、フレスコ画がすばらしく美しい。 ボロボロなのだが、ドーム型天井の天体図なんかウットリしてしまう。 まるで秘密基地のようでとてもウキウキ。ここで出会ったオーストラリア人女性と おたがい写真を撮りあいっこ。彼女は
「あなたタクシーチャーター?4人で?いいわね。 アタシなんかひとりでチャーターしてるから高くって〜。 でもヒトリのほうが自分のペースでいけるからいいのよね」
と言って去っていった。わかるわかる〜。そうなのよね。自分のペースってすごく大事だ。

アムラ城
ちいさいけど凝った意匠のアムラ城

そして最後のお城はアズラク城。ここはアラビアのロレンスこと イギリス人のT.Eロレンスが本当にいた場所なのだ! がしかし、城壁と住居部分以外はボロボロで、ちょっとわびしさを感じる。 ウワサによると、ロレンスに仕えていた人が管理人をしていたという話だったのだが 彼はいなかった。残念!(※ちなみに、後日、朝日新聞の日曜版「100人の20世紀」で紹介されていたが、彼はもう管理人としては この城にいないようだ。でもその記事で写真が見れたのでヨシとしよう)

まあ、3つの城をめぐってみたわけだが、あまりにもそれぞれの規模がちいさいので 拍子抜けしてしまったのは確か。だがしかし来て良かった! 圧巻とか壮大というコトバはあてはまらないが、たぶん実物大の歴史が垣間見れたような気がする。 本当にここで兵士が休み、馬に水をあたえ、ロレンスは指揮をしていたのだ。 キューン。

アムラ城のフレスコ画
うつくしい天体図。たまりませんな

昼過ぎにダウンタウンに戻って来たので、何をするでもなく街をプラつき ホテルに戻る。
「ハディジャおかえりーどうだった?」
このホテルに住みつき、商売をしているイラク人M氏が声をかけてきた。彼は 見どころを細かに教えてくれるので「ハロー、Mrセクレタリー」とアタシは呼んでいた。
「なんにもなくてすごかったー」
M氏は笑いながら、ゴハンは食ったのか?と聞いてきたので 近くのシャワルマを食べたと答えた。すると
「だめだね。ダウンタウンにはおいしいシャワルマがないんだ。 どうだい今夜僕の仕事が終わったらおいしいシャワルマ屋に行こうか?」
もう、大喜びで行く約束をとりつける。ヒャホー!

それからはのんびりタイム。夕方まで散歩したり、仲良くなった 近所の八百屋のおじさんと遊んだり(ただシャイを飲むだけ)してプラプラ過ごす。 うーん。アタシ移動型のはずなんだけどなあ。でも面白いからいいや!
早く夜にならないかなあ〜とワクワクしながら、昼同じタクシーだった ドイツ人カップルとお話したり、アメリカから来た女子大生ふたり組みとヒッチハイクのコツに ついて語り合ったりした。
ここで、誤解のないように言っておきたい。
わたしは英語がまったくできません。マジで。チョクお墨付きで。
でも、ひとりになるとへんな度胸がつくのです。 知ってる限りの単語を並べ立て、ジェスチャーして、最後には絵で説明。 みんなよく英語ができないから不安〜なんて言ってるけど、 アタシなんかどうなるんですか!私のコミュニケーションは語学力ではなく度胸のみ。 なのでみなさん、安心して旅にでようよ。アタシなんかでもやっていけてるんだ!

アズラク城
ロレンスも滞在したアズラク城。でもボロボロさ

ようやくM氏が来たかと思うと、
「ハディジャ、君はアートに興味はあるかい?」
なんて、まるで絵のキャッチセールスみたいなことを聞いて来た。
「うん、あたしグラフィックデザインの勉強してたんだよ。すきすき!」
「実は僕の妹のハズバンドが、イラクで有名な画家なんだ。日本のマガジンも 取材にきたことがあるんだよ。シャワルマ屋の近くだからついでに見に行かない?」
「ぬおー!いくいくいく!絶対いくー」

もし、この旅日記がだまされ日記なら、夜に男についていくなんて なんてバカ女!といわれそうな場面だが、ところがどっこい!

21時過ぎ、クリフホテルを後にし、まずはその画家の弟の家にいくことになった。 場所は2ndサークルの近く。すごい坂道なのでセルビスでGOGO〜。 2ndサークルから2分くらいのアパートの1階が、アトリエらしい。 ガチャ。
割腹のいいヒゲの男性があらわれた。どきどき。
「アッサラームアライクム、ミスタル」
「アライクムサラーム、ウェルカム!」

その男性こそ、イラク人画家モリス・ハダッド氏であった。
M氏の妹である奥さんと大学生の息子さんの3人暮らし。 彼は世界中のメディアの取材も受け、実際いろんな国々のエキシビジョンに参加しているので ちゃんと英文のプロフィールまで持っていた。もらったそのプロフィールを紹介しよう。
訳はニガテなんですけど、さわりだけ。

モリス氏
自由の女神の絵、みえますか?

