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冒険者

原案、作:人形


 グラードの南部に位置する大陸最大の商業都市トロウ。
 主に交易に主眼を置いたその経済システムと、飛行船、蒸気鉄道などの高い技術水準は他国の追随を許さず、その地位を不動のものにしている。
 陸、海、空と三つの主要路をほぼ独占的に取得し、しかもそこに自由経済を敷いて活性化に勤め、放任とも呼べる自由な経済の流れの中、ある数点のみは絶対に変えない。結果それが犯罪率の減少に繋がっている。
 ある意味理想的な経済機構。だが、その基盤を固められたのは実はここ数十年と意外にも短い。

 『海の』グランカルヴァー――
 『陸の』サラディン――
 『空の』カルティルト――

 この三大商人が今の地位を固め、これだけの経済効果を生み出したのは僅か三十年ほど前。急速に――異常とも言える速度で成長したこの都市は、やはりどのように理想的な善政を引いても、そこには『歪み』が発生する。
 そしてその『歪み』は、大抵は『暴力』『犯罪』という行為となって具現化する。そのために、三大商人もそれらに対抗するための『武力』を設立する必要があった。










 グランカルヴァー領特別執行部隊第三班――通称『ガーディアンホーク』
 一個人に、限定的ではあるが執行能力を持たせた特別部隊だ。
 無論、限定とは言え執行能力――つまり相手を一方的に処罰できる――そんな圧倒的な権限を与えるために、メンバーは7クラス以上のランクを持つ貴族の若者が選ばれ、またその能力も高く求められる。高い判断能力と、そして他を圧する事ができる戦闘能力。
 若く、そして能力に溢れ、しかもその努力を怠らない結果――。
 この『ガーディアンホーク』のメンバーは、若干慢心とも言える自信を持っていても仕方が無い事だろう。
 だが――。










 日の光が注ぐ空間でありながら、その光に劣らぬ火花を散らし、立て続けに武器が打ち合わされる。ガーディアンホークが基本武装している長さ約半テーセル(約1メートル)のミドルスタッフ。先端を金属で補強してあるが、尖ってはいない。基本的に『殲滅』ではなく『捕縛』を旨とする部隊であるため、ガーディアンホークという『騎士達』の持つ武器は剣ではなく、棍であった。
 だが、その棍でも熟練を高めれば、実は剣よりも高い殺傷能力を示す。
 その棍が、立て続けに打ち合わされる。

 一撃。二撃。三撃。

 時には蹴りが入り、相手に体ごと預け関節を取りに行く事もある。

「―――止め!」

 横から声がかかる。その声に反応して、二人の訓練生の手がピタリと止まった。

 こめかみと喉元――。

 互いが互いの急所を捉えた瞬間の制止。訓練生二人は互いに苦笑を漏らす。それは自分の未熟さにか、相手の賛美にか。

「さすがだね。ディーセル」
「君も――ノルトウェイ」

 二人の少年――と言える年齢――は、そのまま後ろに三歩下がると、互いに深く礼をした。

「…………」

 それを見て、ガーディアンホーク部隊長であるゲルツォ・ブランバーザフは静かに息を吐いた。それが嘆息と気付かれぬように……。
 ディーセルとノルトウェイ――二人ともまだ16歳のガーディアンホーク候補生である。だがその技術力は高く、すぐに第一線でも通用するだけの戦闘能力は持っている。

 だが――それでは足りない。

 無論、ゲルツォが要求している『足りない部分』と言うのは彼の言葉では伝わらないし、そもそも言葉などで伝わるものでもないだろう。
 だからこそ、『奴』を呼んでおいてよかった。










「さすがだな二人とも。さすが今期の訓練成績主席と次席だよ」
「誉め言葉にならないよ。つまりディーセルという上が僕にはまだいるってことだからね」
「おいおい。その下に、一体何人いると思ってるんだい?」

 軽い談笑を交わす少年達。だが、実はその意識は一人の男に向けられている。
 年齢は二十代を超えてそろそろ三十の域に入るか、入らないかという男。上背は特筆するほどあるわけではないが、その体は非常に研ぎ澄まされた印象がある。薄く伸びた不精髭を伝うようにして、顎からポタポタと汗をしたたらせている。

 その男は一つの基本動作をゆっくりと、だが休むことなく黙々と繰り返している。剣をゆっくりと振り上げ、そしてゆっくりと足元まで下げる。まるでなぞるように一つ一つ、体の各部分を確認するようにして男は剣を振り上げ、そして振り下ろす。

