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領名 = パラメキアトロウ
領主名 = スターム・クリストフ・パラメキア三世
都市名 = パルテーム、ニオパラメキア、フラウ(主要三都市)

人口全領土で百万人前後。人口分布は概ね以下のとおり

パルテーム:約三十二万
ニオ・パラメキア:約二十四万人
フラウ:約十一万人
その他:約三十三万人

▲▽▲▽概要▲▽▲▽
 この地方は、トロウ領となる以前は単にパラメキアと呼ばれていた。
 古来、独立不羈の意思の強い土地柄で、200年ほど前にトロウ領に併合されるまでは、大小さまざまな住民の抵抗があり、相応の血が流されもした。
 長く続く戦いの中で、有力豪族のうち、クリストフ氏族が、抵抗の無益を悟り、トロウへの帰順を示した。
 結局はクリストフ氏族の行動が契機となり、トロウによる、パラメキア地方の吸収合併は劇的にその進歩を見たのである。
 それ以降、領主の姓は代々クリストフ・パラメキアを冠しており、その当時のクリストフ氏族の直系の子孫が領主となっている。
 だが、合併からの歴史も平坦ではなく、「パラメキア自由旅団」「パラメキア解放戦線」といったような反トロウ統治をとなえる組織が、たびたび反政府活動やテロリズムなどを引き起こしている。
 代表的な、この二つのテロ組織は、現在でもその活動を続けており、しばしば事件にその名が見え隠れする。
 「パラメキア自由旅団」は、傾向として、反トロウ統治を呼びかけるような、いわば政治犯的な傾向が主であるが、「パラメキア解放戦線」は、親トロウ派へのテロリズムなどをその活動の中心に据えている。
 現領主スターム三世の嫡男、アルフレッドは、トロウに対する感情に、時折悪意が混じりがちであった。

▲▽▲▽産業傾向▲▽▲▽
 都市部の主な産業は、通商・運輸。
 並びに観光、サービス業。
 そのほかの地場産業としては塩田による塩作り。
 小麦栽培
 漁業(主に、近海漁業。水産加工業含む)
 造り酒屋が数多く点在する。
※トロウの名前が新たに加えられる以前から、塩田からとれる良質の塩を産業の要としていた。
※質のいい小麦として知られている「パステローテ」の産地でもある。
※海岸部の産業は当然漁業中心であるが、そのほとんどを領内で消費している。
※エクアドル〜トロウ間の主街道「ウシュケ・リブロゥ」(パルテーム地方の古い言葉で「運び通う道」の意。俗称「海岸線」)に沿って、各地方の地方色豊かな酒が何百何千とそろっている。
 百年近く前の作家で、現在も名が残っている文豪、リヒャルト・スピリッツァ(本名:リヒャルト・エベンス、後述)の代表作のひとつ「街道を、酔う」は、ウシュケ・リブロゥに散らばる土地の酒を飲み干して歩いた、自叙伝的随想。酒のみのバイブルとして、今なお、版を重ねている。

▲▽▲▽名物▲▽▲▽
・ダカッシュ(海産物を煮こんだホワイトシチューを中に入れてあげたドーナツのような民族料理)
・サラサ(季節の白身魚を一瞬だけ湯通しして、冷やした後、うす味の特製ソースをかけた家庭料理)
・パルテームエール(パステローテを使用した上面発酵の麦酒。味と香りが濃厚。各種銘柄あり)
・サラサムール(季節の魚介類をスープで煮こみ、大人数で食べる、いわゆる海鮮鍋)
・ポロッカ(もち米と小麦と、砂糖を練り上げて、中にジャムを入れてむしあげたお菓子)
 地方全体の特色として『酒が好き』という要素があり、食事としての料理は割と手早くできて薄味、大勢で食べられる様式が多い。
 その代わり『酒の肴』としての料理はことに多種多様で、味付けも濃いものが多い。
 小麦、魚介類など、豊富な素材があるものの、突出した調味料がない。
 その分、多種にわたるハーブによる味付けが魅力。
 酪農はさほど盛んではなく、質も飛びぬけてはいないため、高品質の乳製品は貴重品。

