これは、一般にいう、感想とか、批評とかいうほどのものではありません。
ただ、私が、それを見ていたときに、何を考えてたかっていうことを、ちょっと書き残して
おこうかと思っただけなんです。

まぁ、ものによっては、ものすごい何様気分で能書きをタレていることもありますし、
思考がまわりまわってしまい、見ていたものと「全然、関係ないやんかー!」ってこともあります(笑)。

あくまでも、「貧乏が思った」というだけのことですので、それ以上でもそれ以下でもありません。
人の思考なんて、十人十色。違って当然。賛否両論。差し引きチャラ。そのへんを充分考慮にいれて
読んで下さいね。

by 貧乏


<欲望という名の電車>

10月20日〜11月11日
於:新国立劇場中劇場

この作品を見に行くキッカケとなったのは、内野聖陽さん。
TV、映画などで活躍されている人なので、なんとなくは知っていたが、あくまでも、なんとなくだった。
東宝ミュージカル「エリザベート」のトート役を拝見して、なんとなくの存在が、なかなかな存在へと変化。
今、一番注目している人である。特に、内野さんの言葉と思考に、とても興味を持っている。

さてさて、その内野さんが、ビジュアル系トートの次に選んだ役が、このスタンレーという役。
本来のフィールドであるストレートの芝居で、作品も各国で演じられ、映画も含めて、たくさんの人の心に、目に
妬きついている演目。もちろん、日本でも、数多く演じられている。
あいにく私は、映画も、芝居もみたことがなく、知識がないなら、いっそ、まっさらのまま見に行くか・・・と思い、
なんの予備知識もいれずに、ただひとつのキーワードとして、内野さんの「雄」という言葉だけ持参しての観劇。

手始めに、初日に行ってまいりました。


見ていない方、これから見る予定のない方の為に、簡単なあらすじを。
間違っている箇所もあるかもしれないので、先にあやまっておこう m(_ _)m

上流階級出の女ステラと貧しく粗野(粗暴?)な男スタンレー夫婦は、ニューオーリアンズ(ニューオリンズ)の
場末で、喧騒と猥雑を呼吸しながら、生命感あふれる陽気な貧乏生活を送っている。
そこへ、上流階級を絵に描いた上に、足にくくりつけてひきずっているような女、ステラの姉ブランチがやってきた。
そう、「欲望」という名の電車にのって「墓場」という電車に乗り換え「極楽」という駅で降りたわけだ。

上流階級然としたその態度がスタンレーの癇にさわり、粗野な生活習慣がブランチの神経を逆撫でし、一触即発。
ステラが緩衝材がわりになったところで、相容れるわけもなく、周りのものを巻き込んで、ブランチは壊れていく。

嘘で塗り固めた過去は彼女を追い詰め、真実という名の現実が彼女にとどめをさした。

ま、こんなとこかな・・・(^^;;;)。


基本的に、見たのは、初日ですから、いろいろな要素も加味して、まだ、感想を言う段階ではないのかも
しれないんだけど、「あえて言うとしたら」という視点で、話すつもりですので、たぶん、今後、感想は変わる
と思います。

まず、何から話せばいいのやら。

そうだな、この物語の中で、一番、わたし的にわかりやすかった人って、スタンレーかな。
内野さんいわく「雄」の権化みたいな人を「わかる」なんて言うと、なんとも妙なヤツだと思われるかも
しれないけど・・・(^^;;;)。

強いて、誰が好きかといわれても、やっぱり、スタンレーかなぁ。
別に、内野さんが好きだからとか、あの体、なかなかいいわーー的な好きじゃないよ(笑)。
正直だしね。彼、別に悪いことしてないと思うし。
この作品しか、まだ、スタンレーという人物像をみていないので、うかつには言えないけれど、別にそんなに
粗暴という感じはしなかったですね。
どうでもいいけど、このスタンレー、見栄えとか、生理現象的にはオスだけど、精神構造、意外と、メス的?って
印象を持ってしまった。これは、初日故だか、そういう役作りなんだか、オス的とはそういうことなのか、微妙な
ところで、今後、考察の余地ありって感じですかね。

