2002年4月末から5月末まで会社のリフレッシュ休暇を利用してロシアとヨーロッパを旅行した。自分にとっては初の海外1人旅だったが、欲張って35日間にもなってしまった。無事に帰国できて今はホッとしているが、事前に読んだネット上の数々の旅行記は大変参考になった。こんなスケジュールで旅行することはもう無いかもしれないが、誰かがこれを読んで参考にしてくれたら幸いに思う。
と言っても旅行記を書くのは初めてということもあり、いざ書き始めてみると、なにから書いていいのか迷ってしまいなかなか進んでいなかった。 帰国後3ヶ月してようやくペースを掴み始めたが、やはり所々記憶が曖昧になって来ている。旅行中マメに日記はつけていたつもりだったがいざ書き始めてみると結構抜けが多い。その都度色々資料を調べながら進めていくが、こんなことをしていたら終わるのはいつになることやら。もう正確に書くのは諦めた方がいいのかもしれない。この旅行記を参考にする人には申し訳ないが、多少の誤記には目をつぶってもらおう。
会社のリフレッシュ休暇は1ヶ月もらえるが、色々忙しくすぐには取れなかった。取得期限が来年に迫り、そろそろ準備を始めなければと、取得日をとりあえず5月頃と考え1年前より検討を始めていた。漠然と1人で海外に行こうとは決めていたが、特に何処へというところもなく、とりあえず世界地図を買ってながめていたが、まだ時間が有ったせいか、なかなか決まらず数ヶ月が過ぎてしまった。
そろそろ具体的に検討を進めなければと思っていた9月に入ったある時、雑誌を眺めていたら北朝鮮の金正日総書記がシベリア鉄道でロシア訪問した内容が出ていた。シベリア鉄道か…、乗ってみたいけどロシアなんて簡単には行けないだろうと自分の旅行先として現実的には考えられず、その時はそのまま読み流した。
その数日後、例の米国同時多発テロが有り旅行の計画はしばらく遠のいてしまった。再び検討を始めたのは12月に入ってアフガン情勢が収まり始めてからだった。なぜかロシアが気になっていた。どうせ行くならマイナーな所へ行きたいと思っていた俺には合ってるかも知れない。世界最長の鉄道でシベリアの大地を見たい気もするし、赤の広場やクレムリンにも行って見たい。かつてはアメリカと並ぶ超大国であった旧ソ連には前から少し興味が有ったせいかもしれないが、10年前のソ連崩壊以来変わりつつある今のロシアを見ておきたい気も有って、一応ネットで調べてみた。
検索エンジンで「シベリア鉄道」や「ロシア」などキーワードを打ち込んでみると、思っていたよりもシベリア鉄道やロシアの旅行記が結構出ていて、それもほとんど個人旅行でびっくりしたが、初の海外がシベリア鉄道一人旅の人も何人かいた。自分は今まで旅をしてこなかったので他人の旅行記を読む機会が無かったが、「なんだ、これじゃあ俺でも行けるかも」と一通り読んだら少し自信が湧いてきた。しかし皆すごい。ロシア語喋れなくても、海外行った事無くても、行ってしまうんだからたいしたもんだ。それに引き換え俺は出張や旅行で何回か海外には行ってるのにさすがに1人でロシアとなるとビビッてしまう。どうもロシアって小説や映画で見たKGBや最近のマフィアのイメージが強く旅行するには危険な気がするが、なんとなくこの危険な雰囲気にも惹かれた。
他にも行きたい候補地は有ったが、時間も無いのでこの時点でロシア行きを決断した。根拠はないがなんとなくテロの心配も無いような気もして、さっそく「地球の歩き方」シベリア版とロシア版を買い検討に入った。