▽▲▽宗教分布▲▽▲▽

 12神はそれぞれあがめられているものの、若干の信者の偏りが見られる。
 主神アルカーナの信者の多いことは当然であるが、アルカーナ以上の信者を擁する宗派が二つ存在する。
 この地方で最も多いのは、ト・テルタ信者である。
 ウシュケ・リブロゥを通る人々の多くは、自らの幸運と成功を祈りつつ、神殿への寄進を行う。
 次いでこの地方の人々に多く受け入れられているのは、ヴァルンツェへの信仰。
 ウシュケ・リブロゥ沿いの宿場町のほとんどに、娼館や妓楼が数多く置かれ、その筋の住人たちに、自然な信仰心をもたらしている。

▲▽▲▽文化▲▽▲▽

 もともと、さほど文化的な地域とはいいがたかったパラメキアの各地方であるが、1200年から1300年にかけて、各文化方面で多くの人材を輩出した。

====建築====
 建築家としては、ギャリクソン・ブルナー。北部トロウ随一の壮麗さを誇るパルテームのヴァルンツェ神殿の設計は、現在でも高い水準の設計であると言われる。
 そのほかにも、多種多様な建築物を設計し、その華麗さは人々をしてブルナーを「巨匠」とよばせるにふさわしい出来である。
 そして、ブルナーを、建築物による、建築分野の発展を支えた巨匠であるとすれば、建築様式の復活による建築分野の理論の発展、そして、都市建築の劇的な発展をなしとげたのは、ブルナーの弟子、パオ・パリーであるといえる。
 パリーの功績の代表的なものは、ひとつは、古代からの建築様式を復活させたことである。
 1000年ごろ、トロウのみならず、各国の建築界の間に「建築改革」とよばれる、旧古否定の一大運動が巻き起こった。
 低迷していた当時の建築界の中で、一人の前衛建築家が唱えた改革である。
 その建築改革におこなわれた古来建築物の破壊、設計書の焚書などといった蛮行により、多くの建築物や、その技術のほとんどが失われてしまった。
 その後、戦乱などにより、さらに破壊し尽くされた建築物の数は知れない。
 パオ・パリーの出発点は、師であるブルナーの設計が、故郷にある古い建物と同じ匂いを感じさせるものだと思い至ったところである。
 さらに、師ブルナーは建築改革を完全否定しており「獣の所業」とよんではばからなかった。
 パオ・パリーは、師匠のそういった姿勢にも影響を受け、残されたわずかな資料と、破壊された建築物から、建築改革以前の建築の歴史と体系の復活を試みたのである。
 そういった学術的な頭脳は、師ブルナーよりもパオ・パリーのほうが遥かに優れていた。
 ブルナーも、パオ・パリーのそういう才能を高く評価していたし、その目指すところが、自ら求めるものとしても、十分価値のあるものだと思っていたから、弟子に対する援助を惜しまなかった。
 そういう支援もあり、パオ・パリーは、38年の長い年月をかけて「建築体系」という色気のない題名がつけられた、全52冊からなる書を書き上げるのである。
 43冊目の半ばを記している途中、師ブルナーは他界、パオ・パリーにもっとも多大な影響を及ぼした巨人の死は、それでも筆を遅らせることすら出来なかった。
 建築体系の序のメッセージで、パオ・パリーはこう記している。
 「師へ。何者よりも偉大なる我が師へ捧ぐ」
 二人を知る人物が、この師弟を評して曰く
 「ブルナーは、個人が持ちうる最高峰の才能をして、巨人となりしが、パオ・パリーは歴史をつむぎ出すことにより、巨人となれり」
 建築体系は、現在、建築関係者の基礎読書として、愛読されている。
 パオ・パリーは都市建築の面においても優れており、緻密な都市計画を著している、現在のニオパラメキアの都市計画は、このパオ・パリーの計画を基幹としている。

