2日目(4月26日金曜)東京→ウラジオストク

目が覚めたのは5時半。外を見ると昨日の雨はすっかりあがっていた。ついにその日が来てしまった。夕方には待望のロシアだ。しかしまだ実感が無い。さっそく荷物の整理をしたが、なかなかまとまらず、思ったより時間がかかり、ホテルを出たのは6時20分になってしまった。部屋代は税金とビール代を含め12000円だった。もっと取られるかと思ったが、この位で良かった。

フロントで空港までどう行けばいいかと聞いたら、品川駅までタクシーで行って、京浜急行で羽田までがいいらしい。「タクシー呼びましょうか?」と言われたが、断った。やはりこういったホテルではタクシーが普通なんだろうな。せこいと思われるかも知れないが、昨日の駅まで歩くことにした。これからの1ヶ月のために、少しでも足を慣らしておかないと。

駅に着いたが、早い時間帯のせいか、ホームには誰もいなかった。目黒まで行き、山手線に乗り換えた。電車の中は思っていたほど混んでなく、スーツケース持ちでも何とかなった。品川で降りて、京浜急行の切符売り場を探すが、人が多くて時間がかかってしまい、なんとかホームに入ったが目の前に有る電車が羽田行きか分からず、迷っていたら行ってしまった。羽田行きだと分かったのはドアが閉まってからだった。「しまった!」乗れば良かった。次の電車は7時18分。飛行機は8時5分発だからあまり時間はないかも知れない。やっぱり慣れないもんにしないで、モノレールにしておけば良かった。羽田まで何分かかるんだろう。しだいに焦りが出てきた。しかし、ここで焦ってもしょうがない、とにかく落ち着かないと。

ようやく電車が来た。時間がないから少しでも空港に近いほうがいいかと先頭車両に乗り込んだ。運転手のすぐ後ろで、前が良く見え、眺めがいい。スピードメータも良く見える。何キロ出すかと見ていたら、建物が左右ぎりぎりまで迫ったこの狭い所を右に左に縫うように、何と最高100Km!!。恐いくらいだ。目前にコーナーが迫ってもあまり減速せずに突っ込んでいく京浜急行の運転手。久しぶりにちょっと興奮、こんな路線が東京に有るなんてびっくり。単調な山手線や地下鉄なんかより運転手は面白いだろうな。それにしてもこんなに飛ばしていいのか?。時間が無いことをすっかり忘れて、目の前に迫る風景に見入っていた。

20分程で羽田に着いた。時間は7時40分、急ぎ足でJALのカウンターに行った。自動チェックイン機にクレジットカードを入れ、ネット予約のページをプリントした紙を見ながら予約番号を入れたが、はじかれてしまった。カウンターには人が並んでいたが、割り込ましてもらい、「JAL343です」言うとすぐにチェックイン出来た。スーツケースを預けようとしたが、「時間が無いのでこのまま急いで搭乗口で預けてください」と言われ、走って搭乗口に向かった。搭乗口には既に乗客はいなかった。あわただしく荷物を預け、飛行機に乗り込んだ。何とか間に合ったが、あぶないところだった。昨日の出発からつまづいてばかりだ、国内移動でこれじゃあ先が思いやられる。

飛行機は定刻より20分ほど遅れて離陸した。機内はほぼ満員だ、この中にもロシアに行く人はいるのかも知れない。1時間程で関空に着いた。朝は慌てたが、時間はまだ9時半。14時20分発のウラジオ行きまでは十分時間が有る。ここからは、ゆっくり気持ちを落ち着けて出発に備えるか。ひとまずベンチに座り一服。とりあえず出発前にやり残した物をそろえようと、まず、CITI BANKを探す。1ヶ月以上の旅ともなると大金を持ち歩く訳にはいかず、クレジットカード1枚では心もとないので、人の旅行記にも出ていたCITI BANKカードを作るつもりだったが、出発前には時間がなく作れなかった。成田や関空には即日発行できる店が有ると出ていたため、入金する金をここまで持ってきていた。空港内をうろうろ探したがなかなか見つからず係員に聞いてやっと見つけたが、さっき通ったところだった。看板が小さくわかりにくいよ。

