3日目(4月27日土曜)ウラジオストク→シベリア鉄道

7時半に目が覚めた。しばらくボーとしながら、昨日のことを思い出していた。窓から外を眺める。今日もいい天気だが、目の前に広がる見慣れない光景を見ると改めて来てしまったんだな〜という気がした。いよいよ今日シベリア鉄道に乗るのか…。ここからが本当の始まりって感じがする。期待感は有るが、不安感も大きい。ホテル前の駐車場には旅行客を待つタクシーらしき車が何台も止まっていて団体客らしき人達が何人か乗り込んでいた。

とりあえずシャワーを浴びようとお湯が出るか確かめてみる。恐る恐る蛇口をひねると、出てきたのはお湯だった。「良かった」。これからシベリア鉄道の3日間はシャワー無しだからと、ゆっくりシャワーを浴びた。喉が渇いてミネラルウォーターを飲もうと冷蔵庫を開けて中を見る。ロシアにはガス入りと無しが有るそうだが。どれもキリル文字で書いてあるので、どれがいいのか良く分からず、適当に選んで飲んでみたら、「げっ!」、ガス入りだった。やっぱ慣れないもんはダメだな。日本人には普通の水が合ってるよ。ヒゲを剃ろうと関空で買った髭剃りを使うが、切れ味が悪く20分位掛かってやっと終わった。

9時半に朝飯を食べにフロントの横に有るレストラン?に行く。ドアの外からは中が見えないので、なんとなく入りづらい、1人だとなおさらだ。ちょっとためらいつつドアを開ける。思っていたより中は狭くレストランと言うよりバーって感じだ。席は10人分位しかない。客は中年のロシア人4人組がいたが、ちょうど席を立つ所だった。俺の方を見て「なんだコイツは」って顔して出ていった。感じ悪いよロシア人。アメリカ人なんかと違って愛想が良くないな。

入っては見たものの、朝食カードを先に渡すのかどうか、システムが分からず、かと言ってロシア語で聞くことも出来ず、仕方なく窓側の席に座って待つことにした。なんか言ってくるだろう。店内を見渡すとカウンターの中に若い女性が1人いるだけだ。その女性がこちらに近づいて来た、結構美人だ。少し緊張しつつ朝食カードを差し出すと、メニューを開いて、ちょっとたどたどしい英語でどれにするか聞いてきた。良く見るとメニューは英語だ。2種類のセットメニューが有ったので、ハムエッグのセットにした。セット内容は、ハムエッグ、フランクフルト、パン、バター、コーヒー。フランクフルトがしょっぱ過ぎだった。

店から出て、フロントでパスポートを返却してもらう。「パスポールト?」(ロシア語ではこう言うそうだ)と聞くとすぐに出してくれた。単語一つだったが通じてホッとした。部屋に戻り、出発の準備を始めたが、チェックアウト時間を聞くのを忘れ、再びフロントへ。ロシア語会話集に例文が載っていたので、それを読みながら喋ると、英語で「12オックロック」と言ってきた。何だ英語OKなのか?。ついでに「列車の出発時間は午後の3時なので、荷物を預かって下さい」と聞くと、「OK、ノープロブレム」だった。旅行記などの情報では、このホテルは英語が全く通じないと出ていたが、フロントの姉ちゃんは結構流暢に喋る。ご丁寧に倉庫の場所まで案内してくれて、意外と愛想が良くてビックリ。

部屋に戻って、トイレに入った。備え付けのトイレットペーパーを使ってみるが、少し硬い。結局日本から持ってきた紙を使ったが、やはり日本製は品質が高い。列車の出発まで時間は十分有るので、ウラジオ市内見物で時間をつぶす予定だが、何処に行くかまだ決めていない。来る前に色々調べておけば良かったが、結局できずに来てしまった。とりあえず駅の下見をしてガイドブックを頼りに回ることにした。

関空で買ったパスポート入れにパスポートを入れてシャツの下に仕舞い込み、11時50分にチェックアウト。電話代とビール代を払い、荷物を預けてエレベーターに乗った。ディパックを持って行こうかと思ったが、旅行者は危ないらしいので、ビニール袋にカメラと会話集、ガイドブックを入れた。誰かの旅行記に出ていたが、ロシアではビニール袋やコンビニ袋が流行っているらしく、ちゃんとしたバッグなどは誰も持っていないから、旅行者だと分からないようにビニール袋を持つのがロシア流だそうだ。