====文芸・文学====
 リヒャルト・スピリッツァは、幼いころより、その才能をみとめられていた。
栴檀は双葉より芳しの言葉通り、15歳になるころには、「時の階」「予兆」「その大樹」といった短編で文壇の大御所を唸らせ、天才の二つ名を戴くほどになっていた。
 その名を戴くのはさほど難しいことではないが、「天才」の名にふさわしい力を示しつづけることができたことこそが、スピリッツァの偉大さのひとつであろう。
 作風としては、長編よりも短篇の出来がよいといわれているスピリッツァではあるが、その代表作とてあげられるのは、多くは歴史長篇作品である。
 のちに、転身して大衆文学の旗手となり、「トロウ勃興記」「治むるに値するか」「この星の形」などの作品で民衆の圧倒的な支持を受ける。
 「文壇の神童」は、「大衆文学の旗手」となり、その名を揺るぎ無いものにした。
 その次に、彼に冠された二つ名は「酔いどれ作家」である。
 本来、スピリッツァの酒好きは音にきこえており、13歳当時の作品であるデビュー作「時の階」を含めて、全てに酒にまつわる逸話が登場している。
 愛を込めてつづられるその文章を酒肴に、酒のみの多くは余分に杯を重ねることもしばしばだったという。
 酒場の経営者も、そのことを聞きつけ、自分の店に争ってスピリッツァの新刊をおきたがるという相当奇妙な状況も起こったらしい。
 もっとも「本当にうまい酒の相手は、研ぎ澄まされた塩だけでいい」(「国果つる時」より)という文章は、あまり歓迎されなかったようすではあるが。
 また「酒がうまくなる本を読みたい」という理由で、字を覚えた文盲者たちもそのころにはかなり多かったようである。
 最晩年に書かれた「街道を、酔う」は、酔いどれ作家の真骨頂というべきもので、60をすぎたスピリッツァが、ウシュケ・リブロゥを巡り歩いて、さまざまな酒のことを綴っていった。
 その出来は非常にすばらしく、この一冊によって、スピリッツァは、後世に、大衆作家でもなく、歴史作家でもなく、酔いどれ作家として、その名を記憶されることになるのである。

▲▽▲▽▲▽パラメキア三都物語▲▽▲▽▲▽

<パルテーム〜古の風残すパラメキア第一の都市>

===特徴===
領主、クリストフ・パラメキア伯の直轄地的性格の都市。
もとはクリストフ氏族の拠点だった地域である。
====名所====

◎ダニカパルテーム
領主クリストフ・パラメキア伯と、その家族の居城。その壮麗さは西グラードでも有数の建築物といわれる。
ダニカパルテームの隣は、領主の執務のための建物マニアパルテーム。

◎パルテーム伯特別記念美術館
名工、ギャリクソン・ブルナーが基礎設計をして、その後、ジュミナス・レイが工事の指揮を取った建物の中に、主として過去の記念祭に出品された数々の美術品が置かれている。
また、ここのティールームの紅茶は、領主が嗜むものと同じであるという話。その風聞にふさわしい、味と香りを楽しむことが出来る。御茶請けの一番人気は季節の果物のタルト。
☆所蔵作品リスト(主要一例)
「アリオン・クリストフ一世肖像」(900年ごろ。肖像画。テリオス・サマノイア作)
「船宿の女たち」(1125年。人物入り風景画。マッコイ作)
「静物画」(1238年。静物画。サマセット・アイグナー作)
「巨木のある風景」(1257年。風景画。サマセット・アイグナー作)
「猫と貴婦人」(1262年。肖像画。サマセット・アイグナー作)
「幸福の王女」(1270年。彫刻。ケッフェル・ホクト作)
「12神像」(1258年〜1269年。連作彫刻。ケッフェル・ホクト作)
「禁忌書」(年代不明。書物。作者不明)
その他約150,000点。

◎パルテーム公立建築技術学院
ブルナーとパオ・パリーを記念して創立された建築技術の専門学校。
初代校長はジュミナス・レイの弟子にして、彼の妻であったジェリー・レイ。
奨学金制度あり。

◎パルテーム中央公園
中央広場を基点として、放射状に六本の道路が配置された市民公園。
中央広場には、全長5mにおよぶルカ・クリストフ・パラメキア一世の銅像が置かれている。
遊歩道、自然公園、児童公園、人工池を配した広場などが、ゆとりのあるスペースの中で展開されている。

◎冒険者の宿「剣と理力亭」
パルテームにある冒険者の宿。
主は、ジャービット・タクアンという、46歳の女性。
もともとは夫であるギュネイ・タクアンが経営していたが、5年前の冒険で行方不明に。
「おふくろさん」とよばれる肝っ玉母さんである。
リリーとミリーという双子の娘が店を手伝っている。

