8日(15:20)大泉学園→(17:10)くりこま高原→(17:20)エポカ、9日(8:00)エポ カ→(8:55)大岡小学校前→(9:25)細倉マインパーク前→(9:33-10:50)鉱山資料 館→(11:30-14:00)鉛川周辺で採集→(14:30)細倉マインパーク前→(15:55)石 越→(16:25)一関→(20:00)大泉学園
旧細倉駅の近くを通過する「くりでん」 |
細倉鉱山は前から気になっていた。鉱物産地としての魅力はないが、現役金属鉱 山の面影をいまだに色濃く残した地域だからだ。2月に出張した仙台で三菱細倉 じん肺裁判運動の歩みを記録した『鉱山(かねやま)の息』という本を手にした。 読んでますますいってみたくなった。「くりでん」ことくりはら田園鉄道に乗っ て細倉鉱山へいく計画を立てたものの実行に移さないまま時間だけが過ぎてしまっ た。しかし、今月いっぱいでくりでんは廃止になる。いくならいましかない。一 念発起して現地に飛んだ。
前日に新幹線のくりこま高原駅前にあるエポカに泊まる。フィットネスやプール、 大浴場を備えた複合施設だ。浴場はにぎわっていたけれど奇抜な外観とともにこ の地域には不釣合いな施設のようにも思えた。翌朝、駅前からタクシーでくりで んの大岡小学校前駅に移動。田んぼの中をやってきた一両編成の気動車に乗る。
平日の朝なのに乗客が多くてびっくり。列車がすれ違う沢辺駅では反対方向から きた運転手から駅員がわっかを受け取り、こちら側に渡す光景が見られた。おお、 これぞ単線の列車の正しい姿だ。もともとくりでんは、鉱山から鉛亜鉛を運搬す るための鉄道だった。鉱山を勉強しに行くのなら、やっぱり鉱山と深いかかわり があったくりでんに乗らないとだめでしょう。熱烈な鉄道マニアというわけじゃ ないことをお断りしておく。山肌に焼けが目立ってくると終点、細倉マインパー ク前に到着だ。降りてびっくり。無人駅だ。駅前には展示用の機関車があるくら いで他には何もない。寂しい駅だ。雪が舞う中を鉱山資料館に向かう。
道端に顔を出したフキノトウ |
駅前の交差点を東に進む。右手にはげ山が広がり、その上には選鉱所の残骸が残 る異様な風景が現れる。ここが細倉鉱山か。鉱山は閉鎖しても事業所はまだ営業 しているようだ。とはいっても、建物の大きさや敷地の広さだけが目立つ。目指 す鉱山資料館は道路を隔てて鉱山の反対側にある。
鉱石が落ちている鉛川 |
入館料を払って入り口にある鉱石を見ていると管理人のおじさんがビデオのスイッ チを入れてくれる。客は他にいない。遠慮することもできず、なかば強制的に見 せられる。鉱山の歴史や採掘の様子、鉱石が精製される過程などが細かく映し出 された。なによりも、鴬沢町が鉱山でできた町だということがよく分かった。一 大産業としてこの地方を支えていた細倉鉱山はしかし、1987年に閉山した。多く の鉱山が閉鎖したように鉱石が枯渇したわけではない。資源はあるのに「経済的 理由」で三菱は細倉を切り捨てたのだ。鉱山で働く人たちの無念さがよくわかる 映像だった。できれば、じん肺など負の遺産も伝えてほしいとも思った。
鉱物の展示は和田コレクションなどもあり充実している。水晶、特に紫水晶が見 事。螢石も出ることが分かった。東北地方の鉱山からの産出物が豊富だ。鉱石に 偏っているのは、しょうがない。解説が乏しいので一般の人にはその価値が分か り難いのがもったいない。ここで産出した鉱石が日常生活でどのように使われた かの展示もあった。鉱山が日本の発展を支えた自負がうかがえる。金属は現在ほ ぼ100%輸入に頼っているが、資源問題を考える上で鉱山は欠かせない存在だと 思う。
展示されている鉱石にはそれぞれ亜鉛○%、鉛△%と記されていた。しかも、ど この切り羽から出たか、詳しい記述が必ずついている。さすがに鉱山だ。鉱石は、 べっこう亜鉛に方鉛鉱が混じるタイプで、自形結晶は乏しいが濃いオレンジ色が キラキラと反射する美しさがある。鉱山の主要施設の位置を示したジオラマには かもじ坑(しき)、鉱山神社、鉛川など鉱物採集の目安となるポイントもあって ありがたい。表示板には「細倉三十三山」というのがある。ボタンを押すと周囲 の山々すべてにランプが点く。これらすべてが鉱山なのか。宝の山だ。
木目が美しいくりでん車内 |
細倉マインパーク前駅 |
どこで何が採れるのかは、資料館で見た標本が唯一の情報だ。まずは河原だ。と はいっても鉱山施設がある街中は水路はあっても川はない。目指す古い鉱山はもっ と山の中。地形図を頼りに進むと鉛川が現れる。しかし、河原に下りられるよう なところがなかなかない。最奥の民家のわきから沢にはいる。転石に硫化がある。 黄鉄鉱だ。斜面は古いズリのようだが、ヤブに埋もれてしまっている。少し掘る と水晶が出た。柱面のない細かい群晶だ。少し紫っぽい。他に見るべきものはな い。地形図に一軒家のある峠を目指す。どん詰まりにあったのは廃屋だった。引 き返す途中でズリを見付けた。小躍りして飛びついたが、これがスカ。不毛のズ リにガッカリしながら下る途中でバランスを崩す。転んだ拍子にザックの横にく くり付けていたハンマーが頭を直撃した。目から火花が飛んだ。泣けた。ハンマー はちゃんとしまおう。
鉛川本流に戻って上流に進む。かもじ坑跡を過ぎたところで河原に降りる。すぐ に立派な亜鉛鉱石があった。喜び勇んで小割りにする。ごく一部に雪が残るが、 もうすっかり春だ。道端にはフキノトウが顔を出している。橋を渡ると砂防ダム がある。その上流のゴーロで鉱物を探す。見つかるのは閃亜鉛鉱に方鉛鉱、水晶 くらい。ま、今回はこれで満足だ。帰りの列車はカメラを手にしたマニアでかな り混雑した。それ以外にも、名残を惜しむ地元の人たちがたくさん乗り降りした。 帰路は終点の石越までくりでんを利用し、一関まで足を延ばして新幹線に乗る。
鉱山閉鎖に伴い三菱マテリアルから第三セクターに経営が代わったくりでんは、 住民の貴重な公共交通機関としてさまざまな経営努力を重ねながら8年間がんばっ てきた。しかし、宮城県が補助金を大幅に削減することを決めたために廃止せざ るをえなくなったのだ。鉱山閉鎖とともに地方切り捨ての典型だ。廃止が決まっ た今年度は、おなごり乗車などで乗客が急増し黒字になったという。昔懐かしい 鉄道の形が、いまも現役で活躍しているのは全国的にも珍しい存在だ。存続すれ ば町の活性化にも貢献したはずだ。貴重な観光資源をむざむざと捨てるのは残念 でならない。