 少年達の目から見て、その動きは別段優れているとはいえなかった。どこをどうと明確に追究することはできないが、その男の動きには洗練さがあまり見られず、その動きの一つ一つがほんの少しずつ歪で、どこか不純物を抱えているように感じるのだ。

 どことなく邪道を感じる動き――。握り締めている大剣――剣と名称するのもおこがましい、殺傷目的にのみ作り上げられた、名誉も名声も持ち合わせない無骨な兵器が、そう思わせるのかもしれない。

「……おい、あれ誰だ?」
「知らないよ。ゲルツォ教官の知り合いだって話を聞いたけど」
「――力はあるよな」
「逆を言えば、力しかないとも言えるけどね」
「ははっ、それは言えてる」

 そんな少年達の視線を意識している為か、はたまたしてない為か――男の基礎訓練は二時間を越えても一向に止められる気配がない。大剣――選ばれた筋力を有する者にしか扱えない特別剣。そんな剣をゆっくりと、もっとも筋肉を軋ませる動きで頭上まで持ち上げ、またゆっくりと下げている。
 もうすでに限界に近いのだろう。時折足をふらつかせる場面もある。

「下半身の訓練が足りないのかもね」

 少年達は皮肉気に微笑む。微かな侮蔑を――意識せず――込めながら。
 ゲルツォはそんな少年達を軽く一瞥した後、基礎を懸命に繰り返す男の側まで行くと、ぼそりと呟いた。

「――辛いか?」
「辛ぇよ!」

 瞬時に――それでも律儀に訓練を止めず――即答される。

「ははっ。まぁそうだろうな。お前さんみたいなタイプにゃ一番辛い訓練だろうからな」
「腕よりも、つま先の辺りが死ぬ程痛ぇぞ。なんでだ!?」
「下半身を使わず、腕力だけで振りまわしているからだ。上半身の筋肉がありすぎて下半身が支え切れてないんだよ」
「意味が分かるように話せ!」
「分かるように言えば、その訓練を一年も続ければ剣速があと三割は速くなる」
「あーへーそうですか」

 やがて、男は大剣を地面に突き立てると、どさりとその場にへたり込んだ。

「もう駄目だ。ギブアップ」
「十分だ。初心者なら10分で全身が悲鳴を上げる」
「……ゲルツォ、お前さん、俺に『最低でも1時間以上できなきゃ初心者以下だな』とか言ってなかったか?」
「良い刺激になっただろう?」
「やってらんねー」

 ごろりと地面に寝転がると、汗止めに巻いていた白いバンダナを外す。ぐっしょりと汗に濡れて重くなったバンダナを不快気に放り捨てると、ふーっと長いため息を吐いた。

「ところでヴォルト」
「あんだよ?」

 ゲルツォの方を見ようともせず、ヴォルトと呼ばれた男は面倒くさげに返事だけを返す。

「実は、お前さんにしか頼めない事があるんだが、引き受けてくれるか?」
「金と内容次第」

 間髪入れず、ヴォルトは即答する。
 ゲルツォは苦笑をもらしながら答える。

「金は今日のこの施設の使用料をタダにしてやるよ」
「ならたいした事は引き受けねぇぞ? ここの使用料なんてたかがしれてるんだし」
「ああ、別段たいした事じゃない」

 ゲルツォは軽く肩をすくめながら、

「ただの『子守り』さ」










「特別教官……ですか?」
「そうだ」

 若者達は困惑するようにして、部隊長ゲルツォの隣にいる男を見た。
 先ほどから、施設の隅で基礎訓練を黙々と続けていた男だ。愚直に二時間近くあの基礎訓練をやれる体力は評価できる。が、彼の動きからはどことなく歪みを感じたのもまた事実だ。

「彼はヴォルト・グレイン。はっきり言って基本的な技術力は君達に劣る」

 それを聞いて、ヴォルトと呼ばれた男は自重気味に笑みをもらす。

「が―――」

 ゲルツォは続けて、

「――お前達ではこの男には勝てんだろう」

――ザワッ――

 一瞬――少年達から気配が立ち上り、そしてすぐさま収まる。

「へぇ……」

 ヴォルトは、それを素直に評価した。

(よく抑えが効いている。この歳でこれだけできりゃたいしたモンだ)