MAURICE HADDAD
イラクの港町、バスラ(BASRAH)出身。1937年生まれ。
1961年から絵を描きはじめ、25才ですでに個展をひらくまでにいたる。
彼はイラクの自然美、自分の故郷の風景を描いていたが、 イランイラク戦争の激化により、故郷を離れヨルダンで筆をとる。


玄関から部屋までの通路は、すごいキャンバスで埋め尽くされていた。 自由の女神をモチーフにした、戦争反対の絵なんか圧倒される。
わたしとモリスさんは、あいさつもそこそこに、 わたしは絵を見続け、モリスさんは説明をしつづけた。
「これはすべて油絵ですか?」
「すこし土をまぜているのもあるよ」
「タッチは同じなのに、絵の雰囲気が違いますね」
「それは戦争前と戦争後に描いたものなんだ」
「モリスさん、この美しい水辺はなんですか?海ですか?」
「それはチグリス。わたしの故郷は水辺の美しい街」
「女性が魚をもっていますね。青が美しい」
「そう、バスラはすばらしい街だったんだ。今は何もない。戦争でね」
「モリスさん、この女性は悲しそうです」
「彼女は泣いているのです。涙を流さずに泣いているのです」

モリス氏
アトリエにて。

自分でもビックリするぐらい、無意識に質問をボンボンしていた。 モリスさんも、誰かに話したい、伝えたいというように何百枚という 絵を次々に目の前に出してくれる。 モリスさんの絵は美しいだけでなく、むちゃくちゃ哀しいのだ。 黒目がちの大きな瞳の女性の絵が多い。そして豊かな緑と水を たたえた故郷・バスラの風景。帰ることのできない、故郷。

それからモリス氏の水彩画や、世界各国のインタビュー記事スクラップも 拝見する。取材に来た日本の雑誌とはあの「週刊金曜日」だった。
奥さんも絵をはじめたそうで、彼女も才能があるんだよーなど、なごやかに 居間で絵の話でもりあがる。モリス氏は、くだけた感じはしないが、絵に関しての 真摯な様子がすごくわかる。私もついつい熱心にヘタな英語で質問に夢中。
・・・・絵、欲しい。
私はフランスにいったとき、めちゃくちゃ美術館巡りをしたが、絵を欲しくなった ことなんか一度もない。でもこのモリス氏の絵はぜひ欲しいとうずうずした。 いつか、お金に余裕ができたら、ケンドーンでもなくヒロヤマガタでもなく ぜひ、モリス氏の絵を買いに来よう。マジでそう思った。

モリス氏の水彩画
彼の水彩画はほとんど水辺の絵。せつない。

夜分おじゃましてすみませんでした、とお礼をいい、2時間くらいで モリス氏宅を後にする。
「M氏ありがとう。彼に逢えてよかった」
それから、M氏おすすめのおいしいシャワルマ屋へ。
場所は2ndサークルのレバノン大使館前にあるちいさな店。
しかし、今すでに夜中の23時になろうというのに、地元の人が行列を作っている! ウオー!期待が高まる!
払う払う!という私を制止してM氏め、とっととアタシの分も払ってくれる。 さっきのセルビス代も払ってくれたし〜、ああんごめんごめん。
サークル内のベンチにふたりで座り、さっそくいただきまーーす!
・・・・・・・・・・・・ウマイ。
M氏!最高だよ!クワイエスだよラズィーズだよ!
M氏は満足そうにうなずく。 ジューシーな肉とタマネギのハーモニー。くるくると巻いているパンのソフトさも キモだ。こ、これは本当にうまい。イッキにたいらげてしまった。
さすがジモティー、信じて正解。来て良かったよ〜。
M氏は「絶対ナイショだよ」といったのに、 クリフホテルのゲストブックにも、このHPにも書いてしまった・・・。 でもここは行く価値あり。

帰りは下り坂だから歩いていこう、15分くらいだけどいい?というM氏。 もちろんノープロブレム。食後の散歩がてら、クリフまでてくてく歩く。 静かなストリート、ひとりならドキドキだが、M氏がいるので平気だ。
ブッダの誕生日はいつ?とか聞かれながら(答えきれずに、ん〜夏かな?とか言ってしまった最悪なワタシ)、 たわいもないことを話ながら歩く。その和やかなムードに安心して、いままでずっと 気になってたことを聞いてみることにした。

