お手軽デジカメレポート
マ ル タ プ チ 留 学
「クラスメート」編



シーフードならこの街!マルサシュロックにて海鮮盛りに舌鼓


‖クラスメート

それぞれ1週間づつ、シチリアとチュニジアを旅して戻ってきたマルタ。 最初の印象は、 「東洋人が歩いていても誰も振り向いたりしないコスモポリタンな島で居心地いいなあ」 でした。前に訪れたサンフランシスコがまさにそんな感じ。チュニジアでは一人旅の東洋人に、人々は おせっかいに優しくしてくれ、シチリアではこの時期ほとんど見かけない黄色い娘にいやおうなしの蔑視を 投げかけ、いろんな意味で疲れ果てた2週間だっただけに、この「ほどよいほっとかれ具合」が私には とても心地よいものでありました。

しかもマルタはこれからバカンスの季節。リゾート客たちはいちいち貧乏学生小娘(小娘にみえるんだって、本当に!)にかまってる場合ではないのです。つまり、私たち異邦人は、まるで日本にいる時のようにナチュラルな気分で、 かつ、異国情緒たっぷりのマルタの日々が楽しめる、というまさにパラダイス!
そこまで、マルタの人々が人種の違う人たちにある意味無関心なのは(この部分が、マルタ人はクールとか言われるゆえんなのかもしれませんが)、それだけ多種多様な人種と接しているからでしょう。
飛び交う言葉は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロシア語、日本語と、本当ににぎやかです。
(※ただし、マルタ人はなぜか中国人をすごくバカにしている風潮がありました。そこが一番理解できないマルタ人の性質ですね。日本人にもすぐにチノチノとか、その他 いろんな侮蔑の言葉を言ってきてましたね、特に若者!本当に腹が立つので日本語でバーカとか言い返してたけど。)



ナタリア、私、ウッシー、キャサリン先生。平均年齢かなり高いクラス


初日クラス分けテスト(私はホームステイ先でやったプリントを提出しただけ)をディレクターに 出して、自分がなにがしたいかの話をしていたときに、ひょっこり顔をだしたキャサリン先生が その場のノリで引き受けたのか、偶然初心者クラスだったからかしらないが、私をそのまま 教室までさらっていった。喘息持ちの高校生の娘がいるらしく、よく話題にでてきた。とにかく 明るくて元気で素敵な先生なんだけど、西洋人にしては恐ろしく歯並びが悪いのが印象的だった(私の 悪いクセかもしれないけど、人の歯並びをなにげにチェックしてしまうのよ〜)。

トシのわりにおきゃんなナタリアはロシア人。血管まで透けそうな白い肌、ビー玉のように青い瞳、 絹糸のようなFair Hair。若い頃はさぞかしモテモテだったんだろうなあと思わせる。 さすが、北の国出身だ。 年齢は勝手に40代と思い込んでるけど、やっぱり女性に年齢なんか聞けない…
別のクラスに、1人息子のディマくんも通っていて親子留学というわけだ。 ナタリアは経済ジャーナリストで、だんなは建築士で建築会社の社長。ディマはその会社の 二代目、ということで大学の建築学部で勉強している22歳なのだ。
このディマがかなりのクセもので、1日の授業中にかならず2度ほどは 顔を出して、ママを呼び出したり金をせびったりと、と・に・か・くウザい。
もちろんビーチにいくにもママと一緒のマザコンくんである。一人っ子気質なのか 定かではないけど、とにかくイジワル息子で、ディマと同じクラスの日本人は 「たどたどしい英語をしゃべると、ディマが鼻でわらう!ムカツク!」と怒り心頭。
私ならそんなクラスメートがいたら、のびのびと授業できないよ。 私は神様に、今のクラスの仲間がいい人たちばかりでありがとう、と感謝した。

とにかく文法めちゃくちゃなのに、それでもすごい勢いで話しまくって、しかも 全然それが通じているという、日本人とまったく反対のタイプをつきすすむウッシーはスイス人。 たぶんこの学校の生徒の最高齢だろうなという感じ。年齢は怖くて聞けないが、息子はすでに 結婚している。 ウッシーは顔からとびでそうな目玉をくるくるさせて、いつでも楽しそうに話して、 いつでも明るくクラスを盛りあげてくれるムードメーカー。キャサリンは、ウッシーのことを 「アイスブレーカー」だと表現した。その場の空気を打ち破るパワーを持った人。 私はそんなウッシーが、学校で一番好きである。たるたるさせた体を、ビーチでおしげもなく披露していたのはさすがドイツ語圏のお方である。


