21日(5:50)大泉学園=(8:10)三峰口=(9:15)赤岩橋→(9:25-12:45)赤岩坑→ (13:55)出合=(15:00)三峰口=(17:50)大泉学園
貴重な梅雨の晴れ間と休みとが重なった。ここのところ忙しくて採集の計画を立 てるのも億劫になる。採集ノートをながめていたら、赤岩坑に行ってからちょう ど1カ月がたっていた。じゃあ坑口でも見にいってみるかとザックに道具を詰め込む。
昔の記録を頼りに電車に乗ったが、当てにしていた特急が平日にはなかった。そ れでも8時過ぎには三峰口に着いた。この時間ではバスがない。タクシーも出払っ ていて配車センターに電話して20分待つ。きてくれたのは中津川出身の運転手。 運休中の三峰ロープウエーは老朽化でだめらしいとか、滝沢ダムは水を入れだし たらコンクリートで固めたところに地すべりが起きて水がためられず慌てて工事 をしているなど、地元の生々しい話はおもしろかった。ダムができなくても自分 たちに実害はないが、移転をせざるをえなかった集落の人の気持ちを考えると残 念だと話していた。
ぬれた逆層のスラブでズリは途切れていた |
赤岩橋で車を降り、鉱山住宅の前を通過する。いま、人が残っているのは寮らし い。赤岩峠への登山道を分けると草が伸びて道が分かりづらくなっていた。いっ たん沢に降り、えん堤を越えるとズリが広がる。今回は採集会で訪れた場所の先 を見ることが一番の目的だ。歩きにくい沢の中央を避け、左右の踏み跡をたどっ て時間を稼ぐ。堀先生が「坑口までは半日かかる」といっていたので、できるだ け道草は避けたい。でも、ハンマーで割った跡に、前回お目にかかれなかった方 鉛鉱や硫砒鉄鉱があったりするとついつい見入っちゃう。悲しい習性だ。
日が差す谷の真ん中は暑い。ヒグラシの鳴き声もいまの時期は暑苦しく感じる。 夏はこれが涼しいだろうと作務衣を着てきたけど、炎天下は何を着ても同じだっ た。虫も出始めた。ここは冬場向きの産地だ。それでも、雲がかかると谷筋を風 が通りぬけホッとする。
1月前の最高到達点を過ぎるたら、周囲を観察しながらややゆっくりと進む。少 し谷は狭くなるが、ズリ石は豊富だ。心なしか褐鉄鉱を含む石が多くなった気が する。そんな石から異極鉱や針鉄鉱を採集する。アメ色をした方解石のルーズな 犬牙状結晶も同様の石から見つかった。いよいよ核心部かと思ったところで壁に 突き当たった。わずかに水が流れているから「滝」といえないこともない。45度 くらいでロープなしでは登りたくない傾斜だし、上にズリがありそうでもない。
少し戻って右岸の斜面に付いた踏み跡をたどる。道はトラバース気味に隣りの沢 に続いている。沢というよりはくぼみ。ズリ石らしき物が落ちてはいるが、落ち 葉が積もっていて判然としない。ちょっとほじってみる。やっぱりパッとしない。 坑口はこの上の方にあるのかもしれないが、時間がないから下る。下りは足場が 悪くバランスがとりづらい。前回は長靴のせいだと決めつけていたけれど、運動 靴でもあまり変わりはない。筋力が落ちたと反省する。
掘れば出るといわれたけれどミメット鉱は見つからなかった。目安となる褐鉄鉱 に覆われた水晶もあまりなかった。もっとも、前回の採集で小さい物は確保して いるから気合が入ってなかったこともあるし、腰を据えてじっくりと掘ったわけ でもないのでないと断言はできない。
赤岩橋からバス停まで1時間以上かかるけれど、早めに下山したから山鳥の露頭 下で石膏を探しても余裕だった。大した標本が採れる訳ではないが、洗いまくっ て溶けてしまった未練をまだ断ち切れない。しょぼい標本で納得し出合に急ぐ。 ちょっと歩くとタクシーがやってきた。朝の運転手だった。1日に2回も中津川に くるなんて珍しい。なんでもインターネットで探して鉱山に廃墟を見にきた人を 乗せてきたんだそうだ。本当にいるんだ、そんな人。「あとで迎えにいくので、 それまで中津川で時間をつぶすか」と走っていった。貸し切りバスで三峰まで行 き、駅前でいつものように天もりソバを食って帰る。
採集したものの中に風化した閃亜鉛鉱の塊があった。表面の白いブツブツの皮膜 を「ひょっとすると水亜鉛土?」と期待していた。水亜鉛土は亜鉛の二次鉱物で 短波長紫外線に白く蛍光する特徴がある。お目当ての皮膜は外れだったが、なん と、その裏側が白く光るではないか。ルーペで観察すると真っ白で土のような、 いや、カビのような独特の質感の膜が張り付いていた。これが水亜鉛土か。見栄 えのしない鉱物だが、自分の力だけで見出せたことはうれしい。