 が、無論それは少年レベルでの評価だ。実戦では、その気配すら立ち上らせない。戦場で『目立つ』ということは、即目標になるということである。歴戦の傭兵であればあるほど、そういった気配のはむしろ素人に近くなる。

「ヴォルトの実戦での経験値はお前達よりも上だ。それも遥かにな。実戦を『知る』と『知らない』とでは、どれだけの差が出るか……じっくりと学び取れ」

 それだけを言うと、ゲルツォはさっさと施設の隅へと引っ込んだ。ここは全て自分に任せる。そういうことなのだろう。
 嘆息交じりに軽く息を漏らすと、少年達へと向き直る。

「えーっと……それじゃあな……」

 横4列、縦5列――合わせて二十名の将来のガーディアンホーク予備軍。選別された才能のある若者に、さらに数年間の訓練を施したという。

 一種の怪物予備軍。

 素人と、一度の訓練を受けた素人では、明確に後者の実力が上となって表れる。たった一度であれ、訓練というものはそれだけの意味を持つ。無論その成長が延々と続くわけではないが、元々才能溢れる若者に、数年の訓練を課した結果は――言わずとも分かるだろう。
 そう、彼が悩みあぐねていると――

「ヴォルト講師」
(こ、講師?)

 呼び慣れない名称で呼ばれ、若干面食らう。が、なんとかそれを表に出さないよう努力すると、呼びかけてきた少年の方へと向きなおる。先ほどの訓練を見ていた。確かガーディアンホーク予備軍生主席の――

「ディーセル・ガンバーグラスです」
「お、おう」
「質問を、よろしいでしょうか?」
「あ? ああ、構わないぜ」

 大仰――と、自分では思っている――に頷くと、先を促す。少年は一瞬目をそらした後、苦笑気味に言った。

「ヴォルト講師は、本当に僕達に教授なされるだけの価値がおありなのですか?」
「……なに?」
「つまり、僕達に訓練なされるだけの実力がおありなのですか? と申し上げたのです」

 ディーセルという名の少年は、挑戦的な瞳をヴォルトに向けてきた。
 つまり、『実力が無い者から教えを受けるつもりはない』と、彼はそう言っているのだ。挑戦的な瞳の中に見え隠れする傲慢とも言えるほどの自信。だがその態度にむしろヴォルトは好感を持った。
 ゆっくりと歩きながらヴォルトは言う。

「そうだな。実力もねぇ奴がいくら講釈を垂れてもしょうがないよな。それだけの証明をしなけれ――」


――瞬時に、ヴォルトの体が前に行く。


「――――」

 ディーセルが、軽く息を飲むのが聞こえた――瞬間には、ヴォルトの右足――そのつま先が少年の鳩尾を深く抉っていた。
 後ろに弾き飛ぶでもなく、少年はゆっくりとその場に跪く。そして――

「ぐ……ぐえぇぇぇ……」

 吐瀉物を、胃液と一緒に搾り出しはじめた。

「ひ――」
「卑怯!! ……なんて言わねぇよな? 俺は『実戦』を教授しろと、ゲルツォから言われたんだぜ?」
「くっ――」

 立ち塞がるようなヴォルトの言葉に、ディーセルの横にいた少年がうめく。

「実戦には試合開始の合図なんかない。実戦はそんな甘いモンじゃない――そういう言葉をゲルツォに死ぬほど聞かされてたんじゃねぇか? だが、聞くのと実感するのは全然違うだろう? そして――」

 無造作にヴォルトは右足を膝の高さまで持ち上げると――

――ズグッ――

 それ以上に無造作な動きで、ディーセルの首筋に振り落とした。

「な―――っ!?」
「――今の一撃で『終わり』だと判断するのも甘い。頭を垂れて首筋を見せるなんぞ、戦場では『殺して下さい』なんて言うのと同じだからな。実戦に開始の合図がないのと同じく、終了の合図もない。勝手に終わったなんて考えていると、このような結果になる――質問は?」
「…………」

 自分が吐き出した吐瀉物の中に埋もれるようにして、気絶してしまっているディーセル……。ヴォルトが言う『このような結果』を見て、何人かの少年が生唾を飲み込む。

「無いな? なら次だ。えっと……さっきそいつと組み手をやってたのはお前だったな?」

 そう言って、ヴォルトは倒れ伏したディーセルの隣にいる少年――ノルトウェイを指差す。彼は不承不承に頷く。
 距離にして3テーセル(約6メートル)ほどの距離をおいて、ヴォルトとノルトウェイは向かい合う。

