ドーハ日記(2)


12月5日

半日死ぬ。食中りか、風邪か、それとも疲れがでたか。7時過ぎには目が覚めた が、起きられない。昨日の水泳で何を書こうかいろいろと思案するが、考えがま とまらない。たとえまとまっても計算機に向かってタイプできる状態にあるのか さえ自信がない。トイレにいったら目がくらんで倒れる。こりゃ重症だわ。やっ と、あきらめがついた。とにかく安静にしておこうと、ふたたびベッドにもぐる。 寝汗を大量にかいた。11時ごろ何とか起きだして取材に出かける。愚かなことに、 薬は何も持ってこなかった。病気になんかなりはしないと高をくくっていた。海 外取材をなめていたと反省した。普段はめったにつかまらないタクシーがこのと きはすぐに止まる。ラッキー。

きょうはカタール・スポーツクラブで柔道の取材。某テレビ局の女性記者さんとお話ができ幸せな気分になる。試合が終わってから関係者の囲み取材などをしていたら午後9時半を回ってしまった。プレスセンターに戻って夕食を取り、タクシーを1時間待ってねぐらに帰ると0時近くになってしまった。きょうもきつかった。

12月6日

午前中、プレスセンターで原稿を書く。腹痛と下痢はまだ少し残るが、午後からアスパイア・ドームで体操を取材する。メダリストの記者会見に出て、中国のエース、ヤン・ウェイ選手の話を聞く。本人は中国語でしゃべり、英語でアナウンスしてくれる。日本語がないのは辛い。理解できた部分を必死にメモする。記事にできそうな内容だが、1カ所だけ分からない。中国語を話す日本人記者にその部分を確認した。ふう、これで明日の原稿はかけそうだ。

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にぎやかなハリファ競技場の前。後方、青い屋根がアスパイア
ナツメヤシの木も植わっている

競技場のプレスセンターには「メディアラウンジ」なるものがあり、お茶や軽食が取れるようになっている。競技場の規模によって軽食の内容はさまざまだが、アスパイアは最も充実しているラウンジの一つだ。この日は腹痛が治まらず、食欲が出なかったのでラウンジに置いてある果物がありがたかった。バナナとデイツをいただく。

デイツとはナツメヤシの実だ。ドーハでは街路樹としてそこらじゅうにナツメヤシは生えている。実がなるのは秋で、まだ少し落ちているものもある。もちろん、ラウンジに置いてあるのは、そこらへんに落ちているものではなく食用に栽培している品種だ。ドライフルーツになっていて味や食感は干し柿にそっくり。いや、もっと濃厚で甘い。砂漠で遭難したときデイツのおかげで助かったとかいううそ臭い話もこの味なら納得できる。ラマダン明けに好んで食うという話も理解できる。あまりにうまかったので、ごっそりといただいて帰る。

12月7日

朝から雨。いつものようにバス停でタクシーを待っていると白タクが止まった。ん? 見覚えのある車とドライバーだなと思ったら、あの5QRせびった白タク野郎だった。またつかまったか。世の中狭い。いや、ドーハは狭い。こりもせず30QRとふっかけてきたが、雨だから妥協した。「そうそう、きょうは雨だから30QRでOKだろう」と調子がいい。前回あれだけやりあったのに妙に人懐っこく憎めない野郎だ。おしゃべりが好きで「ジャーナリストはグッド・ジョブだろう」とかいうので「ああ、仕事は夜の11時までやるけどね」と答えると急に黙ってしまった。それでも別れるときは「毎日雨だとうれしいな」とご機嫌だった。

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ドーハのタクシーは助手席に載るのが正しい。
運転手に道順を説明しやすいからだ

アジア大会期間中は絶対的にタクシーの数が不足していた。そのため、白タクを使わざるを得なかったが、べらぼうに高いとは感じなかった。どちらかというと、料金メーターがついている普通のタクシーで、ぼられることが多かったからだ。きゃつらは道を知らないのだ。タクシー運転手なのに。

ドーハを走っているタクシーのほとんどはKarwaという半国営会社のものだ。車体は真新しく料金メーターもカーナビもある。しかし、運転手も真新しいのには困ってしまった。ある運転手は「ドーハには5日前にきた。それまではジャカルタにいた」と答えた。行き先を告げても場所がわからず、しまいには「アイム・ニュー」といって下ろされたこともあった。「場所を知ってるか」と逆に聞かれOKだといったにもかかわらず、自分で道を聞いて思い切り逆方向にいってしまったのもいた。警察がいるからと逆方向にすっ飛んでいったのもいたなあ。道を間違えるなんてここのタクシーは日常茶飯事。それでもきっちりとメーターどおり請求する。5〜10QRよけいに払わされるなんていつものことなのだ。5QRなんて約166円だ。それで腹を立てたなんて大人気なかったなと今は思う。成長したなあ。