ブランチがラジオをつけて、それを耳障りだからって、スタンレーが消しに来るシーンがあるのね。
一度目は、仏頂面で、消すだけなんだけど、2度目は、ラジオを引っこ抜いて、捨ててしまうのね。
それが、粗野とか粗暴とか野卑とかっていう表現になっているようなんだけど、本当に粗暴な人は、
ブランチを殴るよね。
それを、物に当たったり、奥さんに当たったりというのは(妊婦なので、それだけは絶対に許せないけど)、
=(イコール)粗野とか粗暴って目くじらたてるものでもないような気がするのよねぇ・・・。
私、某体育大学出身なので、こういう、モノにあたる人って結構いるし、内野さん演ずるところのスタンレーっぽい人
(仕草や言い草を含めて)いるいる!知ってる知ってる!って感じだったので、抵抗がなかったのかもしれない。

むしろ、抵抗ありありだったのが、ミッチ。
スタンレーの友達で、病気の母をかかえてて、優しくて真面目で朴訥としてて、「早くいい嫁くるといいね」的な人。
この人、ブランチに夢中になって、結婚を申し込むのね。
で、ブランチは、ミッチに一縷の望みをかけるんだけど、スタンレーが、ブランチの過去を洗い出して、ミッチに
言ったが為に、あっさり、ブランチを捨ててしまう。
病気の母(多分に保守的であろう)の手前もあったとは思うけど、おまえさん、じゃ、いったい、ブランチのどこに惚れて
どういう思考回路で、結婚しようといいだしたんだい?って、大の男が自分の言葉に責任持てよ!って胸糞わるくなる。
別れ際も、俺は悪くないぞ状態で、わたしは大キライなんだな。そういうの。
もしかしたら、ブランチよりも自分勝手なんじゃないかと思う。

ステラは・・・。そうねぇ。ステラ。
はじめ、私は、この人が一番まともというか、いい人かと思ってたんだけどね。
やっぱり、この人も好きじゃない。
まっとうなこと言ってて、姉と夫の均衡をとろうと、けなげに、孤軍奮闘てしいる印象をうけるけど、よーーくセリフを聞くと
究極、いいとこどりで、保身にまわってるよね。
「姉さんがかわいそうじゃない」といいながら、パニくってくると、突き放してしまう。
スタンレーに対してもそう。ブランチほどではないにしろ、無意識に、どこか、スタンレーを見下しているところがある。
ブランチとの会話などに、ポロッとそれが現れる。
うーーーん、人間的といえば、いちばん、人間的、女的かもしれない。
たぶん、わたし的に、このステラという人、ミッチの次に「いい人じゃないタイプの人」かもしれないなぁ。>yes私はヘソ曲がり

そしてブランチ。
この人は、やっぱり、私みたいな小市民にはわかりえないものがあるよね。
というか、この話、人種問題もさりげなく、含んでいるし、時代のズレもあるし。
日本人(特に私たちの世代など)には、わかりずらいですよね。
上流階級、全く知らないし。
ポーリッシュがどんなもんか知らないし。貧富の差がどれほどのもんかも身につまされてないしね。
上流階級のお嬢様が、うらぶれて、場末のホテルで客引きしてることに対する、「身持ちを崩す」という印象の
度合いが、たぶん、当時のアメリカ人とは違うと思うしね。

昔、友人が黒人さんと付き合っていて、ケンカするとね、決まって、「僕が黒人だから、君はそんなこと言うんだろう」
って言うんだって。
友人はもちろん日本人なので、単一民族バリバリだから、相手が黒人だろうが、白人だろうが黄色人種だろうが、
そういう感覚って全くなくて、ただ、人間として、ケンカしてるのに、そういわれた時、ついていけない・・・って思った
としみじみ言ってました。
ちょっと例えとしては、適切じゃいかもしれないけど、そういう、わかりえないものっていうのがあるから、
この、ブランチが追い詰められていく様が、あまりリアルに感じられなかったみたい。

それに、今の世の中、教え子に手を出す話なんて、頻繁に起こっているし(それにマヒしている感覚が恐ろしくはあるけど)
安ホテルで、毎晩のように男を変えてたとしても、さすがに「追放」にはなんないだろうし。
そもそも「追放」といわれても・・・。

で、過去を隠す為に、誇大妄想、大風呂敷を広げてしまうわけだけど、その大風呂敷も、今の感覚としては、
さほど大きくないような・・・(^^;;)

だから、ブランチが壊れていく(追い詰められていく)時、「?」とか「ちょっと、それって・・・」みたいな感情が頻繁によぎる。
そうなると、ブランチの感情の振幅や苦悩が、思ったより、こじんまりとした世界に思えてしまって、わたし的には、
舞台と客席の波状がアンバランスに感じてしまいました。