「それじゃ、俺を『敵』だと想定して、好きなようにやってみな」
「…………」

 ノルトウェイはじわりと背中に浮かぶ汗を意識しつつ、ゆっくりと構えを取る。
 ミドルスタッフの両端を持ち、素早く左足を前に、右足を後ろに引く半身の構え。若干腰を下げ、そして右手を喉元辺りに置き、右手はゆったりと棍を『持つ』というより『乗せる』感じで腰辺りの高さに置き、前に出す。
 杖術というより、無刀術に棍を付属させたような独特の構え。棍に拘らず、すぐさま無手術、そして関節術へと移行できるガーディアンホークで応用的に学ばされる構えだ。選択肢が増える分修得は難しいが、その分幅広い攻撃が可能になる。

 バランスも良く、そして徹底的な訓練によって培った余裕も伺える。文句の無い構えだ。
 だが―――。
 大剣を無造作に地面に突き立てたヴォルトは、ポリポリと顎の辺りを掻く。

「……なぁ。疲れないか?」
「え……?」
「腕は持ち上げて足元は爪先立ち。しかも若干中腰。疲れないか?」
「それは……」

 それを聞いて少年は若干口篭もる。ノルトウェイは訓練の果てに、この構えを完全に自分のものにしている。おそらく半日そうして いろと言われても、あっさりとやり遂げてしまえるだろう。

 だが、だからと言って普通の直立状態――つまりただ突っ立っている状態と比べれば、当然後者の方が楽に決まっている。
 
 『構え』というのは、極論すれば非日常的な条件下に対応するために己の状態を歪ませる、言わば不自然な状態である。
 「疲れるか?」と聞かれれば、当然疲れるのだ。

「それに俺は『敵』と言っただけだが、どんな敵に対応してその構えを取ったんだ?
 その構えだと、対応できるのはせいぜい自分より20〜30テセル(約50センチ)上か下の相手だけだろ? 中にはパイフールゥなんてとんでもないガタイの奴だっているし、そもそも『敵』が人種とは限らねぇぞ?」

「…………」

「俺が敵を想定して好きにしろと言った瞬間、お前はその構えを選択した。だが、それ以前にどんな敵が目の前にいるのか考えたか?
 敵は空を飛んでいるかもしれない。物凄く小さいやつかもしれねぇ……姿が見えないかもしれないし、精霊術や魔導力学を使ってくるかもしれない。
 他の条件は? もしかしたら狭い部屋かもしれねぇし、後ろに絶対守らなけりゃならない子供かなんかがいるかもしれねぇぞ?」

「そ、それは……」
「ま、ちぃと意地悪かもしれねぇけどな。俺がどっかり目の前に立って、俺を敵だと想定すりゃ、当然俺の姿形を『敵』にするだろうからな」

 ヴォルトはあっさり言うと、「どっこいせ」という掛け声が聞こえてきそうな動作で大剣を肩に担ぎ上げた。

「ほんじゃま、俺が『敵』だ。さ、かかってきてみな」
(このオッサン――)

 少年はギリ……と奥歯を噛み締めると、まるで猫化の猛獣が飛びかかる前の状態の様に、更に腰を下げる。そして次の瞬間――その態勢のまま頭部の高さを変えず、まるで滑るようにしてヴォルトに向けて突き進む!
 まず一歩で1テーセル半(約3メートル)、そしてもう一度の踏み込みで接敵できる。当の本人であるヴォルトは方に大剣を担いだまま、特別な行動を起こそうとする気配はない。

――いや。

 ヴォルトは少年の顔を面白そうに眺めたまま、予備動作も見せずに地面の砂を蹴り上げた! 器用にも砂は大きく広がるようにして、ノルトウェイの顔面めがけて降り注ぐ。

 だが――

(所詮は不意打ちと小細工だけさ――!)

 半ばその行動は予想していたのだろう。少年は右手で目をかばい砂をやり過ごす。そしてそのまま更に一歩踏み込んだ。彼の踏み込みは一歩で1テーセル半を突き進む――。

――ダンッ!――

 苛烈な踏み込み音。そして素早く棍をあらゆる状況――本音を言えばあらゆる関節を打ち砕くため――に対応するために全身を緊張させたが、そこにヴォルトはいない。見やると、先ほどの砂蹴りの動作を利用して、更に後方に跳躍していた。
 最初に相対した時よりも、更に離れた距離。こちらの武器は当然届かないが、あちらの大剣だってどう足掻いても届かない状況。

(所詮は腰抜けか――!!)

