月ニ踊ル、人形師(2)
ストーリー、作:<技の一号>そーし
原案:<力の二号>人形
メノウ会計士事務所には、シュティールを含め、三人の事務員が雇われていた。仕事は忙しく、所長のメノウにいたっては、ほぼ休みなしで働いている。
三人の事務員にしても、交互に残業につくのが事務所の不文律だった。今日はシュティールの番である。
だから勤務時間を過ぎてなお、シュティールは一人、会計士事務所の机に向かっていた。
所長のメノウは、顧問を務める業者に呼ばれ、ついさっき出かけたばかりだ。
窓の外には月が明るい。秋の月だけに、その光は強く冷たかった。
整理した書類の束を、棚に仕舞い終えたところで、何者かがシュティールの肩を叩いた。
「所長? 忘れ物ですか?」
振り返ったシュティールの目の前で、ショートヘアの娘が一人、微笑を投げかけていた。
「やほ♪ 若君様☆」
「……っ!? カー……!!」
「あん♪ 逃げないで!」
後ずさったシュティールを棚におしつけ、娘は強引に唇を合わせた。有無をいわせず舌を突き込み、からませる。
「…ん…ぐ……」
眼を白黒させつつ、シュティールは口に入り込むカーシャの舌に、薬品の味を強く感じていた。娘の力は異様に強く、剣士としての修練を積んでいるシュティールをして、その動きを完全に封じていた。
たっぷりと十秒ほど唇を合わせた後で、カーシャと呼ばれた隠密はシュティールを解放し、にっこりと微笑んだ。
シュティールは糸のきれたマリオネットのように、その場へ崩れ落ちた。膝に力が入らない。
「……こ……の……」
「ふふ……シュティール様と初キスしちゃった♪……」
次の瞬間、娘らしい黄色い声は、低く感情を押し殺した隠密のそれに変った。
「レム様が心配しておいでです。若君に戻っていただかないことには、我々も立つ瀬がございませんので」
はやくも全身に痺れが回ってきたシュティールは、返事もままならない。フラウティアの暗殺者達に古くから伝わるこの毒は、幼い頃から慣れて耐性をつけない限り、ほぼ万人に効く即効性の薬物である。
「失礼いたします」
カーシャはシュティールを抱え上げると、用意しておいた布袋に放り込み、野菜か何かを運ぶように軽々と背負った。
「少し息苦しいでしょうが、しばらくの御辛抱です。宿の近くに馬車を用意してありますので」
シュティールの返事はない。
「お荷物についてもご心配なく。ただいま、レイカーが取りに行っております」
桃色の可憐な唇が、無邪気に笑っていた。声は依然として、冬の風のように冷たい。
隠密・レイカーは、シュティールの下宿の鍵を難なく開けた。部屋に忍び込むなり、首をかしげる。
(ふむ……?)
レイカーに限らず、隠密を名乗る者は夜目が効く。そのレイカーをして、シュティールの部屋はその眼を疑わせた。
部屋は、まるで空き家も同然だった。
目立つ物といえば、汚れたズタ袋と毛布、壁にたてかけられた長剣……そして、場違いなカラクリ人形が一体。それだけである。
(人形……若君らしくない趣味だな……)
レイカー、カーシャを含む暗殺者集団が、フラウティアきっての豪商、フォレイツ家に雇われてから、既に半世紀が経過しようとしている。裏の雇われ者とはいえ、今では古くからの家臣も同然だった。
その跡取りであるシュティールのことは、レイカーもよく知っているつもりだったが……こんな趣味があったとは、いま初めて知った。
(荷物を選ぶまでもないな。全て持って行ける)
そう決断すると、レイカーは袋の中に剣を突っ込み、カラクリ人形を土台ごと持ちあげた。意外と重かったが、走るのに影響するほどではない。
扉から出ようとして、レイカーはふと立ちすくんだ。
外に、何かがいる。
(カーシャめ、まさか若君の誘拐に失敗したか……?)