申込書に記入して1050円を払い、カードをゲット。あとは入金だ。すぐ近くにあるCITI BANKのATMで入金し、とりあえず一安心。CITI BANKカードは日本で入金しておけば海外のATMで現金を引き出すことが出来るそうで、アメリカやヨーロッパにはATMも多く有り便利だとのこと。

腹が減ったのでうどんを食ってから、売店を回り、電池式の髭剃りと携帯灰皿を購入した。手袋と帽子も買うつもりだったが見つからなかった。やはり時期的にあるわけ無いか。現地で買えばいいやと断念した。しかしこれが後になって思いもよらぬ事態を引き起こすことになるとは、この時は知る由も無かった。

他にもついでに買っておくものはないかと、色々店を回った。シベリア鉄道で同室の人に渡そうかと絵葉書を探したが、どれもバラ売りで1枚100円だ。ちょっと高いと思い買わなかった。考えてみればたいした額ではないのだが、なぜかこの時はせこくなってしまった。

これで買い物は終わったが、まだ11時、時間は十分ある。やはり飛行機にしておいて良かった、電車だったらまだ着いていない時間だ。ひとまずチェックインカウンターを見ておこうと思い案内板を見ながら探したが、有るはずのところには俺の乗るウラジオストク航空の看板は無かった。おそらく便が少ないので、常設ではないのだろう。

仕方なくフロア内をうろうろしていると、外務省の海外渡航情報の端末を見つけた。とりあえず、ほとんど調べてこなかったチェコのページを出した。1日だけの滞在だが、少しでも情報を得ておかないと。見ると、日本人の最近の被害状況が詳しく出ていて、スリが多いことやニセ警官や睡眠薬強盗もいるので、暗くなってからの到着は避けるとか、地下鉄は混んだ車両には乗らないとかヤバそうな事が書いてある。なんだか1人では危ないようだ。俺、夕方に着くんだけど、どうしよう…。少し心配になって来た。ついでにロシアも見てみたら、出てくる出てくる、日本人の被害例が。今年3月のウラジオストクでの殺人事件のほかにも強盗や暴力事件での被害が近年急増していると何だか物騒なことが書いてある。これを見るとチェコは遥かに少ない方だ。途中まで読んだが、恐くなって全部は読めなかった。全部読むと完全に行く気が失せてしまうような気がしたから。しかし、既に完全にビビッている。やめときゃ良かったかな〜、えらい所に行くと決めてしまったもんだ、それも1人で。出発直前にこんなもん見るんじゃなかった。

ロシアに対する期待感は急激に無くなり出していた。一応プリントして、落ち着いてから読もうと思いバックに入れた。不安を感じながらうろうろしたら、売店のパスポート入れ(首からぶら下げるタイプ)が目についた。かっこ悪いと思い買っていなかったが、やっぱり有った方がいいかもと思い購入した。

ベンチに座りしばらくボーっとした。今朝の期待感も渡航情報を読んだ後だと、ほとんど忘れかけていた。しかし、もう後戻りは出来ない。とにかく慎重に行動するしかない。

時計を見るとフライトまであと2時間だ。あまり考えすぎてもしょうがない。腹もへっていなかったが、気分転換も兼ねて昼飯にした。しばらく日本食を食えないだろうと、和食の店に入った。頼んだのはラーメンとおにぎり。店内を見回すとこれから海外に出発するだろう人たちが楽しそうに話しをしていた。そういう光景を見ていたら、あまり心配していてもしょうがないなと思えてきて、少し気分が落ち着いた。

店を出て、さっきのチェックインカウンターまで行ってみると、ウラジオストク航空の看板が出ていた。既にチェックインが始まっており、カウンター前には日本人の団体旅行客らしき人が何人も並んでいた。さっそくパスポートとチケットを出し列に並んだ。座席は窓側にしたかったが、来たのが遅かったようで既に埋まっていた。空からユーラシア大陸を見たかったのに残念。

搭乗まで時間がまだ有るので、空港内のあちこちに有るPC端末で会社へメールしようとしたが、操作が良く分からず、送信する前に間違えて2回も消してしまった。3回目にようやく送信できたが、思ったより時間がかかり搭乗時間まであとわずかになってしまった。

