第15回アジア競技大会の取材で1人、カタールの首都ドーハに乗り込んだ。実は
自分にとってこれが、初めての海外。しかも、行き先はなじみの薄いアラブの国
となれば初めは心細かった。文化の違いに戸惑ったこともあったけれど、訳の分
からない“怪しい国”ではなかった。ドーハの人たちはみなハッピーで親切な人
たちばかりで、思い出深い体験となった。
ドーハで見たこと聞いたこと体験したことなどを思い出しながら日記風につづっ
てみた。
雨後のタケノコのように高層ビルが建ち並ぶドーハの新市街地。
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長旅を終え午前7時ごろ、カタール空港に着く。アジア競技大会の関係者であることを証明するADカードを見せるとアジア大会専用ターミナルに連れていかれる。そこでADカードの有効化をしてバスでプレスセンターに向かうはずだったが、カードに問題があるといわれて早くもトラブル発生。何がどう問題なのかさっぱり分からない。とりあえずホテルに行けとタクシーに乗せられる。その間、ボランティアがずっと付き添ってくれ両替やタクシーとの交渉を手伝ったくれた。「何かあったら電話しろ」と携帯の番号までメモしてくれた。その心遣いがうれしかった。
宿のユースホステルには着いたが、まだ午前9時だ。カイロ支局からMさんが応援にきてくれるまで12時間もある。思案に暮れていると部屋の外で「他にも日本人がいるぞ」という声が聞こえてきた。??空耳かと思ったら、すぐにソフトテニス関係の3人組が訪ねてきてくれた。地獄に仏とはこのことだ。街の様子も分かったし食事もできた。
彼らに付き合ってアルジャジーラ・テレビにいった。広大な敷地は鉄条網に囲まれ、受付には自動小銃をぶら下げた警備員が立つなどテレビ局というよりは要塞のようだった。
帰りは地図を片手に歩いてみる。幹線道路は片側3車線。制限速度は100キロらしいが、それ以上にかっ飛んでいる。まるで高速道路のようだ。しかも信号はなく、車の切れ目をぬって歩いて横断しなければならない。非常に疲れた。裏通りでも道幅は50メートル以上ある。ドーハは“とにかくだだっ広い”という印象を受けた。人よりも車優先だし、この街を歩いて移動するのは現実的ではない。
夜、カイロ支局から応援にきてくれたMさんと合流する。ああ、これでしばらく は言葉で苦労しなくてすむ。
まだ夜が明けやらぬ午前4時半、モスクのスピーカーからお経が流れてくる。イスラムのお祈りを呼びかけるアザーンだ。初めはびっくりしたが、聞き慣れると民謡のようで違和感はない。日本の田舎町では、朝っぱなからサイレンが鳴り響く所もあるが、それよりはずっと心地よい。
ADカードのどこが問題なのかを確かめるためプレスセンターにいく。同宿だった韓国人ボランティアから乗合バスがあることを教えてもらい、さっそく利用する。時刻表では30分に一本はくることになっているが、まず定刻どおりにはこない。それでも、公共交通機関はないと思っていたドーハにバスが走っていることだけでありがたい。
料金は一律2QR(カタールリアル=約66円)。料金を払うとレシートをくれる。ベンツ製のバスは内装は簡素だ。利用者は圧倒的に外国人労働者が多い。まあ、この国は人口の8割を外国人が占めるといわれるほどだから当然でもある。客は男性がほとんどだが、たまに女性も乗ってくる。すると一番前の席に座っていた男が後ろに追いやられる。最前列はレディースシートなのだ。
終点は旧市街地の中心部にあるバスセンターだ。センターとはいっても凸凹の地面に時刻表とバスの系統番号が張られた棒が立っているだけ。屋根もなければトイレもない。極めてシンプルな造りに感心する。
