ドーハ日記(3)


12月12日

午前中は女子200メートルを制したガサラ(バーレーン)の原稿を仕上げる。各 会場のプレスセンターには、選手の略歴や嗜好などのプロフィールを閲覧できる 端末があって、それでかなり詳しいことまで分かるのがありがたい。ただし、情 報があるかないかは国によってさまざま。外国から移籍した選手が多いバーレー ンは、かなりアバウトな方だ。しかし、彼女の経歴についてはかなり詳しく載っ ていた。ガサラにかける期待の高さをうかがわせる。

昼食をいつもより少なめにしたら、腹が下ることはなかった。いよいよ腹の調子 も治まったかな。セパタクローは男子がベトナムに2―0で勝つ。エース寺本のア タックは華麗で鋭い。さすが本場のタイ仕込みだけある。女子はすでに2勝して いるので、この日は負けたけど銅メダルが確定した。それにしても、選手が自分 で電話して練習場所の体育館を確保するという話には泣けた。コーチは「トップ の人間がしんどすぎる」という。その努力が銅メダルに結びついたと思おう。男 子はフルセットの末、インドネシアに敗れた。寺本は泣いていて、とても話は聞 けなかった。まだ、甘いな。

12月13日

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宿では3人部屋を1人で使った

午前中は原稿の仕上げ。昨日送ったガサラの記事がほめられたという話を聞く。 ドーハに着てから記事をほめられたのは初めてだ。いや、陸上の池田のも雰囲気 出ていて、いいといわれたっけ。でも、あれは本人の出来がよかったからで、記 事がよかったのではないと思う。あれくらいは誰でも書けるでしょう。

午後から応援・観客ものの取材でアスパイアドームに行く。ボクシング、武術、 レスリングと渡り歩く。ボクシングは金ぴか衣装でにぎやかにドンチャンやって たタイが、武術はフィリピンが、レスリングは大挙して叫び、歌う「イラーン、 イラーン」が目立った。それにしてもイラン、レスリング強すぎ。観客は楽しす ぎる。

帰ってから、シャワーを浴び、洗濯をする。

12月14日

朝、白タクでプレスセンターに行くと10QRでいいという。普通のタクシーより安 い。思わず、もっとぼれ、そんな良心的な態度ではここじゃやっていけないぞ、 といいそうになる。1日中、まとめの原稿書き。変化がなく、つまんない。タイ プしていると、いつの間にか左右を中国人グループに囲まれる。中国の取材陣は 異様に多い。北京五輪の予行演習も兼ねているらしい。道理で若いのが多いわけ だ。取り囲んでいるのは若い娘だからがまんするが、使っている計算機が自分の よりずっといいのだったのは、ちょっと悔しかったりする。

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白い建物に青い空

原稿書きで煮詰まる。部屋に帰って、構想を練り直そう。タクシーに乗ったら、 子ども2人を相乗りさせた。マジナット・カリファだっていうから、行き先は同 じ。ノープロブレムだ。子どもたちはお金を持っていなくて、「明日事務所に取 りにきて」といっていた。運転手はそれでもいいよって、親切だった。ちょうど カレー屋で夕食を取ろうと思っていたので行き先も都合がよかった。

カレー屋に入ると、店の兄ちゃんが大声で「イエスボス!」と大声で出迎えてく れた。思わず笑った。念願のマトンマサラを食った。肉の味がつゆに染みてめちゃ うまい。思わずお代わりをする。おつゆも継ぎ足してくれるのがありがたい。やっ ぱりご飯はいいよなあ、としみじみと味わう。

12月15日

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いかにもアラブというドーハの建物

いよいよ大会も最終日となった。2週間がとてつもなく長く思えて早く終わらな いかと指折り数えたことがウソのようだ。無我夢中だったから長かったのか短かっ たのかは、よく分からない。きょうは忙しくなる。感傷に浸るひまはない。