◎運輸業者最大手「オデッセイトランスポート」
パルテームに本社を置く、西グラード最大手の運輸業者。社長のヴァニラ・ミルセットは三大商人と対等に近い立場で話ができる、数少ない人物の一人。

==人物==
◎市長/領主
スターム・クリストフ・パラメキア三世: 前例主義的な、パラメキアトロウの領主。大叔父にあたる、アルフレッド・クリストフ・パラメキアを崇拝しているところがある。性格は温厚。

◎市長夫人/領主婦人
アリアンナ・ハイム・パラメキア:旧姓アリアンナ・ナラカミ。ナラカミ氏族の頭領の血縁者。
公務においてはともかく、私的生活では、かなりの嬶天下だというもっぱらのうわさ。
いつまでも少女のような気質が抜けないらしい。

◎領主嫡男
アルフレッド・クリストフ:スタームの長男。アリアンナとの間に生まれた、完全無欠の第一位継承権保持者。性格は正義感が強くはあるが独善的。視野の狭さもすくなからずある。

◎「剣と理力亭」女将
ジャービット・タクアン:パルテームにおける冒険者の活動拠点「剣と理力亭」の肝っ玉母さん。
得意料理は数知れず、オリジナルメニューの豊富さはリックも及ばないほど。恰幅のいい女性で、特に美人ではないが、とにかく慕われている。

◎「パルテーム公立建築技術学院」学長
ディオドラ・カニンガム:パルテーム公立建築技術学院二人目の女性学長。建築理論に明るく、後進の指導の熱心さを買われて、四代目の学長となる。性格は、割と熱血。48歳。

◎「パルテーム伯特別記念美術館」館長
『昼行灯』ギルガメス・ロッジェス:「昼行灯」「恍惚の人」などと揶揄されるパルテーム伯特別記念美術館の老館長。年齢は70前後らしい。
よく昼寝をしている。だが、美術品に関する目利き、知識、技術は、他の追随を許さない、らしい。

◎「酒飲みの子孫」
ペギー・スピリッツァ・エベンス:リヒャルト・スピリッツァの玄孫にあたる少女。作家。性格は破天荒で好奇心旺盛。齢18にして、すでに相当の固定ファンを持つ人気作家である。作風は、恋愛劇が主になる。代表作「冬が巡れば」「ひばりがなくころ」

◎「独立議会」議長
トーマス・ハイデルリッチ・ラナ:ラナ氏族の現頭領にして、独立議会議長。性格は豪放磊落。しかし、頭の中には常に計算が渦巻いている人物。豪快な性格が生来のもので、計算高さは後天性のもの。

◎『騎士団長』
ランフォード・スヴェンセン:スターム・クリストフの古くからの親友。その実力は他の領土にまで鳴り響いている。いかめしい顔とは裏腹に、ウィットに富んだ人物。スタームとは正反対な一面もあるが、馬があっているのだろう。

◎『外務大臣』
サーベンジャー・ロム・ナラカミ:ナラカミ氏族の現当主。アリアンナの叔父に当たる。家庭的で穏やかな人徳者だが、外交問題に当たっては鉄の男と呼ばれている。38歳

◎『内務大臣』
トリエステ・ミー・ナラカミ:何よりもまず、自領土の利益を考える、職務に忠実な内務大臣。ナラカミ氏族の末裔。47歳未婚男性。

<パラメキア地方の道の心臓>ニオパラメキア
現在、パラメキア地方の有力な氏族の二番手、ラナ氏族の聖地があった場所に現れた都市。三大都市のなかで、唯一鉄道がとおる都市として、パラメキアのみならず、ほかの トロウ領との交易の中心になっている。

<名所>
◎ヴァルンツェ大聖堂
壮麗を極めたヴァルンツェ神の大聖堂。
デザイン、設計はギャリクソン・ブルナー。本堂から渡り廊下を越えた両翼の部分は、それぞれ特徴ある博物館になっている。
 右翼は、ヴァルンツェの伝説、神話を集めて、彫刻に仕立て上げた「神代の館」。
 左翼は、ヴァルンツェを中心とした宗教画。その他、聖骸品、各地の宣撫書、そして房事に関するさまざまな資料などが陳列されている「交歓の間」。
 また、本殿を突っ切った裏庭にあたる空間に、この地方独特の大地母神エルラーサを祭る神殿というか、社がある。
 エルラーサの教義は、食物連鎖により、世界が成り立つ。食うものも食われるものも、等しく尊い。という教え。
 「死もひとつの恵みである」という言葉が、教義の象徴として、よく用いられる。