「M氏、モリスさんの絵で自由の女神や星条旗をモチーフにした反戦の絵があったでしょう? イラキアンはみな、アメリカがきらいなの? クリフホテルには、アメリカ人もたくさん来るじゃない?嫌じゃないの?」

M氏は神妙な顔で、まっすぐ前をみながらこう答えた。
「アメリカは嫌いだよ。でもね、それは政府が悪いんだ。アメリカ政府は いいことばかりいって、一般市民を情報操作しているんだよ。 だからアメリカ人は嫌いじゃないよ。アメリカ人は悪くない。アメリカ人に罪はない。 悪いのはアメリカのガバメントなんだ」
そういってM氏はニッコリと微笑んだ。
「じゃあ日本人はどう?」
ホッとした私はジョーク交じりに聞いてみた。
「日本人は大好きさ!ワタシは戦争前は日本企業で働いて いたんだよ。その時日本人のスタッフがいてね、彼はいい人だった」
「えっ!ほんと!?」
「ああ、例えばこういうことがあった。彼をのせて車を運転している時に 僕は水がなかったんだ。そしたら彼が水を差し出して先に飲めといってくれてね。 普通なら大切な水だから、人にわけてたらすぐなくなるだろう。 彼はそういう気遣いができる人で、尊敬できた。日本人はスバラシイね」


シャワルマ屋
白いシャツに黒いパンツの後ろ姿がM氏

それから、M氏の将来の夢をきいた。 クリフよりもっとステキな宿を経営することだそうだ。物件は探しているが 高くて手が出せないという。もし経営したらちゃんと案内状だしてネ!と いうと、もちろんもちろん!と笑ってくれた。
M氏の夢かなったら、またアンマンに来たいな。
とってもステキな気分で、その夜は眠りについた。 明日の夜、とうとう帰国だ。このベッドに寝るのもこれが最後なんだね。



本日の出費
■シャワルマ 2個で500F
■缶ジュース 225F
■ブーザ 300F
■シュースとチョコ 400F





1999年10月7日(木)アンマン〜

シングルルーム(といっても従業員部屋のようなもの)で、すっかりとっちらかした 荷物を丁寧にバッグパッキング。今日はとうとうチェックアウトだ。 延べ5泊のみだったが、みんなと仲良くなれたので、思い入れも十分。 早々にチェックアウトの手続きだけすませ、荷物をレセプションのすみっこに おかせてもらうことにした。
「S氏〜、おねがいディスカウントして(女の子っぽく言う)」
「んーしょうがないネ。じゃあ1泊4JDでいいや」
「シュクランクティール、S氏!」


本屋
アラビア文字を見るだけでウズウズしませんか?

清算も終えたところでまた近所ブラブラ。今日は夕方まで市内をうろつくことに した。何回か通ったインターネットカフェのおにいちゃんから 必死に日本語を教えてくれとせがまれ、コンニチワーとかサラバジャ!などを伝授。 ちなみにトルコでは「オチマシタヨ」が定番の日本語だが、 ヨルダンではどこへいっても「サラバジャ!」といわれる。 これがグローバルスタンダードらしい。
「なんで今日かえっちゃうんだよ。もうすこし、教えてくれよ〜」
しょうがないじゃん!あたしだってあたしだって・・・もうすこしここにいたいよ!

昼過ぎに、M氏に教えてもらったシャワルマ屋にひとりで行ってみることにした。 セルビス乗り場で「2ndサークル!」と相変わらず叫んでいたら 近所のオヤジが2ndサークル方面行きのセルビスに乗っけてくれた。 セルビスのなかには、スカーフもしていない現代的な若い女性と、中学生くらいの 子ども。おお!子どももセルビスで通うのか〜。すげえな。
イマ風の彼女は英語が話せるようで、2ndサークルまでの運賃を聞く。
「2ndサークルまで何しにいくの?」
「シャワルマ食べにいくの!おいしいよね」
「えっ!?それだけのためにいくの?」

と笑われてしまったが、ヨルダンはどう?と聞かれて「クワイエス〜」と いうと嬉しそうだった。横の中学生も運転手もニコっとしていた。

激ウマシャワルマ
ジューシー、ソフト。2個食べても足りない

あいもかわらず、シャワルマはうまい。2ndサークルよこの塀に腰掛けて黙々と シャワルマ(しかも2個)を食べ続けた。店のひとも覚えていたようで、 「また来たのかい?お嬢ちゃん」というようなクールな流し目で渡してくれた。