咄嗟にそう感じたが、すぐにレイカーは考えを改めた。
かすかに、乾いた音がきこえる。
カタカタカタ……
人が立てる音ではない。
つまり外にいるのは、人ではない。
部屋には窓があった。……三階だ。降りられないことはないが……
レイカーはからくり人形をあきらめ、床に捨てた。
布袋も捨て、剣だけを背負う。重要なものがあれば、後で取りにきても良い。とにかく剣だけは持って帰らねば、シュティールを嘆かせることになる。
レイカーは音も立てずに窓を開け、月明かりに照らされる下界を見た。高さは問題ない。充分いける。
危険に対する自分の勘は、ひたすら信用することにしている。今まで、そのおかげで何度も命を助けられてきた。
カタカタカタ……
扉の外で、また何かが動いた。余人に聞こえる音ではない。隠密の聴力をもってして、やっと聞こえるか聞こえないかの小さな音である。
しかし、その音には、聞き覚えがあった。
人形。
背後の扉が開いた。それは、地獄の門かもしれなかった。
レイカーは振り返らずに、夜の道に跳躍した。
着地するや、脱兎の如くに走り出す。
(あの音は間違いない。フロイド卿だ! ということはやはり……)
昼間、レイカーは、彼の尾行に気づいた、「シュナイダー・タルタロス」によく似た男を取り押さえた。
本人は、「自分の名はリスターナ=コルトレーン」だと言い張っていたが……
(冗談じゃない……あのフロイド卿を、俺一人で相手にできるか!)
必死で夜の道を駆けるレイカーの後を追って、窓から巨大な人影が飛び降りた。
レイカーは、フロイド卿と直接の面識はない。しかし、彼の操る「魔動人形」は一度だけ見たことがある。
かの革命戦争の折り、ロバルティ=フロイド卿は、皇家に対する不敬罪で辺境に監禁されていた。しかし皇家滅亡の報がそこまで届くや、フロイド卿は脱走し、皇都に現れた。
皇都では、誰もが、その存在を忘れていた。
ロバルティ=フロイドという貴族は、代々続く軍師の家の、目立たぬ次男坊である。大した叙勲もない。
そんな男が、革命軍に制圧された皇都にいまさら戻ってきたとて、どうということはないはずだった。
それが、革命軍の誤算でもあり、皇家の最後の悪運につながる。
その頃の革命軍は、皇家の残党狩りに躍起になっていた。既に国皇夫妻を弑し、主だった重臣達を処刑しつくした革命軍は、逃亡、潜伏中の旧臣達を、次々に投獄していた。
革命達成宣言から四日目の夜。
管理者をフラウティア皇国から革命議会に移した、国家犯罪者刑務所の受刑者が、一人残らず脱走するという事件が起きた。その中には、皇家の姫君を始めとする重要人物が数人含まれていた。
看守として常駐していた数百人の革命軍兵士は、その七割が死亡した。
次の日の夜、騎士団の幹部達を捕らえた別の刑務所にも、同様の事件が起きた。
それからの一週間のうちに、仮刑務所の受刑者を合わせ、革命軍に捕らえられていた皇家の残党は、一人残らず脱獄を果たした。
全ての脱走を外部から促した犯人の名が、ロバルティ=フロイドである。
かろうじて生き残った警備の革命軍兵士は、犯人の姿について、一様に語った。
『虐殺の主は、巨大な人形達だった』……
血に染まったピエロ、全身に銃器を生やした天使、長大な翼をもつ鳥人間、爪を掲げた子供たち、火を吐く魔人……そして、一際巨大な十二本腕の騎士。
その証言者の中には、レイカーも含まれている。
(何故、若君の部屋に奴が……?)