朝一で閉会式のチケットを受け取る。日本選手団の記者会見を聞く。まとめ原稿 に手をつけ、午後からサッカー決勝を見る。それも前半で切り上げて、閉会式の 行われるハリファ競技場に向かう。午後5時には到着し、やれやれ。しかし、プ ログラムをよく見ると閉会式そのものは午後8時からだった。だまされた気分で セレモニーを見る。開会式は箱で今回は袋。怪しい応援グッズがテンコ盛りなの は同じ。式はおもしろくなく、書くこともない。プレスセンターに飛んで帰って、 急いでタクシー乗り場に向かう。しかし、交通規制のおかげでタクシーどころか 一般車両も通らない。シティーセンター前には長蛇の列ができた。1時間以上待っ て、午前1時を過ぎると人も疎らになる。白タクと30QRで交渉成立。やっと午前1 時半、ユースホステルに帰着できる。

12月16日

午後5時までかかって原稿を仕上げる。きょうはプレスセンターがとても静かだ。 新聞もオンライン・インフォメーションもサービスが終わった。祭りの後という 感じだ。インターネット端末と食堂だけは混雑している。

もう、これで帰れるんだと思うと、ふつうは次はどこの山に行こうかなと考える ものだ。ところが、いまは全然、山に行きたいと思えない。これだけで十分、異 常だが、そのうえ、あのKさんが妙に恋しく思えたりもする。少し疲れたという 程度ではない。かなり心が病んでいる。これは、魚野川源流部でさまよって幻覚 や味覚障害が出たとき以来の重症だ。帰れば直るんだろうかと不安を覚える。

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シティセンターのスケート場

仕事を終えてシティセンターをのぞく。毎日その前を通っていたのに、足を踏み 入れるのは初めてだ。1階にスケートセンターがあって驚く。ここは高級百貨店 とファストフード店という不自然な取り合わせのモールだ。中東では最大規模の 商業施設らしいが、ただただ、だだっ広いという感じだ。アジア大会の店があっ たのでのぞいてみる。めぼしいものはほとんど売り切れたようだ。土産にピンバッ ジとCDを買う。

外に出たら土砂降りの雨になっていた。またか。今回はよく降られた。1日も降 らない年もあるという話は信じられない。おかげで、タクシーがまたもや長蛇の 列になった。しかたないから、バスで帰ったら1時間半もかかった。シャワーを 浴びて午後8時半、チェックアウト。前のハンバーグ店で最後の晩餐だ。豪華に シシカバブプレートを食う。これで心残りはない...たぶん。写真を撮っていた ら店員が珍しそうに寄ってきてカメラを見る。写真を撮ってあげたら喜んでいた。 インド人は、フレンドリーで大好きだ。

最後の最後で雨に降られたこともあり、結局どこも観光はできなかった。もう少 し、ドーハの“美しい”部分も見ておきたかったという思いもある。だけど、毎 日街場から通うことによって見えた庶民の暮らしもある。組織委員会指定のホテ ルとの往復では得られなかった体験ができたことはありがたいと思っている。

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最後のディナーは奮発してシシカバブプレート

初めは何が起きるかわからない怪しい国という印象が強かったカタールだったけ ど、高い理性と文化を持った国だということが分かった。多くの外国人が出稼ぎ にきているのは暮らしやすいという理由もあるのだろう。日本人には忍耐のいる 部分もあるけど、多くのアジアの人にとってはいい国なんだろうねえ。「もう二 度とくることはない」と断言した日本人もいたが、自分はそこまで拒否しない。

12月17日

カタールエアのバカやろう。はやまった、ほめるんじゃなかった。搭乗手続き開 始がやけに遅く、始めれば長蛇の列でなかなか進まない。ついに数人前でつっか えて全然進まなくなった。後40分しかないと焦る。急いで他の列に並び替えたが、 こちらも遅い。出発20分前にやっと順番が回ってきた。ぎりぎりセーフと思った ら、そのころはどこのカウンターも列はなくなっていた。いつも最後でつじつま を合わせるのがカタール流なのだ。気付けばのどはからから。ちょっとは登場口 ロビーに座りたかったぞ。

慌てて乗り込んだものの結局、出発は1時間遅れ。どうせ遅れるんなら5、6時間 くらいは遅れてくれ。乗り継ぎするミラノで、ホテルのチェックインにちょうど 良い時刻になるから。せっかくの好印象を台無しにしたカタールエアに悪態をつ いて20日間滞在したドーハを後にした。

まだまだ、つづく