◎中央市場
多くの露天が建ち並ぶ市場。ニオパラメキア中央公園の脇の大通りに、いつのころからか店店が集まっていた。
厳密に言えば、違法的存在なのではあるが、もはや誰も何も言わない。主に三つの部分から成り立っていて、北の部分には、食べ物の露天。中央部は、骨董品などの露天。南部には、日用雑貨の露天が主として並んでいる。

◎ニオパラメキア近代美術館
パルテームにある、パルテーム伯特別記念美術館が、第一次芸術祭以前のものを所蔵しているのに対し、ニオパラメキア近代美術館は、主にそれ以降の、いわゆる近代〜現代の作品を主として展示している。
美術史の中で幾度か表れた「抽象の時代」に、また飛び込みつつある時代のものになっている。
三年に一度行われるニオパラメキア近代美術館展では、画壇の若手作家などの作品の中から、特に優秀なものを表彰する慣例が確立されている。俗称「ニオパラ美術賞」
<代表的収蔵品>
『奇怪な隣人』(彫刻、1310年ごろ メルウ・ベッケンアー作)
『物言わぬ巨人』(絵画、1300年、シュマッサー作)
『エリアーナ・ラナ』(絵画、1321年ごろ、シュマッサー作)
『がけを駆け下る騎兵』(フレスコ画、1313年コーダリ、エルテ、ヴィッセンバウアー合作)

◎四界の塔
ニオパラメキアの町の中、四箇所に立てられた、天をつくかと見まごうばかりの塔。
四界が何をさすのかは、諸説紛紛。都市計画に携わったものたちも、そのネーミングの意図を絞りきれていなかった。都市計画の中心人物、パオ・パリーの命名だが、その意味は黙して語らず。
「生死老病」「東西南北」「天地空混」「神人獣魔」など、いろいろといわれていて、もっともらしい理由もいくつかあったりする。
ただ、その頂点から見下ろす風景は絶景。

◎ニオパラメキア記念館
パラメキア地方の過去の歴史、風俗に関する資料館。独特の民族衣装や、麦を効率よくひく工夫など、地方色豊かな記念館として親しまれている。

補足:地母神エルラーサ
 「死もひとつの恵みである」という言葉で始まる口伝で、エルラーサの教義は伝えられる。食物連鎖のことを言っており、その頂点にある高等肉食動物なども、いずれは地にかえり草を育てる。死を恐れることなく、あるがままを受け入れ、やがて死んでいくことが生命としての使命を全うすることになる

<人物>

◎ダニエル・マリオ・ラナ
現在のラナ氏族の第二総領。ニオパラメキアでは、それは市長と同じ意味合いを持つ。
温厚篤実な人物。才気ばしったところがない。

◎エリアーナ・ラナ
ヴァルンツェ大神殿の奥にある、大地母神エルラーサの神殿で唯一の司祭として存在しているダニエルの伯母。

<フラウ〜グラード大陸最高の芸術の町>
前世紀に、あまたの天才たちの群像を生んだ奇跡の都市。
「フラウリーベル」とよばれる、その時代の芸術家たちが存在しなかったとしたら、芸術分野において、少なくともあと150年は進歩がなかったといわれている。

名所

◎大フラウ美術博物館
『芸術の都』フラウが前世紀に生み出した100年の、傑出した美術家、学者たち、いわゆる『フラウリーベル』を記念して作られた巨大な美術博物館。
館長はサマランジェ・ラッセル。

代表所蔵物
『この星の地形』(素描1298年ごろ発見 ケッフェル・ホクト作)
『家族』(油絵1240年ごろ サマセット・アイグナー作)
『オラトリオ』(1268年 ピアノ演奏のための楽譜 ジャミナール・エリエルフリード作曲)
『歌劇『白い山の大蛇』』(1287年初演作品 歌劇台本 フェイ・ミルドアート 原作、脚本、監督)