あまり日本人には合いたくなかったので出発時期は5月の連休明けにして、シベリア鉄道始発駅のウラジオストクから終点のモスクワまで一気に乗ろうと思っていたが、一週間もかかると分かり断念。いきなり9300kmは長すぎると思い、イルクーツクで一旦下車して(それでも4000km有る)モスクワまで行こうと検討し始めた。まずウラジオストックに飛行機で行き、そこからシベリア鉄道でイルクーツク下車、バイカル湖を見てから、再びシベリア鉄道でモスクワを目指すことにする。モスクワでは、何と言ってもクレムリンだけは見ておこうと思っていたが、他には特に知っている所が無いので現地で決めようと思いモスクワに3泊、ついでにロシア第2の都市サンクトペテルブルグに2泊して帰国する予定を考えた。これで半月強の行程になる。何せ初の一人旅で行った事の無い所に行くとなると、体が持つか心配で休暇の前半に旅行をして後半はゆっくり体を休めて再出社に備えるのが妥当かなと考え、この時はリフレッシュの一ヶ月をフルに旅行に当てることは頭になかった。
しかし年が明けて色々旅行記を見ていたら、ロシアからヨーロッパへ行った人の話しも出ていて、読んでいくうちに、めったに取れない休暇だしロシアだけではもったいないと思い始め、次第に他の国にも行ってみたくなってきた。あるときネットで「海外F-1観戦ガイド」なるホームぺージを見つけた。オレは元々車好きで学生時代から国内のレース観戦には良く行き、就職してからはカートレースにも10年位出ていた。鈴鹿にF-1を見に行ったことも有って、いつかは海外のF-1にも行ってみたいと考えていたが、最近はしばらくレースの世界からは遠ざかっていたので、以前行きたいと思っていたことはすっかり忘れていた。
ホームぺージの中を見るとF-1全戦のサーキットまでの移動やチケットの購入など個人で行く場合の方法が事細かに出ていて、意外と簡単に行ける事がわかった。「おお、これだ」読んで行くうちにだんだん以前行きたかった気持ちが蘇ってきた。ツアーでは簡単に行けるが、どうせ行くなら個人で行きたい。その方法がここには詳しく出ている。
さっそく今シーズンのスケジュールをF-1サイトで確認すると5月にはオーストリアGPとモナコGPが有るではないか、観戦ガイドではモナコはチケット入手が困難で高価だが、オーストリアは比較的手に入りやすく安価だと出ている。チケット販売店で買えなくても最悪ダフ屋から買えるとのこと。
移動はウイーンからレンタカーか列車が有るが、行くならレンタカーだな、実は昔ヨーロッパを車でドライブしたいと思っていた。この際それも実現させよう。金はかかるがそれも仕方ない。今年は久しぶりに日本人の佐藤琢磨も出るし、よし行ってみるかとロシアとオーストリアGPに行く日程を検討する。
当初GW明け出発の予定だったが、GP決勝日は5月12日、どうせなら金曜から見たい。ロシアから入るとなると出発を前倒しするしかないが、GW初日に出てもシベリア鉄道全線乗っていたら間に合わない。ロシアを後にすれば可能だが、それだとモスクワかサンクトから入ることになる。いきなりロシアの大都市は恐い気がするし、頼りになる他人の旅行記はウラジオからのものしかなかった。初めて行くことを考えると、イルクーツク→モスクワは飛行機にするしかないようだ。これで19日間の旅行だ。帰国後も休暇がまだ2週間も有るからこれくらいで丁度いいかとこの時は考えていた。
しかしまだ何か物足りない気がしていた。考えてみればこんな機会はめったにないし、行けるときに行っとかないと二度と行けないかも知れない。そう思うとせこいこと言わずに休暇をフルに使わないともったいないなと思えてきた。どうせならモナコも行ってみるか・・・。決勝は無理かも知れないが予選ならチケットがまだ手に入りやすいと書いてある。モナコの決勝は5月26日、リフレッシュ中に何とか帰って来れる。モナコと言えばF-1の聖地とも言われるところ。ここで伝統の市街地レース、モナコGPが休暇中に開催されるとなれば行かない手はないな、「今しかない」やっぱりモナコへ行こう。しかし、5月末ならWCの開幕直前だ、帰国便のチケットが取れ無いかもしれない。駄目な場合を考えて、その前にレースはないかネットで調べてみる。有った!、フランスのポーでF3が有る。ここも一般的には知名度が低いが古くからの市街地レースで、F-1を目指すヨーロッパ各国のF-3シリーズ上位ドライバーが集結する。この中から数年後のF-1チャンピオンが出るかも知れない。去年、日本の福田良が2位になったレースだ、おそらく今年も日本人が出るは ずだ。これにしよう。F-1もそうだが、やっぱり日本人が出ていないと盛り上がって見れない気がする。これってイチローや中田の試合を日本人が見に行くのと同じで、異国の地で活躍するのを見たいという欲求は日本人なら誰でも有ることなのだろうか。それがテレビではなく生で見れるなら、その感動の度合いもはるかに高いのかも知れない。でも、旅先で日本人には会いたくないと思っているのにちょっと矛盾していないか。
