疑心暗鬼を呼ぶ蛋白石


15日(23:43)東京=16日(4:22)豊橋=(6:56)本長篠=(7:30)海老→(9:00-9:30) 棚山林道入り口→(10:30-13:30)林道と登山道の出合→(15:15)海老=(15:45) 本長篠=(17:00)豊橋=(19:16)品川

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巨岩がゴロゴロしている蛋白石産地

愛知県の棚山高原にオパールが出るという話は知っていた。あまり聞いたことも ない地名だったので気にも止めなかったが、奥三河地方の鉱物産地を調べていた ら、その場所が鳳来寺の近くということが分かった。この地域には思い出がある。 31年前、当時通っていた高校の友人が鳳来町(現新城市)に親戚がいて、いっしょ に尋ねた。そこら中に咲いていた梅が見事だったことや、鳳来寺山や海老川で遊 んだ覚えがある。たしか、泊めてもらった家が海老にあったのだと思う。なんだ か急にいってみたくなってきた。決してオパールに目がくらんだ訳ではない。

オパールといえば、だれもが虹色に光る美しい宝石を想像するだろう。「遊色」 あるいは「ファイヤー」と呼ばれるこの虹色が出るのは、オパールの中でもごく 一部のものだけ。鉱物としてのオパールは水を含む珪酸のことであり、必ずしも 遊色がでるとは限らない。欲に目がくらんだ人たちに、いらぬ誤解を与えないた めにも「蛋白石」と呼ぶのがよろしい。遊色が出る物は「貴蛋白石」あるいは 「ノーブル・オパール」などといい、区別している。

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球顆のある石

朝一のバスに乗るために、夜行快速列車「ムーンライトながら」で豊橋までいく。 意外と空いていて静岡を過ぎれば1人で2席を独占できるほどだったけれども、ウ トウトもできたのは浜松から。気が付いたらすでに豊橋だった。飯田線の一番列 車まで1時間以上ある。ホームのベンチでつぶす時間がとても長かった。

本長篠で降りる。初めてではないはずだが、見覚えはない。海老でバスを降りる とにぎやかな商店街があり車の往来も激しかった。うーん、前はもっと田舎だっ たような気がした。街道を離れると静かで風情ある景色が続く。途中に黒光りし た黒曜石風の松脂岩露頭があり、そこから蛋白石らしき乳白色の塊を見付ける。 幸先いい。...とこのときは思った。

美しく山あいの農村らしい川売の集落を過ぎるとちょい荒れの林道になる。道が 棚山川を横切るところで沢に降りて鉱物を探す。巨岩が積み重なったような急流 で河原はほとんどない。目に入るのはチャート。鮮やかな緑色のものもある。よ く見るとしかし、しま模様が流れている。チャートではなく碧玉か? それにし ては粘っこくてハンマーがはね返される。疑問を持ちなかがらも蛋白石を探す。 でも、どんな石に入っているのか見当がつかない。とりあえず、松脂岩らしき黒っ ぽい塊を砕いてみるが脆くて気配を感じられない。たしか流紋岩も有力だったと ガイドブックには書いてあったっけ。流紋がある白っぽい石を探していくつか割 る。これもスカ。狙う母岩が違うのか場所が悪いのか。もうちょっと先に進んで みよう。

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川売の集落にある猿ケ岩

ここから林道を外れて登山道を登る。沢沿いだから転石をチェックしやすいし、 近道だと思ったからだ。だが、この考えは甘かった。沢は急で転石が貯まる場所 が乏しく、道もヤブが生い茂って途切れがちになった。1カ所、ガレがズリのよ うになっている場所があり、少し探索する。沢は巨岩が行く手を遮る壁のように そそり立ち、上も下もどん詰まりだ。チャート・碧玉風の石にハンマーを振るう も堅くてなかなか割れず、むなしく時間だけが過ぎていく。こんな石に付き合っ てて本当に蛋白石は出るのだろうか?? 疑心暗鬼になって敗退ムードのにおい がぷんぷんしてきた。ダメもとで、林道との出合までいってみることにした。

そこから先は、崩れかけてヤブに埋もれた踏み跡をたどる難所の連続だった。急 斜面をはいずるように登る。ギブアップ寸前に前方が明るくなり、開けた河原に 出た。林道との出合だった。まだ時間はある。少し気持ちに余裕ができ、転石を よく観察した。石の表面に同心円状の模様が浮き出た球顆が見つかった。割って いくと半透明の断面が現れた。貧弱だけれども待望の蛋白石だった。結局、蛋白 石の入っていたのはチャートそっくりの石だった。あると思えば見つかるものだ。 いくつか割って、これはチャートや碧玉とは違う物だと確信する。粘っこすぎる ことと割れ口が黒曜石のように鋭くなるからだ。飛び散った破片で2度、指を切っ た。手袋は必須だ。

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下流の看板にはオパールが採れるとある

気合を入れて割っていくと白、黄、淡青、深緑などの色が出た。白濁したところ と透き通ったところが層になっているものや黄と白が隣り合わせて卵のような見 てくれのものもあった。変わったところでは鍾乳石状の玉髄も確保した。遊色の ある貴蛋白石といえるようなものはなかったけれど、多様な形態の蛋白石が採れ たことで納得できた。蛋白石は乾燥すると白濁したり割れたりするものらしい。 水を張った500ミリリットルの密閉容器に詰めて持ち帰る。

下山は崩落が激しい林道を行く。壁面が崩れてできた“ズリ”を観察すると蛋白 石の破片があった。道の真ん中が50センチ以上えぐれていたりして、とても一般 車が通行できるような状態ではなかった。重機を乗せたトラックが上がっていっ たから近いうちに直るのだろうか。途中の砂防ダム上で河原に降りてみたけれど、 蛋白石が入っていそうな石はほとんどなかった。

くるときに比べて帰りはあわただしかった。やはり夜行日帰りは辛い。今度くる ときは1泊でいくつか産地を回りたいと思った。

帰ってから調べなおしたところ、蛋白石の入っていたチャート風の母岩が松脂岩 だった。真っ黒の黒曜石っぽいのは「真珠岩」だった。球顆が付いていた石は 「流紋岩球顆」だった。今回は事前の調査不足がかなり影響した。勘と勢いで鉱 物は採集できないことを改めて思い知らされた。それにしても、「流紋岩」が分 からなかったのは、情けない。反省ばかりの採集だった。