23日(20:15)阿佐ヶ谷→24日(0:00)菅平・目沢山荘泊、(9:00)山荘出発→ (9:45)奥ダボスリフト終点→(12:00-12:25)根子岳頂上→(12:30-13:00)ヘリポー ト→(13:25)奥ダボスリフト終点→25日(10:00-13:00)大松山ゲレンデ→ (18:45)阿佐ヶ谷
シールをつけて圧雪車の跡を登る |
予定が変わって菅平にいけることになった。寒気が近づき、冬型の気圧配置にな るとの予報だったので、猛吹雪を覚悟して阿佐ヶ谷を出発。ところが24日は風も なく穏やか。雲ひとつない快晴。「腰が痛い」といっていた雨宮さんも「これじゃ 登らないわけにいかない」と頂上を目指す。M岡さんのシールが伸びて板に固定 できない。ペンチで金具を曲げて応急手当をし、圧雪車の跡をたどる。頭上をヘ リが飛んでいく。
天気がよすぎて暑い。気温は24度もある。たまらず上着を脱ぎ、手袋も薄いもの に代える。振り返ると北アルプスの山々の上部が雲に隠れている。田中さんがく るときは全部見えていたというから天気は下り坂なんだろう。冬山でこんな好天 が続くわけがない。傾斜がきつくなってくるとM岡さんが遅れだす。「先に行っ ていいよ」といわれたので、先行する田中さんの後を追う。しかし、田中さんは 早い。避難小屋の前も休憩せずにぶっ飛ばしていく。お付き合いして素通りする。
頂上目指してヘリが行く |
避難小屋を過ぎた辺りからヘリで上がったスキーヤーが降りてくるようになる。 「ヘリなら楽だろうな」とも思ったが、ヘリに乗って頂上に行ったときのばつの 悪さを思い出すと、やっぱり苦労しても山ヤらしく歩いて登る方がいい。ゆっく りと雪景色をながめながら登るのに悪い気分はしない。
2000メートルを超えるとさすがに寒くなってくる。気温は9度。圧雪車のコース を離れ、先行者のトレースをたどる。スノーシューを持っているのにつぼ足でが んばっているスキーヤーを追い越す。雪が締まっているとはいえ、ひざまでもぐっ ていては大変だろう。「スノーシュー履いた方がいいよ」と声をかけたけれど、 もうだいぶまいっている様子だった。オオシラビソがすっぽり雪に覆われ見事な 樹氷になっている間を抜けるとふたたび圧雪車コースに合流。ここがヘリポート だ。
急斜面をシールを利かせてひと登りすると頂上に到着。ちょうど田中さんが下る ところだった。気温7度だが、シェルを着込めば天気もいいし風もないので十分 暖かい。一休みして砂糖湯を飲む。他にも数人がくつろいでいる。次々とパー ティーがやってくるが、雨宮さんらは上がってきそうもない。とりあえずヘリポー トまで下ろう。
オオシラビソの樹氷が見事 |
スキーを履いたのはいいが、これが今季初めての滑降だ。いきなり急斜面がある し、ちょっと不安があったが、登ってきた若いボーダー連中にそれを悟られるわ けにはいかない。笑顔を絶やさず、「頂上はすぐそこですよ」と余裕のアドバイ スを送る。で、振り返って歯を食いしばり、樹林帯に突っ込み雪まみれになりな がらも無事、急斜面を突破。ヘリポートで田中さんと雨宮さんらを待つ。
そろそろ降りようかと話しているところで雨宮さん登場。目の前を20人くらいの テレマーカーグループが登っていく。ツアーの講習会だろうか。それにしても、 みんな若い。靴も金具もスキーも最新式だ。革靴にウロコ板なんていやしない。 うーむ、時代の流れを感じる。そのうちM岡さんも姿を見せる。M岡さん、だい ぶへばっているように見えるが、頂上に行きたそう。雨宮さんが説得してここか ら滑降することに。雪は少なめだが、締まり雪の上に新雪が乗っかった、いい状 態。軽い粉雪を蹴散らしながら思い思いのシュプールを描いて下る。
しかし、気分よかったのは始めだけ。下が堅いので、かなり力を入れないとテレ マークターンが決まらない。数ターンすると息が切れ、休憩。力尽きて転倒。そ んなことを繰り返しているうちにアルペン派3人の姿は見えなくなってしまった。 M岡さんはゆっくりだろうからと高をくくっていたら、全く当てが外れてしまっ た。登りの姿からは想像できない速さだ。しかし、どんなに離されようと、何度 コケようとも、圧雪車の跡をたどるようなことは、ぼくのテレマーク魂が許さな い。息絶え絶えで板を引きずりながらみなの待つリフト終点にたどり着いた。滑 降時間に25分かかっていた。靴ずれにはなるし、息は上がるし、情けないツアー だった。
根子岳頂上。後ろは四阿山 |
翌日、雨宮さんから息が上がらなくなるスキーの呼吸法を伝授してもらう。腹式 呼吸で、息をはきながらターンをすると疲れずに長く、力強く滑れるという。ホ ンマかいな? と半信半疑だったが、試してみると抜群の効果があるではないか。 これまでリフト1本分を途中で休まず滑るのはかなり苦しかった。ところが呼吸 を意識して滑るとあら不思議。余裕で滑りきることがでるようになった。
雨宮さんはチョーオユー遠征の前に、高所スキーで息が切れない方法を斎藤ドク ターに尋ねたところ、この方法を教えてもらったのだそうだ。習得に3年かかっ たという。スキーに限らずスポーツにおいて呼吸法の習得は欠かせないもの。に もかかわらずスキー学校でなんか教えてくれないものらしいから、これは「秘儀」 や「極意」に違いない。もちろん意識せずに呼吸できるまでには、まだしばらく 時間がかかりそうだ。それでも今回は極意にかなり近づいた気がする。テレマー クターンは一向にうまくなっていないが、スキーのレベルが数段グレードアップ したことは間違いない。
いつもお世話になる目沢さんには今回、根子岳周辺の地形の特徴について教えて もらった。新田次郎の小説「冬山の掟」に菅平で遭難する場面がある。小説は 「三十番」を登って霧の中尾根を下り、誤って沢に落ちる話だが、実際に周囲の なだらかな地形に比べて沢は急峻で危ないという。また、尾根通しにダボスに下 ろうとして須坂方面に迷い込むと、いきなりがけになるという指摘も地形図を見 て納得。根子岳であっても地図やコンパスは欠かせないと改めて思った。