満腹のまま、ブラブラと2ndサークルからローマ劇場まで歩くことにした。 時間はタップリある。たぶん1時間くらいでつくだろう。 歩くのはきもちいい。同じ歩幅で歩くおじいさんと話をしたり、 ステキな家具屋さんをのぞいたり、小鳥屋さんで鳥と遊んだり。 めちゃくちゃ充実したお散歩だ。
その分、別れが悲しい。ローマ劇場のイチバンてっぺんでぼんやりと 夕焼けを眺めていたら、さらにせつなくなってきた。 すげえおもしろかったな、この旅。もう、この一言につきる。 ヨルダン一国だけを、余裕もって廻れたことはすごいいい選択だったのかもしれない。
ありがとうヨルダン。
ローマ劇場の帰り道、露店のアクセサリー売りのオヤジをのぞくと、 チョクがミニバスの中で学生のムハマドにもらっていたアラー指輪がある。 すごく欲しかったので、ソクお買い上げ。
わたしのヨルダンでのオミヤゲは、1個1JDのこの指輪ひとつである。

ローマ劇場
ローマ劇場は憩いの場。現国王のデカイ写真が目立つ

その後、空港へむかうため荷物をとりにクリフホテルへ戻る。 M氏が帰って来ていて、レセプションの棚の石鹸やパックが 大量に売れていたのを喜んでいたので、
「むふふ、それはアタシよ!アタシがスーベニールとして買ったのよ〜」
と鼻息も荒く自慢。でも、M氏ともこれでお別れだ。
「ハディジャ、もう1週間、もう1ヵ月いるんだろ?」
冗談まじりに笑いながらM氏とS氏。
「アタシもそうしたいんだけどさ・・・えへへ」
「毎日たくさんの旅人と会うけど、君はとてもフレンドリーだった。ハディジャのこときっと忘れないよ。 また今度は恋人といっしょにヨルダンにおいで」
「うん、ありがとう。わたしも忘れない。フルササイーデ(あなたに会えてうれしかった)」

そう言ってすぐに扉をしめたわたしは、 3階のクリフホテルから、逃げるように階段を降りていった。ダム、決壊寸前。

アブダリバスステーション行きのセルビスに飛び乗り、無言で街を眺めた。 すでに暗くなった街並み。家路に急ぐ車のクラクション。
アブダリから空港行きのバスに乗り込んでからも、窓の外をずっとずっと 眺めた。泣いてなんかないぞ。よくやった、アタシ。 さあ、もう寂しいことは考えるまい!楽しい思い出ありがとう。 シリアにいくとき、絶対ジョルダンにもまたくりゃいいじゃん!

空港につき、搭乗手続きを済ませ深夜のフライトを待つ。 もう、その待ち時間は「明日の旅」のためではなく、 ただ、日本に帰る移動手段のための待ち時間だ。

ただ、淡々と東へ飛ぶのを待っていた。

キングフセインモスクモリス氏の絵
キングフセインモスクとモリスさんの描いたイラクのモスク



本日の出費
■宿代+シャワー代 (3泊3シャワー2ドリンク)14.1JD
■死海石鹸グッズ(山ほど) 31JD
■ネット接続料 (1時間)1JD
■セルビス(ダウンタウン−2ndサークル) 75F
■シャワルマ 350F×2=700F
■ペプシ   300F
■バナナ生ジュース 400F
■ファンタ 300F
■タバコ 700F×3箱=2.1JD
■アラーの指輪 2個 2JD
■ブーザ 300F
■ジュースとお菓子 700F
■セルビス(ダウンタウン−アブダリ) 500F
■エアポートバス 1.5JD
■空港税 10JD






1999年10月8日(金)クアラルンプル

11時間かけてクアラルンプルに到着。 行きと同じく、スイスインにチェックイン。 さらに同じ店でえびミーをたべ、 同じようにチャイナタウンの屋台をひやかす。 同じようにスコールに出会った。

でも、よかった・・・ついたのが同じイスラム教のマレーシアで。
これで韓国やタイが経由地だったら、もうヨルダンが恋しくて 仕方なかったと思う。女性のスタイルが黒い地味なものから アジアらしい派手なスカーフになっていたのが、なんだか嬉しかった。 マレーシアのスコールは、激しく優しかった。



1999年10月9日(土)クアラルンプル

1日中、行きとおなじようにうろつく。 文房具が安くてよかったのでまとめ買い。 カフェにテーブルを陣取って、手紙をかきなぐった。
いまだヨルダン熱さめやらず。 この中途半端な乗り継ぎの1日はどうもニガテだ。



1999年10月10日(日)クアラルンプル〜福岡

帰国したすぐ、というのは初めて背中の荷物を重たいと感じる瞬間だと 私はおもう。
早朝ついた福岡は晴れやかで、気持ちがよい。
さあ、はやく我が家へ帰ろう。


天使ちゃん
ヨルダンがこのまま穏やかな国でありますように


おわり。

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