1階に降りると、客らしき人は誰もいなかった。皆すでに出払っているのだろう。外は寒くなかった。ちょっと厚着だったかと思いながら、駅に向かうが、結構急な下り坂で路肩には石ころが散らばっていたり、歩道が切れて穴が掘ってあったりで歩きづらい。やはり経済事情が悪くこういったところに掛ける金はないのだろうか。

これじゃあスーツケースではつらそうだ。数分歩くと駅が見えてきた。写真で見たのと同じできれいな駅舎だ。写真では周囲の感じが分からなかったが、思っていたより大きい駅だ。駅の向かいには広場が有り、レーニン像が立っていた。ソ連崩壊時に各地で撤去されているのをテレビやっていたが、ここは無事だったようだ。今では貴重な1体なのかも知れない。

駅前の通りは車の交通量も多く、市電やバス停も有って、人でごった返していた。皆手にはビニール袋を持っている。特に多いのは、日本のゴミ袋みたいな黒色の袋やコンビニの袋だ。俺が持っているちょっと厚手のものだと、高級な部類に入るな。バッグを持っている人はほとんどいない。なるほど、これじゃあディパックなんか持っていると目立ってしまい狙われるのも分かる気がする。俺もロシア人になったつもりでその人込みに紛れ込んだ。しかし、回りは全て白人系で東洋系の俺はどうしても目立ってしまう。服装は黒系統が多く皆地味な感じだ。

通りを渡って駅に行こうとするが信号がないためタイミングが取りづらく、なかなか渡れないで躊躇していると、回りのロシア人達は皆慣れたもんで、スイスイと渡っていた。中にはジイさんバアさんもうまくタイミングをつかんで渡っている。たいしたもんだ。しかし、何で信号が無いんだろうか。

何とか渡り切り、向かい側にある駅舎に向かった。駅の回りも多くの人が行き来している。駅舎入り口は日本と違い木のドアが有り中が見えない。こういうドアはなんとなく入りづらいので、誰かが入るのに続いて入ると、中は広い待合室だった。200人位座れそうなベンチが有り、半分位が埋まっていた。列車の本数が少ないのか、待ち合い室は時間が止まったような雰囲気で、活気が無い。外のざわめきとは異なり、皆何時間もじっと待っている感じで、シーンと静まり反っていた。

俺の乗るシベリア鉄道が出ていないかと電光板に目をやると、ロシア語で「НОВОСИБИРСК-7-15:37」(ノボシビルスク)と出ている。一瞬「?」と思って、ガイドブックの駅名を確認すると確かにこれだった。7と出ているので7番線だろうか?。ガイドブックには時刻はモスクワ時間で出ているので注意と書いてあったが、ウラジオ時間だった。何処から入るか確かめようと、奥の方へ進む。右側に行ったら切符売り場でその先に進めない。一旦戻って左側の階段を降りていくと、ドアが有りその先がホームになっている。「何だこれ?改札がないぞ?」変だと思い駅舎を出て外の連絡橋を渡ると、ホームに降りる階段が有った。「なんだ、そういう事か」。日本と違い海外は改札が無いのが当たり前とか本に出ていたが、こういうことだったのか。

その階段を降りてホームを歩く。既に止まっている列車が有ったが、ホームが低いのでやたらでかく見える。ふと見ると、側面に「НОВОСИБИРСК」(ノボシビルスク)のプレートが有る。「あれ!、もう来ているのか」。

早速俺の乗る7号車を探すとすぐに見つかった。なんかあっけないな。人の旅行記には時間がわかりにくいなんて出ていたから、定刻通り出発出来るのか不安が有ったが、心配するほどでもなかった。あと数時間後にはこれに丸3日間乗ってシベリアの奥地へ行くのか…。ここまではリハーサルで、ようやくスタートラインに立った感じがする。なんだか順調しすぎるような気がするが、とりあえずこれで一安心して、駅の裏側に有る港の方に向かう。連絡橋を進むと船のターミナルビルが有った。結構でかい建物だが、駅前と違って人は少ない。