午後は水泳の取材。競技場では取材者と選手・役員、観客など、それぞれ席が区切られている。選手・役員の席と記者席は隣り合わせの場合が多く、多少入り混じることはよくあることだった。しかし、ここはうるさかった。役員に話を聞こうと選手席にはいると、すぐガードマンが飛んできて「記者席はあっちだ」とおっぱらわれた。観客席に行っても追い出された。競技施設や運営へのお金のかけ方がオリンピック並という話を聞いたけど、警備の厳しさもオリンピック並だった。アジア大会らしいアバウトさが失われるのは残念だ。

12月8日

宿のとなり部屋にいるソフトテニス組に会場で合流した。彼らはソフトテニスのホームページを開設していて、その取材でやってきたのだったが、インターネットへの接続ができないため取材に専念している。この日がソフトテニスの最終日なので会場まで足を運んで、男女ダブルスの準決勝と決勝を見た。

試合は白熱しておもしろかった。途中で雨が降り、そのたびに試合が中断し、待ち時間の方が長かった。雨が降ってもコートには日傘しかない。傘の位置も選手のベンチから離れており、雨対策はないに等しい。これは、ソフトテニスに限らず、アジア大会やドーハ全体がそうなのだが。雨で流れた昨日の試合が残っていたこともあって、男子決勝戦は雨の中で行われたのが残念だった。

夜、ソフトテニス組の部屋へ取材しに訪れた。部屋にはノンアルコールビールがいっぱいあって「飲め飲め」と勧められた。イスラムの戒律でカタールでは酒は飲めないし、売ってもいない。そこで彼らはノンアルコールビールに目を付けて買いだめたわけだ。日本のノンアルコールビールは多少、アルコール分が入っている。それで遠慮したのだが、当地のものはアルコール0%だった。しかたなく飲むと、ビールとは名ばかりの甘い炭酸水だった。それで明日には帰っていく彼らが、まだ大量に残っている「ビール」に嘆く理由がよく分かった。

酒を飲まない自分は、ここでの生活にまったく不自由を感じていない。しかし、よく酒を飲む人たちにとっては辛いことらしい。酒に無縁だったゆえに得することってよくあると思う。

12月9日

朝、ソフトテニス組と別れのあいさつを交わす。あと1週間、1人で過ごすのか。午前中、原稿書き。毎日午前9時前にプレスセンターに入り、英字紙とインターネットで日本の新聞をチェック。時差の関係で正午が早版の締め切り時間になるから、午前中には原稿を仕上げ、昼食後に取材に出かけるという仕事のパターンになる。インターネットにつながる端末の数は少なく、昼間はいつも誰かが使っていた。ADSL回線を頼むと1000ドルもかかるらしい。この国のネット環境はまだこれからのようだ。原稿を送るのに、初めのころはDocomoのMoperaUを使って携帯でインターネットに接続していたが、市内通話が無料ということがわかってダイアルアップに変えた。さすがドーハの組織委員会。太っ腹だと思った。

インターネットにつながっている端末でフロッピーを読ませようとしたら、認識されなかった。おそらく、外部記憶媒体は読み込ませない方針なんだろうと思っていたら、インド人カメラマンがUSBカードリーダーを刺して写真を取り込んでいた。時代はUSBなんだ。いまどき、記憶媒体はフロッピーという頭しかなかったことを後悔した。

腹の調子は午前中、下痢気味。昼食を温野菜を中心にして量を控えたら、午後には治まった。

午後は陸上競技が行われたハリファ競技場にいった。初めはごく一部しか入ってなかった観客が夜にはほぼ満員になったのには驚いた。スリランカとインドの選手への応援がものすごかった。ここはどこの国なんだ。女子百メートル決勝で白いスカーフを被って長袖、タイツのユニホームを着た選手がスタート位置に立った。お、珍しいと思ったら、3位に入ってしまった。近くにいた日本の陸上関係者が「スタートであれだけ出遅れて3位に入るのはすごい。スカーフ脱げばもっと速くなるんじゃないの」と驚いていた。そうだったのか。記者会見に顔を出したら「フライングを気にしてスタートを遅れた」といっていた(たぶん)。

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だだっ広い宿のシャワールーム。
この後方にバスタブがある

スタジアムの外にはステージができていて、踊りで盛り上がっていた。まるでお祭り。明日は休刊日で原稿を書かなくていい。早めに切り上げて帰る。

せっかく、早く帰れたのに部屋のシャワーからお湯が出ない。この給湯器はときどき機嫌が悪くなる。しかし、代わりの手はある。ユースホステルの部屋はトイレ・シャワーがない部屋もある。そのために、共同利用できるシャワールームがいくつもあるのだ。それもすぐとなりに。で、そこを使う。

シャワーの後は洗濯。洗濯機などない。宿の従業員に「洗濯はできるのか」と聞いたら、「1枚1QRだ」と向かいにある洗濯屋を紹介された。しょうがないから大きめの洗面器に水をためて手洗いするしかない。しっかり絞ってシャワールームに干しておけば1日で乾く。