経路はロシアのサンクトペテルブルグからウイーンに飛行機で移動し、オーストリアGP後モナコに近いニースに飛行機で移動、そこからレンタカーでポーまで行きF3を見て、再びニースに戻ってモナコGPを観戦し帰国。レンタカーの移動距離は約800Km。ちょっとハードだが、これで行こう。こうして休暇をフルに使う決断をしてしまった。
しかしこの時はまだ何も予約出来ていないし幻の計画に終わるかも知れなかった。自分自身全部は無理だろうと思っていた。それにしても、ロシアとF-1なんて組み合わせのヤツなんて他にいるんだろうか。
すでに2月になってしまったが、やっとここから本格的な準備に入った。まずは今回の旅行で唯一ビザが必要なロシアからだ。色々調べるとロシアのビザ取得は面倒で、航空券や列車などの交通手段とホテルの予約が取れてないとビザが取れないそうで、俺みたいなロシアにコネも無ければ、ロシア語も喋れない人間が予約を取ることは不可能なので、旅行代理店で取ってもらうしかない。ちなみに北京から行くルートだと予約が無くても取れるそうだ。代理店はロシア専門の代理店でないと駄目なようで、ここに旅行予定(ロシア出国まで)を送って見積もりを出してもらい、旅行の申し込みをする。それを元に代理店がロシアに予約を入れる。予約が取れたらロシアから代理店にバウチャー(予約証明書)が送られてくるので、そのバウチャーとパスポートをロシア大使館に出すと1週間位でビザが取れるとのこと(ここは自分でやっても良いそうだが、面倒なので代理店に依頼した)。
3月初め、ガイドブックに広告が出ていた大手のロシア専門代理店3社にネットから見積もり依頼を出した。数日後、1社からメールで返事がきた。このまま話しを進めようと思ったが、ネットの掲示板とかを見ると見積もりは数社に出して比較した方がいいと出ているので、念のため他にもと思い、大手ではないがホームぺージが結構詳しかった代理店にも依頼を出した。出てきた回答は大手より2万円位安かった。同じ経路なのになんでこんなに違うんだろう。大手じゃないので安心感は少ないが、メールの回答内容や電話の対応が良かったため、ここと話しを進めることにした。
この時の予定はGW初日の4月28日に富山空港からウラジオストックに渡るつもりだった。この飛行機は何と定員22名!こんな国際線が有るとはびっくりだが、人の旅行記に出ていたので、ちょっと恐いがスリルを味わいたい気がしていた。代理店の話だと飛行機の定員が少ないので、予約が取れるかわからないとのこと。しかし出発を遅らすとロシアを短くしなければならないが、それはしたく無かった。とりあえず聞いてもらうことにする。すぐに返事は来たがやはり満席だった。もう3月だし、GWの便なら取れるわけ無いか。仕方なく出発を1日前倒しして関空から発つことにする。こっちの飛行機は定員100人以上あるからか難なく取れた。最初の予定ではオーストリアの日程が厳しかったから、これで1日余裕が出来るのは丁度いいかも知れない。ただ心配なことは、リフレッシュ休暇を4月30日から5月29日にするつもりだから、出発日は目立たないように休みを取るしかない。フライングスタートはギリギリまで言わないことにしよう。