◎フラウセントラルパーク(芸術家の小道)
国定公園。その西側から中心部にいたる『芸術家の小道』とよばれる散策路にはフラウリーベルたちの足跡をたどるための説明などがあちこちにあり、彼らがたむろしていた『波打ち際』という喫茶店も、当時の姿を模して、たたずんでいる。

◎フラウ国営美術記念館
大フラウ記念美術博物館が、フラウリーベルの足跡を中心に展示しているのに比して、このフラウ国営美術記念館は国外の美術家、作家たちの作品を多く展示している。
館長はラッセルの血縁ウィンストン・ササリール。

代表所蔵物
『馬車 希望号』(彫刻 1156年 ダジコット・マイアヒ)
『ダランデュラン』(宝剣 年代、作者不明)
『真夏の果実』(静物画 1268年 アブドル・リーベー)

◎波打ち際:フラウセントラルパークのはずれにある、小さなカフェバー。ここの初代は、無名時代のフラウリーベルたちのよき理解者であり、支援者であった。いつも腹をすかしている彼らに、ただ同然でものを食べさせたり、寝る場所を提供したりと、その親切は波ではなかった様子である。
フラウリーベルの代表的存在であるサマセット・アイグナーは『親の愛を知らぬ私が、仮初とはいえ、家庭を描くことができ、また、それによって僅かの成功を収めうることができたのは、波打ち際の面々の薫陶に他ならない』と言っている。
三階建ての建物で、一階がカフェバー、二階三階は、客向けの宿、というつくりだったが、現在は一階のカフェバーのみの営業。二階より上は保全されている。現在の店主は4代目に当たる。カサンドロ・メーベルグリューン。28歳女性。

人物
◎『美の都の守護女神』
 ユーフィアナ・ヒッチコック:フラウの町の治安を守る衛視隊の隊長。その美貌は三都に聞こえ、人々は彼女を『美の守護女神』と内外で呼び習わしている。キアヌ・ヒッチコックの子孫のなかで、唯一顕職についている人物。
「この都に眠る美術品は、それはすばらしいものだと、私も認める。だが、私はもっとすばらしいものを守っているという、その自負にこそ、誇りを感じる」

◎大フラウ美術博物館館長
サマランジェ・ラッセル:独創的な美術史観を持つ奇人。ナラカミ氏族に連なる貴族の三男と、フラウリーベルの一員モーラ・モーリアの長女のあいだに生まれた。生まれのせいか、非常に強い美術への愛情と優れた政治的感覚を持ち合わせる。

◎『大フラウ国営美術記念館館長』
ウィンストン・ササリール:個人的な美術品の収集にも熱心な館長。専攻は彫刻、特に大革命以前の彫刻家がメイン。美術家を志す有望な青年たちに、個人的なパトロンになってやってもいる。

◎カサンドロ・メーベルグリューン:波打ち際の4代目。ペギー・スピリッツァ・エベンスとは個人的な知己。コーヒーと紅茶の入れ方は絶妙だが、料理のほうは今ひとつ。そっちは夫に任せているらしい。

▲▽▲▽▲▽風土、民話▲▽▲▽▲▽
ウシュケ・リブロウを通ってはじめてパルテーム地方を訪れる旅人たちは、まずその建物の白さと海のコントラストに息をのむ。
ブルナー、パオ・パリーの生まれ出でた土地、いわば肝いりの場ではあるものの、その建築様式や、都市構造は古来のものを変わらず受け継いでいる。
気候は穏やかで、地方によってはかなりの長寿村というのが存在するようである。
パラメキア地方の歴史を知るものは、この土地の彼らの気質に少なからず違和感を覚えることがしばしばなようだ。
内に向けられた情熱と意識と反発は激しいものの、外へ向けられる野心というものには、まったくといっていいほど無縁なのである。
客人をもてなすこと、一方ではない。
それというのも、パラメキア地方の三都、パルテーム、ニオパラメキア、フラウが現れる前に存在した、部族たちの都は、はるかな昔天から天下ってきたマレビトによってつくられたものであるという民話(あるいは神話)が存在するためである。
そのような気質を持つパラメキアの民が、なぜこれほどまでに トロウという宗主国に反感を抱くのか、それは、歴史の波と、人々の心の闇の中に落ち込んでしまい、誰も知ることはできないのかもしれない。
次の御伽噺は、遥昔から語り継がれてきた、もっとも馴染み深い御伽噺である。

