■ちゃず予定地
領名 = ミストラル
領主 = クレティアン=ド=ブラン
州都 = オートリッシュ
【地理・気候】
ミストラルはパウル湖の北岸に、北部のエピン山脈に沿うようにして東西に広がる州で、全体的に山がちの地形をしています。
エピン山脈はイスリアヌ山脈から聖シッダール山脈を結ぶ造山帯の一部で、ミストラル周辺で一際険しくそびえ立ち、標高二千テーセル級の高山が軒を連ねます。
この山脈からパウル湖に流れ込む河川に潤される形で、南部では古くから穀類や馬鈴薯の栽培と牧畜を中心とした農業が発達して来ました。
エピン山中にも移牧を営む民族が少数存在しますが、北部を特徴付けるのは大規模なフェンラン自治区の存在です。人間にとっては橋をかけるのも困難な辛い険しい谷間の地も、彼らにとっては苦にはならず、逆に外敵から集落を守るのに適した地形となります。
各地に点在するフェンランの集落は強固なネットワークを形成し、古くから南部の人間国家と対等の関係を築いて来ました。これはこの地がトロウに併合されてからも変わらず、ミストラルは面積にしてその三割にも及ぶ広大な自治州を抱えることになりました。
エピン山脈を北へ向かうと、峰を一つ越えるごとに乾燥して行き、北麓の裾野は不毛のシリル砂漠へと下って行きます。ミストラル地方では、この稜線がトロウの北の国境線を成しています。
ミストラルの気候は年中穏やかです。
秋から春にかけては、南西から吹きつける暖かく湿った風がエピン山脈に雨を降らせます。この南西風をかつてはオートリッシュ(王の風)と呼んでいましたが、トロウの一地方になって以降はミストラル、すなわちトロウから吹く風と呼び習わすようになりました。州都がこの古い名を持ち、州名として新しい呼び名が用いられていることからも、ミストラルの人々にとってこの風がいかに重要であるかが分かります。
また、夏先から秋のはじめに掛けてはエピン山脈から冷たい乾燥風が吹き降ろし、穏やかな陽気を保ちます。このため西部の丘陵地帯は避暑地として人気が高く、多くの貴族や商人がこの地に別荘を構えています。
勿論これは都市部のある低地〜丘陵地帯の話で、フェンランたちが住む山奥では夏でも肌寒く、冬の寒さは厳しいものがあります。降雪も多く、冬季に彼らの集落を訪ねるのは非常に困難でしょう。年中冠雪をいただいている山も珍しくなく、最奥部では氷河も見られます。
【南部〜二重構造の都市〜】
ミストラル南部の多くの都市は、垂直方向に二重構造をなしています。一つは切り立った丘の頂を占める旧市街、もう一つはその裾野を流れる川に面した新市街です。
旧市街は、タラットとの戦争が耐えなかった頃に形成されたもので、外敵の侵攻に耐えるよう、切り立った岩山の山頂に張り付くように家が集まった「鷲の巣村」が元になっています。小さいながらも城壁で囲まれたこの区域には建物が密集しており、岩山の頂上に彫刻飾りを施したような独特の景観をしています。道は狭い上に曲がり角が多く、家の屋根も高いため、土地勘のない人は、地元民の案内なしには間違いなく道に迷うことでしょう。
新市街はこの地がトロウの属国になって以降、新領主の政策によって主要な河川沿いに多く拓かれた都市です。それまで農地であった土地を買い上げ、綿密な都市計画に基づいて区画整備されたため、ごちゃごちゃした旧市街とは対照的に広く開放的な作りをしています。
鷲の巣村が河川敷の狭い丘に作られた場所では、新市街が建設されず、旧市街のみの昔ながらの村が今でも残っています。
都市や村の周辺のなだらかな丘には南西を向いた風車が立ち並び、麦畑や芋畑が広がります。畑に向かない土地は牧草地にされ、多くの山羊や羊が放牧された牧歌的な風景が見られます。
しかし、この旅人の目を喜ばせる美しい光景は、一方ではミストラルが抱える政治問題の象徴でもあります。
新旧の支配者同士の緩やかな対立とでも呼ぶべきこの問題は、ミストラル州の成り立ちに端を発しています。