慌てて出国口に行きX線チェック、出国審査を通って免税店でタバコを買い、ゲートに向かった。ターミナル内の表示を頼りに進んでいくが、行けども行けどもゲートがない、しばらく走ってやっと表示が見つかったが、何とそこから電車(ウイングシャトル)で移動するようだ、既に搭乗時間は過ぎている。「ヤバイ!!」間に合わないかも、調べておけば良かった。ここから何分かかるんだろう。最悪の状況も考え始めていた。しかし、思ったよりも時間はかからず、すぐに着いた。見ると、まだ搭乗前だ。「ラッキー!」まったく今日は朝からなにやってるんだ俺は。とにかく間に合って良かった。外を見ると目の前にはウラジオストク航空の飛行機が止まっている。これが俺の乗る飛行機か…。これに乗れば、あと数時間後には大陸へ降り立つのか…。そう思うと、だんだん気分が盛り上がってきた。この飛行機は機体の後方に3つエンジンが付いたタイプで、旧ソ連が誇るツポレフTu-154という旧共産国ではベストセラー機だそうだが、今朝乗った定員400人近いボーイング777より遥かに小さい。まあ、定員150人位だから仕方ないけど。これで国際線か…。ちょっと頼りない気がするが、当初予定していた富山発(定員22名)と比べればまだマシか。Tu-154にはこの後2回も乗ることになる。その後のヨーロッパでも中型機ばかりだったが、このクラスの機が海外では主流なのかもしれない。

搭乗待ちの乗客は100人以上いたが、ロシア人らしき人は誰もいず、日本人ばかりだ。これじゃあ、海外って気がしないな。他人の旅行記にはロシア人が多いとか出ていたが、GWともなるとこうなるのか。これだけ多いと明日のシベリア鉄道も一緒かも知れない。異国の地に1人で来たという実感を得るためにも、出来れば同じ車両には乗りたくないな。

数分してアナウンスが有りいよいよ搭乗が始まった。これでしばらく日本には帰ってこれない。もしかすると本当に帰ってこれない可能性もある。そう思うと日本を離れるのが何だか少し名残惜しくなり列の最後に並んだ。

いよいよ機内に入る。ロシア人のスッチー2人が入り口で挨拶している。やはり西側とは違い堅い感じがする。ロシア語で挨拶しようと覚えていたが、出てこなかった。機内に入って中を見ると、うわさ通りボロボロだった。塗装は剥がれて、カーペットは所々破れているし、シートはリクライニングもない(勝手に前へ倒れてしまう)。今朝のJALに比べて雲泥の差だ。こういった所に今のロシアの経済事情が現れているのだろうか。これに比べると日本ってまだマシだな。いくら景気が悪いと言っても、ここまでボロいのは無いだろう。座席レイアウトは通路が真ん中1本の片側3列づつ、やはり狭かった。

乗客はほぼ満員で中高年が多いが若者もいて幅広い。隣りは中年夫婦だった。機内アナウンスがロシア語で流れてきたが皆平然としている。ロシア慣れしているんだろうな。他の乗客を見てもみんな慣れた感じだ。動揺しているのは俺だけのようだ。かといって、色々聞こうとは思わなかった。出来るだけ誰にも頼らずに行きたかったから。でも、明日の列車で一緒になるかも知れないし、こういう場合は仲良くしておいた方がいいのだろうか。

飛行機は滑走路に向かって動き出した。エンジンの音が大きくなり、いよいよ離陸が近づいて来た。加速体制に入ると内装が薄いのか結構うるさく、壊れるんじゃないかと不安になったが、なんとか無事に離陸した。時間は14時35分。ここから約2時間でウラジオだ。しばらく見ることの出来ない日本の景色を上空から眺めながら、日本に別れを告げ、まだ見ぬ大地を思い浮かべるという様な感じで離陸したかったが、通路側の席からは全く見えなかった。

少々機体に不安が有るが、後はパイロットに身を委ねるしかない。ロシアのパイロットはほとんど空軍出身だから、腕は確かだそうだ。あまり不安がらずに行こう。

ベルト着用サインが消えてしばらくしておしぼりが来た。ピンセットて摘まんで渡されるが違和感がある。次に飲み物を聞きに来た。ロシア語で聞かれるかと思っていたら英語だった。ビールを頼んだが冷えてなくてがっかり。その上テーブルが水平にならず、コップが置けない。仕方なく手に持って飲んだ。大丈夫なのか?この飛行機。