とはいうものの、その、追い詰められていく様を、樋口可南子さんは、なかなか熱演していて、決して、面白くなかった
というわけではないので、その辺は、ご了承ください。

その樋口可南子さん、第一印象は、しゃべり方が、白石加代子さんに似てる・・・でした。
グリークスをみたせいもあるし、その日たまたま、白石さんが観にいらっしゃっているのを見たせいもあるかもしれません。
全体的に、作りすぎている声という印象をうけましたが、今は、どうなっているのでしょうか?
でも、彼女が出ていると、目が、なんとなく、そっちにいってしまう、独特の存在感がありました。

内野さんは、前述のとおり、期待過剰だったせいもあり、粗暴とか粗野とか雄という雰囲気は、思ったより上品というか
普通っぽい印象だったかな。
粗野な感じを出そうと、気負っている感があったような気がしました。
それが、スタンレー的にいいのか悪いのかわからないけど、なかなか、愛すべきキャラクターではありました。

七瀬なつみさん。
私、個人的に、「ぽっかぽか」の彼女が大好きでした。
故に、彼女がでているだけで、「かわいいなー」なんて思ってしまって(笑)
でも、声のトーンとか、特に、樋口可南子さんとの会話の時などは、自然ぽくて、聞きやすかったです。
贔屓目抜きにしても、すごくよく、ステラをつかんでいたんじゃないかと思います。

永島敏行さんは、私の嫌いなタイプの人を嫌いだぁ!!と思わせてくれたってことは、役柄的に成功ということでしょうか。
一番、あの時代のあの場所にマッチしていた気がします。

黒木里美さんは、看護婦さん役(最後にブランチをつれに来る女の人)で最後の最後にチラッと登場するのですが
私は、彼女の印象がすごく強かったです。
で、パンフをみたら、なんと、私の大好きな演目「ロスタラントス」のイザベル役の彼女だったことがわかりました。
どうやら、私、彼女の声質がすごく好きなようです。あと、でっぱらない演技がとても好感もてました。


パンフレットに「この作品を色に例えると?」って質問があり、演者さんが答えています。

ほとんどの役者さんは、赤系だったんですね。
特に、主要4人は、全員、赤。(樋口さん:赤と青、内野さん:黒ずんだ赤、七瀬さん:赤、永島さん:茜色)
私には赤って印象がなくて。みなさんは、「赤」感じましたか?

これを作り上げていく上で、演出意図とかを踏まえ、「赤」っぽい印象で仕上げていったのでしょうか。
そうだとしたら、一致団結で、よかったよかったって感じですが・・・それが、どれほど、観客に伝わっているのか知りたくて。

この作品を見た方、ぜひぜひ、何色を感じたか教えてください。
よろしければ、掲示板にでも書き込んでくださるとありがたいです。

アンケート募集中←クリックすると他の方の意見が見られます)

ちなみに、私は、ハダカ電球の色って思ったんですね。あの、田舎のトイレの色合い。
人工的でハエやら虫やらを無数におびき寄せ、光を浴びてもさほど明るくないわりに、遠くからでも、ぼんやり
認識できる、あせた色。
そうなんです。あの作品から、原色は浮かばなかったんです。


これも、おそらく、少なくとも、あと1回は確実に観劇するので、感想が変わったところを後日入力したいと思います。


と、いうわけで、今日、寝坊して、どうみても会社遅刻だーー!!を利用して、当日券をGETしてZ席で見てまいりました。
自分でも、2回目は、かなり感想が変わるだろうなぁーと予想していたんですが、意外にかわらなかったのにはビックリ。

今回、私が強く思ったのは、ブランチを追い詰めて現実をつきつけていくのは、スタンレーより、むしろ
ミッチとかステラのほうが、より、巧妙な追い詰め方だなって思いました。
スタンレーはあくまでも、自分の考え方にもとづいて相手を判断しているよね。
自分でも情報を集めて、確かめて自分の(自分達の)これからを踏まえて、脳ミソ筋肉ながらも思考してる。
でも、ミッチもステラも、うまい言葉がみつからないけど、"世間様"なのかなって思ってしまった。
「みんながいってるよ」とか「世間様に申し訳がない」の中の実体が無くて責任がない「世間様」。
だから、その場その場で自由に思考を変えちゃうの。無意識に。