前世紀、ミストラル西部に栄えてきたシャイン王国がトロウに吸収されるに当たり、トロウ王国は彼らの誇る「平和裏な」手続きを踏みました。つまり、それまでの支配体制を維持尊重したまま、王国の通商圏に組み込むことで「独立していた頃以上の利益を約束する」、従来どおりの説得を行なったのです。
シャイン王国の最後の王ヴァレッテは、しかし首を縦に振りませんでした。ドレス帝国の脅威に対抗するために連合を拡大する必要のあったトロウ王国は、この態度に対し仕方なく、武力行使を視野に入れた制裁措置を講じます。
ようやくトロウ王家への不忠が孤立に繋がると悟ったヴァレッテ王は、対ドレス連合に加わることを承知、トロウの属国になることを宣言します。しかし、その後間もなくしてヴァレッテ王の嫡子が次々と不慮の死を遂げてしまい、王は男子の後継者を全て失ってしまいます。
絶望した王は精神と肉体を病み、晩年は城の塔に閉じこもって過ごします。その中で権力にすがることの空しさを悟ったらしく、病死した王の執政机からは、自分の死後は王国をトロウに差し出す旨を記した直筆の遺書が発見されました。
こうしてシャイン王国の支配権は、トロウ王に平和裏に譲渡されました。
しかし、シャインの貴族会は王の死を巡って紛糾します。王子の連続死や晩年の王の消極性、そして遺書など不審な点が多くあり、トロウの支配は受け入れられないというのが大多数の主張です。シャイン王国の建国時に王に協力したことで土地を与えられた彼らが、王との関係を対等なものと考えていたことも、他者の支配を拒んだ理由の一つでしょう。
名目上はトロウ王の直轄地となったシャイン州ですが、このような状態が数年続いたため、トロウ王は彼らの中から代官を選ぶことは危険だと考えるようになります。そこで、トロウ貴族を行政長官として派遣し、反発的な旧来の地主をまとめ上げさせることになりました。そこで白羽の矢が立ったのが、ブラン宮中伯マルシルです。
マルシル・ド・ブランは数年前までは領地も持たない下級貴族でしたが、シャイン王国の属国化、そして属国となった後のヴァレッテ王との交渉で巧みな外交手腕を発揮し、シャイン州内にあるブラン地方の代官に任ぜられていました。
シャイン貴族の中にはマルシルこそ王と王子達を暗殺した張本人だと強く反発する者もありましたが、ここでも彼の巧みな外交術が発揮され、大した悶着もなくシャイン州の領主の座に納まります。
こうしてマルシルは領主になったわけですが、行政・司法の実権は依然として各地の地主が握ったままです。マルシルとその子孫達は、ミストラルの実効支配を自分達の物とするため、地主の力を削ぐ作戦に出ました。
その一つが、南部に古くからある都市の近くに新しい都市を作り、住民をそちらに移住させる作戦です。
山上の都市は防衛や衛生管理の面では優れていますが、商業には不向きで、また新しい家を建てにくいという弱みを持っています。ブラン家は川沿いの低地を人が住めるように整備し、水運に適した新市街地として一般人に広く開放しました。このため、新市街のある都市のほとんどは、対応する旧市街が一つ乃至は複数存在します。(逆はそうでもありません)
旧市街に土地を持てない市民たちはこぞって山を下り、また付近の農民も租税の優遇措置に惹かれて新市街に移り住みます。
ここに来て、領主と言えば山の一番高いところに住んでいる人というミストラル南部の人々の認識は変わり始めます。山の親分である古くからの地主様か、オートリッシュのお城に住む領主様か。利権を求めて静かに対立する両者のどちらに付くかを選ぶという考え方です。
当初は親子であり兄弟でもあった新旧市街の住民達ですが、代を重ねるに連れて血縁は薄く、対立色は濃くなって行きます。特に、旧市街の住民側の対立意識には根深いものがあります。山の上から下への人口移動はあっても逆は少ないこと、新市街ばかり商業的に発展し続けていることが大きな理由でしょう。
都市によっては、神殿を山の上下にそれぞれ建て、祭り等の行事も新旧市街で別々に行なう場所もあるようです。そうでない場合も、山の上と下の住民グループが表立って対立していることは珍しくなく、ちょっとしたいざこざから暴力沙汰に発展するような例も見られるようになりました。
