月ニ踊ル、人形師(5)
ストーリー、作:<技の一号>そーし
原案:<力の二号>人形
リスターナは、馬四頭をつないだ馬車の幌を覗いた。人形の在庫に囲まれるようにして、一人の少年がベッドの上に横になっている。その両脇で、マナとリティが所在なげに座り込んでいた。
「よう、大丈夫か? ……街を出る前に、会計士さんに挨拶してきたぜ。日割りで給料までくれた。向こうに着いたら渡すよ」
「……ありがとうございます」
「うん……まぁ、気長に治せよ。その……」
体はともかく……心の傷ってのは、どうしたって治りが悪いんだよな……リスターナは内心で呟いて、尻切れトンボに会話を終わらせた。
マナの治癒呪文で、シュティールの傷はある程度、塞がっていたが、やはり完全にとはいかない。一週間は寝たきりの生活が必要だった。
リスターナは数台の幌馬車を見て回り、全員が間違いなく揃っていることを確認してから、ロウハの元に戻った。
ここは、ニルウサーガから少し離れた、街道沿いの草むらである。昼から夕方にかけて、バラバラに街を出た一行は、全員ここに集まっていた。
ロウハは草むらに座り込み、一人、星を眺めていた。
「全員揃ってるぜ。そろそろ出るか?」
「坊やの様子はどうだった?」
「思ったよりしっかりしてるよ」
「そうか」
「……大事なものをなくすのに、慣れてるだけかもしれないけどな」
「……そう、か」
シュティールの生い立ちをロウハは知らないが、リスターナの読みは正しいような気がした。
ロウハは背伸びをしながら立ち上がった。
「どれ……それじゃ、出発しよう。リスターナ、手綱を頼む。俺は少し、あの坊やと話をしたい」
「ほっといた方がいいんじゃねぇのか?」
「かもしれないな」
自分のおせっかいを自嘲するように、ロウハは溜め息をついた。
「リティとマナは、別の馬車に乗せるかい?」
「いや、一緒でいい」
一足先に馬車へと歩み去るリスターナを横目に、ロウハは首筋を軽く叩いた。
肩は凝っていないはずだが、どうにも重たい。
ロウハが幌に乗り込むと、リスターナの口笛が響いた。それを合図に、キャラバンのように各馬車が動き出す。
ロウハはマナと向かいに、リティの隣へ腰を降ろした。リティは座ったまま眠りこけていた。魔動人形の媒体となったために、消耗しているらしい。ブルー・ザ・バードマンは飛行能力をもつため、特に魔力消費の燃費が悪い。
「傷の具合はどうだい?」
ロウハは何気なさを装い、シュティールに声をかけた。
「まだあまり喋らせないでください。傷に障りますから」
先に応えたのはマナだった。
「あ、そうか……」
「僕なら平気です。ロウハさん……でしたか? いろいろと……」
「礼はいいよ。親爺さんには世話になったからな」
ロウハは馬車の片隅に積まれた、数少ないシュティールの荷物を見た。旅の雑貨が詰まったズタ袋と長剣、そしてロウハから買った人形が、彼の荷物の全てである。
「シュティール。どうでもいいことかもしれないが、一つだけ……気になっていることがあるんだ。何であんな人形を買ったんだ? 安い買い物じゃなかったろう」
シュティールは起き上がろうとしたが、マナの手がそれを制した。
仕方なく、横になったままで呟く。
「あれは……僕の母です」
「え?」
「リリー・ザ・タイトロープ……僕の母親は、サーカスの綱渡り芸人でした。父は、芸人との結婚を許さない祖母から逃げて、家を出たんです。祖母は、自分を捨ててサーカスの女と逃げた父を憎んでましたけれど」
「その……お母さんは?」
「もうとっくに……覚えてもいません。肖像画のイメージと、あの人形がそっくりだったので……」
シュティールは微かに笑った。その笑顔は、ロウハの胸にずきんと響く痛みを含んでいた。
「カーシャにも……似ていたかもしれません」
マナは静かに眼を伏せた。
「少しお休みなさい。喋ってたら、いつまで経っても治らないわ」
シュティールの額にマナがかざした手から、睡魔が遣わされた。
すぐに寝息をたてはじめたシュティールを起こさぬよう、マナは小さな声でロウハに呟いた。
「きくべきではありませんでしたね」
「いや……」
ロウハは荷物に背を預けた。
「きいて良かったよ。初めてこいつの弱音を聞けた。無理されるより、ずっといいさ」
眼を瞑ったロウハの抱える痛みを察して、マナは口をつぐんだ。
夜が更けた頃になって、ロウハは幌の裏側から御者席に移った。
「リスターナ、交替しよう」
「ありがてぇ。昨日、徹夜だったから眠くてさぁ」
「だろうと思ったよ。居眠り運転なんぞされちゃ、こっちがたまらないからな」