最後のシーンなんか、それがよくあらわれてると思った。
ステラが叫び、ミッチが下を向いている。
あれじゃ、あの判断をくだしたことの負のすべてをスタンレーが背負ってないですか?
闘病中に面倒を見てない人に限って、葬式で泣き喚くっていう図式に似てる。
なんだか二人が、とても、偽善的に見えてしまった。(私、よっぽど、ナナメに見てるのかも・・・笑)
ま、これは、人間のかかわり方の物語みたいなことがパンフに書いてあったんで、こういう見方にこだわる人がいても
いいよね(^^;;)

なんかね、スタンレーがブランチの過去を洗い出すのは、時間の問題で、ブランチも、ある程度予感はあったと思うのね。
ま、実際に、ああやって、乱暴な人が、詰め寄ってくれば、かなり精神的ダメージは大きいけど、こころ的には、致命的な
追い討ちではないような気がするんですよ。(襲っちゃうのは、話が別ね)
彼女自身も、スタンレーのいうことなんか・・・みたいなところがあるし。
ステラがスタンレーの言葉より自分の言葉を信じてくれると思いたい。思っている。思い込むことによって、ギリギリの
センで、バランスを保っているように思えたんです。

彼女が恐れたのは、その現実を知って、唯一の心の支え、自分を受け入れてくれるはずの安全地帯であるステラが
自分を拒否(←うまい言葉がみつからなかった・・・)すること。
そして、一縷の望みであったミッチに全てを知られて、命綱を切られてしまうこと。

スタンレーは、ただ、その運命のサイコロを持っていたに過ぎないんじゃないかって思ったんです。
出た目をみて、判断し、彼女とのかかわりを考えたのは、ステラもミッチも自分自身なわけで、その判断(自分の
恐れていたこと)をつきつけたのは、スタンレーではなく、ステラやミッチの言葉と態度なのに、ふたりともが
スタンレーの事を引き合いにだしますよね。そこに、無責任さを感じてしまった。
そして、最終的に、ブランチよりも、スタンレーを選んだんですよね。
もし、少し心があるのなら、ステラはともかく、ミッチには彼女を救えたはず。その気があればの話ですが・・・。

でもね、やっぱり、それぞれ、自分がかわいいんですよね。
スタンレーもステラもミッチも、自分の生活が先行しちゃっただけのこと。
いい、悪い、じゃないんですよね。
この猥雑な町で生活していくわけですから、自分主義にならなきゃやっていけないし。
私ね、この芝居みてると、必ず、エリザベートの「狂えるほどの勇気を私が持てたならー♪」って歌がめぐるんです。

でね、究極、現実をつきつけられて追い詰められていくブランチに、みんな、現実をつきつけられちゃってるんじゃ
ないかとまで、思ってしまった。>ものすごくうがった見方ですね(笑)

と、まぁ、私、この作品みると、ついつい、人観察をしてしまうみたいなんです。
だから、何度見ても、きっと、こういう方向にしか思考がめぐらないんじゃないかなぁ(^^;;)
もしかしたら、よっぽど、斬新な役作りじゃないかぎり、誰が演っても感想自体はかわらないかも。


ということで、思考が煮詰まってきたので、別の角度の話をしましょう。

もうひとつ思ったこと。
やっぱり、人間の内面を描くには、画面がキレイすぎかなって。
男と女の間にはいろいろあるのよのステラとスタンレーのシーンなんてベッドになだれ込んだところ、もっともっと、
みせちゃってもいいんじゃないかな。
たぶん、角度によっては、すごく良く見えるお席もあるでしょうし、実際、役者さんたちは、かなり濃厚にやってらっしゃる
んでしょうけど、私の今回と前回のお席からは、さほど、みえなかったんですね。
シルエットを使うとか、もう少し明かりをアップするとか。
(何様気分でいわせていただくと)私が演出だったら(^^;;)、ここ、お客がひくほど、濃厚に、あからさまにするな。
それから、ブランチとスタンレーの時もね。
あと、ミッチがブランチに、夏の間我慢していたことをしようとする時も。
そう、「欲望」が出た時は、かーなーり原色を出したいなぁ。

ただ、きっと、演出の栗山さんはそんなことやこんなことを考えに考えた上で、今のようにしていると思うので、
その意図的なものは、私の心が、まだ、受け止めていないんだろうな・・・って思う。

この方は、私の大好きな「ロスタラントス」の演出家さんでもあるんですが、「ロスタラ」の時に、余白のある、
見る人に考えを委ねるという演出をなさっていたので、あえて、これらの場面は、私たちの思考の余白によって
自由に感じるスペースを空けておいてくれているのかもしれませんね。

というわけで、また、見に行かなくちゃ(笑)


前言撤回!