旅行代理店に申し込み書をFAXし、パスポートと写真を郵送した。あとはロシア分の全ての予約とビザが取れるのを待つだけだ。ロシアからオーストリアはチェコのプラハで乗り換えだが、時間の関係で1泊になるので、ここのホテル予約もついでに頼んだ。代理店で扱うのはここまでだ、このあとは自分でやるしかない。ちなみに、サンクト→ウイーン直行便は有るが割引運賃が無く、プラハでは乗り継ぎ時間が最低1時間と規定されているので、1時間以内の便は有るが乗ることは出来ず1泊になった。
すでに3月も中旬にさしかかり、だんだん焦り出していた。早く帰国便を確保しなければ…。ネットでいろいろ調べてみたが、往復の格安航空券ばかりで片道帰国券を扱っている所は、全然見つからなかった。正規運賃なら買えるだろうと、航空会社に聞いたら何と42万円!!こりゃ駄目だ、買えねえよ。それにしてもなんでこんなに高いんだ? 往復券なら6万円台からあるのに…。往復券の復路破棄は出来るらしいが、逆は無理みたいだ。あとは海外発券しかないか…。
人の旅行記を見ると海外から送ってもらう手もあった。一応HISパリ支店のホームページを見てみると、里帰り便の片道券が8万円位で出ていた。それでも往復より高いが、もう時間もないから予約と郵送依頼のメールを出した。しかし1週間たっても返事がこなかった。
仕方なく国内のサイトを探し1社だけ扱っている所を見つけたが価格は13万円台、まだ高い。3月30日、念のためHISフランクフルト支店にもメールを出した。その直後やっとHISパリ支店から返事があった。遅れたのはシステムトラブルが原因とのこと。予約は取れたが、5月25日だった。やっぱりモナコは諦めるしかないか。どうしようか…。
担当は来週休暇で支払期限は4月10日とのこと。時間が無いがとりあえずフランクフルトからの返事を待つことにする。そろそろ会社にも言わないとならない。ここまで言わずに来たのは、行きたい時期でOKが出ないことも考えたからで、先に予約を取ってしまえばすんなり行くとの予想だった。上司に言うと予想通りすんなりOKが出た。しかし、フライングスタートのことはまだ早いと思い言わなかった。
4月2日になってHISフランクフルト支店から幸運にも5月28日の便が空いているとメールが来た。俺ってついてるかも。成田着はリフレッシュ休暇最終日の5月29日午後だ、自宅に着くのは夜になる。休む間もなく翌日から出勤になるが、それも仕方が無い。すぐ予約依頼のメールを出したら、次の日に予約が取れたと返信が来た。航空券の発送は郵送では3週間位かかるとのことなので、少し高いが宅配便(5日)を頼んだ。
パリ支店の方はキャンセルメールを出したが、サーバーにユーザー名が無いとの返信が来てしまった。休暇のはずなのに何でだ、会社を辞めてしまったのか、それとも休暇中は受信できないようにしているのかどっちなんだろう。確かに前のメールでは休暇中はFAXでと出ていたが…。とりあえずFAXしてみると1週間後キャンセルしたとのメールが来てホッとした。
航空券手配と平行して、ホテルとレンタカーの予約、保険の加入を行った。これもネットから簡単に出来た、世の中便利になったもんだ。ホテルはオーストリアとフランス分でどちらも入国後の2日間だけにして、残りは現地で探すことにした。旅行記やガイドブックを見てみると、ヨーロッパの空港や駅、町の中心には i のマークがあるツーリストインフォメーション(観光案内所)があり、ここでは地図の配布やホテルの紹介・予約もやっているとのことで、予約してなくても大抵見つかるそうだ。こんなことは個人旅行ビギナーの俺は知らなかったが、良く行く人には常識なんだろうな。
ネットでのホテル予約は、「旅の窓口」というページから行った。このページからは日本を含めた世界中の主な都市のホテルが予約できる。やり方は簡単で、行きたい都市を選ぶと登録されているホテルのリスト(内容は金額や予約状況など)が出てくるので、ホテルを選んでOKすると予約が出来る。この後予約確認メールが来るので、この内容をプリントしてチェックイン時に渡すだけだ。このぺージからは各ホテルのホームページもリンクされており、地図などの詳細情報も手に入る。
