本田光洋後援会通信 その1
■2000年12月■
平成12年もいよいよ終わりになって参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
次年度の予定表を見ると、道成寺2回をはじめ大曲、稀曲が並んでおり、
今から心身ともに引き締まる思いがいたします。
私自身の主催する秀麗会ではほぼ希望曲を舞うことが出来るわけです。
周囲の方のご意見、今の自分にふさわしい曲と考えて決めます。これから
芸の道としてどう歩むべきかが大事なのではないかと考えています。
「朝長」は亡父は舞わずに終わったようでした。修羅物としては型が少なく
謡が主体となります。その分地味なのですが、若武者の花やぎとの両立に
難しさがあると思われます。装束については正田夏子先生の文章があると思います。
使用面は後シテ「中将」になっています。経政、敦盛と同じく十六歳で死んだのですから
面も「十六」「敦盛」または中間的な「今若」で良さそうですが、「清経」
「忠度」と同じ中将というのは年齢的に問題が残ります。謠曲文に「路次にて
捨てられ参らせば。雑兵の手にかからんこと。あまりに口惜しう候えば。
ここにておいとま給わらん」という文句があり、その強さが中将を選ばせたのではないか、と
今秋(2000年)この曲を舞った桜間金記氏とも話したのでした。十六歳でありながら雑兵の
手にかかる恥よりも、自ら死を選ぶという決断、さすが源氏の御曹司と言えるでしょうか。
その生き方、死に方の強さをこの面の選択が現しているように考えられます。
来年(2001年)は辻井八郎君の道成寺(5月20日)、佐藤俊之君の道成寺
(10月2日)、いずれも私が鐘引キを勤めることとなり、記念すべき披キの
大役に緊張の思いでいます。なによりも「腕力」の必要な役なので体力強化
(老化防止?)の年となりそうです。学生や若い人相手に腕相撲などして力
だめしをしているところです。
私は今年(2000年)2月に秀麗会で田村、9月に円満井会で海人と二番の能を 舞わせていただきました。二曲ともタイプは違うのですが、ともにやりがいのある 曲でした。
また来年(2001年)2月にはやはり秀麗会において葵上をいたします。今までは
能をただ舞うのに精一杯という感じだったのですが、今年の二曲を通じて少し
表現ということを考える余裕が少し出てきたように思います。特に今度舞う
葵上は技術的な難度もさることながら、シテの情念の凄みやそこに垣間見える
哀れさといった内面の表現が最大の見所だと思います。
それをいかに舞台の上で表現していけるかというのを特に目標にしています。
そのためには稽古をするのは当り前ですが、どういった心構えで日々の稽古を
していくかが大切だと思います。
少し話しが離れるのですが、サッカー日本代表のトルシエ監督は練習では試合
形式の練習は一切せず、単純な反復練習のみを繰り返し行うそうです。決まった
パターンをいくつか繰り返すだけの練習なので、実際の試合になって相手がいる
場合に通用しないのではないかと批判する人も多いのですが、それに対して
中田英寿選手は一つの同じパターンの練習の中でも、常に実戦を想定して
この場面では敵が自分のすぐ後ろにいるとか、敵がボールを奪いに来ているとか
想定しながら練習しているので問題はないといっていました。
少し強引かもしれませんが、能もほとんど決まった型の繰り返しという意味では
同じだと思います。また、特に仕舞は能と違いシテ一人ですが、その上でこの
型はいったいどういった型なのかとか実際の能ではどのような場面なのかを
考えて、想像力を働かせていかなくてはならないと思っています。
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