 ぎりっと奥歯を更に噛み締めて、少年は更に追いすがろうと姿勢を低くする。

「――だから甘いって言ってるんだ」
「――――っ?」

 瞬間――ヴォルトの大剣から光で構成された文字が出現し、一定の規則性を持って彼の周囲を取り囲んだ。
 それはまるで光の帯のようになり、淡く呼吸するように、文字は光の増減を繰り返す。

「ぷ――記述式構成端末(プログラミング・デヴァイス)!?」

 魔導力学法使用許可認定士――通称『魔法士』と呼ばれる技術者。『マナ』と定義される今だ全容が解明されていない不可思議な力素を、特殊な言語と動作――そして大量の経験により導きだされた『仮定』に基づいて発生させられる『結果』。
 今から54年前、ジェクトの総合学会の教授ティーゲル・ファウセが提唱した時代の裏側で粛々と息づいていた秘術――『魔法』を非常に限定的ではあるが抽出、体系化させ、万人に使用可能の『技術』として発表させたもの。
 天使の恩恵により発生する『奇跡(プリーストマジック)』、そして精霊の力を借りて行使する『精霊術(シャーマンマジック)』に次いで、人が使用可能となった強大な力――。

 ヴォルトはついつい、と指先を光の文字に触れさせると、その場所(ポジション)を入れ替えて行く。やがてその作業がいくつかの文字の塊を選択している作業だと気付く。そして――

「魔法士法――クラス1の魔法使用許可を申請――タイプ3――鎮圧用公式――」

 取り出された光の文字が、まるで磁石のように結合されていく。ここ十数年で魔法士協会の中で主流になった詠唱手段、結合詠唱――。
 戦術系基礎魔法がヴォルトの精神面――アストラルサイドに構築――その残滓が一種の映像としてヴォルトの全面に照射される。
 それは、周りの人間の目にはこう映る。

――魔法円陣――

実行(ドライヴ)!!」

 瞬間――彼の全面より照射された一筋の光の塊が、雷光のように少年の胸に吸い込まれる。

「うわあああああああああ!?」

 そのエネルギーに圧倒されるように、ノルトウェイはもんどりうって倒れる。
 戦術系魔法士の初級攻撃法式――『エネルギーボルト』。比較的単純な公式なのだが、その威力は重量(ヘヴィ)拳闘士(ボクサー)の一撃に匹敵する。
 無論、ヴォルトもいくつかの安全弁――セーフティロックを施したまま発動させたが、それでも予想外――しかも完全な――の一撃を受け、半分パニックも含めて、少年はもがき続けている。

「相手が人種だったとしても、予想外の抵抗手段はいくらでもある。隠し武器もあれば、精霊魔法で伏兵が身を潜めている場合だってある。それらを『認識』し、それに対応する気構えを持っているといないとでは、生存率はまったく変わってくる。お前等は相手を殺さず捕まえるつもりでも、相手はお前等を殺す気でいるかもしれねぇ。しかも命がけでだ」

 そう言って、歴戦の傭兵は大剣を今一度肩に担ぎなおすと、ゆっくりと胸を抑えてもがき苦しむ少年へと歩みを寄せる。

「そして――さっきも言ったな? 勝手に『終わり』を決めるなって」
「―――っ!?」

 びくりっ! と少年の身が竦む。そして必死に起き上がろうとするが、先ほどのエネルギーボルトは意識していない部分――つまり覚悟していない場所への打撃だったため、今だ全身の痺れが抜けない。

 つまり、動けない――。

「今の俺は『敵』だ。そして武器を持っている……目の前には弱った敵がいる……今武器を相手の首に落とせば、確実に殺せる――自分の身の安全を確保できる。敵はそう考える……」