レンタカーは営業所の数の多さとネットで予約と支払が出来るのが理由でHertzにした。オーストリアのウイーンからF-1サーキットのA1リンクまでの往復4日間と、フランスのニースからF-3開催都市のポーまでの往復7日間で、どちらも一番安い車を予約した。2つ合わせると1000Km以上になる。フランスの方が日数が長いのに1週間以上だと割り引きになるのか料金は30ユーロ程安かった。
…っと、ここまでやってからオーストリア→フランスの航空券を頼むのを忘れていたことに気づき、慌ててHISフランクフルトにメールした。幸い予約はすぐ取れた。往復券になるが復路は破棄してかまわないとのことだ。帰国便の券と一緒に送ってもらうことにする。
これで出発前にやっておく予約は全て終わった。ロシア旅行の代理店からは予約の進捗メールが来ていた。ホテル予約があと1つで完了とのことだった。これが取れればビザが下りる。いよいよ去年から何ヶ月も思い描いてきた事がだんだん現実に近づいて来た。それにしても1ヶ月前の本格的な準備開始から短い時間で良くここまで来たもんだ、準備をしながらだんだん自分が旅行モードに入って来ているのか、会社から帰ってメールを見るのが楽しみだった。後はロシア旅行代理店からの予約完了メールを待っていた。
ところが、前のメールを見ていたらオーストリア→フランスの航空券の日付けが違っていることに気づいた。「しまった!!」頼んだ日が5月24日になっている!!。14日の間違いだ、「ヤバイ」取れなかったらどうしよう。一瞬不安がよぎる。それにしてもなんでこんなところで間違ったんだ。とりあえず変更依頼メールを出したら、運のいいことに予約は取れ、心配は杞憂に終わった。「良かった」やはり俺はついているかも。ひとまずホッとする。
次の日の4月9日にロシア分の残りの予約が取れたとメールが入った。いろいろあったが、これでようやく完了した。後は、パスポートと航空券の到着を待つだけだ。出発まであと半月ほど、カウントダウンは始まっている。ここまで来るともう後戻りは出来ない。それにしても、欲張りなスケジュールを組んでしまったものだ。飛行機に8回乗って、列車は4000Kmでレンタカーは1500Km。我ながら感心する。自分で計画して手配するのって結構面白いもんだ。
ここで会社の仕事の関係者にもリフレッシュ休暇メールを出した。ラッキーなことにあまり何処に行くか聞いてくる人がいなかった。いい傾向だ。とにかく目立たないように出発したかった。俺の計画を知れば無謀だという反響が大きいのではないかと心配していたし、あまり話題になっても困るから。
近所や親戚には出張に行くと言って嘘をついた。リフレッシュ休暇1ヶ月なんてまだ回りでは一般的ではないし、いい年こいて1ヶ月の海外旅行なんて実に贅沢な話で、この景気の悪い時だと言いにくかったから。前に出張で2ヶ月海外に行ったこともあったので、ほとんど怪しまれなかった。
予約が取れたところで、国際免許の取得と荷物の準備を始めた。国際免許は会社の出張で10年以上前に取って以来久しぶりだ。スーツケースはネットで購入した。大型のローラーが2個付いた伸縮取っ手のタイプだ。「歩き方」を見るとロシアは空港での荷抜きが多いとか書いてあるので、ハードタイプを選んだ。バックパックもいいかなと思ったが、行く所がスーツケースの方が都合がいい感じがしたためだ。カメラは1眼レフを持っていこうと思ったが、望遠もあるから嵩張るし、1ヶ月じゃあフィルムも沢山使うだろうと、思い切って10倍望遠付きのデジカメを買ってしまった。外国で知らない道を走るわけだから標識が見えないのは心配だからとメガネも新しくした。後の荷物は人の旅行記などを参考にリストを作りそれに沿ってそろえた。旅行記を見るとシベリア鉄道の同室者には何か渡たした方がいいと出ていたので、男用にはライター、女・子供用には折り紙を買った。絵葉書も日本の代表的な風景を集めたものを探していたが、見つからず断念した。さてどんな人が同室になるのやら。男だったらウォッカでつぶされそうだから、女の方がいいか 。