バス路線は19ある。旧市街地の中心部にあるバスセンターから放射状に路線が延 びている。新市街地にあるプレスセンターにいくには乗り換えが必要だ。巨大ビ ルの建設が進む新市街地を右往左往してセンターを発見。「このカードのどこが 問題なんだ」と乗り込んだら、「これでOKだ。何も問題はない」と肩透かしを 食らう。キツネにつままれたみたいだ。
Mさんと別れてセンターに入る。受付でメディアキットなるものを受け取る。ザッ クに取材用のガイドブックやバスの案内などが入っている。他にもティーシャツ や帽子、キーホルダー、記念切手など土産がたくさん入っていた。センター内に は端末の載った作業机が並んでいた。大きな食堂やファストフード店、床屋、電 話屋、雑貨屋などもある。
宿の前のファストフードの店。 |
バスセンター近くで昼飯を食う。ビジネス街らしいが食堂が見つからずファストフード店でハンバーガーを食う。
ここのところ朝食は宿の前のファストフード店で、羊のひき肉に野菜と卵が入っている「マトンバーガー・ミックス」を注文するのが定番になっている。こちらの羊肉は、においもくせもない。肉もパンもパサパサで薄っぺらな日本のものとは比べものにならない味だ。それにジュースを付けて7QR。当地のジュースはうまい。ショーウインドーに並んだフルーツを絞って出してくれる。砂糖がたっぷり入っているが、日本のジュースがどこか人工的に思えてくるほど果物の味が濃厚だ。MさんはレモンR(ラージ)がお好みだった。自分はオレンジ。サイズもSで十分だ。
プレスセンターでお仕事をして夕方、バスでハリファ競技場のあるスポーツ・シティーに向かう。なぜか多くの人が競技場に入っていく。明日から大会だというのに何のイベントなのだろう。開会式のリハーサルが行われていたことは後で知った。
インドのカレー。これは「マトンマサラ」 |
夜は、宿があるラッタの隣町マジナット・カリファ(サウス)にカレーを食いに いった。実は昨日も夕食はカレーだった。違いは、きのうがインドできょうはバ ングラデシュということ。インドカレーがとてもうまくて安かったので、きょう はバングラデシュだ、となったのだ。同じチキンカレーを注文してインド流と比 べてみた。バングラ流は豆の前菜が付いてくる分、8QRと1QR高かった。それにカ レーが辛いこと。チャイも砂糖がたっぷり入ったインド流に対して、バングラ流 は砂糖なし。なるほど。インド人は甘目が好みなのか。
カレーは日本のようにとろ味はない。肉は骨がいっぱい入っていて食いやすくは ない。パラパラした長めの米はとても「ご飯」とはいいがたい。それでも、これ がおいしいのだ。肉のだしがよく利いたカレーと、さらっとしたライスの食感が 非常によく合う。初めて食ったときは「インド人になってもいい」と思うくらい 感激した。しかも、お代わり自由。ライスもカレーのおつゆもだ。ハンバーが並 みの値段で腹いっぱいになる。これも感動した。
「ドーハで一番うまかった食い物は」と問われれば迷わず「カレー」と答える。アラブの国にきてそれはないだろうとも思うが、“安くてうまいカレーは庶民の味方”というのは万国共通の法則なのだよ。
バスセンターが新しくなっていてびっくり。地面は舗装され、トイレもできた。でも、時刻表はなくなっていた。ま、あっても用をなしていなかったから問題はない。夏までには冷房の利いた待合室ができ、女性でも安心して使えるようになる...というちょうちん記事を後日新聞で読んだ。そこには「これから2年間バスを使わなきゃならない。金を貯めて車を買うんだ」という利用者の声も載っていた。結局車か、この国はと思った。ここでMさんとはお別れする。寂しくなるな。
プレスセンターで昼食を取る。30QR(1000円)と高めだが、種類が豊富で食い放題なのが魅力だ。前菜、ご飯・麺類、肉料理、デザートとアジア各地域の料理がこれでもかというほどそろっている。日本食は巻き寿司とソバがあった。目移りしてあれもこれもと皿に取ったら超大盛りになってしまった。すぐに反省したが、「適量」に収めるまで数日間を要した。