ビルを出て港側に出ると、目の前はもう海だ。港には客船や軍艦が停泊している。駅までは暖かかったが、さすがに港まで来ると冷たい風が止まることなく吹いている。寒い!。そう言えば、昨日のガイドさんが、ウラジオは一年中風が強い所だと言っていたな。

ここを出て軍艦の有る方に進む。軍艦の所には軍の施設が有り塀で囲われていた。訓練をしているらしく中から号令が聞こえた。道を挟んだ向かいには、ロシア太平洋艦隊本部ビルが有り、屋上にロシア国旗がはためいていた。写真を撮ろうかと思ったが、誰かに監視されてるかも知れないと思い、止めにした。

そのまま進んでいくと、潜水艦が陸揚げされて展示して有った。入り口の所には1941と書かれた記念碑のようなものが有り、永遠の火?が燃えていた。ここはロシア人にとっては特別な場所らしく、結婚式を挙げたカップルと家族がひっきりなしに来て記念写真を撮っていた。20分位いたが3組も来ていた。

潜水艦は船尾側に入り口が有り、船首側が出口になっている。入り口に近づくと中から軍服を来た兄ちゃんが変な日本語で話しかけてきた。「オハヨウゴザイマス。オミヤゲカイマシタカ?」いきなりの日本語にびっくりしていたら、ソ連時代のコインを出して、これはレーニン、これはスターリンだの一個一個説明して10$でどうですかと言われた。別にいいよってそぶりをしていたら、今度はピンバッジ付きの帽子を取り出し、また説明し始めた。これもロシア時代のもので、もう手に入らない、コインと合わせて20$でどうだと言ってきた。買おうかとも思ったが、言い値で買うのは良くないと、少し粘って15$で購入。それにしても、この兄ちゃん本物の軍人なんだろうか?。ガイドブックには水兵さんが出迎えてくれると出てはいたが、お土産を売りつけるとは出ていなかった。

潜水艦の入場料は40P(170円)。窓口のおばさんに払って中に入る。カメラやビデオは持っているかと聞かれたが、無いと嘘を言った。ちなみに別料金でどちらも50Pだ。たいした額ではないが、他に客もいないし、この国では正直に行くと舐められそうな気がして、誤魔化したくなった。潜水艦の中に入ると、中は展示室になっていて昔の写真や資料などがガラスケースに入っていた。ここでカメラを出そうとしていたら、後ろから客と軍人が入ってきたので、カメラを出すのを止めて、しばらく間を開けた。そこを過ぎると、潜望鏡やら計器類がぎっしりの潜水艦の中枢部が有った。その先は魚雷室だ、直径30cm長さ2m位有る魚雷が8本位有ったがなかなかの迫力だった。

ここを出てウラジオのメイン通りを戻り、革命広場に向かう。途中、寒くなって来たので、どこかに入ろうかと思ったが、建物の外からだと何の店なのか良く分からない。広場には韓国人の観光客が団体で来ていたが、日本人は居なかった。駅の近くまで戻り博物館を見ようと思ったが、ここも入り口が分からず断念。そのあと、駅前通りで「24」と書いてある看板を見付け、入ってみるとコンビニだった。全く数字しか読めないってのも情けない。ここでパン2と水、ビールを買い、船のターミナルビル広場のベンチで食べた。しかし、風が冷たくて寒い。ビールは駅まで戻ってから飲んだ。

既に時間は午後2時過ぎている。そのままホテルに戻り、荷物を出してもらう。預かり代は取られなかったが、スリッパ代とミネラルウォーター代を取られた。水はしょうがないとしても、スリッパが有料だったとは…。

1階に降りて、外に出ると、さっそく駐車場で待っているタクシーの兄ちゃんが声を掛けてきたが、無視して歩いた。やはりスーツケースを持って出ると目ざとく近づいてくるもんだ。ホテルの敷地を出たところで、何気なく近づいて来た車を見ていたら、その車が止まって俺に向かって何か言っている。一瞬「ヤバイ!」と危険を感じ身構えたが、良く聞くとタクシーだった。「NO!」と言ったら行ってしまったが、全く油断も隙もないところだ。