「へへ」
欠伸まじりに手綱をかわり、リスターナは幌の中へ入った。
道はほぼ直線に続いていた。
見上げた空には、一際明るい月と星々が輝いている。
空の広さと人の小ささの陳腐な対比を思い浮かべて、ロウハは自分の発想の乏しさに苦笑した。
全ての人には、生まれもった星があるという。
ロウハも宮廷にいた頃、ある占星術師に占ってもらったことがあった。彼に言われたことはもう忘れてしまったが、その直後に、マナ――その頃はラーナという名の魔術師見習いだった――に言われたことは、よく憶えている。
「東方の国では、『星』という字を日に生きると書くそうです。それぞれの日々を精一杯に生きることが、星のさだめにつながるのではないでしょうか」
更に後で、その字の本当の意味は「日が生まれる」ということだと知ったが、ロウハはむしろ、マナの解釈に惹かれる物を感じた。
しかし生きるってのは……
何なんだろうな、と、ロウハは自問した。
人を殺して殺して、嫌というほどに殺した上に、自分は今、仲間と生きている。それは笑えない程度に滑稽で、理不尽なことのように思えた。
シュティールは自分が生きるために、家から逃げた。そのために二人の隠密が死に、本人は深い傷を負った。
カーシャという隠密の娘は、シュティールを助けるために仲間を裏切り、そして自分はその仲間に殺された。
まるで遊びのように繰り返される生と死の輪舞を、ロウハは苦々しく思いつつ、そうまで生きたい自分の人生とは何なのか、改めて不思議に思った。
幌の内側から、白い手が覗いた。
「ん?」
「ロウハ様、寒くありませんか?」
毛布にくるまったマナが、ロウハの隣に腰を降ろし、その肩に毛布を広げた。
「あぁ、ありがとう」
少し気恥ずかしかったが、見ている者もいない。ロウハはおとなしく好意を受けた。
「坊やは寝てるかい?」
「リティさんとリスターナさんも。よく寝てます」
マナは寒さを凌ぐように身を寄せ、ロウハの腕を掴んだ。
「やっぱり外は寒いですね」
ロウハの肩にかかるマナの髪からは、甘い匂いがした。その匂いにふと、ロウハは彼の主を思い出した。
フラウティア皇国のプリンセス・アスティナは、今はその乳母夫婦と、ロウハの上司が引き連れる旧家臣達に護られ、ある街で暮らしている。
最後に別れてから六年が経っている。その頃に十歳だったから、今はシュティールと同じ年頃のはずだった。
幸せに暮らしているんだろうか……気にはなる。だが便りのないことが、幸せに暮らしている証拠だった。
「なぁ、マナ……」
「はい」
「いきなり変なこと聞くけれど……いま、幸せだと思うか?」
マナは、ぎゅっと手に力を込めた。
「いまは、幸せです。あなたの傍にいられますから」
ロウハは苦笑した。
「こんなおっさんに、世辞はよせよ。つけあがるだけだ」
「ロウハ様……」
「ん?」
マナの瞳が真正面から、ロウハを見つめていた。ロウハは顔色も変えず、マナの見慣れた冴えない微笑を浮かべている。
「ロウハ様は、幸せではありませんか?」
「……さてな。わからん。幸せといえば幸せか……不幸じゃないことは確かだな」
かろうじて、続く言葉を飲み込んだ。
……俺が殺した連中には、申し訳ないことに……
マナにはきかせたくない。愚痴になる。
「……まぁ、これから、なるようになってくさ」
「『したいようにしていく』……そういうわけには、いきませんか?」
マナはロウハの中の自虐願望を見抜き、なだめるような声でそういった。
ロウハの顔から、笑みが消える。
「……俺は、人を殺し過ぎたよ。これからも……誰か殺すことになるかもしれない」
「それなら、私も同じです」
「……うん。巻き込んで、すまないと思ってる」
マナの視線が夜空の月を捉えた。
「そう思っているのなら、せめて私には償いをしてください」
「?」
この七年間、似たような会話を繰り返してはきた。しかし、マナのこの切り返しは、ロウハが初めて聞く言葉だった。
「私は、あなたと一緒にいられれば、それがなによりの幸せです」
マナの瞳が、今までにないひたむきさをもって、ロウハの眼を覗き込んだ。
「私を、幸せにしてくださいますか?」
「……え……あ……えーと……」
珍しくロウハが戸惑う。
「まさか、私が死ぬまで待たせるつもりではありませんよね?」
ロウハは黙って、マナを抱き寄せた。
銀色の月光が照らす馬車の上に、二人の影が重なった。
終わり
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