レイカーは追ってくる気配が消えたのを感じ、ようやく平常の思考を取り戻した。しかし走る速さは緩めない。
既に街の中心からは離れ、郊外の森の中にとびこんでいる。万一の追跡を考え、仲間のいる宿とは別の方向へ逃げてきたのだ。
ロバルティ=フロイドと、シュティールの関連はさっぱりわからない。もちろん、背後にいたのが、本当にかのフロイド卿かどうかもわからないが……レイカーは、その点には確信を持っていた。
客観的な理由はない。隠密として培ってきた、自前の「勘」がそう語っている。
前方に、枯れ木を踏む音が響いた。
思わず立ちすくんだレイカーは、遥かな漆黒の闇に、一筋の光を見た。
何かが月光に反射した、そう気づくより一瞬早く、彼の脚に分銅つきの鎖がからみついた。草むらへ無様に転びつつも、声を立てなかったのは隠密の故である。
「……何者かは知らんが、てこずらせてくれた」
月光に照らされて、木の陰から巨大な人影が姿をあらわした。
十文字の目、大袈裟な笑顔、水玉模様の芸人服。
レイカーを見下ろして、3メートルを越す巨大な道化師が、首をかしげていた。
その傍に寄り添うように立つのは、手配書で見覚えのある中年男である。つけたばかりのタバコをくわえ、うんざりしたような微笑を浮かべていた。
レイカーの背を冷や汗がつたう。
「………………」
「……さて、用件をいって……もらいたいんだが、おまえさん、簡単にゃ口を割りそうにないな」
はやくも「黙して語らず」を決め込むレイカーを見て、『千人殺しの人形使い』、フロイド卿はため息まじりにそういった。
レイカーは、口中に隠した含み針を、そっと舌の上に載せた……。
シュティール=フロウのファミリーネーム「フロウ」は、父・シグルトが勝手に名乗っていたものだった。「フラウティア皇国」にあやかった名前らしいが、父が死んだ今となっては、その真偽はわからない。
とにかくシュティールは、自分をこの名前で扱わない人種を嫌っている。
「若君……そろそろ、お薬の効果がきれても良い頃なのですが……」
カーシャの優しげな言葉を、シュティールは黙殺した。
彼らは、自分を「シュティール=フォレイツ」……フラウティアきっての豪商、レム=フォレイツの孫としてしか扱わない。それがたまらなく嫌だった。
「カーシャ」
シュティールと離れて座る、薄い眉の小男が、泥のように低い声で呟いた。
「そろそろ、レイカーが戻ってきてもいい頃だが……」
「あぁ。ちょっと遅いな……」
途端にカーシャは、シュティールに対するのとは180度違う声音に戻る。
どっちが彼女の地なんだろう、と一瞬考えて、シュティールは内心で苦笑した。後者に決まっている。
カーシャの恐ろしさは、その監視を受けていたシュティール自身がよく知っていた。
(せめて、剣があれば……)
……三人の見張り相手では無理だが、見張りが誰か一人なら、何とかなりそうな気がした。もっともその剣がなく、また見張りは依然として三人いるのだから、話にならない。
シュティールから最も遠く離れたベッドには、銀縁眼鏡の優男が、がんじがらめに縛り付けられていた。
薬を盛られているらしく、男はぴくりとも動かない。そのくせ、きっちりと別の見張りがついている。シュティールは、祖母が彼らを重用している理由が、改めてわかったような気がした。いちいち、仕事に抜かりがないのだ。
男の見張りを務めているのは、ラナという娘だった。シュティールよりも年下だが、その隠密としての実力は侮れない。この場にいる三人の隠密は、いずれも生まれた時から鍛練を続けている、プロ中のプロ達だった。
シュティールにとって残念なことに、御しやすい者は一人もいない。
(一対一で、剣があっても危ういかな……)
ほぼあきらめの境地に達し、シュティールは目を伏せた。その横顔には、ぞくっとするほどの色気がある。それをさりげなく見つめるカーシャの視線に、シュティールは気づかない。
「もしやとは思うが、フロイド卿が……」
小男、セイクの言葉に、カーシャは首を横に振った。
「それはない。まだ気づかれてはいないはずだし……だいたい、あの男がこの街にいるかどうかも疑わしい」
「しかし、シュナイダー=タルタロスといえば、あの軍師殿の片腕だろう? しかもこの男は、人形店に出入りしていたときくが?」
「店員は女一人だった。近くで聞いた話では、確かにフロイド卿の風体と一致する人間が店主を務めているらしいが……」
カーシャは言葉をきった。
「ここから先の調査は、後にしよう。今は若君の事が先決だ。後十分待って、レイカーが戻って来なかったら……予定通り、私とお前とで、先に若君を連れていこう」
「この男はどうするね? ラナ一人に見張らせるのか? レイカーが戻ってこない場合……」