町の治安を守るべき統治者(新市街の管理を任されている領主の代官と、旧市街の地主)ですが、彼ら自身も対立しているため、このような揉め事の解決にはあまり役に立ちません。それどころか彼らが裏で糸を引いていたり、彼らの私兵が問題を起こすようなことすらあります。
この地方を訪れた旅人がこうした抗争に巻き込まれることは稀でしょうが、害獣退治に訪れた冒険者がついでに町の揉め事の解決を頼まれるというのは、充分考えられることです。
【南部の風習】
風の切り替わりの時期にあたるガラ・デ・パスツェルの月(五月)上旬は風車が止まって粉引き作業がはかどらないため、農作業を休んで神々に祈りを捧げる祭りの習慣があります。この風習が商人たちによってトロウにも伝えられ、ガラ・デ・パスツェルの祭日として三日〜一週間程度の休暇(ガラデンウィーク……)を取るようになったと言われていますが、本来は風の神であるクオンと豊穣を司るイーヴノレルに奉納する祭りです。
この地方独自の宗教観として、クオンとイーヴノレルが夫婦神とされることは有名です。その年の風次第で作物の出来が左右されるので二神はワンセットで扱われ、豊作はクオンとイーヴノレルの夫婦仲が円満であった証拠だと考えられています。
このため、六月と十月には町中で一番仲睦まじい夫婦を選び、彼らを神に見立てて皆で世話をするという祭りが行なわれます。その甲斐あってか、この百年間で二神の夫婦仲がこじれたことはただの一度もなかったようです。
【中西部〜避暑地〜】
ブラン地方に代表されるミストラル中西部は、比較的緩やかな丘陵と清らかな河川、そして小さな湖が連なる、風光明媚な湖水地帯になっています。北にエピンの高山を望み、夏でも涼しいこの地方は古くから王侯貴族に愛されてきました。この地を訪れた数代前のトロウ王が、一目見るなりきびすを返してトロウに戻り、夏の離宮の建設を命じたという逸話が残っているほどです。(飛行船もない当時、このような遠隔地に離宮を建てることは現実的とは言えず、結局その計画は王の死を契機に中止されましたが)
土壌は侵食で残った固い丘がほとんどなため、地味が乏しく、農耕には向きません。そのため、この地に構えた別荘を訪れる裕福な人々とその使用人の他には、牧畜や果樹栽培で細々と生計を立てている散村がところどころにあるだけです。
しかし、彼らの生活は決して貧しくはありません。ミストラル南部の貴族を始め、トロウ各地の貴族や商人がこの地に別荘を構えており、年に一度か二度訪れる彼らのために別荘や狩場を管理する使用人が数多く住んでいます。こうした別荘地の人々は地元の新鮮な食材を高値で買い取るため、他の地域に比べ多くの現金収入が得られるのです。また、民宿の管理人や建築作業員を副業とする住民も多く、地域の経済全体が別荘地に大きく依存しています。
トロウの裕福な人々で、この地に避暑に訪れる人の数は年々増加しています。彼らの多くは自分の別荘を個人所有または共有しており、友人を招いて都会の喧騒とは無縁のゆったりとした時間を過ごすのが優雅な休暇の過ごし方とされます。別荘を持たない者のために民家を改築した宿も数多くあり、夏場には相当数の避暑客がこの地を訪れます。
そのため、別荘地の安全は至上命題です。古くから人の手が入っているとは言え森に覆われた丘陵に囲まれているため、危険な獣が別荘地の近くに棲みついていないかどうか、シーズンに先立って調査が行なわれます。
見つかったとしても小型の熊や猪程度がほとんどですが、時にはエピン山脈の奥から大型の肉食獣や魔獣が下りて来ている場合もあります。万一にも獣による人的被害が出てはいけないため、実際に被害が出る前に駆除する必要があります。また、秋から冬にかけて食料を求めて山を下りてくる獣も多く、この時期にはミストラル中部の各地の村で農作物や家畜の被害が発生します。
