痛い靴より楽な靴


6日(22:30)荻窪→7日(0:00)広沢寺駐車場→(8:00-11:30)岩場→(15:00)荻窪

しばらくルートを登っていない。天覧山通いは、まじめにやってるので登攀力は 落ちてないと思うが、ロープワークは忘れそう。というかすでにちゃんと操作で きるか自信ない状態。それって、まずいじゃん。ロープの結び方忘れたら諸先輩 に顔向けできないよ。

てなわけで雨宮さんにお願いして広沢寺へいく。が、靴を忘れた! 雨宮さんに ファイブテンのTロックスを借りる。なんと新品。きつすぎて彼には履けないと いう。どれどれ、24.5センチでしょう。23.5の自分には、ちと大きいかな...と 思ったらめちゃきつい。履けないことはないが足が痛い。でも、新品。ありがた くお借りします。

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岩場を懸垂下降する雨宮さん

いつものように駐車場では野宿。とはいっても、全身マットに大型シュラフでは 快適すぎて訓練にならないかな。心配した天気も問題なし。久しぶりに星空を見 ながら日が昇るまで快眠した。7日、起きたらすでに7時半。あさっぱなから照り つける日差しで暑い。岩場に急ぐ。

少なくとも1年以上ロープを結んでない。なのでとりあえず右側の初心者用ルー トを登る。窮屈な靴の痛みをがまんして2本登る。ウオーミングアップになった のかどうかよく分からない。八の字結びはちゃんとできて一安心。次はいよいよ 中央ルート。

下部の階段状部分に新しいリングボルトが2本打ってあった。神奈川のM山の会 が打ったので雨宮さんが「リングは危ない。どうせならペツルにしてくれ」と注 意したという。その通りだ。緩傾斜面のリングは引き抜き荷重がかかりやすいの でよくない。しかも、この位置なら上からスリングを垂らせば良い。「負の遺産」 を残すことはない。そういう昔は自分もボルトのないここは正直恐かった。だか ら気持ちはわかるが、ボルトを打つということは岩場の形状を変える行為。自分 たちの都合だけでなく、利用する人たちみんなの了解が得られるかをも十分考え てやってほしいものだ。

緩傾斜を抜ける。さて、どこを登るんだったっけ。支点は見えるがルートが見通 せない。足が痛んであんまり頭も回らない。ま、一本目だから適当に登っちゃ え。って、いつものことかな。左側に弧を描いて登ったのでロープがギリギリだっ た。終了点は前からケミカルボルトをワイヤーで連結したしっかりしたものだっ たが、今回は横に張ってあった腐れフィックスまでワイヤーに交換されていた。 これならどこからでもビレイが取れる。セルフを外して隣の終了点に移る人もい なくなるだろう。アルパインガイド協会が整備してくれたという。ありがたいこ とです。

上でビレイしているときは、あまり感じなかったが、懸垂を始めると足の痛みは 限界にきた。一刻も早く脱ぎたい。どこが24.5センチなんだ。不当表示で訴えて やる。と悪態をつきながら降り、急いで靴を脱ぐ。登れるけど痛い靴と痛くない けど登れない靴とがあれば、「向上心がない」といわれようとも迷わず後者を選 ぶ。登れる登れないは靴じゃない。技術だ。広沢寺なら裸足でも登れる...といっ てみたいところだが、きょうはランニングシューズにしておこう。

ちょっと緊張して取り付く。ところが結構これがいける。グリップ力や足裏の感 覚もよろしい。さすがアシックスだと感心する。「昔はクライミングシューズが 高かったから、本チャンにはバレーボールの靴がよく使われていた」と雨宮さん が教えてくれた。ほう、次はバレーのシューズを試すかな。だんだん色物クライ マー化していくような気がする。余裕が出てきたので少しルートを選び、支点も 間引く。結果的には1本目とおんなじようなラインになってしまったけど、足が 楽な分だけ気分的には充実した。

3本目は右クラック。最初の支点まで緊張するといわれたが、それほどでもなかっ た。クラックには新しいハンガーが打ってあった。なるほど、支点はよくなって いる。しかし、ハンガーが邪魔でジャムを利かせ辛い。別にジャムが決まらなく ても登れるルートだけれど一応「クラック」だから。バックステップなどを使っ て快適に登る。それにしてもボルトが多い。しっかりとカムが決まりそうな個所 の直上にもボルトがある。抗議の意味を込めて、ここはカムをかます。上部はか なり支点を間引く。雨宮さんをフォローしているとにわか雨が降ってきた。懸垂 で降りたときにはやんでいたが、きょうはここまでとする。

駐車場に着くころにまた雨になる。近くのラーメン屋「ZUNDO BAR」で「こって り塩ラーメン」を食う。へんぴな所にあるラーメン屋らしからぬ怪しい店だが、 お客がいっぱいだった。別所温泉に向かう途中は土砂降り。しかし、厚木に出る と雨が降った形跡もない。東京はドピーカンだった。

調べてみるとルートは2年半ぶりだった! 広沢寺周辺も変わるわけだ。少し間が 開きすぎたと反省する。それにしても、登攀力はあまり落ちていなかった。天覧 山での修行は無駄ではなかったんだ。