食事は出ないと思っていたが、運んで来た。英語で「Chicken or Fish」と聞かれたが一瞬何のことだか聞き取れず、わかりませんという顔をしていたら、もう一度ゆっくり言ってくれてようやく理解した。この程度のことで聞き取れないとは情けない。先が思いやられる。

出てきたのは、魚のフライのトマトソースにパン、サラダ、水にプリンだった。ロシアぽいもんが出るかと思っていたが、そうではなかった。味は、まあこんなもんかという感じ。

隣りのオヤジは「レッドワインプリーズ」とか言って何回もワインをお代わりしている。いったい何杯飲むんだこのオヤジは。

そろそろ着陸が近づいてきた頃、みんな税関申告書を書き始めた。俺も書き始めるが途中で分からない所が有り、止まってしまった。あらかじめ書いときゃ良かったが、今更言ってもしょうがない。隣りには聞きにくかったから、ガイドブックを出そうと思ったが、何だかビギナーってのがバレるのがいやな気がして出さなかった。結局適当に書いた。まあ何とかなるだろう。

やがて機体が徐々に降下し始め、いよいよ着陸が近づいて来た。窓を見るとロシアの大地がかすかに見えた。それがしだいに大きくなり、大陸らしい針葉樹の森が見えてきた。だんだん地面が近づいてくる。そしてついに着陸。結構ガツンって感じだったが、無事着いてホッとした。さすがロシアのパイロット。ちょっとヒヤヒヤしたけど、オンボロ飛行機をよくぞここまで運んでくれた。「ご苦労さん」俺は心の中で呟いた。

着陸後、空港ターミナルから100m位離れた所に止まったが、回りを見たところ、われわれ以外、人の気配が無い寂れた感じの空港だ。何だろうこの活気の無さは…。これで国際空港なのか?日本の地方空港でも、もっと活気があるのに…。

すぐに出られるかと思い立ち上がってバッグを降ろしたが、全然列が進まない。なんだかちょっと様子が変だぞ。外を見ると、知らぬ間に軍人らしき人たちが10人位集まっていた。「おおっ!?何だコイツら」一瞬緊張が走る。みんな恐そうだ。この寂れた雰囲気といい、軍人さんの出迎えといい、いよいよ来たかって感じだ。この危険な雰囲気こそ、ロシアを選んだ理由だった。

しかし、いったいこの軍人集団は何でいるんだ?人の旅行記にはこんな事は書いていなかったのに…。降りたらいきなり「ズドン」ってことは無いだろうが、何をされるんだろう。乗客の中に怪しいヤツでもいるのか?不安が込み上げてくるが、周囲の乗客の反応はそうではなく、呑気に写真をバシバシ撮っていた。「おいおい!」お前ら何するんだ。ヤバイだろそんなことすりゃあ、没収されるぞ!。コイツら何考えてるんだ。俺は危ないと思って、離陸してからカメラは出していなかったのに…。

それにしても全然降りられる気配が無い。既に止まってから15分経過している。何でこんなに待たせるんだ。だんだんイライラし始めてきたが、数分後ようやく前の列が動き出した。俺もその後に続いて歩きながら、軍人にパスポート提示を求められるかもと、念のためすぐ出せるように準備して出口に向かった。

出口まで来たが、どうも外の軍人が気になって一瞬出るのを躊躇して、外の様子をうかがった。出口から外のタラップを降りていく乗客を見ると、特に軍人に止められてもいる様子もなく、そのまま向かい側に来ているバスに向かっている。タラップのすぐ脇に立っている軍人達も乗客を一人一人チェックしているようにも見えない。どうやら俺の考えすぎだったようだ。ちょっと安心してタラップを降りた。先に降りた乗客を見るとみんな写真を撮っている。「えっ!」と思い、すぐに振り返って軍人さん達を見たが、特に反応していなかった。なんだ、撮影OKだったのか?慌てて俺もカメラを出して数枚撮ったが、さっきも撮っておけば良かった。事前情報では、ロシアは公共の建物の撮影はダメだったはずなのに、今はOKになったのだろうか。やっぱりみんなリピーターで俺だけビギナーだったようだ。全く警戒しすぎて損したよ。本当は、タラップの上で回りの景色を見て深呼吸をしてから、一歩一歩ゆっくり降りて行き、大陸への記念すべき最初の一歩を感激を持って踏み出したかったのに、それが出来ず残念だ。最初の一歩の記憶は軍人さんに気を取られて既に覚えていなかった。