1週間同じクラスだったビンセント。若く見えるが33歳

長期滞在のナタリア、三週間滞在のきあとウッシー、そして唯一の男性クラスメートは 二週間滞在のビンセントはベルギー人。 噂に聞いていた「フレンチイングリッシュ」、恐るべしである。何をいいたいかも わからなければ、彼自身もほとんど英語がわからないので、意思疎通ができないのだ。 なのに辞書も持ってきていないビンセント…だっ、大丈夫なのぉ!?授業受けることできんの? 私は本気でビビったのだが、さすがキャサリン、プロである。
彼が1度の授業中、10回以上は聞いてくる「この単語の意味がわからない」という質問にも ジェスチャーや簡単な言い回しで、きちんと理解させている…おおお…。
辞書なんかなくても(本当は必要だけど)勉強ってできるんだなあというのを教えてくれた。
ビンセントは、ヒトと接するのがかなりニガテなようで、ほとんど学校内で友達ができなかった。 このAという学校、女生徒の平均年齢は高いのに、男子生徒は25歳以下しかいない。 その中でビンセントの33歳というのはかなり中途半端だったのか…?
唯一話かけるのは、大阪の外語大生のKくん。しかしビンセントは、Kくんが話しかけても カタコト英語もできないので意思疎通がはかれずに、結局話がはずまずに終わっているのだ。 それでもKくんは、一生懸命、彼を輪の中に溶け込ませようとがんばってていたように思う。ホロリ。
ビンセントがいつも1人でいることに、私も少しばかり胸を痛めていたので 最終日前には私から昼飯に誘って、みんなでご飯を食べた。
ビンセントが思う日本人の印象が、いいものになるといいけどなあ…。

そんなビンセントが二週間の授業をおえて、教室を去った後、キャサリンを含めた女4人組の 私たちは一斉に教室の隅にあつまり、
「あの子、シャイすぎだわ。too shy!まるで病気よ!」
「きあ、あなた昨日一緒にランチに言ったんですって?彼はトークしたの?」
「えーと、うーん、あ、あんまり話してなかったかなあ」
「みんな!ビンセントのノートみた!?まるで機械のようにきれいに書いていたわ」
「見た見た!そしていつもエンピツをかじっているのよ。子供みたいに」
「まあ…多分彼は、殻の中に閉じこもる病気なのよ…かわいそうに」

と、好き勝手なことをいい、最後に誰かが
「あら!やだあたしたちってゴシップ好きよね。オホホホ!!!」
とそんな感じで笑いあった。もうまさに、毎日がおばちゃんの井戸端会議だった。


ウォリーとマヌエラ仲良しおばさん。息子が私と同い年だそうだ(孫あり)

コーヒーブレイクには、外のカフェでみんなでエスプレッソを飲んだり、 放課後ビーチで会って、おしゃべりをしたりした。 本当は年齢が近い外国人とこういうことがしたかったのが本音だが、いないものは しょうがない。私だってEFに通う10代のギャル(死語)からみれば十分なオバサンであるのだ。 (とかいいつつ、現地で20歳くらいに見られてウキウキしていたけれどね)

最終日の前日。
センチメンタルになったウッシーは、授業の間ずっとグスグスと 涙を流していた。明日のお別れがせつないのだ。「ウッシーはなんて繊細なの」とナタリアも キャサリンも彼女をなぐさめつつ、授業は終わった。
そして翌日、とうとう最後の日。でも 私はウッシーみたいにそう思い入れなんかないし、みんなとメアドの交換して終わろうっと! と気楽に構えていたら、授業中にディレクターD女史がやってきて、私とウッシーに終了証書 を渡してくれたのだ。思いがけないことに、私はこみあげる涙をとめられなかった。
自分で「何で泣けるのだろう」と不思議だったのだが、その紙切れを手にした瞬間に、 自分の顔がくしゃくしゃになって、両方の目からあたたかいものがぶわっと流れてくることを どうにもこうにもとめることができなかった。

もうそのまま、号泣の私とウッシー、まだ学校は続くのにつられて泣き出したナタリアという 三人オバタリアンスクラム状態で「みんなにあえてよかったわ」「私も 忘れないわ!マイシスター!」と、一種異様な(?)光景が繰り広げられていた。 いつも授業の腰の骨を折るディマもその場にきたが、さすがの雰囲気に声をかけられずにいたようだ。 涙、涙で、私は素敵なクラスメートたちと別れを惜しんだのだ。



ようこそサンジュリアンへ!これがマルタ語の看板




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