駅へ向かう坂道をスーツケースを引きながら降りていくが、まだ慣れないせいか、歩きづらい。石ころも邪魔だ。モスクワやサンクトでは空港からもっと長い距離の移動になるから、早く慣れないと。

駅に着き、待合室で15分程休んだ。回りを見ると列車の出発が近いせいか、昼間と違い人の出入りが多くなっていた。時間はあと30分有るが、ホームまで出ておこうと階段を降りる。ホームに出ると、目の前には日本人が数名いた。俺に気付いたらしくジロジロ見てきた。あまり一緒の車両にはなりたくないと思っていたら、後ろの車両側に移動していった。乗る前にトイレに行こうと、スーツケースを引きながらトイレの入り口を入っていったら、いきなり壁をドンドン叩く音が後ろからした。ビックリして振り返ると、なんと入り口の脇に小さい部屋が有り、中にいるオバサンがものすごい形相で怒って壁を叩きながら何やら叫んでいる。「あ!そうか」全く気付かなかった。もしかしてこれが有料トイレなのか?。有料トイレが有ることは知っていたが、すっかり忘れていた。申し訳なさそうな顔をしてお金(3P)を払い、中に入る。きれいなトイレだったが、「芳香剤使えよ」ってくらい匂いはきつかった。

ホームに戻って自分の乗る7号車の方に向かうと、乗車が始まっていた。乗車口の前に車掌のおじさんが降りて、並んだ乗客が順番に切符を見せて乗り込んでいる。見たところ、こちらの車両に日本人はいないようだ。車掌に切符を見せると、英語で「5」と言われた。

5はおそらくコンパートメントの番号だろうと、そのまま車両に乗り込むが、ホームから高いので、重いスーツケースを持ち上げるのが結構つらい。中に入ると各コンパートメントは入り口側からT、U、Vの番号がついて並んでいる。Xのコンパートメントにはまだ誰もいなかった。2段ベッドが向かい合わせになった2等寝台(4名)の部屋だが、思っていたより狭い。ベットも短いような気がする。

そのすぐ後、車掌らしきオバサンが入って来た。何やらロシア語で怒ったように喋っている。どうやらここじゃないよと言っているようだ。変だなと思いながら仕方なくそこを出て、ドアの所をよく見てみると、部屋番号の近くに数字が4つ書いてある。「あっ!これか…」さっき車掌が言っていたのは、コンパートメントの番号じゃなくて、座席番号のことだった。Uのコンパートメントまで戻り、番号を見ると5,6,7,8と書いてある。やっぱりそうだった。5は下のベットになるようだが、同室者と交渉すれば交換も出来るらしい。どっちがいいんだろう。スーツケースを入れようと下のベッドを上げて見るが、ちょっと狭い。上の方を見ると通路側の天井に広がる棚が有る。こっちの方が広そうだ。ベットは変わってもらおうと、スーツケースを上の棚に上げるが、棚が高いので重いスーツケースは結構辛い。棚の高さは30cm位で、棚に入れたままだとスーツケースは開けられない。上のベットへは壁に付いている巾15cm位の折りたたみのハシゴに足を掛け、ベットに手を掛けて懸垂の要領で昇るが、力が無いと困難だ。同室者に年配の人がいたら、下のベットを薦めるのがエチケットだそうだ。上のベットの長さは、ベットを吊っているロープが両端に有るので下に比べてちょっと短い。

その後、さっきの車掌さんが、金髪で大柄な姉ちゃんを連れてきた。俺より遥かに背が高い。雰囲気はロシア人って言うよりアメリカ人って感じで愛想は良さそうだ。とりあえず会話集見ながら挨拶すると、英語で答えてきた。多少喋れるみたいだ。ベットはどっちを使うか聞いたら下がいいと言ったので、俺は上を使うことにした。使い易さならテーブルも使えるし下のベットがいいみたいだが、相手によっては夜遅くまで飲み会になることも有るそうで、酒が強くないと辛いかもしれない。