そのために、ミストラルには熟練の猟師が中心となって組織された害獣専門の狩猟集団が幾つかありますが、彼らの手にも負えないような魔獣であったり、各地で目撃情報が相次いで手が回らないような場合は、冒険者を募ることになります。
トロウからも、こうした依頼を見越して毎年シーズン(秋〜冬、春〜初夏)になるとミストラルへ向かう冒険者がいます。また、前もって多くの獣害が想定される年(長年の経験から、前年の天候で予想出来ます)には、滞在中の生活費を保障した駆除の依頼が舞い込むこともあります。冒険者の多くは一度依頼を終えて帰るということはせず、現地で数件の依頼を受け、シーズンが済んでトロウに帰ります。そうすれば、往復は飛行船に乗れ、運賃を含めた旅費も全額負担してもらえるためです。
また、懇意にしている商人がいれば、日頃の感謝を込めて別荘に招待されることもあるでしょう。勿論、道中や現地でのボディガードを期待して、という下心もないとは言えませんが。
【北部〜フェンラン自治区〜】
エピン山脈の南麓から最奥部にかけては、古くからフェンランの領域として知られています。
険しく切り立った山麓には雪融け水で流量の多い河川によって深い谷が刻まれ、空を飛べない種族では麓にごく小さな集落を築くのが関の山でした。奥地ともなると冬にはかなりの降雪があって山の恵みも豊かとは言えず、そんな実りの少ない割に苦労ばかり多い土地に住もうというのは、よほどの物好きか逃亡者くらいでしょう。
しかし、フェンランは翼を使うことで険しい山でも簡単に移動し、村と狩場を行き来することが出来ます。(むしろ、上昇気流に乗ることで平地よりも却って楽に飛べるほどです)そのため、エピン山脈各地に住み着いたフェンランは徐々に数を増やし、ほとんど山脈の全域に渡って分布するようになりました。
フェンランの集落は大抵川沿いに作られます。この場合、川は深い谷を刻んでいるので、断崖の上または中腹を指します。そこならば大型の獣は滅多に近寄らず、また沢に下りるだけで容易に水を手に入れることが出来るためです。下りはともかくとして、重いバケツを抱えて飛で崖を登ることは出来ないため、崖には登り用の階段が刻まれています。
彼らの生活基盤はエピンの山々の恵みです。男達は罠や弓を使って獣を狩り、川の魚や木の実を集めます。中には数人で巨大な網を抱えて待機し、「追い立て役」の大声に驚いて飛び立った鳥を一網打尽にする「空中網漁」をする集落もあります。いずれの場合も、翼は彼らの大事な武器となります。子供達は遊びの中でこうした技術を学び、その子供達に伝える。それが、この地で古くから変わらず見られてきた光景でした。
しかし、近年彼らの社会にもゆっくりと変化が訪れようとしています。
エピン山脈のフェンラン達は、それぞれ数十〜百人程度の小さな村を作って生活していますが、村同士が互いに定期的に連絡を取り合い、重大な問題に際しては会合を開き、協力してこれに当たって来ました。他種族とも率先して争うことはなく、また険しい地勢が自然の要塞として働き、かつてシャイン王国の前身となる国の王を匿った際でさえ、タラットの軍勢が彼らの領域に踏み込むことはありませんでした。
こうして、人間とは一定の距離を置いて友好的付き合ってきたことが功を奏し、現在でも毎年一定の貢物をトロウ王に送るだけで自治権を認められています。ところが、存在法時代に闇種族の受け入れをして来たことが、現在になって彼らの頭を悩ます問題として浮かび上がってきたのです。
フェンランは一般にはエルフと親しい種族とされてはいますが、決してエルフや人間のようにシャーウッドの戦役以降を闇種族と敵対して過ごして来たわけではありません。少なくとも、エピン山脈に住む彼らは闇種族に対して敵対的な感情を抱いておらず、人間支配の世界で迫害される彼らに対し寧ろ同情的ですらありました。表立って便宜を図るほどではありませんが、エピン山脈に逃れて来た闇種族がそこに住み着くのを黙認していたのです。同じ「非人間種族」が法の名の下に堂々と迫害される人間社会に対し、脅威を感じていたということもあるでしょう。