今日、はじめて、映画をみました。
いやぁ・・・なんといったらいいのか・・・私、認識違いが多かったようです。

これ、舞台が先なんですよね。
1947年末にニューヨークで初演、その後、1951年に、ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドで映画化された。

この舞台のオリジナルが、今回の舞台とどの程度違うのかが全くわからないので、なんともいえないが、この映画、すごい。
私が、漠然とひっかかりを感じてていたところが、映画では全く違う様相を呈していた。(あくまでもわたしの感覚の中での事)
かなり、自分の感覚のうすっぺらさを思い知ってしまった感じ。

一回見ただけで、また、未消化のまま、能書きをタレるのが、少々、気が引けるので、もう一回みてから、細かい感想を
書こうと思うが、それでも、ちょっと書き残しておきたかったことがある。

まず、ステラに対する認識が、かなり、変わった。
ラストシーンで、ブランチが精神科医と腕を組んで行ってしまった時の反応。
舞台だと、「ブラーーーンチ」って、なかば偽善者的に泣き叫び、スタンレーにかかえられ、なだめられてるというか、守られる
というか、あやされるというか・・・って感じですが、映画だと、「もう、二度とあの人のところには帰らないわ・・・」って、子供を
抱いて、2階に行くんですよ。しかも、泣かずに、強い決意のような、なんとも、興味深い表情するんです。
私は、かーなーり、びっくりしました。
というか、映画のステラは、偽善者でなく、そのかわり、今回の舞台のステラよりも、姉に対して複雑な感情をもっているように
感じられてならない。故に、私、このステラ、結構好きですねぇ。
この、私の感想の相違って、すごく大きいですよね。
いいのだろうか、場面(表現していること)自体がこんなに違って・・・。

そして、全く、わからなくなってしまったのが、みんな(私も含めて)当然のように肯定していた事に関して。
本当に、あの時、スタンレーは、ブランチを犯したんだろうか。
スタンレーは、口頭で、否定してるんですよね。
場面も、舞台では、バスルームのシルエットで、犯されるということを、10人中9人は予想しそうな、かなり印象付ける形での
暗転ですが、映画だと、その一歩手前。ほんの、1 or 2秒くらいの差でしかないんだけど・・・。
10人中7人くらいの割合のような気がする。少なくとも、私は、犯してないように感じてしまったんです。
セリフでも「痛い目をみせてやる」だかなんだかだったし。なんらかのダメージを与えたことは確かなんだけど、やっちゃった
のか、暴力(言葉も含む)だったのかは、ちょっとわからないって感じ。
うがった見方をすれば、二人っきりで、あそこまで、どうにもならない状態にもつれ込んで、なお、女としての扱いを受けなかっ
た(=なにもなかった)とすると、それもまた、ブランチにしてみれば、かなりのダメージかも・・・なんて思ってしまって。
というのも、後日(迎えがくる日)の会話で、ステラが「ブランチが言ったことが本当だったら・・・」みたいなことを言っているので、
ブランチは「犯された」とステラに言ったことになるわけでしょ。本当だったら言うかなぁ・・・>ブランチ
また、もし、本当に、スタンレーがブランチを犯したとしたら・・・。
スタンレーは、ポーカー仲間達に「やってない」と言い切っているので、だいぶ、内野スタンレーと印象が変わってきますよね。

私は、「濃厚に」論だったけど、だから、栗山さんの演出も、ブランチとスタンレーのシーン、ビジュアル的に、強調しなかった
のかもしれないな・・・。

あと、ブランチのミッチに対する、感情が、かなり、印象違う。
本当に、ミッチはブランチにとって、ささやかな希望の綱だったんだなぁってわかる。
舞台だと、ミッチに対しては、愛情というか感情さえもなさそうに感じたけど、映画だと、愛情とまではいわないけれど、特別な
情は、なんとなく、感じる。また、ミッチも、ずいぶん、イメージ違う感じ。

そして、ブランチが16歳の時に結婚した相手が自殺した時の引金。
映画じゃ、ホモって言ってないし(字幕的にカットになった可能性もあるけど・・・)。
少なくとも、映画の回想のほうが、受け入れやすく、ここまでブランチが引きずっている気持ちが納得できると私は思った。

他にも、いろいろと、細かいところで、「あっ」って言うことがあって、ますます、深みにはまってしまった。
これから、もう一度、映画をみてこうようと思う。


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