 じゃり……じゃり……と、ヴォルトはゆっくりと歩みをよせる。まるで嬲るように――

「が……はっ! こ、これ……は…訓……練……」
「なんだ? まだそんな甘い事を考えられるのか? おめでたい奴だな」

 呆れたような――面白がるような――そして、無慈悲な一言。

「ひ――はっ! くっ……!」

 ずりずりと、這いずるようにして少年はヴォルトから逃げ様と全身を脈動させる。

「そう――そうだ。外面なんて考えるな。死ねばなにもかも終わる。それが英雄の様に死のうが訓練で不慮の事故で死のうがなんの違いもねぇ! 今俺は敵だぞ! お前を殺そうとしている敵だ!! ―――おい!!!」

 最後の言葉は、見学していた残りの少年兵達に向けられた。

 ビクリ――と、少年達の身が竦む。

「お前さん達の仲間が『殺されようとしているぞ』!! 俺は敵だ! さぁ、どうするんだ!?」

 一瞬――互いの顔を見合わせる少年達。

「そーかい! こいつを殺しちまって良いんだな!?」

 ヴォルトは、大剣を大きく振り上げた。

「―――――――っ!!!」

 そのヴォルトの視界の端から、棍を構えた少年兵達が一斉に襲い掛かって来た。









「またキツイ訓練を課したもんだな?」
「…………」

 呆れたようにゲルツォは地面に寝転んだヴォルトを見下ろす。所々から血が滲み、右頬と左目が腫れ上がっている。まるで大喧嘩の後のようなありさまだ。
 いや、現にヴォルトは、少年兵20名相手に『大喧嘩』をした後である。

「……うるせー……っ!」

 その一言を紡ぎ出すと、まるで電気が走ったように身を竦めると顔をしかめる。もごりと舌を動かすと、ぐらぐらと奥歯の一本が動いていた。

「まぁ、あれだけキツイのを受ければ、あいつらも実感が変わるだろうよ」

 そう言ってゲルツォは少年兵達の方を見る。少年達はディーセルとノルトウェイを介抱していた。その手当てを、ディーセルは俯いたまま、ノルトウェイは半ば放心したまま受動的に受けている。

「実戦ってのは厳しいもの。無慈悲なもの。そして実力がそのまま反映されることがないもんだ。……ありがとよ、俺にあれを教え込む事は出来なかったからな」
「…………」

 ヴォルトはごろりとゲルツォに背を向けると、ポリポリと顎を掻いた。
 血気盛んな若者――しかも名誉を重んじる騎士の子達。
 騎士とは名誉を重んじる。だがそれは逆を言えば命を軽んじると言っても良い。
 ヴォルトは人よりたくさんの死を見つめてきた。だからこそ、人よりも命を尊ぶ。
 長い訓練の果てに、極めた剣術を携えた者であろうと、生まれて始めて鉄の塊を握り締めらされた者であろうとも。戦場ではどちらも一つの命である。
 だが、意外に剣術を極めた者が、数人がかりにあっさりと殺される現場を、ヴォルトは何度も何度も見てきた。
 その時に決まって発せられる剣術を極めた者の言葉。

――卑怯者――

 そんな言葉が出てくることの方が愚かだった。それは結局自分の価値観を相手に押し付けること。自分の思い通りに相手も動けという、愚かな傲慢――。
 自分とは価値観が違う。
 自分とは大事にしているものが違う。
 そういう相手との違い――つまりは個性を認めること。
 それをヴォルトは数々の戦場で、そしてとある宿屋で知り、そして自然と身につけていった。
 だからこそ、知っている者として、知らぬ者に伝えたかった。

 死んで欲しくないから。

「――ありがとよ」

 漏らすように呟かれたゲルツォの言葉に、ヴォルトはパタパタと片手を振った。









 一人の少女が立っていた。
 左足を大きく引き、若干曲げた右足でほぼ全ての体重を支える。
 若干前のめりの態勢……左手は腰の部分にあり、逆に右手は大きく前に伸ばされている。
 その伸ばされた右手の延長であるかのように、軽く支えるようにして持たれた細剣――シュレディンガーと呼ばれる名工が鍛え上げた魔剣だ。
 その魔剣の先に、まるで自ら屹立するかのように、一個のグラスが立っていた。使い古されたグラスなのだろう。口受け辺りの部分に若干の亀裂が見られる。
 剣先は一震もせず、静かにグラスのみが立つ。まるで固定されているかのような静寂がそこに流れているが……無論グラスは固定されておらず、そして彼女の体もまた流動性を持った存在であることには変わり無い。
 その証拠に――