次の週の4月14日にロシア旅行の代理店から請求書が届き、お金を振り込んだ。15日に航空券のリコンファームが気になりメールで問い合わせたところ、不要との返事。16日にHISから航空券が届いた。残るはパスポートとロシア分の航空券とビザ等一式を待つだけとなった。メールでは4月20日着で送ると書いてあったが、もう時間も無いし、ちゃんと来るんだろうか…、遅れたらすべてがパーだ。少し不安になる。
最初はもっと前に準備を終えてゆっくり出発を待つつもりだったが、性格的にせっぱ詰まってこないと、なかなか動き出さないところがあるので、結局こうなってしまった。まあ、とりあえず待つしかない。
待っている間にお金の用意をした。ロシア用にドル、ヨーロッパ用にユーロとユーロのT/C。ロシアの通貨はルーブルだが日本の銀行では手に入らないので、入国後両替するしかない。持っていくのは日本円よりドルの方がいいらしい。ドルで支払い出来る所も多いそうだ。
4月20日の11時頃ようやく待望の郵便が届いた。さっそく中身を確認する。パスポートにはロシアのビザが貼ってあった。「ほーっ!これがロシアのビザか」なかなか格調高い感じ。これを持っているヤツは会社で俺だけかも。何だか優越感がある。ロシア語と英語表記だ。俺の名前もロシア語だと読めねーな。キリル文字とか言うそうだけど、少し覚えとかないと。実はこの時まで予約とかで忙しく、キリル文字もロシア語もほとんど勉強してなかった。まったくこんなんでいいのか?。人の旅行記を読むとロシア語出来なくても何とか行ってこれるとか書いてあるのも有ったから、ちょっと安心しすぎてたのかも知れない。ただ、どの旅行記もキリル文字は読めた方がいいと出ているから、これだけは覚えておくか。モスクワとサンクトペテルブルグでは地下鉄で移動するから、駅名くらいは読めないと。
パスポートには他に入国カードと出国カードがホチキス止めしてあった。封筒の中には他に航空券、シベリア鉄道の切符、バウチャー、プラハのホテルクーポン券が入っていた。バウチャーはホテルの予約証明書で、これを各ホテルにチェックインする度にフロントにパスポートと一緒に出して登録手続きをすることになっている。これをしないと警察に止められた時にまずいことになるそうだ。何だか面倒くさそうだ。
今日と明日は出発最後の休みだ、スーツケースとディパッグに荷物を入れ始めたが、案の定入り切らない。やはり服が嵩張る。日本は今毎日暑いが、ロシアはまだ寒いはずだし、その後も長い、どうしようか。仕方なく服を減らすことにした。
荷物は何とか入ったが重い。これで動き回るのは結構疲れそうだ。体力作りのため、しばらく前から会社では階段を使うように心がけたが、それだけじゃあちょっと甘かったかも。
自宅出発はフライト当日の4月26日金曜の早朝出る予定だったが、電車が後れたらマズイと思い、前日の夜発つことにした。電車で移動しようと色々時刻表を見てみたが、いいのがなく、結局東京に泊まって羽田から飛行機で関空に行くのが一番楽なことがわかり、出発4日前にネットから予約した。これで35日間の旅になってしまった。しかし、ここまでフルに休暇を使うとは思っても見なかった。会社ではおそらく俺だけだろう。これ以上は誰も出来まい。
出発3日前に、フライングスタートを上司と同じ課の数人に言った。なるべく皆には内緒でとお願いしたが、感のいいヤツにはバレやしないだろうか。まあ、どうせすぐGWだから皆忘れちまうだろう。
前日になってまだ持って行くものが有るのに気づき、もう一度荷物の入れ直しをするが、なかなかまとまらない、2時までやったがやり切れず、あきらめて出発前にやる事にして寝る。しかし初の海外1人旅ともなると期待感よりも不安感の方が強く、なかなか寝付けなかった。いろいろ他の人の旅行記やガイドブックを参考に頭の中ではシミュレーションをしたが、本当に無事戻って来れるのだろうか…。