車掌は行ってしまったので、この狭い部屋に2人きりだと、なんだか落ち着かない、とりあえず何か話しをしないと…。手帳を出して筆談を交えて会話する。英語は高校で習ったそうだ。名前は「Svetal」で年齢は26才、見た目はもっと上に見えた。ウラジオの友達に会いに来た帰りで、これからシベリア鉄道に2日間乗って、チタという街で降りるとのこと。チタはバイカル湖の手前の大きい街で、気温は冬が-45℃(寒い!!)で夏が30℃だそうだ。胸の所が大きく開いたワンピースを着ているので、話しながら目のやり場に困った。英語はそんなに得意ではないようだが、通じないより遥かにいい。

それにしても今日のホテルもそうだったが、英語は全く通じないところだと思っていたのに、ラッキーだ。しかしこれではロシア語の勉強にならないな。会話集持ってきたのに、まだあまり活躍の機会がない。これからロシアに10日もいるんだから少しは喋れるようにならないと。そういう意味でも最初にシベリア鉄道でロシア語に慣れてからモスクワに行くのは順番としてはいいのだが…。写真を撮ろうとカメラを向けたら、あっさり断られたが、代わりに俺を撮ってくれた。

列車は定刻通りスタートしたが、動いたのが分からないくらいスムースだった。世界最長の鉄道だから、出発がどんな感じかと期待していたが、日本みたいに発車のチャイムなどはなく、出発の感慨に浸る間もなく動き出してしまった。なんだかあっけない。

しばらくすると、姉ちゃんがバッグからパンを出して切り始めた。バッグの中は食料で一杯だ。結構買い込んでいるようだ。パンを2個切ってハムや野菜を乗せている。どうするのかと見ていたら、俺に1個薦めてきた。「スパシーバ」と返事して戴いた。お返しに日本から持ってきたチーカマをやったが、ロシア人はこういう物は慣れてないのか、端を噛み切るのが難しいようで、手間取っていた。モスクワとサンクトペテルブルグに行くと言ったが、サンクトには憧れが有るのか興味深そうだった。モスクワはあんまり良くはないのだろうか。

その後車掌が来て、何やら喋っているが、何の事かさっぱり分からない。姉ちゃんに訳してもらうと、シーツ代とのこと。16P(70円)を払う。切符をこの時取っていった。

通路に出ると、列車はアムール湾沿いを走っていた。水はきれいでゴミも浮いていない。通路にはくつろいだ格好に着替えたロシア人が何人か出ていた。みんなサンダル履きで、Tシャツ、ジャージ姿が多い。旅行記にも出ていたがアディダスが一番人気のようだ。3本線はロシアでは人気が有るらしい。中にはニセモノが多いそうだ。俺も着替えようと部屋に戻ると、姉ちゃんは既に着替えてくつろいでいた。あっそうか、こういう場合はもっと早く部屋を空けないといけなかった。

7号車で外国人は俺だけのようだ。マイナーな旅行会社に個人で申し込んだのと、出発を1日早めたからかも知れないが、当初の希望通り回りは全部ロシア人で良かった。こういう雰囲気に身を置きたかったから。

出発後1時間から1時間半位の間隔で駅に何回か停車したが、物売りのオバサンは見当たらない。旅行記やガイドブックには停車駅にいると出ていたので、ちょっと不安だ。これじゃあ買っとけば良かったかな〜。水しかないよ。

次の停車駅で、若い兄ちゃんが入って来た。見た目は30位。この兄ちゃんも英語が少し喋れる。年を聞いたら23だった。俺の年を聞いたらびっくりしていたが、やっぱ外人って老けて見えるよ。車関係の仕事をしているらしく、日本の車に詳しかった。同室の姉ちゃんと同じチタで降りるそうで、2人で話が盛り上がっていた。おそらく何処にすんでんの?とか話しているようだが、ロシア語だと話に加われない。自分だけ取り残された感じがして、一服しに部屋を出た。

シベリア鉄道の場合、各車両の前端に有るデッキでしか吸えない。部屋や通路は暖房が効いていてTシャツで十分だが、ここは車両連結部のすぐ隣りで、暖房は効いていない。結構すきま風が入って来て上着を羽織らないとちょっと辛い。先客のおっちゃんがいたが、怪訝な顔をされた。ロシア人も年配の人は愛想が良くないな。やはり、ソ連時代を長く経験しているからだろうか。灰皿は既製品ではなく鉄板を叩いて作ったヤツで俺でも作れそうな感じだ。寒いから1本だけ吸って出た。