山奥の生活がフェンラン以外にとって苦しいことは確かですが、少なくともこの地にいる限り人間の手は及びません。フェンラン自治区に匿われるような形で、この地に住み着いた闇種族達はトロウ各地から迫害に苦しむ仲間を招き入れました。
やがて、エピン山中の闇種集落は、彼らの反エルフ・反人間活動の拠点の一つとなって行きます。そして、存在法が改訂された今日もなお、積年の恨みを忘れられない闇種族(寿命の長いダークエルフにこの傾向が強いです)の一部は往年の報復として破壊活動を続けています。
こうしたテロリスト達は、トロウ国内の闇種族コミュニティの多くからは邪魔者扱いされています。勿論、人間達への仕返しを内心喜ぶ者はいますが、そうした活動が闇種族差別を長引かせる一因となることは誰でも理解出来るため、積極的に支援を行なおうとするコミュニティは殆どありません。
そうしてトロウ国内に居場所を失った活動家の隠れ家となっているのが、フェンラン自治区内にある闇種族の隠れ村です。このことは数年前から指摘されており、トロウ貴族の急進派の中にはフェンラン自治区での大々的な山狩りを提議する者もいます。穏健派の中にも、フェンラン自治区が自主的に反社会的な闇種族を捕らえることを求める意見は多く、トロウからの圧力は年々増しています。
これに対してフェンランの長老達の間では、闇種族との争いになることを恐れる意見、自分達が招きいれた客に対して暴力を振るうのは道義にもとるという意見、そして人間による自治権の侵害に反発する意見が根強く、消極的な現状維持の状態が続いています。
とは言え、大陸南部の支配種族である人間、その中でも最大の国力を誇るトロウ王国に敵対するのは得策とは言えず、ここに来てエピン山脈のフェンラン達は、人間との関わり方を深く考える時期になったと考えるようになります。
また、ミストラルの社会にも変化が現れていることにも、一部のフェンランは気付いています。
部族の若者を積極的に人間社会に送り出し、そこで学んだことを部族に役立て、また人間という異邦人のことをよく知り、付き合い方を探る。変化の時代を乗り切るため、人間社会から学べることは学ぶという意識が若者を中心に芽生え始めています。
【年表】
グラード暦
5世紀頃:ミストラル西部の諸王国、連合してタラットに侵攻。一時はパウル湖北岸を征圧しかかるものの、強固な水上輸送により水際で食い止められ、攻めあぐねているうちに連合が瓦解。数年後、タラットから完全に撤退する。
9世紀頃:ミストラルの紛争に乗じてタラット王国が西部を征圧。当時隆盛を誇ったタラット王国に対し、東部の諸部族も恭順を示す。アジュール王家、フェンランの庇護を受け中北部に逃れる。
1,023年:タラット領ミストラル各地で大規模な反乱。アジュール家を旗頭に、各地の有力者が集いシャイン王国として独立を宣言。11世紀中旬までに現在のミストラル西部を支配下に置く。
12世紀末:トロウ王国、ドレス帝国の脅威に対抗するという名目で諸国連合を呼びかける。武力をちらつかせた外交圧力に屈し、ミストラル東部の諸国がトロウに恭順を示す。
1,234年:シャイン王国、トロウの属国となる。
1,247年:ヴァレッテ王崩御。アジュール朝シャインの終焉。王の『遺書』に従い、トロウの属州となる。'53年、シャイン王国との外交で功績をあげたマルシル卿(後のマルシル・ド・ブラン)、シャイン州領主に就任。
1,283年:シャイン州、東エピン州と合併し、ミストラル州となる。新州の領主にはマルシルの子、ロジェロ・ド・ブランが就任。以降ミストラルの領主はブラン家の世襲となる。
1,362年:現在
【主要人物】
○クレティアン・ド・ブラン(1,323〜)
第六代ミストラル州領主。マルシル・ド・ブランの直系の子孫。
領主とは言え、元はトロウの下位貴族の家柄であり、州内で絶対的な発言力を持っているわけではありません。南部を中心に依然として古くからの地主が力を持ち続けており、表面上は彼らと協力して政治に当たっていますが、裏では彼らの力を削いで自分の勢力を伸ばそうと画策していると言われています。