 『昔々、子の大地には、人を食べてしまう恐ろしい魔獣にあふれていました。
人々は、身を寄せ合いながら、息を潜めて魔獣から逃れて生きていました。
男たちの中で、勇敢なものは、魔獣を退治しに行きますが、誰一人として帰ってきません。
それでも、一人、また一人と、魔獣を倒しに、出かけていくのです。
そうしなければ、生きていけないからです。
そんなある日、人々の前に、三人の旅人が姿を現しました。
彼らは、危険な平原や、恐ろしい森を抜けて、ここまでたどり着いたのです。
旅人の話す言葉は、人々にはわかりませんでしたが、それでも、旅人は人々のために、魔獣を倒し始めました。
一人は弓を持って魔獣を倒し、一人は、その魔獣から悪しき心を抜き去り、一人は、魔獣の死骸を土に返します。
一月もしたころ、地上には、魔獣の姿は消えていました。
そして、人々に、この大地の三箇所に、あっという間に町を作り出してしまいました。
人々は大いに喜んで旅人の名前を尋ねました。
旅人のうちの一人、魔獣のむくろを土に返した女性だけがひとこと「エルラーサ」と言いました。
それが、旅人の名前だったのかどうかはわかりません。が、人々は彼女をそう呼びました。
その次の春。
土に返った魔獣を糧に、今まで実ったこともないような立派な小麦が、見渡す限りに頭をたれていました。
人々は、旅人が作った三つの町で、幸せに暮らせるようになりました』