ハリファ競技場で開会式を取材。席に着くといすの下に金属の箱がある。なんだこれ。開けてみるとカタールの旗や光もの、太鼓など応援グッズが入っていた。金かけてるなあ。外国人が多いカタールでは、公用語といえどもアラビア語だけでは通用しないため、英語とアラビア語と両方併記するのがカタール流だ。式も両方でアナウンスされたが早口なのでさっぱり分からない。アトラクションが盛り上がると中国の記者がやたら記念写真を撮る。中国は選手も多いが取材記者も多い。
式が終わって、路線バス乗り場を探して人ごみの中を右往左往していると、やん でいた雨が降り出す。しかも、雷を伴う豪雨だ。ドーハで雨が降るなど聞いてい ない。傘もカッパも宿に置いてきた。慌ててメディアバス乗り場にとって返すが すでにずぶぬれだ。乗り合わせた記者も同様で震えながらプレスセンターに到着。 高いパスタを食ってタクシー乗り場にいくが、こんな時間にくるタクシーはほと んどない。ぼられるのを承知で白タク(無許可営業のタクシー)で帰る。50QRも とられる。体も財布も寒くなった。宿に着いたのはは午前1時過ぎだった。
アスパイアドームの体操会場。 |
昨日の雨で道路は水浸しになっている。車はドロ水の中を走っている。洪水の後のようだ。この街は砂漠の上にできている。ここにきて初めて、砂漠に砂はないことを知った。砂どころか土もない。地面は非常に粒子の細かい粘土でできているのだ。簡単には水を通さないから、いつまでたっても水が引かない。乾燥すれば空中に舞う。火山灰のようなもので始末が悪い。
午後からスポーツ・シティーのアスパイアドームに体操を見に行く。スポーツ・シティーにはハリファ競技場、バスケットボールホール、水泳場、サッカーコートなどの施設が集中している。広くて歩いて回るのは大変なので巡回バスがでているほどだ。アスパイアは内部も巨大だ。この日は体操のほか、ボクシング、自転車、カバディ、バドミントンの試合が同時に行われていた。競技会場には何とかたどり着けたが、入り組んだ場所にある記者会見場へはいくも戻るも団体行動をしないと危険だ。
カタール・スポーツクラブの柔道会場にいく。柔道会場は小ぢんまりとしている が、他にもサッカー場などがある。記者席に着くと、「日本のメディアの方です か」と某テレビの女性記者が声をかけてきた。親切に色々と教えてくれて大いに 助かった。記者席は2つある試合場のちょうど真ん中にある。そのため各国のコー チが選手に指示を出すため入れ替わり立ち代りやってくる。初めは係員が「ここ は記者席だ」と追い返していたが、ついに「1試合限定」の指定席になった。大 声で同じ言葉を繰り返すのはどこの国も同じだ。熱血コーチの割りには指示がほ とんど選手の耳に届かないのは各国共通らしい。
ドーハは常夏の国だと思っていたが、やはり冬は寒い。特に建物や車の中は冷房をガンガン効かしているので非常に寒い。柔道会場の記者たちはフリースを着たり、トレーナーのフードをかぶっても寒さに震えていた。自分も夏用のペラペラ上着しかなく辛い一日だった。寒いのは冷房だけではない。朝晩はかなり冷え込み、防寒着は必需品だった。雨も寒さもまったく予定外で戸惑った。この後、どこに行くにもダウンベストとカッパは手放さなかった。
早めに引き揚げてプレスセンターに戻る。タクシーを待っていたら、白タクの兄ちゃんが「30QRでどうだ」と声をかけてきた。高すぎだと断る。「いくらならいいんだ」としつこい。結局20QRで交渉成立。途中で偶然にもソフトテニス組を拾って宿に到着。ところが、着いたら「もう5QR出せ」とごねる。「約束が違うだろう。25QRなら最初から乗らない」と文句をいうが引き下がらない。結局、ソフトテニス組が5QR出すことでその場は収まった。しかし、こっちの腹の虫はなかなか収まらず、腹によくない1日となった。