バスに向かって歩いていくが、今日は風もなく全然寒くない。来る前は寒いかと思っていたが、4月末ともなるとそうでもないのか?ガイドブックでは確か日本の2月位の気温だとか書いてあったが、これじゃあもっと冬服減らせたな。

バスに乗って100m位で空港の建物に着いた。日本の空港と違いなんとなく閉鎖的な雰囲気だ。機内にいるときに感じたのと同じ活気のない雰囲気が有る。中に入るとロシア語と日本語で「乗り継ぎと」「入国審査」の看板があった。

まだ係員が来ておらず、手前の所でしばらく待たされた。ふと入り口を見るを知らぬ間にカギが掛けられていた。やはり日本とは違う所だ。先ほどの緊張感はないが、日本と違い他に到着する便はなく、入り口から入ってすぐのあまり広くないエリアに乗客全員で待っていた。

灰皿の所で一服していると乗客の会話が聞こえてきた。マスゲームがどうのこうの言っている。「マスゲーム?」ロシアでマスゲームなんて聞いたこと無いが、何のことだろう。

しばらくして2階に有る「乗り継ぎ」の所に係員が来たようで、乗り継ぎ客は一斉に階段を上り始めた。結構な人数上っていくが、乗り継ぎ客はいったいどこに行くんだろう。気になって、そのうちの1人に聞いてみたら、「北朝鮮です」「私は搭乗員で皆ツアー客です」。そうか!、みんなマスゲームを見に北へ行くのか。結局百数十人降りたがほとんどの乗客が北朝鮮行きだった。ここで降りるのは10人ほどしかいない。それにしても、北朝鮮行きの乗客の幅広さにびっくりした。上は60代から、下は20代前半位で男も女もいる。飛行機で隣りにいた夫婦も北朝鮮行きだ。北はロシア以上に入国は厳しいと頭の中には全く無かったが、これほど行く人がいるとは…。かつて「地上の楽園」と呼ばれた北朝鮮は俺も前から興味が有ったが無理だと思い行き先の候補にさえ挙げなかった。そうだったのか…。知ってりゃー行ってたかも。惜しいことをした。まあ、最初の旅行で欲張ってもしょうがないが。

それから数分して、入国審査の所も受け付けが始まった。他の人の通過を見てからにしようと、列の最後についた。ここで降りる乗客はほとんどが年配の人ばかりで俺が一番若いようだ。前の人の様子を見ていたが、何か聞かれて喋ってる人もいる。ヤバイな、聞かれたらどうしようか。なんか皆慣れた感じだ。会話集を少し覚えては来たが、緊張して思い出せなくなっている。少し焦りが出てきたところでついに俺の順番だ。緊張を隠すように平静を装いパスポートを出した。係員はパスポートを広げ中をパラパラとめくっている。俺は目を合わさないようにして待った。結局、何も聞かれず判を押して返してくれたが、長く感じた一瞬だった。

ここを無事クリアすると、荷物の受け取りとX線検査、税関申告の部屋が有った。係員は皆軍服みたいな制服を着ている。ここも活気が無く暗い雰囲気だ。荷物のターンテーブルからスーツケースを降ろして、X線検査へ、普通降りた後で検査ってやるのか?聞いたことないが。ここでは係員は見ているだけで皆自分で全ての荷物をベルトコンベアに載せていた。見てないで少しは手伝えばいいのに、ちょっと変な光景だ、俺も後に続いてスーツケースやバッグを乗せた。