▲▽▲▽▲▽歴史年表(簡略)▲▽▲▽▲▽

1132 トロウの進行作戦への抵抗、「二十年戦争」開始。
1152 クリストフ氏族、「二十年戦争」での、トロウへの抵抗を終了する声明を発表。
   ラナ氏族、「二十年戦争」での、トロウへの抵抗を終了する声明を発表。
   ナラカミ氏族、「二十年戦争」での、トロウへの抵抗を終了する声明を発表。
1153 イスマイア盆地において最後の反トロウ勢力エフロム氏族との合戦。
   パラメキア地方、パラメキアトロウとなる。初代領主はルカ・クリストフ・パラメキア子爵。
1155 トロウ本国からの政策とは別に、パラメキアトロウ独自の政策を制定するための議会「パラメキア独立議会」の発足。ルカ・クリストフ・パラメキア自身が初代議長となる。
1156 パラメキア独立議会において、「刑法」制定。
1157〜1160 この時期、反トロウ組織が乱立する。「パラメキア解放戦線」「パラメキア自由旅団」も、同じ時期に成立したと思われる。
1168 エフロム族の叛乱。
1169 エフロム族の叛乱、終結。
   ルカ・クリストフ・パラメキア死去。死後伯爵。
   長男スタームが、クリストフ・パラメキア伯爵を相続。二代目領主となる。
1171 パラメキア解放戦線によるパルテーム連続爆発テロ。死者650人。負傷者不明。
1181 第二次エフロム族の叛乱。
1183 エフロム族の叛乱鎮圧中に、スターム・クリストフ・パラメキア一世戦死。
   スターム一世の娘婿、ユーゴが、三代目領主ユーゴ・クリストフ・パラメキアになる。
   エフロム族の叛乱、終結。首謀者キアヌ・ヒッチコックは死罪。
1192 ラナ氏族の聖地、ニオを、ニオパラメキアとして再開発開始。
1197 ユーゴ・クリストフ・パラメキア一世、死去。
   ユーゴ一世の三男、ヨハンがヨハネス・クリストフ・パラメキア伯に。
1200 トロウ本国より、治安維持の名目で本国特殊部隊の駐屯を強要されるが、ヨハネス・クリストフ・パラメキアはこれを拒否。
1203 五十年祭にあわせて、パルテームのヴァルンツェ神殿、新たになる。設計はギャリクソン・ブルナー。
1215 ヨハネス・クリストフ・パラメキアの長男シェンと、トロウ王家の外戚、ライナノール伯の三女ウェンディとの婚姻。
1220 ヨハネス死去。長男のシェン、シェン・クリストフ・パラメキア伯に。
1222 シェン・クリストフ・パラメキア、反政府組織の撲滅に乗り出す。その後、5年をまたずして、「パラメキア解放戦線」と「パラメキア自由旅団」をのぞく、ほとんどの反政府組織が壊滅。
1230 シェン・クリストフ・パラメキア、外遊中に暗殺される。暗殺の実行犯は、トロウ本国在住の学生。背後関係は不明。ウェンディ・ライナノールが暫定領主となる。
1231 トロウ本国より、パラメキア地方の暫定領主としてウェンディの実兄、ライナノール伯ヴァリーが派遣されるも、ウェンディー・ライナノールがこれを固辞。
1232 トロウ統治に対する大集会とデモ。治安維持部隊と衝突し、死傷者700余名。
1234 シェンとウェンディの長女、アリアスが15歳になったことにより、相続権が発生。パラメキア地方最初の女性領主となり、「ライナノールの兄妹げんか」と呼ばれる外交の終結。
1240 パラメキア解放戦線と、パラメキア自由旅団より、ウェンディ・ライナノール、クリストフ・パラメキア伯アリアス支持の声明。
1252 統治百年祭。リヒャルト・スピリッツァ「街道を、酔う」を著す。
1253 パオ・パリー、「建築体系」を著す。
1260 ニオパラメキア再開発、パオ・パリーの都市計画を根幹に据える。
1263 パルテームにある、領主の居城「ダニカパルテーム」の改修開始。完成は1280年予定。基礎設計は、パオ・パリーの弟子、ジェミナス・レイ。
1265 ウェンディ・ライナノール、死去。国葬。
1270 パラメキア地方全土で、年間を挙げた「芸術大祭」の開催。驚異的な成功を収める。観光部門の収益は、前年度比750%以上。
1271 クリストフ・パラメキア伯アリアス死去。長男、スタームがクリストフ・パラメキア伯スターム二世となる。
1280 スターム・クリストフ・パラメキア伯、病没。弟のアルフレッドが、クリストフ・パラメキア伯を相続。
1281 「ダニカパルテーム」改修完了。
1292 「開明王」アルフレッド・クリストフ・パラメキア伯、ニオパラメキアに鉄道を誘致。地理的な条件により、パルテームへの誘致は断念。
1298 アルフレッド・クリストフ・パラメキア、パルテーム・ニオパラメキア間特別鉄道の敷設を開始。
1302 パラメキア・トロウ誕生150年祭に合わせ、リヒャルト・スピリッツァや、パオ・パリーの故郷フラウに世界初の芸術家の養成機関「パラメキア芸術学院」を創立。
1303 アルフレッド・クリストフ・パラメキア伯、死去、国葬。故スターム伯の長男ヴァリウム、クリストフ・パラメキア伯ヴァリウムとなる。
1305 パルテーム、ニオパラメキア、フラウの三大都市を結ぶ「パルテーム公営鉄道」の運行開始。
1310 ニオパラメキア都市計画第一段階の完結。将来的には100万人の人口を擁することが可能。
1320 第二回芸術大祭開催。
1331 クリストフ・パラメキア伯ヴァリウム死去。長男スタームが跡目を相続。
1342 スターム・クリストフ・パラメキア三世の嫡男、アルフレッド、行方不明に。

▲▽▲▽1342以降の出来事▲▽▲▽
アルフレッド二世は1352年、パラメキア地方領主としての地位を相続、治世者としては、優秀であった。
 ところが、アルフレッド二世は、相続の五年後突然の変死を遂げる。
 そのアルフレッド二世の急逝をうけて、嫡男であるスターム・クリストフが27歳の若さで領主となった。家督を継ぎ、伯爵。
 現在は、凡庸と見られているこのスターム・クリストフ・パラメキア四世の真価はよきにつけ悪しきにつけ、未知数といったところである。
 アルフレッド二世の急逝には、謀殺の声もあり、その影にいるのは、トロウ本国の重臣であるとか、急進的な解放運動を嫌ったパラメキア自由旅団であるとか、あるいはスターム・クリストフ四世であるといったように、さまざまな憶測が現在も飛び交っている。



担当者:菊千代


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