12日(11:50)朝霞駅→(12:40)東松山駅→(13:15-13:45)吉見百穴→(16:50)射撃 場前→(17:30)東松山駅→(18:30)和光市駅
埼玉の地質資料には吉見変成岩類というのが必ず出てくる。変成岩があれば、そ れに伴う鉱物もあり、過去には鉱物同志会の採集会が行われたこともある。しか し、2000年10月発行の『埼玉の自然をたずねて』には、「かつてはさまざまな岩 石が観察できました。しかし最近の土地開発にともない、貴重な露頭が消えつつ あります」とある。エー、もうないの? そんなに遠い所ではないから確かめて みる価値はある。
暗くて涼しい穴の中 |
東松山から20分ほど歩くと、吉見丘陵の末端、吉見百穴に着く。ここは砂質凝灰 岩だが、せっかくの観光名所なので200円払って見学する。もともと、古墳時代 の墓穴だったのだが、第2次世界大戦中には軍需工場として拡張された横穴もあ り、その一部が公開されている。外はじっとしていても汗が出るほど暑いが、中 はひんやりと涼しくて気持ちがいい。しばし休憩。外へ出て斜面を登ると中をの ぞける穴もある。ヒカリゴケもあるとういが、これだけ明るいと光っているのか よく分からない。どうやって確認するんだろう。夜にきて観察するのか。
気合をいれて丘陵の坂道を登る。しかし、登りきっても畑の中に点々と民家があ るだけだ。丘の端には林があったりするが石など全く見当たらない。なだらかな 丘は行けども行けども景色は変わらない。どこに露頭があったのか、いまでもあ るのか、これじゃ全く見当もつかない。高い所からなら何か見つかるかもと登っ てはみたが、どこにもそれらしきものはない。だいたい丘というのはなだらかで、 斜面らしい斜面などほとんどない。あるのは人為的に切り開いた小規模なものく らいだ。
吉見百穴 |
それでも手ぶらで帰るのは悔しい。根古屋の道端で蛇紋岩のかけらを拾う。どこ か他の場所から運んできたものかもしれないが、道路以外の場所にも広範囲に散 らばっている。砂利石に比べると大きさも形もまちまちだ。たぶん近くで採れた ものだろう。ぺらぺらとはがれる荒川のものとは少し違う。
当てもなくひたすらに歩く。天王山でくぼ地に切り立つ露頭を発見。しかし、か なり風化した凝灰岩でボロボロと崩れる。たまに珪石が混じるくらいでがっくり。 足元に露頭の岩とはちょっと違う、黒っぽい石が転がっていた。表面をよく見る と白い結晶がある。水晶か方解石だろうと思ったが、ルーペで確かめる。小さい が透明で立方体の結晶だ。たぶん菱沸石だろう。しかし、どこからきたんだこの 石は。疑問は残るが、この先に進めば答がありそうな気がする。
しかし、世の中そう甘くはなかった。坂道を何度も登り下りしたが、どこまでも 変哲のない丘は続く。ヤブをあさっても何も出てこない。一方で道端に転がる石 は怪しい変成岩が多い。いったいどこからきたんだ。おあずけを食っているよう で悲しくなってしまう。適当に歩きまわったので自分がいまどこにいるかもよく 分からなくなってきた。未舗装道路の怪しい小道を突き当たるとそこにはキラキ ラ輝く雲母片岩の露頭があった。
露頭と呼ぶにはあまりにも小さい |
「ついに大望の露頭発見!」であるが、悲しいかな草むらの中から顔を出したそ れは高さ30センチあまりの石ころだった。半日歩き回った成果がこれか。がっく りと肩を落としてへたり込む。触るとボロボロ崩れるほどもろい露頭は、ハンマー で削り取るにはあまりにも小さすぎる。腹いせに周囲の石ころをたたき割ってそ の場を後にする。
重い体を引きずって岐路につく。林の中のぐるぐると回っているうちにどこにい るのか分からなくなったが、まあ、ここは街場。広い道に出れば何とかなるでしょ う。お天道さんの方向を頼りにふらふら歩いていると射撃場前に出た。市の橋か ら東松山駅に向かう。駅近くで東松山市の「歩け歩け運動の街」という標識が目 に入る。へたっているときに「歩け歩け」などといわれたくない。感情を逆なで する標識だ。石は手に入ったが、解決の迫られる課題は山積したまま。近いうち にリベンジしなくては。 本日の成果です。