次は税関申告だ。部屋の隅に机が置いて有り恐そうなオッチャンが座っている。少し緊張しながら機内で書いた税関申告書を渡した。ここでも何も聞かれず、難なくOKで無事終わった。「あ〜良かった」とりあえずホッとした。やはり旧共産国のせいか、日本とは全然雰囲気が違い、緊張する。観光客がまだ多くないのか開放された雰囲気というものを感じない所だ。既に着陸してから45分が経っていた。

部屋のすぐ脇に出口(狭い)が有り、そこを出ると、中年の男が目の前に立っていた。目が合うと、「タクシー?」と聞いてきたので、断って、頼んでおいたトランスファーの人がいないか回りを見ると、黒髪の若い女性が立っていた。細身で背が高くロシア美人って感じだ。何か書いた紙を持っている。もしやと思って近づいてみると俺の名前を書いた紙だった。「おおっ!これだ」それを見ると日本語で「○○さんですか?」と聞いてきた。即座に「そうです」と答えると、こちらですと外に向かって歩き出した。空港からのトランスファーってオヤジだけかと思ったが、こんな若い子もいるのか。ちょっと驚いた。「今日は晴れて良かったですね。昨日まで雨でした」流暢な日本語だ。

空港建物前の駐車場まで来ると、待っていた車は3代前の白のマークUだった。運転席には若い兄ちゃんが座っている。どうやらこの姉ちゃんは日本語ガイドらしい。ガイドは頼んでなかったから、ここで日本語が話せるとは思っていなかった。付いてからこの先どうなるか不安があったのでラッキーだ。旅行代理店では何も言っていなかったが、送迎ってガイド付きなのか。ガイド付きならウラジオまでの送迎代5800円は安いかも知れない。簡単に自己紹介して、車に乗り込んだ。名前はすでに忘れてしまって、ここには書けない。

空港を出ると、だだっ広い平野が広がった。まさに大陸って感じの風景だ。真っ直ぐな道を運転手の兄ちゃんは100から120Kmで飛ばしている。日本ほど車は多くなく信号もほとんどない。このガイドさんはウラジオの大学生で、経済学部にいるそうだ。日本語をどこで習ったか聞いたら、大学で日本語を習っていて去年大阪に研修で来ていたとのこと。それにしてもうますぎる。本当に唯の学生なんだろうか?なんだか怪しい雰囲気が有る。日本の経済に興味があるそうで、日本企業の話とかを良く知っていて驚いた。ガイドはバイトでやっているとのこと。卒業したら日本と関わりの有る仕事に就きたいと言っていたが、日本の大学生より遥かに大人っぽい感じで学生には見えなかった。ソ連時代だと、こういう人が監視役なのかも知れない。運転手の兄ちゃんは日本語がダメなようで、黙って聞いていたが、しばらくすると何か話し始めた、通訳してもらうとこの先に警官がいるのでシートベルトをしないとマズイみたいだ。こういう所は日本と同じなのか。俺もベルトを締めたが、警官が立っている所を過ぎると、兄ちゃんベルトを外してしまった。なんだ、どこも同じだな。

しばらくして、時計は直したかと聞かれた。そうだ!、時差が有るんだった。今はサマータイムだから2時間早めないとならない。日本より西に有るのに何か変だな。時計は17時30分だが、19時30分に直した。しかし日はまだ高く、そんな感じがしない。

走っている車は日本車ばかりだ。最近の車種から古いのまで色々有る。みんな右ハンドルで、右側通行ってのも、なんか変だ。ガイドさんの話だとウラジオは車が24万台有って、何と日本車は22万台だそうだ。こんなに多いとは知らなかった。

やがて行き交う車が多くなり、ウラジオ市街が見えてきた、結構でかそうな街だ。人口は60万とのこと。市内に近づくにつれ、歩行者も増えてきた、バス停には人がいっぱいいるが、皆地味な感じだ。道はこれまでの平坦な道ではなくアップダウンが多くなった。ガイドさんの話ではウラジオは極東のサンフランシスコとも言われているそうだ。しかし、そんな華やかな雰囲気はここにはない。元々ここはソ連太平洋艦隊の基地が有って、外国人に開放されたのは、まだ10年前のことだから、それも仕方がないか。