 ――シュンッ――

 グラスのみをその場に残し、細剣が雷鳴の速度で引かれる。
 グラスはその事にようやく気付いたかのように、大地の束縛を思い出し、落下を開始する――瞬間。

 ――カッ――

 再度突き出された細剣が、落下を開始しようとしたグラスを支える。
 そして――

 ――シュッ……カッ……シュッ……カッ……シュッ……カッ……――

 連撃――。

 正確無比の――そして高速の突きが立て続けに行われる。
 一定の基準を超えた突きと……そしてそれ以上に高速の引き手がなければ成立しない奇跡。
 やがて、僅かずつの降下を見せて、グラスは静かに地面へと横たえられた。

「―――ひゅっ」

 腹の方から肺を引っ張るような独特の呼吸法。すぐさまに荒い息は静かに収まる。
 そして、パチンという音を立て、細剣を鞘に収める。

 不意に――

 少女はつま先でコップを引っ掛けるようにして宙へ蹴り上げた。
 くるくるとゆるい回転を起こしながら宙へと昇り……やがて一定の高度でゆるゆると戻って来る。その高さが彼女の目線の位置に来た瞬間――

「はっ!!!」

 鮮烈な気合と同時に、彼女の右手と――そして右足が霞む。
 それと同時に爆発的な踏み足に引きずられるようにして、上半身が高速の転移を行う。強力な踏み足のせいで瞬間移動を行ったように見えたのだ。そして消え去った右手が、またこの世へと現れる。

 ――チィィィィィィン――

 甲高い悲鳴――それは、鉱物が響き渡らせる神聖なる悲鳴。
 彼女が突き出した必殺の突きは、グラスを割ることなく貫通していた。

「……まだまだね」

 彼女はそっとため息をつくと、切っ先を手元に運びグラスを顔の前に寄せる。
 少々不満げに眉根をよせ、見たその先にあるグラスには、ほんの僅かに――ヒビが入っていた。

――ぱちぱちぱちっ――

 不意に賞賛をかけられ、少女はぼんやりとそちらを見やる。

「あら、ヴォルト。おかえりなさい」
「ただいまクラウディア。訓練中だったか?」

 クラウディア――そう呼ばれた少女はくすぐったそうに笑うと、グラスが突き刺さったままのグラスを掲げて見せた。

「昔、お兄さまがやっていた訓練方法を思い出して、最近やってるんだけどなかなか巧くいかなくて」
「……それで失敗なのか?」

 ヴォルトは見事にグラスに突き刺さった細剣を見て、眉を潜める。

「突入部分が少し欠けちゃっているでしょ? お兄さまなら、まるで糸を通すように静かに刺していたわ」
「へぇ……」

 ヴォルトは眩しげにグラスと、そして嬉しそうに話す少女を見た。
 一つ一つの訓練を経て、将来100のハードルを越そうと望むクラウディア。
 そのために1や10のハードルでこける事を厭わず、その険しい道をゆっくりと、確実に進んでいる。

 だが……自分はどうか?

 1のハードルを、どんな無様であろうとも這いずるようにして飛び越え、今日まできた。
 おそらく、将来的にはクラウディアはもちろんの事、今日相対したディーセルやノルトウェイにも、自分は足元にも及ばなくなるだろう。
 昔の自分には、目の前しかなかった。目の前を超えなければ、待っているのは死――。将来など見えず、ただもがくようにして日々を乗り越える日常――。

 結果、彼の剣は歪となった。

 決して若いとは言えない年齢。もう矯正は無理だろう。

(この辺が、俺の剣術の頭打ちだろうな……)

「どう? ヴォルトもやってみない?」
「へ?」

 不意に無邪気な声が、横からかけられる。見やると、少女がにこりとグラスを掲げていた。

「俺?」
「うんっ」

 屈託のない表情で、何かを期待するかの様にこちらを見つめる少女。それを見てヴォルトは苦笑交じりに嘆息すると、ひょいとグラスを受け取り、無造作に宙に放った。
 くるくると回転しながら宙に昇って行くグラス。やがて気がついたように、またくるくると降りて来た。
 
 背中の大剣を引き抜くと、横に一閃――。

――カッシャーン――

 甲高い音を残し、無残に砕け散るグラス――。

 技も道もなく、ただ力によって砕かれたグラス――。

「あ……」

 少々拍子抜けしたような少女の顔。それを見て、『冒険者』はニマッと、暖かい笑みを浮かべる。

「俺には、これができれば十分だ」


END




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