12月10日

原稿送らなくていいからと10時過ぎまで寝たら、タクシーがまったくつかまらなかった。しかたなく、バスでプレスセンターに行った。昨日、女子百メートルで3位になったバーレーンのガサラ選手の資料を集める。昼飯を食ったら腹が痛くなった。しかし、水を制限したので下痢は免れた。

ハリファ競技場で陸上女子走り幅跳びを見る。記者席を離れてバックスタンド側に行くと、そこはインド人で埋まっていた。インド期待の選手ジョージが跳ぶ番になると大声援が飛ぶ。完全アウエー状態でも日本の池田は跳ぶ前に拍手を求めた。本人は「やっぱり有名にならないとダメですね」というが、大した度胸だと思った。

食う気が起こらず夕食は、メディアラウンジの紅茶に砂糖をいっぱい入れてごまかした。ダウンベストの上にカッパを被っても、夕方になると外はかなり寒い。温かくて甘い紅茶は助かる。ラウンジにはインスタントのコーヒーも置いてはあるが、圧倒的に紅茶の方に人気がある。

宿の前にはラダル・スーパーマーケットなる商店街がある。洗濯屋とファストフード店、パン屋、八百屋、それに雑貨屋がある。一番よく利用するのが雑貨屋だ。食料品から日用品、薬、電気製品、新聞と何でもそろっている便利な店だ。朝6時くらいから深夜0時くらいまでやっている。きょうはミックスジュース2リットル(7.5QR)を買う。ファストフード店のジュースにはかなわないが、これも結構うまい。プレスセンターの食堂や競技場のメディアラウンジにも置いてあり、ミネラルウオーターよりこちらの方がずっと人気がある。飲料水に不自由しないようにとミネラルウオーターを大量に買い込んだが、途中からジュースに切り替えたため、かなり余らせてしまった。

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宿の机の上。左端にあるのが2リットルのミックスジュース。
冷蔵庫の上にあるタンクは5リットルのミネラルウオーター

雑貨屋のとなりにはパン屋がある。卸が主だが小売もする。われわれが食えそうなのはカップケーキくらいだったが、よく買った。しっとりしていておいしい。日本のものとまったく変わらない味が、かえって不思議だった。最近の朝食はもっぱら、カップケーキとジュースになった。

12月11日

朝、白タクに乗ったらプレスセンターまで15QR、安いと感激した。その勢いで? 原稿を2本仕上げて送る。昼食後に少し水便になり、トイレに入る。センターのトイレはすべて個室なので昼食時などは並ばなければ入れない。競技場には小便器や日本式大便器に似たアラブ式もあるが、ここは洋式だけ。どこのトイレにも共通しているのは個室には必ずホース付の蛇口があることだ。紙を使わない代わりに手を洗うためらしい。いつも床がびしょぬれになっているのには慣れた。しかし、この日はちょっと驚いたことがあった。トイレでの洗面台で足を洗う男性がいたのだ。いったい何が始まるんだ! しかし、理由はすぐに分かった。トイレの前にはお祈りの小部屋があり、みな履物を脱いでひざまずいていた。彼はお祈りの前に足を清めていたのだ。彼らがいつも靴ではなく、サンダルを履く訳も分かった。少し、異文化を理解した。

昼食後はアルサッド・スポーツクラブでセパタクローを観戦。大会前に合宿地まで押しかけて取材したのに、なかなか試合会場まで足を運べずに申し訳なかった。この日行われていた「ダブル」は、2人で1チームの新種目だ。頭上の球をけり下ろすアタックと、足を高く上げたブロックの攻防は迫力ある。時間を忘れて見入る。

プレスセンターに引き返して街ネタモノの原稿を送る。デスクから、ガサラの原稿を入れたいから二百メートルの話も入れろと電話がある。急いでハリファ競技場に向かうと、すでに競技は終わった後で、しかもガサラが優勝していた。なんてこったい! もちろん、表彰式も記者会見も終わっていた。しょうがない。明日の新聞を見て考えようということで、さっさと帰る。

腹の調子はよくなっている。シャワーを浴びて洗濯する。宿は3人部屋を1人で使っている。同じユースホステルでも日本のようなプライバシーのないカイコ棚ではなく個室だ。それもだだっ広い。しかも、シャワールームも無用にだだっ広い。というか、部屋と同じくらいの広さがある。片隅にバスタブがあり、洗面台、洋式便器があるくらいだ。だから、シャワーを浴びていてもお湯を止めると寒い。シャワーは金属の管が固定してあり、自由に動かせない。バスタブに栓がないのでお湯も貯められない。しかも、お湯は気まぐれにしか出ない。「バカヤロー」と何度さけんだことか。しかし、もう慣れた。住めば都だ。

つづく