「どうせ何もしゃべりません。殺しておくのが賢明でしょう」
ラナの言葉に、シュティールは危うく出かけた舌打ちをこらえた。これさえなければ、彼らとはもう少し仲良くできるかもしれない。
「……その男、本当にシュナイダー=タルタロスなのか?」
シュティールは目をあけ、そう口を挟んだ。
「あら、若君……やはり、薬はきれていたのですね」
「質問に答えてくれ」
「間違いありません。懐に、旧フラウティア皇国騎士団の紋章が入ったナイフを隠しておりました」
答えたのはセイクだった。
「助命をお望みですか?」
シュティールは肯いた。
「この男は、旧騎士団の幹部ですが?」
「僕には、そんなことどうでもいい。御婆様とは違う」
「残念ながら、そういうわけにも参りません」
セイクは低く呟いた。
「奴は革命議会の指定する国賊です。本国へ送致するか、この場で処刑するか、二つに一つ……本国へ送ったところで、拷問の末に殺害されるだけです。見逃すわけにもいかない以上、ここで一息に殺してやるのが、我々のとるべき最良の選択肢でしょう」
「……取り引きしよう。僕はおとなしくフラウティアに帰る。だからその人を見なかったことにして、忘れてくれ」
「若君にはもちろん、おとなしく帰っていただきます。それとこれとは別の話です」
とりつくしまもない。
シュティールは、かなわぬのを承知で、最後の説得を試みた。旧皇国騎士団の人間ならば、父の同胞だった。できることなら、死なせたくない。しかも彼が隠密達に見つかったのは、シュティールがこの街に潜伏していたせいだった。
「セイク……僕は将来、君達の上に立つかもしれない人間だ。その僕の頼みでも、きけないか?」
「きけません」
セイクは、恐ろしく無表情な眼でシュティールを見据えた。
「我々の『現在の』主は、レム様です。ゆえに、我々はレム様に従うまででございます」
……舌……?
ロウハは、森に追いつめた隠密の男が、口中で微かに舌を動かしているのに気づいた。
背筋に悪寒がはしった。
「……馬鹿野郎っ!!」
叫ぶや、ロウハは隠密に駆け寄った。
そのロウハの耳元を、熱い風が吹き抜ける。
何かが耳たぶを貫き、頬に血の感触が流れた。
「…………何だ。含み針か……」
ロウハは胸をなで下ろした。……舌を噛むかと思ったのだ。
「……おい、おまえは殺さないで釈放してやる。だから、早ま……」
耳の痺れを感じ、ロウハは慌てて傷口に触れた。痛みがない。針には、痺れ薬が仕込んであったらしい。
「ち……」
隠密の男は、ロウハのその隙をついて、脚にからみついた鎖を外しにかかった。その動きは素早い。ものの二秒とたたないうちに、鎖は男の脚から外れていた。
ロウハはめまいを感じ、その場に膝をついた。
頭に近い耳をかすめたために、薬の効きがはやい。
「くそ……!」
ロウハの意志を受けて、バネが弾けるように、ピエロの巨体が跳ねた。その腕が、隠密の正面から腹部を叩く。逃げ損なった男は、その場に悶絶して倒れ込んだ。
「ホントに……てこずらせてくれる」
相手はただの隠密ではないらしい。相当な腕利きだ。
意識を失う前に、ロウハは『マナ』を解放した。
ピエロ・ザ・モンテカルロの背面が開いた。
「……ロウハ様? 終わりましたか?」
人形の体内から外界へと降り立ったマナは、目の前に倒れ込むロウハを見つけるや、息を詰まらせた。
『仕事』を終えたピエロ・ザ・モンテカルロの傍らには、もう一人、別の男が倒れ込んでいる。シュティールという少年ではない。見たことのない、長身の痩せた男だ。
「ロウハ様!? ロウハ様!!」
ロウハを助け起こしたマナは、その頬に流れる一筋の血を見て、卒倒しそうになった。
「だいじょぶ……だいじょーぶだ……ちょっと体が痺れて……」
マナは震える手で、星神テウの印を結んだ。解毒呪文を唱える唇も震える。
「……心配すんな……死にゃしない……」
言いながら、ロウハは気を失った。
マナの顔色は蒼白に転じている。
魔導人形は、それ単体では動かない。内部に『触媒』としての魔法士を内包し、その上でロウハの意志を受け、はじめて作動する。そして触媒となっている間の魔法士は、眠っていると同じだった。
だからマナは、ロウハがどうして倒れているのか、ピエロ・ザ・モンテカルロが気絶させた男は誰なのか、何も知らない。知らないながらも、マナは咄嗟に思いついて、男の手足を縛り上げた。
ロウハの元に戻るや、マナは、自らの膝の上にロウハを寝かせた。
その耳元にかざしたマナの手が、淡い光を帯びてい染みていった。
る。
その光は月光に溶け合って、ロウハの体へ静かに。
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