市内中心部に入って、両替をするのを忘れていたことに気づいた。泊まるホテルのすぐ前まで来たが、ホテルの両替はもう閉っているそうで、銀行に行ってもらうことにした。

一旦戻り市内中心部の通りに止まったが、回りの看板はキリル文字ばかりだ。何処が銀行だか分からない。ガイドさんも一緒に降りて、すぐ脇の建物に入った、中は薄暗く銀行というより、闇金融?って感じだ。ここで100$両替し、3000P受け取った。(Pはルーブル「Рубль」のこと。)

ようやく宿泊するウラジオストクホテルまで戻ると、ガイドさんも一緒に降りてきてくれた。1階にフロントらしき所は有ったが、そのまま通り過ぎエレベータで4階まで上がる。ここには2つホテルが有るそうだ。エレベータを出ると、小さいカウンターが有り、金髪の女性が座っていた。どうやらここがフロントのようだ。さてチェックインだ、何を話そうかと迷っているとガイドさんが代わりに話してくれた。ロシア語で何やら話しているが、何を言っているのかさっぱり分からない。実を言うとロシア語を聞いたのは今日が初めてだった。会話集で何とかなるかと思い、ロシア語講座も聞いていなかった。ガイドさんに言われるままにパスポートとバウチャーを渡し、カギと朝食カード、宿泊カードをもらった。朝食はフロントの隣りのレストランで朝10時まで、パスポートの返却は明日の朝9時で、それまでの外出時は宿泊カードをパスポート代わりに持ち歩くようにとのことだ。チェックインが終わると、ガイドさんが帰ろうとしたので、「スパシーバ」(ありがとう)と言ったら、「仕事なので」と言われた。どうやらチェックインまでがガイドの仕事らしい。日本と違い、ロシアでは業務上の事に対してお礼を言う習慣はないそうで、この場合の「ありがとう」は用途としては間違いみたいだ。来る前に見た旅行記にも出ていたので知ってはいたが、違う国なんだと実感した。

ガイドさんが帰り、1人になると急に不安になってきた。ここから先はガイドが付かない。後は自分でやらなければならない。やっぱりロシア語ちょっとやっときゃ良かったかも。このホテルは英語が通じないと旅行記には出ていたから、この先どうしたもんかな〜。

部屋に入ると、ちょうど夕日が沈む時だった。アムール湾沿いで眺めがいい部屋だ。しかし中の作りは古い。6100円の部屋だが、日本の感覚だと高く感じる。昨日泊まった東京のホテルとは大きな差がある。ソ連時代の名残なのか、カーテンは半分位しか閉らなかった。とりあえずテレビをつけた。チャンネルを変えてみたがロシア語、中国語、韓国語だけで日本語番組はやっていなかった。SMAP草gのドラマを中国語でやっていたが、なんか変な感じだ。旅行記にはお湯が出ないことが有ると出ていたので一応確認してみると、OKだった。外はまだ明るいが時間はもう9時近い。やはり日本より2時間早いのはおかしくないか?どう見ても7時位って雰囲気だ。

暫し横になって、朝からここまでのことを思い浮かべた。関空の外務省渡航情報を思い出し、バッグから出して読み始めたが、ウラジオのところを読んでいたら恐くなってきた。外に出ようかと思っていたが、まだロシア慣れしていない初日から出るのは物騒な気がして諦めた。

9時半に家にTEL。掛け方は知らなかったが、部屋に有った英語の説明書を頼りに掛けたら簡単に繋がってしまった。そのすぐ後に電話が鳴った、「アリョー」(もしもし)と言ったら、たどたどしい日本語で「ワカイコハドウデスカ?」。誰かの旅行記に出ていた通りだ。「NO」と言ったらあっさり切られた。渡航情報にも出ていたが、こういった所にはマフィアが絡んでいるそうで、日本人が財布や貴重品を持ち逃げされるケースが多いとのこと。

腹は減っていなかったので、日本から持ってきたツマミを肴に、冷蔵庫からビールを出して飲みながら、これまでの日記を書いた。廊下からは日本語が聞こえる。中年の団体客のようだ。その後シャワーを浴びようと蛇口をひねるが水しか出てこない。もしかすると遅い時間はお湯が出ないのかも知れない。仕方なくシャワーは断念して12時に就寝。

 

1日目に戻る    3日目に進む

行程図、日程表に戻る