能 「芭蕉」に思う
本田光洋 | |
前の原稿に「芭蕉の葉が云々」と書きましたが、どんな植物かとお尋ねがありました。 一言で言えばバナナの親戚です。 同じような実がなりますが目立たずもちろん食用にはなりません。ただ幹、と言っても前に申しましたように「偽茎」と言い葉の鞘の部分が巻いているだけですが、その芯は食用にすることもあるそうです。 学名はMusa Basjoo Sieb。バショウの名をとってシーボルトがつけたという意味です。 食用のバナナの原産地はマレー半島。食べる部分はじつは果皮にあたり、野生種には硬い種があるそうです。ようするに種なしバナナを食べているわけです。唐時代の三蔵法師も大唐西域記にバナナを砂糖入りの牛乳で煮詰めたものがあると書いているとのことで、人類最古の栽培植物の内に入るそうです。 芭蕉はサンスクリット語のカダリーを漢訳したもので、本来中国ではMusa属をさすものなので、バナナも含むものです。ですから英語名では芭蕉もbananaになるのでしょうけれど、これだけは能の曲名を英訳せずBasyouとしてもらいたいものです。 日本ではバナナはバナナと言い、あえて言えば実芭蕉と言って、バショウとは特定の種を言い区別しています。 前に言いました通り仏教に縁ある植物として寺などに植えられているのをしばしば見ます。 俳人の松尾芭蕉も、その性、風雨に傷みやすきを愛す、と言ってこれを好んだということです。 椿山荘の下に関口芭蕉庵があります。神田川の改修工事の監督にかの芭蕉が滞在したということです。今も句会が行われていますが、池を巡る庭には芭蕉が茂っています。葉の先まで3メートルはありますが、暖地では5メートルにはなり、夏は青々と立派なものですが、冬には破れはてて無残な姿となります。 私のまだ20代のころ、稽古でこの曲を舞うことがありました。地謡は桜間金記さん、そのころは瀬尾菊次さんでしたが、或る人に君が今やっても芭蕉ならぬバナナだねとひやかされました。 今年は午年の年男です。こういう曲を舞う年ごろになったことを感慨をもって感じております。 |
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