これはお互い様であり、旧シャイン貴族の中には、王家の血を引く男子を擁立して正統な領主に仕立て上げようと目論んでいる者もいます。
普段はオートリッシュの城で執務を行なっていますが、夏季には自らの所領であるブラン地方の城で過ごします。この城は元々トロウ王の離宮として建造され始めたもので、一貴族の館とは思えない規模と美しさを誇ります。
家名のブランはミストラル西部にある保養地、ブラン地方に由来します。風光明媚なこの地にトロウ王の夏の離宮が建てられることになり、その宮殿守護の役職を賜った初代マルシルがブラン宮中伯(王の宮殿の守護・司法代行を行なう爵位。伯爵より上位とされる)に封じられました。その後、王の代替わりで離宮の建設は中止されたため、官職名だけが残った形となります。ともあれ、領地も持たない下級貴族であったマルシルが属州の領主位を勝ち取るにあたり、この爵位は「格」を裏打ちする大きな武器になったのです。
【周辺諸領との関係】
ミストラルは南に向かって開かれた地形のため、南部のタラットとは昔から深い繋がりがあります。必ずしも幸せな歴史とは言い難く、ミストラルは豊かなタラットに対して過去何度も侵攻したことがありますし、逆にタラットの支配を受けた時代もあります。現在では両州は互いの経済発展のために手を取り合っていますが、領主同士はパウル湖の利権を巡って何度も衝突しており、ブラン家はミストラルよりタラットを欲しがっていると囁く者も少なくありません。
逆に、西のカッゼ・リシナや南西のノーザラン(サロマ郡)との間には険しい山が横たわっており、ほとんど交流はありません。辛うじてノーザランとは、トロウへ向かう街道のために行き交う商人がいますが、この街道には昔から山賊が多く、少し遠回りでも安全なリュアルール経由のルートを取る者の方が多いです。この山賊にはリュアルールから活動資金が流れているという噂もありますが、眉唾物です。
ヴィルザラクとも、直接の交流はほとんどありません。商人たちは陸路を使わずにパウル湖の水運を利用するため、ニヨルトールへ向かう街道はほとんど整備されていない状態です。
23番州は、問題外でしょう。元々文明化された人間の部族は住んでおらず、近年になって闇種族が国から買い上げた(ていの良い分離政策と揶揄する者もいます)貧しい土地です。交易に値するような特産品も、現在のところありません。街道どころか、獣道ですら通じているかどうか不明です。
また、シリル砂漠にも少数の蛮族が住んでおり、中には複数の部族をまとめて王国を名乗るものもありますが、険しいエピン山脈に隔てられているため、交流は皆無です。
【アクセス】
州都オートリッシュへ
トロウから…ノーザラン・サロマ郡経由で馬車を乗り継いで12日。リュアルール経由で14日。魔導力学法『フライト』で12時間(南西風ミストラルを受けて飛べば2時間ほど短縮出来たという報告例があります)。また、タラットまで飛行船が定期的に運航されています。コネと財力があれば選択肢にどうぞ。タラット北部まで2日、そこから徒歩または馬車で1日。
カサンドーラから…馬車で8日〜10日。最短経路であるカッゼ・リシナを通るルートは毎日運行されておらず、街道も整備が行き届いていません。トロワデュノールを経由すると遠回りですが確実で、また割安。
州都オートリッシュから
ブラン地方へ…馬車で2日(行楽シーズンには、トロウから直接飛行船が運航します。片道2日)
南部の都市へ…馬車で1日〜5日。一旦川船でパウル湖に出て、湖を運航する定期船を使った方が早い場合が多いです。
フェンラン自治区へ…川船と徒歩で4日〜。
サテンカラットへ…馬車で2日。パウル湖へ出た後、連絡船を利用するのも良いでしょう。(そちらの方が便数が多い)
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