部屋に戻る前にトイレに入った。誰かの旅行記に、シベリア鉄道のトイレは便座が付いていないので、大は便座が付く所に足を乗せて和式のように使うか中腰でやるので苦労するとか出ていたので、ちょっと心配していたが、ここのは付いていた。しかしボロい。便座を上げずに使ったらしくビショビショだ。まったくマナーが悪いな。トイレットペーパーも有ることは有るが、ほとんど巻いていないし、日本のと違ってゴワゴワした紙だ。大はまだもよおして来ないが、3日も乗っていると使わざるを得ない。あまり食わないようにするか…。このトイレ一応水洗だが、水を流すと蓋が開きその下は線路になっている。要するに垂れ流しということだ。日本でも昔は有ったが今は無いだろう。

それから2駅を過ぎて数分後、突然子連れのおばさんが入って来て、兄ちゃんに怒ったようにまくし立てている。代われと言っているようだ。この剣幕に圧倒されて兄ちゃんは別の部屋に移っていったが、何で怒っているんだろうか。あの兄ちゃんが席を間違えたのかと思い、姉ちゃんに聞いて見ると、子供は上には出来ないので、と言っていた。おそらく上のベットしか空いてなくて、若い兄ちゃんに代わってもらいに来たようだ。それにしても怒鳴り込んで代わってもらうとは…。信じられない。ロシアの女って皆こうなのか?。

結局、女子供と相部屋になってしまった。乗る前はロシア男と相部屋だとウォッカを飲まされてつぶされると、どの旅行記にも出ていたので、出来れば男とは一緒になりたくないと思っていたが、さっきの剣幕を見た後だと、こういう組み合わせは何だか居づらい感じがした。

とりあえず、母親にロシア語で「Очень приятно(オーチン プリヤートナ)」と挨拶したが、ニコリともされなかった。「この人、はじめましてって言ってるよ」てな感じで俺を無視して姉ちゃんと話を始めてしまった。歓迎されていないみたいだ。荷物も多い様だし、3日間一緒かもしれない。これからうまくやっていけるのか、ちょっと不安になった。

居心地が悪くなり、再び通路に出ると、外はちょうど夕日が沈みかけていた。だだっ広い荒野に沈む夕日だ。この先には広大な大陸が続いているのかと思うと感慨深いものがある。この光景も2度と見ることが出来ないかも知れないと思うともったいない気がして、しばらく通路で写真を撮っていると、さっきの兄ちゃんがとなりの部屋から出てきた。Tシャツとジャージに着替えていたが、やっぱりアディダスだった。流行ってるんだな〜。カメラに興味が有るらしく、日本製だと言ったら、ベリーグッドと言っていたが、カメラを良く見ると韓国製だった。最近は日本のメーカーは国内では作らないのか。

それにしても、いくら止まっても物売りのおばさんがいない。いた所も2ヶ所有ったが、停車時間が短かったり遅れているとかで、降ろしてもらえなかった。結局停車駅では買えなかった。食堂車に行こうかとも思ったが他の車両まで行くのが面倒な気がして諦めて部屋に戻る。母親と姉ちゃんはまだ話しをしていた。子供は上のベットでウォークマンを聞いている。流れて来た曲は何とヘビメタ。3歳位の男の子だが、この歳でヘビメタか…。変なガキだな。

外はもう真っ暗だ。枕もとの明かりを点け、日本から持ってきた本を読むが暗くて読みにくい。室内も通路もそうだが、日本の列車と比べると遥かに暗い。しばらく読んだが、なかなか頭に入らず、読むのはやめて寝ることにした。時間は10時、寝るにまだ早いが、枕元の明かりは消して横になった。しかし他の3人はまだ起きているので、明かりが気になる。列車の揺れで落ちないかも心配でなかなか寝付けない。しばらくしてやっと明かりが消えた。皆寝るようだ。国も違う今日会ったばかりの人と、この狭い空間で一緒に寝るってのは何か変な感じがする。色々今日有ったことを思い浮かべていたが、疲れていたのかすぐに熟睡してしまった。

 

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